『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
    *「表の安楽死」「裏の安楽死
  ガンの末期の殆どは安楽死である。そこには当然、裏と表が存在する。 ーその辺りからー
《 安楽死は、患者を死に至らせるというショッキングな行為である。方法としては、人工呼吸器はずし、
塩化カリウムの注射のほか、筋弛緩剤やインシュリンの致死量投与などがあります。いずれも患者には強い苦痛は
ありませんが、おどろおどろしい印象は拭えません。このように必ず死に至らしめる方法を使う安楽死を、私は
「表の安楽死」と呼びたいと思います。それに対して、「裏の安楽死」は、必ず死に直結するわけではないけれど、
ほぼそれに近い行為を指します。「積極的」「消極的」という呼び方もありますが、「表」「裏」のほうが実態に
近いと思います。「裏」の安楽死は、当然のことながら「表」よりはるか以前から行われていました。
方法は、大量の鎮静剤の投与や、強心剤の中止、透析や血漿交換や人工呼吸の見送り、栄養の漸減などです。
誤解のないように書き添えますが、もちろん必要もないのに大量の鎮静剤を投与するわけではありません。
耐えがたい苦しみを見かねて投与するのです。苦痛が激しいと、通常量では眠らないので、必然的に大量に
使わなければならない。そのとき、家族には副作用で死ぬかもしれないとは必ずしも説明しません。
自分たちが、安楽死を選択したという意識を与えないためです。・・ 》
 ▼ ここで一人の女性の安楽死をさせるかどうかギリギリの、ケースが書かれている。安楽死を懇願され、迷ったが、
  留まった。その結果、一時的に良くなったが、その後、さらなる苦痛の挙句、亡くなった。 懇願されたときに
 死なせてやればよかったか、一時的にでも回復したことで良しとするか・・  普段は医者の口から語られない患者の
 悲惨な苦痛が、あまりに生々しい。死ぬ時は、多かれ少なかれ悶絶をして亡くなっていくことは分かっているが・・ 
 身近な人の臨終に何度か立会ったが、最後は、家族の了解の中で、医師が呼吸装置を外し、息を止めている。
 時どき、積極的安楽死を槍玉にあげた問題が生じるが、拷問のような苦痛の中で、安楽死をさせるのは当然である。
 自分の死を考えると、牛丼屋のように、「早く、うまく(上手)、安く」あげて欲しい!のは誰しも同じことになる。
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4387, 暴走老人!
2013年03月21日(木)
                  「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
 「暴走青年、暴走中年?」のように生きてきたので、今さら暴走老人でもない。しかしツアーで関西系は言いたい放題が多い。
特に大阪のオバチャンよりオジサンが図々しいが、最近は関西系老人が目立っている。歳を重ね歯止めがきかなくなったのだろう。 
数ヶ月前に近所を徘徊している痴呆?老人に、傍につかれ怒鳴られ続けられ、殴りかかれそうになった。最近2〜3度、顔を
見たことがあった老人。何か怒りの先をみつけ、毒を叩きつけているようだった。 駅前派出所に届け出たが、怒鳴りでは
事件にならないという。激変する時代から放置された人生に怒り(毒)が蓄積しているようだった。新潟駅前周辺の地元老人に、
こういう人たちを多く見かけた。他人事ではない。酒を飲んだ自分に時々、彼らの影をみてしまう。 ーアマゾンの内容よりー
【 待てない、我慢できない、止まらない「新」老人は、若者よりもキレやすい。現代社会に大量に生み出される孤独な老人たち。
 その「暴走」の底に隠されているものとは? 老人たちの抱えた、かつてない生きづらさを浮き彫りにする。】
 ーレビューよりー
≪ 小説家の著者は、私と同様、日常生活でたまたま見かけたこれら「暴走する老人」たちの姿をきっかけにして、現代の
激変する「時間」感覚、「空間」感覚、そして今やマニュアル化した「感情」に老人が暴走する理由を探るが、あくまでも
「暴走老人」は手がかりであり、本質ではない。著者は、暴走行為は激変する環境に乗り遅れた、あるいは読み違えて「孤立」
した人間の反動的行動と指摘する。つまり、断絶的な世代間ギャップが問題なのではなく、暴走はあらゆる世代に共通する
連続的な現象となりうるのである。感覚がまちまちな孤立した個人間の感覚の衝突は、さながらホッブズのいう
「万人の万人に対する闘争」状態である。しかも、個人を律するはずの常識や規範さえも、日々更新され続けており、
今後も加速度的に拡大していくに違いない。急激な情報化社会が逆説的に孤立を生み、闘争(=暴走)状況を作り出し、
それももはや止めようがないというのであれば、私は生きていくために今後どうすればいいのか、途方にくれてしまう。 ≫
 ▼ 老化は、肉体面では自覚できる。しかし精神面での弛みも出るのである。決して孔子の教えのようにはならない。
  「・・、40にして迷わず。50で天命をしる。60で耳に順う。70にして心の欲する所に従って、のりをこえず」
  ところが、これが真逆になる。「40にして迷い、50でも天命など遥か彼方。60で自分の人生を悔い。70歳にして
  呆然自失で暴走化する」 これが、最近みられる老人である。高度成長期の良き時代に生きてきた世代が、低成長の暗い
  時代に、老人の枠に入れられ情報機器を使いこなせず、取り残され、直ぐに切れてしまい暴走を始めたのである。
  あの歪んだ老人と、理想的な老人像とは、あまりに懸け離れている。この時代は40〜50年の変化は、昔の4〜5百年
  の変化に等しい。その変化に取り残され、一人彷徨い切れる。そういう私も似たりよったり。粗大ゴミの成れの果てか。
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4013, 事業生活39年の、独り語り ー2
2012年03月21日(水)
   * 野田一夫教授のこと (20歳の頃ーある教授との出会いー2)
 それまでの、寮とクラブが中心だった付き合いが、この頃から微妙に変化していった。専門課程の三年になると
卒業後が見えてくる。そこでドラッガーを日本に紹介した野田一夫教授の「経営学」を選択した。その授業に驚いた。
≪   2002/02/28 20歳の頃  ーある教授との出会い−2  (随想日記より)
 経済・経営系の人なら、この人の名を知っているはずだ。ドラッガーの訳者である。 忘れられない授業があった。
確か3年の時の6月の初旬あたりである。 講座は「経営学」である。 その時の感激を今でも憶えている。
学生時代の自分の中で色々な内面のビッグバンがあった。 その中で「Aクラスのショック」であった。
 ーその内容とはー 【 諸君、同じ人間として生まれたからに、せっかくこうして学んで人の上に立とうというなら、
ロマンローランの「ベートーベンの生涯」をぜひ読んでみなさい!ベートーベンは音楽家でありながら、難聴になった。
楽家にとっての難聴は致命的である。それを乗り越え、その心を作曲したのが「運命」である。
この本の中の彼の手紙に「絶望を突き抜け歓喜に!」「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実に拠ってだけでも、
不幸に耐ええることができる!」という言葉がある。不幸のどん底の中の意志の言葉だから素晴らしいのだ。
この本を買って繰り返し読みたまえ! これから諸君は何らかの形で指導者になる人間だ。 素晴らしい本を読みたまえ。
勉強をもっともっとしたまえ。何処でも席を座るならこそこそ隅に座るな!真ん中に座りなさい。】
 大体がこんな内容であった。この時から何かが変わったように思えた。 野田一夫教授は当時、ドラッガーの訳者として
高度成長期の売れっ子教授で、今でいうタレント教授的なところがあった。自信と個性の塊のような人で、人をある方向に
駆り立てるカリスマがあった。その後立教を辞めた。多摩大学の創立総長として、何度かTVでお目にかかった。
更に宮城大学も同様に創立に関わり総長をされていた。ドラッガーが愛読書になったのも野田教授のお陰である。 ≫
 ▼ この授業の直後、30日の欧州一周旅行に出発をした。そのカルチャーショックは、あまりに大きな衝撃であった。
  21年間の小さな固定観念が根こそぎ壊された。 連日、欧州文化と文明に直に触れ、また、夜は連日、飲み歩き。
  毎日、見るもの聞くものが、面白く、驚愕の連続。 この時期に、黄色人種の日本人である自分を逆照射はベストだった。
  自分は、世界の広さも、深さも、実は殆ど知らなかったことを、知ったということ。しかし、求めれば、知識も、経験も、
  富も、自分の努力で得ることが出来ることに目覚めた。その準備期間が学生時代ということに気づいた旅行になった。
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3647, 自己の探究 ー2
2011年03月21日(月)
  「 自己の探究 ―自己とつきあうということ 」和田 渡 (著)
 第二章の「関係としての自己」の中で、ソクラテスと自己の問題をあげている。
  * 汝自身を知れ      ー P28 ー
 人間は無知であり、無知であることに対しても無知なのである。それゆえソクラテスが強調したのは、何よりもおのれの無知に気づき、
すこしでも無知でない状態へと自己を導くことであった。 そのためにこそ、自己は配慮されなければならない。 無知な状態を脱して、
真の知を得るためには、よく生きる努力、自己の魂への配慮を欠いてはならない。 そうしたソクラテスの信念は、『ソクラテスの弁明』
のなかのアテーナイ人への呼びかけに明らかである。 世にもすぐれた人よ、君はアテーナイという、知力においても、武力においても、
最も評判の高い偉大な国都の人でありながら、ただ金銭を、できるだけ多く自分のものにしたいというようなことにだけ気をつかっていて、
恥ずかしくはないのか。 評判や地位のことは気にしても、思慮や真実は気にかけず、精神をできるだけすぐれたものにするということにも、
気もつかわず、心配もしていないというのは。 金銭欲や名誉欲といった誰もがとらわれやすいものから、真実をめざして精神を配慮する
方向への転換を説くソクラテスは、当時嫌味な老人として嘲笑と反発を買ったかもしれないが、自己に向かう態度を頑固なまでに強調する。
 彼は、自己が金銭や他人の思惑などにひっぱられやすいものであると考えた。それゆえに、そうした方向を制御して、
ひたすら自己自身をよくするように努めなければならないと考えた。
  * 「よく生きる」という実践 
 しかし、自分自身をよくするとは、いったいどうすることなのか。「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、
よく生きるということなのだ」というソクラテスの周知の言葉は、どのように理解されるべきか。彼は、よく生きるの「よく」を「美しく」
とか「正しく」と同じ意味で理解すべきと主張しているが、そのために必要なことは、ブッダの主張と同様に、もっぱら自己の心、
魂に配慮することであろう。 それは、ソクラテスの言葉で言えば、魂を肉体にかかわる快楽や飾りで飾るのではなく、節制、正義、
真実といった魂自身の輝きで飾ることにほかならない。 そうした輝きを魂に与えるためには、ただ漠然と生きることをやめて、
自分に対して批判的にかかわり、自分の思考や行動を注意深く観察し、よく、美しく、正しく生きるように努力しなければならない。
その意味で、「汝自身を知れ」というよく知られた言い回しの背後には、自分の無知を知るだけでなく、無知の状態から
抜けだすための実践も不可欠だというメッセージがこめられている。・・・・  
 ――
 ソクラテスは、正義、勇気とは何かといった根本問題に対し知っている人はおらず、知っていないことさえ気づいていないとして、
無知の知を問題とした。終盤に人生を振り返り、何と自分はバカなのかと実感してもおそい。はやいうちに、それに気づき、真っ白な
状態で書物や人の話を聞かないと、何も知っていない自分にさえ気づかないで人生を終えてしまう。で、10年間、この随想日記を
公開して第三者の目を意識して何も知らないことを曝け出してきた。そして気づいたことは、「バカは死んでも直らない」ということ。 
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3282, 哲学者は神について、どのように語ったか −7
 2010年03月21日(日)
先日書いたー「人みな骨になるならば」頼藤和寛著ーの中の、『神の必要性』がシビアで解りやすい。
 ーまずは、神について述べている部分を抜粋してみるー (著者は医学者であり、心理学者である)
 我われの多くは、意味のない、あるいは少なくとも意味があるかないか自分の人生というものに耐えられない。
自分で自分の人生を意味あるものにすればよい、と言ったところで、それでは自分で自分の靴紐を引っ張って
飛ぼうとしているようなものである。自画自賛というのは、そのことを意識するかぎりにおいて、まことにつまらないのだ。
どうしても自分以外の大規模なものから自分の人生の意味や意義を保証してもらいたくなる。
しかし、世界や宇宙は何も保証してくれないし、そもそも語りかけてくれない。 いわゆる「神の沈黙」である。
そこで、せめて人類やその歴史、それが無理なら仲間内や家族からだけでも、自分が生きている、あるいは生きていたことの
意味や価値を認めてもらいたい。 仮に「歴史上の人物」になれたとしても、それを認定してくれる人類や国家そのものが
頼りない存在である。 三葉虫アンモナイト、恐竜でさえも絶滅したのである。人類のようにセッセと生態系や地球環境を
破壊してきた種族が永遠に存続するなど限りなく少ない。いったん絶滅すれば、シーザーやベートーベンの銅像などガラクタ。
いずれ、そんなものは、類人猿の内輪話でしかなくなる。ちょうど一群のカエルの王になれたカエルが、誇大妄想を抱けたか、
実現した程度のことと変わりはない。 彼等にとって、池が全宇宙である。 古池も銀河系も空間としてはスケールの違いが
あるだけで、質的に変わるものではない。 まして、大半のヒトは、村落、地球、業界、せいぜい国際社会を全宇宙とみなして、
その中で「なにものか」になれるだけで満足をして一生を終えるのである。 この限界に不満の者は、個人はもとより全世界を
超えるような存在を想定して、そんなものに認めてほしいと願う。 我われの視野が身辺の野山に限られている頃は神々が、
そして見渡すかぎり砂漠と天しか目に入らないものにとって、唯一にして永遠の絶対のゴットが、その役に振り当てられた。
その存在の有無など、問題ではない。 なぜなら、我われに心理的な必要に応じてイメージされているからである。
在ってくれなければならない存在に対して、人間は「信じる」以外のことは出来ない。 我われは確認したいのではなく、
確信をしたいのである。「神がなかったら、神を発明しなければならない」(ヴォルテール)・・・・
 〜〜
 神は宇宙から逆照射すると、人間が勝手につくりあげた共同幻想でしかないことが分かる。 国家もしかりである。
小さな池のカエルと何処が違うかというと、共同幻想としての神を持っているかどうかである。 それでは、その幻想は
人間の脳に浮かんだ泡でしかないのは今さらである。 といって、人間は言葉を持ったが故に、無限の欲望を持ってしまった。
そこで自分の世界を支配しているだろう絶対者としての神を発明し、その価値観を共同幻想として守る知恵を持ったのである。
 ・・・・・・・・・
2907,イオンの誤算 ー2
2009年03月21日(土)
ー 「イオンの反省」広告には驚いた ー
 先日、「イオンの危機」について書いた。株価が、この数年で六分の一というから尋常ではないからだ。
ところが昨日の新聞に「イオンの反省」と一面ぬきの広告が出てきた。 顧客の目からみたら非常に好感のもてる
ような内容だが実感だろう。  反省内容として、
・値段は他店と比べて安くありませんでした。
・欲しいものが売り場に並んでいませんでした。
・お客へのサービス改善を怠っていました。
 等々である。 顧客アンケートから、この事実を知ったのだろう。
そういえば、最近、総合スーパーには、一切行かなくなった。上記のいうとおりである。
私の場合は、専門チェーンか、大型ディスカウントか、ネットで買っている。
数年前に化粧品店を何軒か経営している知人から「化粧品からみて、ジャスコヨーカ堂は、
仁義なき戦いと思えるほど激しい値段合戦をしている。」というような話題を聞いたことがあった。 
最近、プライベートブランドなど5100品目の値下げを発表したが、ヨーカ堂西友とのサシの勝負の様相。 
この世界恐慌で、何れの商売も、最後の生き残りをかけた戦いに入った。5年後に存続できるかどうか、
それも今年が最も厳しい戦いの年になる。一年一年を如何に生存するかにエネルギーを集中するしかない。
久々に会った知人がリゾートホテル街のガソリンスタンドで、高そうなホテルの「一泊2食付6800円」に
つられて泊まったところ充分満足した、と語っていた。 駅前ホテルも他人事ではないから困ったものだ。
「イオン」は、それでも生活必需品、安くし、欲しいものを並べれば客が来るが・・・
2001年で三分の二、今回で更に三分の二に縮小してしまったのが、地方経済の現状。
地方に大型SCを出店してきたイオンが直面している危機は、地方の三次産業の象徴と捉えることができる。 
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2543, 今年のプロ野球の予測
 2008年03月21日(金)  +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆
毎年、この時期に毎日新聞の「記者の目」というコーナーで10人に記者による「今年のプロ野球の順位予測」がある。
あまり当たらないところが面白いが、秋口には、その結果の総括の記事も出る。何回か、この記事について取り上げている。
今年の予測をみると、セ・パ、それぞれ5人の記者の平均値の順位をみると、
 セリーグは、巨人、中日、阪神、横浜、ヤクルト、広島 
 パリーグは、ソフトバンク、ロッテ、日本ハム、西武、オリックス楽天  の順位になる。 
この記事で大筋として戦力を大富豪の巨人と喩えて「ぶっちぎりVなら興ざめセリーグ。頑張れ! 
貧民の広島、大貧民のヤクルト」と記事の初めから最後まで巨人の話題だった。これまで32回の順位予測で、
延べ338人の記者が参加をして、全順位を当てたのは6人しかいないというから、難問であろう。
ところで十人の記者で、その平均値の順位が同じ人が一人というのも面白い。あとは全て順位が違っていた。
毎年のように巨人の過剰な選手層に対して批判が出るが、結果として優勝できないから面白い。
それにしても、大相撲同様にプロ野球もつまらなくなってしまった。あまり娯楽の無かった時代の、
「巨人・大鵬・卵焼き」が終わったのだ。前期・後期に分け、後期は一リーグ制にする位でないと・・・・  
以前書いた内容をコピーしてみる
ーーー
2006/11/04 
2041, プロ野球の「記者の順位予測」         才八∋ウ_〆(∀`●) 
プロ野球の「記者の順位予測」と結果ー
  (字数制限のためカット2011年3月21日)
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007年03月21日(水)
2178, 宮城まり子私の履歴書)ー2    才八∋ウ  _〆(∀`●) 
二週間前にも「宮城まり子」について書いたが、その後の「私の履歴者」が、ますます面白い。恩師の舞台演出家の菊田一夫と、
作家の吉行淳之介と、母親との出会いと邂逅が、「宮城まり子」の背骨をつくり出したのだろう。 
いや何も自分の辛さを語れない脳性マヒの子供もいるが・・・彼女の言葉から人生の辛さと、優しさと、叫びと、悲鳴が・・
聞こえてくる。心の純真さが「自分が演じ損ねた演劇の役の脳性麻痺の子」に人生の全てを尽くす!
という生き方を選択させたのだろう。その生き方そのものが、そのまま胸に突き刺さってくる。
合歓の木学園を開くキッカケが、脳性マヒの少女を演じたミュージカルの「何もしないで出世する法」という。
その役で七転八倒する苦しみが文章から直に伝わってくる。脳性マヒのため思い通りに手足が動かない場面で、人の悲しい形で
笑いをとることに抵抗を感じ、からだが全く動かなくなる。それも精神的に動かなくなり、そのことで悩む姿が痛々しい。
 (字数制限のためカット2012年3月21日)
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2006年03月21日(火)
 1813, スモール・ベースボール    おは(* ̄(エ) ̄)ノよぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
最近、WBCでスモール・ベースボールという言葉を耳にするようになった。
去年の王監督ソフトバンクと、優勝チームのロッテのチーム方針が、このスモール・ベースボールだった。 
(字数制限のためカット2011年3月21日)
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2005年03月21日(月)
 1448, BOSEのステレオ ー3
数日前、BOSEのオーディオ・コンポが送られてきた。早速聴いてみると、なるほど素晴らしい。
現在のステレオ・オーディオの環境は、PDP/TVの音響機能にソニーホームシアターとセットしたものである。
   (字数制限のためカット2011年3月21日)
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2004年03月21日(日)
1082、「80対20」革命 ?1(読書日記)
 前著に続いて、早速この本を買ったがなかなか面白い。この本は、ベストセラーになった「人生を変える80対20の法則」
(TBSブリタニカ)の続編である。前著は、ABC分析やパレートの『80対20』の法則を解りやすくまとめてあり、
非常にインパクトの強い内容で、特に80に対する見直しをするキッカケになった。
(字数制限のためカット 2,010年3月21日)
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2003年03月21日(金)
716, 「新潟日報」をやめて50日
地元紙の「新潟日報」をやめて50日になるが、それによる不便は何にもない。
べつに日報に恨みがあるわけでないが、止めてよかったというのが感想である。
(字数制限のためカット2012年3月21日)
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2002年03月21日(木)
 352,西アフリカ旅行記
・海岸をただバスでひたすら高速ではしるリゾートの旅であった。
・見えるのはココナツの木とやしの木の林、それと10人位の人が 引いている地引網。
(字数制限のためカット 2,013年3月21日)