* 千葉・千城台ビル建設計画の着手
 懐かしの金沢から地元長岡に帰って、余命一年の父と千葉の千城台ビルの建設計画に入る。
当時、父親は義兄に、会社経営の大方の権限委譲をしていたが社長のままだった。 右上がりの時代に、長岡も
高度成長の恩恵で活況。その中で、華やかな地元社交界の花形の姉夫婦に、父は幻滅をしていた。まず、出を制して
入りを図る生活基本がない上に、城下町の虚構世界が全てと信じているようだった。 実家の同じ屋敷の前に自宅、
その裏に姉夫婦が移り住んで8年ほど経っていた。現在、私が住んでいる家は、50年前に父が最期の住み家と、
贅をこらしたもの。 父は、現・預金を除いた、会社の株式、本店ビルなど不動産の生前贈与をして、死後の相続を
姉夫婦に独占されない手はずをうっていた。当時で月に百万円の散財をしていたから、現在にすれば月に5〜6百万。
父が怒り、警戒するのも頷けた。 逆に、生前贈与に対して、姉夫婦には、母、実兄、私、姉、の4分の1だけの
配分に怒り心頭だったのもみてとれた。それが、父の死後の御家騒動の根になっていた。3歳年上の実兄は、
性格が大人しいく、人を疑うこともなく、私が計画に入った時点で、対立軸が、私対姉夫婦に移っていた。
 創業を目指していた私には、具体的実践課題を与えられたことになり、その成果が試されることになった。 
これが大変だが、創業の第一歩として、命懸けのコーチ役の父親が指導する小説のような日々になっていた。 
千葉の新興住宅地の商業地で、商業ビル建設と、その一角での商売のたちあげて、成功させるのが、当面の課題。 
 まず考えたのが、この千城台のような団地の商業ビルの転がしである。都心からの新しい電車の線路沿いに、
千葉県住宅供給公社などが開発する安い商業地を先行投資をして、ミニ商業ビルを建てて、テナントを埋めた段階で、
資産家に転売する事業を、思い立てた。まず千城台ビルをモデルケースとして、これが第一歩と位置づけ、踏み出す
ことにした。 学生時代に、創業人生を踏み出そうと決心したとき、創業と、軌道に乗せての転売が、事業として
面白そうと、イメージをしていた。 これなら、合致をする。 
 その計画と、ビル建設をしていた最中、父親が亡くなってしまった。その間に父と兄夫婦の軋轢が出始めていた。
しかし、千城台ビルの立ち上げと、ビルをテナントで埋まることと、その一角の自らの商売の起業が、当面の
大きな課題になっていた。  〜以下は、また偶然だが、13年前の同月同日の内容で、この文章の補完になっている。
・・・・・・
2001年06月07日(木)
[45] 創業の話
27歳、千葉の千城台で千城ビル建設と養老の滝1122号店の立上げをやった。
準備1年4カ月かかった。その間に一緒に計画に携わった父も亡くなった。
今も忘れられない1973年5月30日であった。
11月07日、店の立上げとビルの完成でパニックの頂点をむかえた。 地獄!・・・・・
その頃写真を撮っているいる余裕などない、写真日記のそれは千城台を引き揚げたあと、懐かしく行った時に
撮った写真である。全く知らない千葉で我ながらよくやったと思う。
この地獄の中で創業のノウハウしっかり身につけることができたと思う。
自らを空にして、おきて来た問題を一つずつ解決していくしかない。
その時本能的に相手に両手で拝んでいた。
どういうわけか拝まれると人間引き受けてくれるものだと感じた事を憶えている。
軽い気持ちで拝むポーズを時々みると,張りたおしたくなるのそのせいだ。
当時のことを記した文章があるのでコピーをしておく。
また写真も写真日記にコピーしておきます。
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H0907
養老の瀧1122号店、店長の日々
 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりであったが、
いざ自分がその立場に立って、その認識の甘さをつくづく思い知らされた。
千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”と“養老の瀧オ−プン”と
“結婚”という、人生の初体験を同時に始めた。丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、
ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、最悪の出発となってしまたった。
そしてオ−プン...!完全にパニック状態!オ−プン人気も含めお客の列!
しかし、こちらは全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、
地獄のような日になってしまった。辛くて、恐ろしくて、一日一日が精一杯、
今考えても、よく持ちこたえたと思う。当初の、2〜3ヶ月は朝8時より
夜半の1時までの激務であった。指導員と私とアシスタントの3人の激しい日々であった。
“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。
それまでは8時間プラス2〜3時間、という立場が、“24時間(休んでいても仕事のう
ちという)仕事”という立場になった。
サラリ−マンが事業をおこして大部分失敗するのは前者より脱皮できない為である。
大手ス−パ−の創業期に入社、異常に近い厳しい世界に3年近くいたが...。
その厳しさが全く違うのだ。はじめの数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという
位、厳しいものであった。あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる!という
前提があった為乗り越えられたと思うが。でも不思議なもので、真っ正面より立ち向かっていると、
いつの間にか辛さが辛さでなくなってくる、適応能力が自然についてくるのだ。
ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”を飲ませているのだ。
それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。
そこで自分1人で店を衛らなくてはならない。
酒を飲んだ人間の本当の恐ろしさをそれまで、ほとんど知らなかったためだろう、
命が幾つあっても足らない位の事件が月に一度はおきた。
恐怖の中で1人トイレの中で(他の人にはわからないように)震えた事があった。
そこで、大きく唸った。そしてお客に対処したところ腹が据わったのだろう、
お客が逆に竦んでしまった。“これだ!”と直感した。
また店の従業員に前もって、うちあわせをしておき、
お客に怒鳴る変わりに従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、
土壇場に立つと知恵がついてくる。
ただフランチャイズのシステムは今でも素晴らしいものであったと思う。
標準化、単純化、マニュアル化がきっちりできあがっていた。
創業時の勉強という点で、このシステムは自らに非常に有効に働いたと
振り返って思えるようになった。
             創業は辛い! 1973.11.07〜
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4465, 余命半年 −3
2013年06月07日(金)              
   * モルヒネか、プチッか        「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
 父や、義兄などの末期ガンで悶絶しながら死んでいく姿を垣間見ると、プチッ(安楽死)と早々に最期を向かいたいと
思うのは、私だけでないだろう。ガンが進行するにつれ、その痛みが強くなり、それにつれモルヒネも強くするしかない。
中毒の心配など、先のない末期患者には関係ない。著者は、進行度に合わせてモルヒネを調整すれば、問題はないという。
ガン患者の7割が痛みを訴え、その半分がモルヒネでないと痛みが取れない。一般的にモルヒネを使うと、死期を早めるが、
専門医が適切に使えば苦痛を減らせる。死因はあくまでガンの進行。傍からみれば、モルヒネが死期を早めている、と
思われるが、ガンの進行に合わ強くしているための誤解。末期患者は3年、5年先まで生きるわけでない。
ここで知ったのが、「鎮痛補助剤」。坑うつ剤、坑痙攣剤、坑不整脈薬など、本来の効果とは別に、痛みが伝播する回路に
働いて痛みを緩和する。 で、プチッ=安楽死はどうか? これは現在の日本では禁止されている。ただし、死ぬ前から、
その意思表示をしておけば、医師は、それを元にモルヒネなどの加減で、延命をしない判断も出来る。
 現在、日本人の二人に一人がガンになり、三人に一人がガンで死んでいく。何らかのカタチで、余命を言い渡されるか、
自分で悟ることになる。その時から死ぬまでの数ヶ月間は、生存への渇望と肉体と精神の苦痛の中で、独り悶絶する。
生きることは大変だが、死ぬのも大仕事である。 父も最期の最期は、モルヒネを大量に投与をして亡くなっていった。
「苦しみを最小にするに、それはそれで良い」と著者もいう。 ある映画の一場面に、ガンになって入院してきた男に、
古手のガン患者が、こっそり、のた打ち回る患者を数人掛りで押さえ縛りつけている現場に案内、隠れ見る場面があった。
 義兄のガン末期の似たような場面を聞いた。父が亡くなる数日前、病院の一室で、頭を掻き毟っている姿もみた。
三人に一人は、このような状態で亡くなっていくのが現実。 元気なうち、出来るうちにすべきことを成すべき。
 アル中や薬中には、モルヒネは普通の人の数分の一しか効かない。 酒の絶対量を飲んできた私も、その報いが出る
可能性が高い。「プチッ!」とは、どうも逝けそうもない。モルヒネで恍惚状態も悪くないが。
高校の同級会のメンバーと、中学の男の同級生の四分の一が既に亡くなった。生きている限り「他人は先、我は後」だが。
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4091, 老いの見本帳ーダークサイト −11
2012年6月7日(木)
   * 幸福とは             「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 「老いを考えることは、それぞれの幸福を考えることである」、というのが、この老人奇譚集の目的である。
晩年になると、来し方の人生を悔むこととなる。それは中古品の若者としての哀れな姿でしかない。晩年の両親の姿を
間近で見ていたので、タジロギが少ないが、決して甘い世界ではない。 それでも、生きていれば老いていく。
人は生きてきたように老いていくしかない。  ーあとがきー の文章が、老いについての締めくくりになっている。 
≪ 老いへの不安を覚えている人は、決して幸福な状態にあるとは言えない。老いを目前にしているという事実の前に
 たじろぎ、老人ないしは年寄りとしての自分の姿を想像しきれぬまま、自分自身に違和感を覚えつつ心許ない日々を
送るのは、まことに居心地の悪いことである。老いについて語り論じることは、結局のところ幸福について考えを巡らせる
ことと重なってくるに違いない。 近頃のわたしは、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになっている。
* ひとつは日常における安寧とか安定とか平和とか、つまり波風の立たない平穏な毎日である。それは往々にし退屈に
 感じられたり、無価値に映る(殊に若者にとっては)。 だが大病を患ったり危機的な状況に追い込まれると、
「当たり前の日常」の有り難さが身に沁みる。ある雑誌に「人生の意味について」を特集をしている。「人生に意味は
 あるでしょうか」という質問をさまざまな分野で文章を綴っている人々にぶつけ、二十一名からの回答を載せている。
 詩人の谷川俊太郎氏の回答の一部を紹介すると、「人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っているのですが、
 言葉で言うとどうも据わりが悪い。禅問答ではありませんが、答えは「……とでも言うしかありません」となっていて、
 なるほど味わいという言い方があったなあと感心させられた。老いることには、当たり前の日常に備わった微妙な
 味わいを理解できるようになるといった効用があるのではないかと漠然と考えていた。
* 幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、楽しいこと、満足感を得ること
 ーそのような躍動的で高揚感をもたらす事象との出会いであろう。こちらは個人差が大きく、ある人にとっては十分に
 喜ばしく感じられる出来事が別な人にはむしろ物足らなさや悔しさを惹起することなどいくらでもある
 (たとえば優勝ではなくて二等賞に甘んじたとき)。こうしたことも、歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ
 春の訪れを告げる日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、窓の向こうに見える教会の屋根の
 赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とがまったく同じ赤であったことに今さらながら気付いた軽い驚きであるとか、
 学生時代に読んだ小説を再読してやっとその素晴らしさを悟った喜びとか、そういったもので十分に幸福の文脈を
 形成し得るに違いない。ガッツポーズをしたくなるような晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を
 感じ取ることができる。  ・・・だがどうもわたしの世代に近いほど、歳を取っても貧欲というか大人げないというか、
 若さの尻尾を引きずっているというか、往生際が悪い。年寄りではなく、中古品の若者や古ぼけた中年としか見えない。
 歳を経たがゆえの味わいを楽しめずにいる。それがために、不満や不全感ばかりが募る。≫
▼ 老人の殆どが老人性鬱症であり、20人に一人が鬱病患者。また80歳を超えると4人に一人が認知症になる
 厳しい現実がある。それより、私の年代で、既に4〜5人に一人が亡くなっている。おうおうに早死した人は、
「人生として恵まれてない人」として思われる。とはいえ、生き残った人に待ち受けているのは煉獄の中のような日々。
 それが必要な人がいる。地獄は娑婆にある。
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3725, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月07日(火)
  ■ 今回の事態に、準備はあったか?      『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 二つの経済震災と、一つの自然震災で、あれよあれよの間に、倒産をしてしまった。これは、たまたま立ち居地が悪かったと、
自分でも納得せざるを得ない。倒産時の最悪の構えの準備は? 私と家内の厚生年金を40年続けてきたので、生活はしていける。 
しかし自宅は借り入れの担保に入っているので今後、どうなるかである。 何とかクリアー? 出来なくても、それも定め。 
ホテルなどの長期設備投資は何があるかわからない前提で数十年かけてシェルターを準備をしておくのは、セオリー。
 あっさり倒産をしたのをみて、計画倒産?と数人に疑われたが、そんな『子供の寝小便』のようなことはしない。
「シェルター完備倒産」と評した人もいる。しかし徹底してなかった甘さを後悔している。倒産は倒産であり、私は一度破産者に?
まさか自分が・・・である。 冷笑している貴君、「まさか自分が!と思っているけど、他人事でないんじゃ?どっちにしても、
『まさか』の何かが待っている。老化は、それまでの前提が、次々と破壊されていくことに気づいてないんじゃ?」と、
醒めた目でみえる。言い訳になってしまったが、反省も込めて、この本を何回かにわたり辿ってみる。
 ところで一般的に言われている「計画倒産」とは、私が知っている限りでは、「手形を振り出している会社が、破綻末期になって
倒産を覚悟した時、意図的に商品仕入れを膨らませ、それを現金化をし、債権者の目の届かないところに隠した後に倒産する」こと。
弁護士が言うには、「『計画倒産』と『計画的倒産』とは、似て非なるもの。 一般の人は、これを混同している。 計画的倒産は、
駄目と判断したら、倒産の日にちを設定して、粛々と手順を踏むこと。 その意味では、このケースは2週間前に決定したので、
計画的倒産にもならない。父さん(倒産)に『良い父さん(倒産)』『悪い父さん(倒産)』があるが、貴方のケースは前者の典型」
とか。その立場にたってみると、色いろの知識が入ってくる。20年ほど前に、既に亡くなったが、倒産・整理の専門の
コンサルタントの先生に姉夫婦の整理を依頼したことがあった。その時に「倒産を覚悟した時は、最低、半年の準備期間が必要」
と聞いたのが印象に残っている。今年に入るまでは、あと1〜2年は大丈夫だろうと、思っていた。しかし、売り上げ減の角度が
三年目に入っても殆ど変わらないのは、想定を超えていた。その上に東北震災なら、何の未練もない。 で、どうした? か
というと、最悪の事態への準備の大切さが本当は分かってはいなかった、というのが、結論。 日本が、ここまで疲弊するとは。 
特に、地方経済は、惨憺たる状態! 更に悪化するとなると、この数年は大荒れになる。少し本論からそれた内容になってしまった。 
まあ、言い訳と正当化、半分か!
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3360, 京都! 無双の別荘群
 2010年06月07日(月)
 NHKのワンダーワンダーで「京都!無双の別荘群」を放送していた。
明治・大正に財をなした財閥が、その贅をつくした別荘群が京都南禅寺の周辺に現在も存在している。
7000坪の邸宅に庭師だけで10人が365日、手入れをしている碧雲荘。野村證券の創業者の野村徳七がつくった邸宅である。
それらは借景という自然の景色と庭を組み合わせた庭造りをしている。 また庭屋一如という、庭と屋敷が一体化したつくり。
何有荘、清流亭、瓢亭など、そうそうたる屋敷が次から次へ紹介されていた。
 ーまずはNHKのブログの紹介からー
(以下、字数の関係でカット2011年6月7日)
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2985,腰痛持ちの皆さんに
 2009年06月07日(日)
 家内も、ついに腰痛もちになってしまった。
私の腰痛は昭和38年度の豪雪の時に高校の屋根の除雪作業でギックリ腰になって以来、45年間の付き合いである。
表日本に住んでいた8年間には腰痛はホボでなかったので、地域の湿気の問題などもある。
現在でも年に平均3〜4回は軽い腰痛になる。5月と11月初旬の連休辺りの気候の変わり目に出ることが多いが、
一度も医者に行ったことは無い。 以前のような脂汗が出るような重症の腰痛は無くなった半面、いつも腰に重い疲労感と
少しの痛みが残っている。 
(以下、字数の関係でカット2011年6月7日)
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2621, 消費社会から格差社会へ ー4
2008年06月07日(土)
ー「負け犬女」対「下流男」ー
「負け犬女」というキーワードは、数年前からTVのドラマで何度か聞いたことがある。
それに対して、男は負け犬という言葉自体が負けを認めることになり、言葉として抑圧されている。
そのこと自体は、自分の挫折経験からして痛いほど解る。 社会学者は、その辺の造語は適格である。
現在の男女の結婚年齢が32歳と29歳なら過半数に近い比率で当てはまってしまう。
それほど、当人は気にしてないから、流行語になるという面白い現象である。
 ーその部分を抜粋してみる。
三浦: 彼らはパソコンの前に座っているんじゃないですか。 ある住宅メーカーが調査したら一日五時間ぐらい
 一人暮らしの男性は、パソコンの前に座っているんです。
上野: この人たちが、ネットのヘビーユーザーですね。あなたの「下流社会』でよくわかったのは、
 下流の人たちにパソコンのヘビーユーザーが多いということ。今パソコンは一番安直で低価格の娯楽だから。
 その反対にアウトドア系は著しく少ないとあったので、なるほどと思いました。
三浦: 自転車みたいにおカネがかからないアウトドアでも、「上」の人の方が多いんです。
 下流の人はまったく体を動かさない。女性もそうなんです。「おうち」でじつとしている(笑)。
上野: それを支えている強力なインフラが、コンビニなんですね、男女ともにね。
三浦: そうですね。あと高級スーパーの「成城石井」とかでね。一人でもおしゃれな惣菜を買って帰って、
 エンヤを聴きながらカモミールティーでも飲んで、「まあいいかー」みたいな(笑)。
 それとネットショッピング。ひきこもっていても、暮らしていける。コンビニすら面倒くさくて行かなくなる説もある。
三浦: 「負け犬」という表現にある諧謔が読めてない。裏返して書えぱ、彼女たちの対極にいるはずの、
 彼女たちと同じ年齢層の結婚していない男たちは、自らを「負け犬」と呼ぶことすら抑圧している、
 それくらい男の負け感が強い。自分の負けを認めることさえ、抑圧の対象となるほどの状況にいる男の立場と、
 負けをさっさと認めて競争から降りる女の戦略とでは、男の抑圧の方が強いでしょう。
 そういう意味では、「負け犬」の男に与えられた称号が、「下流」だったかもしれない。
上野: うん、男は負け犬とは呼ばないですね。なるほど、「負け犬女」対「下流男」か(笑)。
 ただし同じ年齢層で「負け犬女」と「下流」を比べると、経済階層では「負け犬」の方が高いでしょう?
(以下、字数の関係でカット2012年6月7日)
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2007年06月07日(木)
 2256, 定年後の生活費は幾ら?         おはよー(((。・-・)从(・-・。)・          
私の年代が定年に突入をはじめた。そこで、その後の平均値はどうなっているのだろうか、調べてみたら、
平成16年度の総務省家計調査で、世帯主が60歳以上の無職世帯(二人以上の世帯)の
・実支出の月額は28万。
公的年金を含めた平均現金収入は、22万円。ということは差額の6万円は下げるしかないということになる。
下げるためには、小さな家に引っ越すとか、車に乗らないとか、食費を斬り詰めるとか、義理を欠くとか、割り切るしかない。
でも「括り」そのものを捨てるには腹をくるしかない。 それに対して、(財団法人の「生命保険センター」の統計では)夫婦で
「ゆとりある生活」をするためには、月額38万円が必要としている。 それにしても「ゆとりある生活」をおくるには、あまりに
大きな差がある。 だったら「ゆとりある生活」とやらの幻想を捨てて、22万円以下の生活に甘んじ楽しむようにするしかない。
反対に、定年生活者は将来の不安から、3割は貯蓄にまわすという日本的な国民性があるという。 余裕があるからいえるのだろう。 
しかし、老後の不安とやらの心理が、自分の楽しみの壁になる。もう子供も巣立ちをしているし、健康のために粗食も求めらるから、
切り詰めた生活に不満も持たないで貯蓄に励む滑稽な存在が垣間見られる。子供や連れ添いにとって、これほど有難いことはないが、
アフォバカな哀れな姿でしかない。 一年前のある意識調査で1?が上流、74?が中流、25?が下流と自認しているというから、
まだまだ日本は健全の国。 大部分が中流意識を持っているのは、世界の奇跡?である。60歳も過ぎれば食べるものも決まってくるし、
車も軽自動車で充分。 いいようになっている。収入と支出だけが豊かさではない。しかし、最低限が保証された人間が言うこと!
(以下、字数の関係でカット2012年6月7日)
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2006年06月07日(水)
1891, 村上ファンド崩壊の衝撃  ー2     おはよ?!(*^ワ^*)i
(以下、字数の関係でカット2009年6月7日)
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2005年06月07日(火)
 1526, ディープ・フロート判明
あのウォーターゲート事件(72年)の情報源が米連邦捜査局FBI)の元副長官、マーク・フェルト氏とは驚きだ。
情報源については、諸説紛々であったが、その一人とも目されていたFBI副長官であったとは。
外部からのFBI長官の招聘に対して、第一候補であった副長官の恨みが、当のニクソンを失脚をさせたことになる。
後任の長官に自分が指名されることを期待していたが、実際に任命されたのはニクソン大統領側近のグレー司法次官補。
(以下、字数の関係でカット2008年6月7日)
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2004年06月07日(月)
 1161, 衛星授業
アメリカのデンバーのあるコロラド州は校内で銃乱射があったところで、学校に通わせたくない親が極端に増えているという。
そこでインターネット・ハイスクールが注目されてきており、生徒数がアメリカ全体で、もう10数?になっているという。
ところが、その方が教育効果が遥かに高いということがわかりはじめ、まてよということになっているとか。
実際インターネット・ハイスクール出身の学力は普通の高校よりはるかに高くなっているという。
そこでは非常にユニークな教えかたをする。 重要なキーワード出てくると手元にあるパソコンに、「それを調べてみてみてください」
という指示がくるそうだ。 生徒は指示されたと同時に検索で調べる。 そこで、さらに専門的なキーワードを調べるようにという
指示がくる。そしてドンドン深く問題を掘り下げていくという。十年もしないうちに過半数を超えるのではなかろうか。
そして日本も似たような状態になることは間違いはないだろう。予備校や専門学校もインターネット授業が本格的になったきた。
代々木ゼミとか東進ゼミが取り入れている。英会話もそうだ。講義中心なら、それで充分である。いやむしろ一流の先生の授業を
聴いたほうが効率がよいはずだ。考えてみたら、高校受験は受験雑誌や参考書を中心に勉強をしていたし、大学受験は、
それに加えてラジオ講座が中心に変わった。それが、パソコンや衛星TVによる映像に変わっただけだ。面白い時代になってきたものだ。
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2003年06月07日(土)
 794, 夢とイメージ
 学生時代に3番目の姉が結婚をして、家を建てた時の話である。その姉は節目ごとに私にノウハウを教えてくれていた。
(以下、字数の関係でカット2011年6月7日)
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2002年06月07日(金)
 430,自分の居場所
誰もが自分の居場所を持っている。逆に居場所がすくないということは、非常に厳しい状態の時である。
(以下、字数の関係でカット2013年6月7日)
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2001年06月07日(木)
 [45] 創業の話
27歳、千葉の千城台で千城ビル建設と養老の滝1122号店の立上げをやった。準備1年4カ月かかった。
その間に一緒に計画に携わった父も亡くなった。今も忘れられない1973年5月30日であった。11月07日、
店の立上げとビルの完成でパニックの頂点をむかえた。
  (字数制限のためカット 2010年6月7日)