* 出口王仁三郎の虎穴問答
 ここで大きな問題を起こしてしまった。実質ナンバーツだった取締役人事部長と社長と対立の真中に立たされてしまった。
新入社員教育以来、私に目をかけてくれ、自宅に招かれたり食事をしていた部長と接しているうちに、私主導で同期生会を
つくることになった。今から考えてみるとA部長の誘導があったが、それは後になって気づいたこと。 何度か会を重ねて
いる内に、「県知事でも招待するか」という話になって、A部長に相談に行くと「県知事とは懇意にしている」という。
その辺から配送センターの所長が、そんな会を作らせてしまった責任問題も加わり、明らかに社長直の、会潰しが始まった。
組合の温床になる恐れと、明らかに部長派閥の一つと見たのだろう。 県知事からOKの返事を貰っていたので途中で、
今さら止めるわけにいかず。何人かが会そのものを止める動きが出てきた。 私の立場が、東レの所長と人事部長の関係で、
預かりの中途半端な立場で、非常に弱い。いつ、首になるかもしれない中、その人事部長が辞めてしまった。その中で、
何とか県知事招待の会が開かれたが、その後、知ったことが、県知事招待の献金の相場が当時の100万(現在では
7〜8百)など、当時の私に知る由がない。それらのストレスで、大酒を飲んだ末に、寮内で、人をはばかることなく、
一晩中、号泣をした。泣いても泣いても涙が湧き出ることを初めて知った。後年、映画で知ったが、刑務所入所の初日に、
囚人が、一晩中、号泣するのが恒例という。 泣き終わって割り切れたのか、まず自から、その会を止めることにした。
 その頃、たまたま近くの書店で手にしたのが、大本教出口王仁三郎の特集の雑誌。そこに、大本教の弾劾裁判での、
王仁三郎の「虎穴問答」があった。あまりに大くなった大本教に、当時の政府が徹底した弾圧をし、裁判にかけられた
王仁三郎が、戦時体制を虎に喩えた虎穴問答である。 虎穴に落ちてしまった人が、助かるために、どうすればよいか?
を裁判長に問いかけをする。 ーネットからの抜粋ー
《 ▽ 大阪控訴院での裁判長との虎穴問答−「人虎孔裡に墜つ」という禅問答
王仁:「一人の人間が虎の穴へ落ち込んだ場合どうしたらよいか。裁判長、あなたはどうお考えになりますか?」
・裁判長:「自分は法律家だからわからないが、どういうことなのか?」
王仁:「人間より虎のほうがつよいから逃げようとすると殺される。刃向かっていっても同じことだ。ジッとしていても虎が
 腹がへってくると殺しにくる。どっちにしても助からない。けれどひとつだけ生きるみちがある。それは食われてはだめだ。
 こちらから食わしてやるのだ。食われたらあとにはなにも残らんが、自から食わしてやればあとに愛と誇りとが残る。
・裁判長:「うーん」 と嘆声を漏らした。
王仁三郎は、この問答で大本事件を語ったのである。そして、この問答が事件の一大転機をもたらした。》
 この逸話を、自分の立場になぞらえて、その会を止めたが、この経験から多くのことを学んだ。当時の私は、良くいえば、
純粋、悪くいえば無知蒙昧でしかない。 が、その後の人生で、節目時の決断に、この経験が、大きく影響をしていた。
「駄目だと思ったら、自ら喰われてやること!  三年前も、最後の最後に、『自分から喰われてしまえ!』という内語が、
後押しをした。「逆境には根を、順境には枝をはれ」というが、逆境こそ、力が蓄える! でも・・傷だらけの上で、だが。
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4462, 99・9%は仮説、ですか〜 −4
2013年06月04日(火)
        「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内 薫著
   * 第3章 仮説は一八○度くつがえる
 東北大震災による大津波で、原発安全神話が一瞬にして崩れ去った。絶対安全は仮説でしかなかったのである。
その事実の前で社会は直ぐに手の平を返す。私も、あり得ない震災クラスの9・11テロ、リーマンショック、3・15震災で
呆気なく会社が倒産。その辺りは実感している。‘まさか!’が現実に有得ることを父と自分の経験から学んでいたので、
幾つかのシェルターを組み込んでいたので何とかなった。現在の「現在の健康が目先続いていくだろう」という前提も仮説。
 全てが一瞬で崩れ去ってしまう。ただ少し早いか遅いかである。  ーその辺りを抜粋してみるー
≪ ひとくちに仮説といっても、みんなが正しいと信じているものから、ほとんどの人がまちがいだと決めつけているものまで、
 実にさまざまな種類があります。仮説には、白から黒までの幅広いグラデーションがあるのです。この章では、そういった
仮説の信じがたい大逆転劇をみていきましょう。・・・
「医学界の負の遺産ロボトミー」。エガス・モニス(1874〜1955)というポルトガルの医者が、1949年度の
ノーベル生理学医学賞を「ある精神病において、ロボトミー手術の治療的価値を発見したことに対して」受賞した。
(この年に湯川秀樹博士が「中間子論」でノーベル物理学賞を得た。)
 ロボトミー手術とは、一口に言って脳の前頭葉の切除手術である。モニスは、1935年に人間に対して、この手術を始めた。
そのきっかけは、1935年のロンドンでの神経医学会でカーライル・ヤコブセンとジョン・フルトンという人が、
チンパンジーに対してロボトミー手術を行ったら凶暴性がなくなった」という報告を行ったのだが、それを聞いていた
モニスがロボトミー手術を精神病患者に応用することを思いつき、すぐ自分の患者に対し手術をしたのである。
 これは、現代から考えると、まったくありえないこと。モニスは「この前頭葉切除は、非常に簡単な手術である」といって
いきなり数十人の手術をした。当時は、たとえば統合失調症躁うつ病に対し、効果的な治療法がなかったから」という。
1952年のクロルプロマジンに始まった薬物療法の進歩によりロボトミー手術の評価は一変した。
 結果的には、ロボトミー手術というのはとりかえしのつかない治療法だった。世論が180度変わってしまったわけ。
1946年までに一万人が、この手術を受けている。・・・≫
 ▼ 時の政権の政策も仮説の典型。政権が変われば一八〇度覆ってしまう。イラク戦争フセインの科学兵器疑惑に、
  CIAの間違った調査でイラクに攻撃を仕掛けた。これも、持っているという仮説の上で、調べた結果である。
 人生を振る変えると、当てにならない仮設を信じて生きてきた。私だけでなく、すべての人に言えるから、諦めがつくが、
 それにしても、である。逆に過去の色いろな場面で、違った仮説で判断していたら、如何だったか?という仮説も立つ。
 考えて仕方がないが、なるようにしか、ならなかった、ということ。それにしても、大半の人の仮説は楽観的過ぎる!
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4088, 老いの見本帳ーダークサイト −8
2012年6月4日(4月)
   * 老いと鬱屈           「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 私の嫌いな言葉に「世間」がある。日本の社会は、「世間」という言葉と視線に常に怯えて暮らしている。属している社会が
固定化されているほど、そこには難儀なものを抱えたグロテスクな世界ができている。それで、一生何も出来ないで死を間近に
したときに、その正体に初めて気づくのである。 その不快な毒を体内に蓄積して、ただれている世間という虫。シラミである。
老化は、否が応でも毒が蓄積されている。そう、世間の一員に陥っていく。だから、熟年になったら群れてはならない。 
 ー次の箇所は、老いの屈託を巧妙に表現している。
≪ 老いることは、人生経験を積むことによって「ちょっとやそっとでは動じない」人間になっていくこととは違うのだろうか。
 難儀なこと、つまり鬱陶しかったり面倒だったり厄介だったり気を滅入らせたり鼻白む気分にさせたりするようなことへの
免疫を獲得していく過程ではないのか。 難儀なことを解決するのか、避けるのか、無視するのか、笑い飛ばすのか、それは
人によって違うだろうが、とにかく次第にうろたえなくなり頼もしくなっていくことこそが、老いの喜ばしい側面ではないかと
わたしは思っていたのだった。 だが、世の中にはまことに嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに
麻痺してしまうのに、不快なことや苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則である。不快なことや苦しい事象は、
砒素や重金属のように体内へ蓄積して害を及ぼすことはあっても耐性はできないものらしい。 だから老人は欝屈していく。
歳を取るほど裏口や楽屋が見えてしまい、なおさら難儀なものを背負い込んでいく。世間はどんどんグロテスクになっていき、
鈍感な者のみが我が世を謳歌できるシステムとなりつつある。・・・老いても鬱屈や煩悩は蓄積していくばかり、難儀なことには
事欠かない。しかし遅かれ早かれ、この世界のほうを、さながら迷子みたいに置き去りにしてやれるのである。・・・ ≫
▼ 「嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺するのに、不快なことや苦しいことにはちっとも
 馴れが生じない、という法則である。」は、正に人間の不幸の起因である。それを打ち消す方法は数多あるが、その毒は
体内に蓄積し、さらに体外に放出する。そして、マイナスの循環で、体内の毒は、ますます濃くなっていく。
この本は、その見本帳でもあるため面白いのである。これまで見てきた身近な老人に、酷似しているため妙に馴染むのである。
そして本格的に一歩ずつ仲間入をしていく。 それならば老いは鬱屈するものと初めから割り切って孤立していた方が良い?
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3722, ジャズについて −14
2011年06月04日(土)
          ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
  * ージャズ・ボーカリストー 《 ビリー・ホリデイからカサンドラ・ウィルソンまで 》
【 ジャズの歴史とジャズマンについて、その流れを追ってきたが、ジャズ・ボーカリストを簡単に触れておこう。 
・ジャズ・ボーカリストといえば、誰もがまず思い浮かべるのは、ルイ・アームストロングと、「暗い日曜日」「奇妙な果実」が
 よく知られているビリー・ホりデイ(一九一五〜一九五九)であろう。三〇年代の小コンボをバックにした珠玉のような名唱、
 スターダムにのぼりつめた四〇年代、酒と麻薬で声をつぶしながら深い感動を誘う五〇年代の円熟。 
 「ビリー・ホリデイは、それが自分の人生のように歌った」といわれ、その技巧以上に、ひとつひとつの歌詞に込められた
 万感の思いを、じんわりと聴き手の魂の奥底まで響かせたポーカリストである。
・歌も人生も劇的だったビリー・ホリデイと対照的に、エラ・フィッツジェラルド(一九一ハ〜一九九六)は、抜群の
 リズム感とまるで楽器を思わせるボーカルが特徴で、ジャズ・ポーカリストのトップとして長くその地位を維持した。 
 大作「ソングブック」(五九)など、どれをとってもほれぼれする美しさである。
サラ・ヴォーン(一九二四〜一九九〇)も、エラ・フィッツジェラルドと双壁をなすモダン・ジャズ時代の女性ジャズ・
 ボーカリスト。四五年にソロシンガーとして独立。五十年代には、トランペットのクリフォード・ブラウンと組んで
 名作を発表し、七十〜八十年代にかけては、ピアノのオスカー・ピーターソンらをバックに名唱を残している。
・カーメン.マクレイ(「九二二年〜九四)、アニタ・オデイ(一九一九〜)といったシンガーたちの名前も忘れられない。
 サラ・ヴォーンも含めて、彼女たちのスタイルには、多かれ少なかれ・ビリー・ホレデイの影響がうかがえるのはもとより、
 ルイ・アームストロングが完成させた‘スキャット’というジャズならではの歌唱法も受け継いでいる。
・ほかにも取り上げなければならないジャズ・ボーカリストは多いが、最後に、カサンドラ・ウィルソンである。ちょっとドスの
 利いた声は好みが分かれが、『ニュー・ムーン・ドーター』(九五)は、サウンドもボーカルもじっくりと聴き惚れる
 しかない傑作。まさしくブラック・ミュージックの新しい帰結として、カサンドラ・ウィルソンに耳を傾けることを勧める。】
  ▼ ジャズについては、他の音楽と同列に聴いていたが、この本で取り上げているジャズマンの名前は、知っていた。
   私のような、音楽に疎い者でも知っているのだから、ジャズは、TVなどを通して私たちの生活に入り込んでいる。
   学生時代に、暇を持ちあませて、ジャズ喫茶などで屯しているうち、知らないうちに接していたのである。
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3357, つれづれに ー閑話小題
2010年06月04日(金)
  * 日銀短観 新潟県の景況感が四半期、ニケ月連続全国最低
 新潟県日銀短観で、新潟県といえばだいたい中位の上であった。しかしリーマンショック以来、右下がりに転じ、
ついに二期連続で全国最低になったと地元紙が報じていた。 私が地元経済が異常に悪いといい続けてきたが、
過剰反応でないことが実証された。 まずは公共事業天国だったのが、「鉄から人へ」とへ国家政策が変わった。
農業も、輸出産業関連も最悪、日本で一番早く、恐慌の影響をモロに受けているのが実情である。
元もと新潟県人は質素倹約をモットーである。不景気となれば、その本領が直ぐに出てくる。
  * 県立近代美術館には、驚いた!
 一昨日、「奈良の古寺と仏像」展が長岡の県立近代美術館で開催されているので、行ってみた。
期待には反しなかったが、それより初めて入った県立近代美術館の豪華というより、豪奢な建物には驚いた。
半年以上前から、冬と春先を除いて、早朝、電動アシスト自転車で二つの大橋を一周するのが日課になっている。
そのコースの土手にそれがあるが、空気が違うのである。 肯定的にみれば、これ位は市の格からいって当然?、
しかし程度を遥かに超えている。ゼネコンの税金収奪の姿といって過言ではない。戦後バブルの饗宴の建物である
  * 鳩山から管に
 鳩山と小沢が辞任、次は管副総理が首相に決定する。 当初の予定通り。 これで、小沢も選挙に専念できるし、
新しい体制で選挙に向うのはベストの判断である。 管も、果たして一国の首相に相応しいかというと、これまた不安が残る。
(字数制限のためカット 2012年6月4日)
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2982,超円高社会ー 5
2009年06月04日(木)
* 食料自給率40%は本当か?
 第7章 市場を毛嫌いする官僚システムの罪と罰 ー『食料自給率40%の世論誘導』には驚きである。
 ーその概要をまとめると・・・
著者は、食料自給率40%は農水省が都合よく作りあげたマヤカシの数字という。
農水省の言い分だと自動車の自給率は1%ということになる。 自動車は原料の重量比によって計算をしない。
自動車は出荷額や付加価値で考える。それと全く同じように食料も出荷金額ベースで自給率を計算することこそが、
世界で広く通用している食料自給率なのである。その世界通用自給率で計算すると何と66%なのである。 
日本国内では、カロリーが低く、しかし付加価値の高い商品作物を多く造っている。だが、カロリーベースで計算すると、
故意に無視していることになる。カロリーベースで自給率を算出しているのは世界で韓国と日本だけである。
例えばキノコはカロリーゼロである。『自給率が低いー>これは大変ー>自給率を上げよう』のパターンである。
しかし、この三段論法の二段目が抜け落ちている。自給率が何故高くなければならないか、が抜けているのである。
去年7月の漁船のストは、魚価を上げることが目的ではなく、補助金だったのである。ある業界だけが何故、
特定の補助金が出たのか、不思議な現象である。GDPとは『付加価値』の合計額のことなのである。豚の子どもを親に育てて、
豚の付加価値を与えたものが農業の仕事の筈が、そのところは一切考慮に入れない計算方式である。 
国内で生まれ、大きくなるまで育てた豚の肉でも「エサの90%以上が輸入品だ」という理由で国産にカウントされない。
そのために9・7%になってしまう。それに輸入豚47%を加えると僅かに5%にカウントされる。そうこうあらゆる手段で、
役人が66%の自給率を40%にするために、あらゆるところで数字の改竄を行っている。米の自給率は、実際は108%
なのに、この8年連続でジャスト100%ということになっている。8パーセントは、元々なかったとして切り捨てている。
 ▼ こんなことを知らされると、読む前まで信じていた「グローバルの時代の自国の食料戦略」とやらも、
  何か役人に世論誘導されている実態に、侘しくなってくる。この方式だと、自動車の原材料自給率は1%という。
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2618, 消費社会から格差社会へ ー2
2008年06月04日(水)                  ー読書日記ー
ークルマが社会に与えた影響ー
 車が社会に与えた影響について書いてあるが、若い女性が新幹線や電車の中で鏡を出し化粧をしている理由が、車の中と
混同していることが解った。 新幹線といえば毎年の4月の恒例の姿がある。新社会人の女性が平気で待ち行列
「うんち座り」をしている姿である。学校の校内の習慣を続けているに過ぎないが、若い女性はひときわ目立つ。
半年で流石に止めるが、それでも半年は続けるのである。これとは関係ないが。乗用車に電子レンジと冷蔵庫が付く
時代になったということである。内と外の境目が曖昧になっている。そのこと自体がホームレス化ということではないか。
   ーー
上野 もう30年も前のことですが、滋賀県の大津の西武百貨店の駐車場で、車から降りてくる人の調査をしてことがある。
 履物の大部分が{つっかけサンダル}ということがわかった。夏ということではなかった。
 私領域の顔で降りてくる。車は長距離を移動しても私空間を出前する乗り物だということがわかった。
三浦 クルマが人々の潜在心理に与えた影響はすごく大きいですよ。あまりそれを指摘する人はいませんが、
 クルマで育ってしまうと、電車に乗っても化粧をする。「クルマに乗ってると、なんで電車でやっちゃいけないの?」って
 いうことだと思うんですね。 僕もクルマの調査したら、若い男の子がカップラーメンを食いながら 運転していたし(笑)。
 あと信号待ちでマンガ読んでいるんですけど、信号が青になると、読みながらそのままブーンって出すんで驚いてしまいました。
上野 怖え?(笑)。
三浦 もう、なんでもやってますよ。実際、ロサンゼルスの通勤サラリーマンは、朝ご飯を食べる暇がなくて、
 クルマに電子レンジ積んで、テレビディナーを食べながら通勤するらしいですよ(笑)。
 トヨタの「エスティマハイブリッド」っていう車種も、コンセントがついていて電子レンジを搭載できるらしいですから。
三浦 電子レンジと冷蔵庫をクルマに完備してあげれば、今の若い子はもう大喜び。コンビニが走っているようなものですから(笑)。
上野 "ゴーイング・マイホーム"、つまり「走るわが家」ね。
三浦 そのうち仕事がなくなって、トレーラーハウスに住むようになってね。
 最近、犯罪を起こして人を新聞で見ていると、住所不定・無職でクルマにズットすんでいる人がけっこいる。
 ▼ アメリカが、既にトレーラー・カーに住み込むプアーが多く見られるという。日本の地方は車がないと生活が非常に不便で、
  一家に一台から、一人の一台の時代に入っている。  これは車がモバイル・ルーム化したともいえる。
  携帯電話にワンセグの機能と、ステレオ機能が付いていれば、充分満足のいく空間になる。
  さらに、コンセントまでついていれば・・・ 家庭など消滅するのは当然のことである。      ーつづく
  ・・・・・・・・・・
2007年06月04日(月)
 2253, 倒産にも色いろあるようだ!   ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
一昨日、兄夫妻が倒産以来初めて報告を兼ねて遊びにきた。内面は複雑だろうが、金に追われた困窮の日々から開放され、
さっぱりしたようだ。倒産のマイナス・エネルギーだけは経験した本人しか解らないこと。
傍で見ていて解ったことだが、倒産にも良質か悪質かどうかがある。
 ーまずは悲惨な例からー
幼馴染の兄弟の倒産と、その後の成り行きを数年に渡り身近で見聞きした。倒産直後に弟が建設関係の営業で私のところに
訪ねてきた時、20歳以上も老けた70代半ばの風貌になっていた。想像を絶した経験をしたのだろうが、それそのままが顔に出ていた。
自覚していたかどうかは別だが営業手法として「倒産ネタ」を使っていた。 そのネタなら、どのトップも自ら聞いてくれる、
トップにとって明日は我が身だからだ。しかし本人はつらかっただろう! 彼の話によると、兄の会社の借金の保証人になり、
連鎖倒産をしたという。そして離婚。その後、半年間の引きこもりなど死線を彷徨った後、知り合いの会社の社長に声をかけられ、
営業をしていた。その後、年金年齢になり、働いていた会社を辞めると同時に酒びたり、そしてアル中に近い状態。
一人暮らで際どい日々を送っている。 厚生年金が入るので、生活は成り立っているというが・・ 二十年近く前、婿取りの姉夫婦が
経営していた会社が倒産。それも私と同敷地内の家に住んでいたのでプロセスがまる見え!  生々しい迫力があった。
一度??保証人を頼んできたが・・ 「貧すれば鈍する」のが、倒産である。
  (字数制限のためカット 2011年6月4日) 
・・・・・・・・・
2006年06月04日(日)
1888, 井村雅代              才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
シンクロナイズド・スイミングのコーチ「井村雅代」という存在を、ある本で知った。
 (字数制限のためカット 2010年6月4日)
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2005年06月04日(土)
1523, わたしの酒中日記ー2
    ー長岡殿町         2005年5月31日
今日は父の33回忌の法事である。 法要の席を長岡駅前の『田村』で開く。坊様がまた例の調子で・・・・?
    (字数制限のためカット 2011年6月4日)
・・・・・・・
2004年06月04日(金)
 1158, 年金の話
これだけ不景気になってくると気になるのが老後である。そのためか、年金がここにきてクローズアップされてきている。
   (字数制限のためカット 2012年6月4日)
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2003年06月04日(水)
791, 鎌倉がよかった
 林さんに大学の授業が終わった後、鎌倉を案内をしてもらった。家内と私にとって素晴らしい思い出になった。
 (字数制限のためカット 2012年6月4日)
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2002年06月04日(火)
 427,世間とはー3
世間に住む人々を喩え話で挙げてみると面白い! 娑婆の集約の姿であろう。
・まずはー どぶに浮くボウフラ!!
   (字数制限のためカット 2010年6月4日) 
・・・・・・・
2001年06月04日(月)
[41] 20年の通勤
 新潟と長岡を20年通勤している。1年に250日*20年=5000  
 5000*2800円平均=1400万円になる。
  (字数制限のためカット 2011年6月4日)