つれづれに

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 今日のYoutube

 今日の地元の日本文理,8回を終わって、同点をホームでさされ、
もう負けと判断してパソコンに向かった。 居間からサイレンがなったので、
負けを確認に行くと、9回裏に逆転勝ちという。 
まさか?と、初めは信じられなかったが・・・ 文理高校の校歌が流れてきた。
あのまま、見続けていればと思ったが、あとの祭り! 



・・・・・・
2331, 「ぼくの血となり肉となった500冊」ー2
2007年08月21日(火)
                    -読書日記          
「ハエとハエとり壺」は、哲学の意味の説明に解りやすい喩えである。
道理さえ解れば何とことがないが、知らない当人にとっては道理の存在があることすら解らない。
還暦過ぎたり、死の間際になって気づくことも、若いときに少し考えれば解ることばかり。
それが教養ということなのだろうが、若いときは人生経験が浅いので
如何してもディズニーランドのキャラクターのように頭でっかちになってしまう。
しかし、それでもよいから教養を身につけることこそ必要である。      
ーヴェド・メータ著『ハエとハエとり壼』ーの斬新さ
立花隆
 ある日、何かの用事で「諸君!」の編集部に行ったところ、田中さんがちょうど外から、
帰ってきたところでした。いきなり「お前、ウィトゲンシュタインって知ってるか?」
と聞いてきた。「知ってるも何も、いま大学の授業でやっていますよ」
と答えると、「じゃ、『ハエとハエとり壺』知ってるか?」と、この本の話をもちだしてきた。
 ハエとハエとり壼というのは、ウィトゲンシュタインの有名な哲学の定義、
「哲学というのは、ハエ取り壷にはまってしまったハエに、ハエ取り壺からどうすれば出られ
 かを教えてやるようなものだ」 (『哲学的探求』産業図書)から出ています。、
 ここでいうハエ取り壺は日本のハエ取り器とはちょっとちがいます。
当時ヨーロッパで使われていたもので、大きなガラスビンを伏せたような形状をしていて、
下からは出入り自由です。ガラスビンの下のほうに置かれたエサにつられてそこにとまった
ハエが、そこから飛び立つと、ガラスピンにトラップされて逃げられなくなるというものです。
ハエは本能的に上に飛ばうとするからガラスビンにトラップされてしまうのであって、
一回下に飛んで、ガラスビンの下のフチをまわれば逃げられるのですが、
ハエはハエの本能に従って上に飛ぼうとするので、どうしてもつそれと同じように、
哲学的難問はすべて、人間の知が構造的にかかえこんでしまっている弱点によって
作り出されたニセの問題(ハエと同じように逃げ道が発見できればたやすく逃げられるのに、
普通に頭を働かせている限り逃げ道を発見できない)だというのが、ウィトゲンシュタインの立場。

本当はそこに問題そのものが存在していないということに気がつけば、
すべての哲学上の問題は解決されるというより消えてなくなる、
というのがウィトゲンシュタインの哲学のエッセンスです。
それを端的に表現したのが、ハエとハエとり壺・のエピソードのわけです。
ーーーーー

解)
この喩えに近いのに、勝海舟の蝿取り器?がある。
甘い餌を欲に喩え、それに群がり逃れられなくなった蝿を大衆に喩えている。         
人間は死ぬもの、なら死ぬという目で人生を180度ひっくり返してみれば
何をすべきか、何を優先しなくてはならないのか解るはずだ。
それは、このハエとり壺と同じで一度、娑婆を醒めた目でジックリと
見つめなおさないと、その辺の娑婆人達の世間とやらいうガラスに頭をぶつけてしまう! 

方向を一度変えて下向きに飛んでみれば、ガラスから逃れでることが出来ように! 
だから哲学が必要なのである。 哲学って何かって? 
それは、死んでしまえばお終いよ!
じゃあ、生きているうちに何をしておいた方がよいか?
何を知っておくべきか? そして何処まで望むべきか?
せっかくの地球旅行に、旅行先で小さな水溜まりでチャポチャポしてないで、
彼方此方に行って何もかも経験して、感動して、見るべきものをみて、
知るべきことを知って、もういいや!と、嫌になる位のことをしないと!
その為には考えて考えて考えること、それが哲学!ということ。 違う?

水でチャボチャボも良いけどね! でも地球は広いし、せっかく
地球に数千億の人間が来て何かを残していったのに、その跡を見るほうが
帰る時に良いんじゃない?それだけじゃない他の動物も多く遊びに来ているし・・・
 でも、水でチャボチャボもしないで、出歩いていて良いのか?
まあ、こんにゃく問答になってしまった!           
               ヾ(・ω・`)ノバイ
・・・・・・・・・
2006年08月21日(月)
1966.事業百訓・・・?
事業百訓ー1987年・1988年(4)
 ーS6201新年をむかえて

 私の予測として今年より三年間が大激変の時と位置づけられます。
その初年度として今年をみています。世界経済が本格的に衰退期に入り、
その風が日本に本格的にふきはじめる年です。
その現象として、アメリカが日本に対して本格的に政治経済面で
攻撃をしかけてくるのは間違いありません。
 また、国内的には間接税が来年より実施されれば、
内部留保の厚い企業をのぞいて整理統合がはじまります。
 その中で企業として生きぬくためには、
?より徹した損益分岐点の引き下げと
?より特化した戦略の徹底がますます必要です。

ーS6201霊的体験ー
私には少し強めな霊的感覚があります。
今回より数回シリーズで実体験を公開します。
“A”さんが数年前になくなった時の事です。
同じ会社仲間だった“B”さんと十日町の彼の家へおまいりにいきました。
その途中の車中で“B”さんと般若心経の話になりました。
そこで彼の供養も含めてお経をとなえました。
その後、Aさんの家の確認のため車をとめ地図をみました。
何げなく“B”さんの顔をみると、彼の顔がまっ青になっているのです。
やはり車中で“C子”さんの話をしていたのです。
“A”さんが入社試験にやってきた時、彼(A)が優秀という事であり、
同じ十日町出身の美人C子さんにお茶を出させ、郷里の話をさせたのです。
そのせいかどうか彼は私の思いどおり入社したのです。
そのおもい出話をした事であったのか数万分の一、いや数十万分の一
の確立で彼女の家の前に車がとまったのです。
十日町に出店をした時、彼女の家の前を“B”さんが通って知っていたのです。
私がそこに“偶然”(?)車をとめてしまったのです。
“B”さんはあまり霊的な事を信じない人ですが、
その時は最後まで信じられないという風でした。
私自身またかというのが実感でした。
その日一日“A”さんがニコニコ私達を見守っていた、
という何かを感じとりました。

ーS6203事業百訓 ー
224 偉大な人間とは自分の理想(像)の演出者をいう。
       -ニーチェ
225 苦しいときは人生で一番すばらしい時期―真正面に-
226 本気になったら自分が変ってくる。
   変ってこなかったらまだ本気になってない証拠。
227 本当にわかってない事が解る事が本当にわかること。
228 お金にも“強い金”と“弱い金”とがある。
  強い金とは自分が苦労を重ねて貯めた金。弱い金とは浮利で得た金。
  (事業にも株も強い金を使う事)
229 非常に健康的な人の共通点として“至高体験”がある。
  (非常にうきうきした絶対的な幸福感)
   我々が至高体験をたびたび持つ事ができないのは
  “わき見”をしているため。
230 ともかく具体的に動いてみる。具体的に動けば具体的な答が出るから。
   (相田)
231 アノネ、がんばんなくてもいいからさ、具体的に動くことだね。
    -相田みつお-
232 この世で一番重要なことは他人の表情に最大のほほえみをうかべること。
    -コーラン
233 好かれる事は好く一面でしかない。

ーS6205事業百訓ー
 234  母親の体内で30億年間の生命の進化の命をくり返して
    初めて人間になって生まれてくる。
    十ケ月の間に30億年の生命の変化-つまり魚になったり等々(平沢興)
 235  常に備えよ!(ボーイスカウト万国共通標語)
 236  会社というものは何をやるにしてもまず儲からねば間違い。
    利益が上がるようでないと仕事ではない。(西 順一郎 )
 237  頭で考える人は勝てない。
 238  昔の築城主が城を築くのは今の建築家が家を造るの比ではなかった。
    城を築けば、秘密を知る唯一の人として生命を召される事をしりながら
    城を築いて徒容と切腹……。
 239  流水先を争わず。
 240  成功とは九十九パーセント失敗に支えられた、一パーセントである。      
 250 お経の中に仏様がすんでいます。
   毎朝お経をあげるとすっきりするのは、
   仏様が頭の中を掃除してくれるためです。
 251 (a)一歩は一円、
   (b)一mは一円、
   (c)一ページは一円、
   (d)一聞一円、
   (e)一礼一円
 252  ヘッドオフィスの考え方。
 253  現実の自分が、もしかしたらなれたかもしれない自分に、
   悲しげに挨拶する。

ーS6207事業百訓ー
  254 世間一般の仕事の八割は中学生でもできるといわれる。
  (何故その分類ができないか、中学生でもできる八割の仕事ばかりしたがるのか?)
  255 人生、いいように考える事がコツですね。人生を渡るコツです。
   ……ニューヨークの大通りを観光バスに乗って見学していたら、
   私の近くの若い女がきれいに化粧をしてね、
   花飾りのいっぱいついた帽子をかぶって、満顔に笑みをたたえ、
   みるからに幸福でたまらないという顔をしている。
   よくみると両手から肩まですっぽり切り落とされたようになっているんです。
   …「こんなに天気で気持がよいのに、両手がない位のことで、
   この私が幸福になってはいけない、とでも…。
   人間は誰でも幸福になる権利があるんじゃないでしょうか」
   とでもいっているようにほほえんでいる。
   あれだと思いました。(宇野千代
  256 アウシュヴィッツの強制所で絶望の余り自殺を決心した二人の囚人と
   語ったところ二人の共通点は、
   二人とも「もはや人生から何も期待できない」という感情であった。
   この時、コペルニクス的転回を、すなわち
   「人生が何を彼等に期待するか?」を説いてきかせる事が重要であった。
    一人は彼を待つ家族のもとに必ず帰る事がどうしても必要であった。(フランクル

ーS6209事業百訓ー
“宇宙と地球と人類”を大雑握にとらえまとめてみると-
  ? 我々の宇宙は百二〇~百五〇億年前に
   ラグビーボール大の素粒子がビック・バン(大爆発)により生じた。
  ? そのひろがりは(a)二千億の太陽で一つの宇宙(銀河系)を形成
          (b)その銀河が百億存在しているところまで確認され
  ? 地球誕生は四十五億年前であり、太陽のまわりの細かい隕石が
   ぶつかりあって拡大して生じたもの。
  ? 三十億年前に生命が地上に誕生
  ? 数百数万年前、猿が誕生
  ? 五万年前にホモ・サピエンス(今の人類)が出現
  ? 文明は五~六千年前以前にはじめてうまれた。
  ? 宗教(仏教、キリスト教)がおよそ二千   五百年にうまれ
  ? 現在の地上の人類は五十億人であり、過去人類として出現した数は、
   およそ八百億人という。
  ? その人間も五十兆の細胞で構成されており、脳細胞は百三十億である。
 
 以上の背景を持っておよそ八十年間の寿命を全うする。
 子供の頃、胸にワッペン、片手にお菓子をもって、好きな女の子をおいまわす。
 女の子は大人をまねたママゴト。
 それを少し拡大した事を一生を通じて、何等不思議ともおもわずくり返す。

事業百訓ー1986年(5)
ーS6101新年にあたりー

 第二ベンクーガーホテルの増築の完成にあたり、
現在の位置づけを明記しておきます。
第一B・Hのオープン(S56.3)及びその後の内部固めの二年半が、
 現在及び今後の四年間の時期と同じと見るべきです。
 文章作法の“起承転結”を過去五年間にあてはめると次のように解釈できます。
 第一B・Hが“起”にあたり、

“承”が内部がために終始した二年半、第二B・H、第三B・Hが“転”、
第四(第二の増築)が“結”にあたります。
(第一B・Hの創業の二年半の中にも起承転結はありましたが…)
そして、この五年間を“起”の時と圧縮して考えてみると、
今年より四年間は“承”の時にたとえられます。
今から過去五年間を考えてみて、一番地味であった“承”の時が
最も重要であったと思います。
その意味で今年よりこの四年間は本当に本当に重要な年に入った事を
自覚しなければなりません。それが充実すればするほど必ずやすばらしい
“転”“結”を生みだす原動力になるはずです。

ーS6103事業百訓ー
193 ・性相近
   ・習相遠(人間はうまれた時は能力に差はないが、
        努力の積み重ねでその差は無限となる)
194 今なる時はなかりけり。“い”の時くれば“ま”の時は去る。
195 べきときにべくる事をべきすべき。
196 創造とは伏従行為である。耳をすましてきこえない声を聞く。
197 生のほうから死をみると暗いが、死のほうから生をみると明るい。
198 五年あるいは五億が一つの壁、この壁をこえなくては
   並の中小企業か倒産かどちらかである。
199 今年はごまかしごまかしやってきた高度成長期の遺物が、
   かたずけられるといった程度の年。
200 感謝をすれば感謝のできる事が近よってくる。
201 現在の絶対的方向
  (1) 国際化が進む事
  (2) すべての面で自由化が進む
  (3) 都市の集中化が進行
  (4) 人工の老齢化が進む
  (5) 科学技術の想像を絶した発展
202 “美”の本質を追求していくと秩序を内在している。
203 “美”とは誰がみても美しい不思議。
204 古今の名作はわかりやすい。(難しさはきえやすい)

ーS6107事業百訓ー
205 他人によってキズつけられるのは自分のエゴイズムだけである。
206 善き人におきる事は必ず善き事である。
  (善き人には悪いことはおきない。)
207 みじめなということは低きところにおる人ではなくて、
   進むことのできなくなった人です。(八木重吉
208 私みずからであること、それのみ絶対である。
   私みずからより大きい必要もない、
   私みずからである時のみ神をかんずる。
209 禅を通じて得たことは“徹すること”“こだわらぬこと”である。
   この二つがそのまま勝に通ずる。-川上哲治
210 打破漆桶底(性の根底にある無明その底をぶち破る。
   その底がわれて仏とひとつづきになること)
211 もとはこちら、そのままけっこう
   (そのままけっこうがこの世の極楽である)
212 一日は一生の縮図です。
   それをさとって粛然たる思いがした時初めて人生の真実の一端に
   ふれたようなものです。
213 人の幸福をともに喜び、ひとの不幸をともにかなしむ

 ーーーーーーー
事業百訓ー1988年ーS6303 
  魂の色は何色
 5才の時、一年間牧師が毎週家庭に説教に来ていた時の事である。
牧師の質問が“魂の色は何色ですか?”であった。
姉兄等は当然答えられず、最後に私のところにきた。
一瞬考えた後の私の答が“魂の色は顔色”であった。
牧師と両親のその時の驚きを、今でもはっきり記憶しています。
そこであの時の牧師の用意していた答は何だったのか、
T氏と酒をのみながら話し合った事があるのですが、結論はでずじまいでした。
その時のT氏は“白光色”。私はおそらく“虹色”ではないかという意見だったようです。
もちろんこの話にはオチがつきます。
五才の子供にこの言葉の意味がわかる訳がなく、
肌色という意味で顔色という単語がでたのがそのタネあかしです。
しかし絶妙のタイミングで、絶妙な答であった事は事実でした。
今の私にこれ以上の“答”をだす事は不可能です。
せいぜい“目の色”“音色(ねいろ)”“夢色”“十人十色”です。
 でも本当にすばらしい答は“肌色”かもしれません。

ーS6305ー 新井石龍禅師に学んだ事 ー1
 学生時代に、父と禅師が親交があり、実家泊りに来ていただいた事等の因縁で、
六日町の禅寺“雲頓庵”に読書を兼ね春・夏休みになると滞在させていただいていた。
度々なので自然と禅師と話をさせていただく機会が多々あった。
無知と若さの為平気で生意気な質問をした私にいつも笑顔で答えていただいた事が、
今では懐しい思い出になっています。

? (私) -禅とは一言で言うと何ですか?
 (禅師) -字の通り天地宇宙に己の単(一人)である事を示す(気づく)事。
? 社会に出て半年あまりで気負いすぎで早くも行き詰まり、
  五日間の夏休みでの雲頓庵の禅師との対話
(私) -世間と理屈は違う。
     理屈どおりに世の中いかなという事がつくづくわかりました。
(禅師) -あなたの理屈がおかしいだけ、世の中は厳しくも甘くもない。
  世間も理屈もあるものか!
 (厳しく感じたのは自分自身そのものが甘いだけ)。
 
後者の時は頭を真二ツにわられてしまったというのが実感でした。
頭で物事を考えていた私が、“自分が”前に出ていた私が、
その時点でたたきこわされ、
社会人の一員にやっと一歩踏み入った瞬間でした。

ーS6307ー 人生は雷光なり
 二人で二百才になろうという人の対談の中で、
過去百年をふりかえり、実感として“人生は雷光のようなものだ”
との内容に驚かされました。宇宙時間という観点で人間の一生は、
雷光のように一瞬である事はうなずけますが、
自身の事となるとまだまだ実感としてピンときません。
そこでマンダラで図解をしてみました。
・・・・

ーS6307ー 新井石龍禅師に学んだ事 -2
夜十時頃、一人で本堂より三百m先に入った禅堂で
 坐禅のマネ事をしていた時の事。
我慢で時おり襲ってくる恐怖感に耐え、そろそろ本日の終了と思った矢先。
誰もいるはずのない堂内に何かの気配!
雲水に因縁めいた話を聞いた事も手伝い恐怖のどん底に落とされました。
私の人生で二回の超恐怖体験の一つでした。
大声を出し、逃げ出したいのをこらえ震える足で本堂にたどりつきました。
雲水と“医者の卵”と“弁護士の卵”と四人で、懐中電灯と棒を各々持ち、
恐々禅堂にその正体をたしかめに行ったところ、
猫位の大きさの獣物だったのです。
逃げられないように禅堂の戸閉まりをして翌朝に持ちこみました。

再び四人で棒を持ってその獣物の正体をたしかめに行ったところ、
何と“モモンガ”だったのです。
そこで“生け取り”と追いかけ回したのですが、
途中から反対に歯をむき追いかけられる仕末。
その時騒ぎを聞きつけた老師が我々の一人の棒をとりあげるや、
一撃でモモンガをたたき殺してしまいました。
その気合のすごさに本当に驚いてしまいました。
二十才そこそこの大の男が四人逃げまわっているのに、
九十近くの禅師が何のためらいもなくただの一撃!
私自身その時、合気道を三年近くやり、少し逆せていた時だけに、
その迫力にショックをうけてしまいました。
結局武道も禅よりみると枝葉でしかないのか?等々。
禅師の一面をみた事件でした。