「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著)
   ーまずネット上の評論からー
《 今、注目の「スマート革命」という旬のキーワードについてゼロから分かりやすく説明をしてくれている。
前半では今はモノ支配の論理からサービス支配の論理への転換時期であることを、生々しい日本家電企業の衰退、
「気が付けばパナ&シャープ」と言われた事例などを使って説明。品質性能のいいモノづくりに対するこだわりと自信の上に
胡坐をかいて気づきが遅かった日本のシャープやパナソニックソニーなどが、アップル、アマゾン、グーグルなどの変化に
いち早く対応したサムソンなどの韓国勢や中国勢に負け、テレビ事業などの不振で大幅赤字になったといった説明に納得。
山崎氏の説得力のある説明にはげしく同感した。後半はポストパソコン時代として「個人コンピューティングの新しい形の出現」
について最近のその兆し動向などを説明し、クラウドの助けも借りながら1人数台(7台ぐらい)のスマート機器を使い分ける
時代の到来を予測し、その時の我々のライフスタイルの変化について書かれてある。 家電のみならず住宅、自動車、航空機、
メディア、ネットサービスなども創造的に破壊されるだろうと書かれている。全体を通して筆者は目からうろこというか、
それ以上の目ん玉が飛び出るほどの衝撃を受けた。経営者、経営戦略担当、企画担当、マーケティング担当の方などには大いに
参考になりそう。個人的には私はまだスマート機器を何も使ってないのでこの時代には落ちこぼれそうで心配だ。
パソコン時代にはデジタルデバイドというのが流行ったが、これからはスマート機器を使いこなせない「スマートデバイド」
という言葉が流行りそうだ。そうならないように今から慣れておこうと思う。》 
   ー以下は、著者・山崎秀夫 ブログより抜粋ー
 <サービス支配論理と友達型インターフェース>
従来、機器とユーザーとの相互のやり取りの研究は「マンーマシン・インターフェース」とよばれ、そこにはソーシャル要素や
擬人法などのヒューマン要素は皆無でした。しかしPC時代のインターフェースはあまりにもIT屋さん視点に偏ったもので、
ボタン一つで動くテレビと比べて、操作が困難過ぎると言う批判は昔からありました。そこでスマート革命を先頭にたって
推進するアップルなどは、情報家電のあり方を研究する中でユーザーインターフェースに関して、タッチ操作や音声操作などを
積極的に取り入れた。スマート機器、即ち情報家電のインターフェースは「機器が人の友達になる位、易しい、優しい
ものでなければ駄目」と言う訳です。 そのアプローチの差は未だに玩具と呼ばれている第二世代のアップルテレビと
初代グーグルテレビがほぼ同じ時期に発売された2010年に明確になりました。 まるでパソコンの用にキーボードから
タイプするグーグルテレビはほとんど売れず負け組みとなり、一方iPhoneiPadなどとのエアープレイミラーを提案した
操作性に優れたアップルテレビは3ヶ月で約百四十万台売れました。更にアップルは音声操作の「シリ」をiPhoneに提供し、
スマートフォンは生活者の友達になりました。同じことをゲーム機の再発明を急ぐマイクロソフトもxbox360に
ゼスチャーと音声操作ができるキネクトを追加して大成功を収めています。友達型のユーザーインターフェースはサービス
支配論理の下では一種のサービスと考えられます。》
 ▼ 現在は、iPadがあるので、iPhoneを持ってないが、長男が気楽に音声入力で新幹線の時刻表や、居酒屋の電話番号を
  調べているのを見ると、何か友達に話しかけているような奇妙な感覚になる。実際、私のiPadにも音声入力の検索が
  あるが、慣れのせいか、タイプ入力である。今度は、応答式、問答式のソフトが出始めている?ようだが、
  4年前に買った居間のTVはスマートTVのはしり東芝の「レグザ セルシグマ」。迷いに迷って、少し高いものだったが、
  大当たり!家内と、何度も「これは凄い!」と言ったことか。
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4312, 幸せはいつうもちょっと先にある −2
2013年01月05日(土)
         「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」ーダニエル・ギルバード著
 幸せの意味についての切り口が、分かりやすい。  ー まずは、その箇所から
    * 3つの幸せ
≪ 「幸せ」という言葉には少なくとも3つの関連することがらを表すのに使われる。
「感情の幸せ」「道徳の幸せ」「判断の幸せ」である。
○ 感情の幸せとは、気持ち、経験、主観的な心理状態の表現であり、
 物理的の具体的何かを指すものでない。幸せはこの時代に生きる人が暗黙的了解で通じる気持といえる。
○ 道徳の幸せとは、「○○だから幸せだ」になる。感情の幸せなら、排便への幸せに少し似ていると考える人が多い。
 それは低俗で安っぽい、意義ある人生の基盤になりえない空虚な牛の充足状態でしかない。 哲学者のミルがいう
「満足した豚であるより不満足の人間のほうが良い。満足した愚か者より、不満足のソクラテスである方が良い。
 もし、愚か者や豚がこれに異を唱えても、それはこのことを自分たちの側しか知らないからだ。」
 哲学者のロバート・ノージックは、この安っぽい感情の幸せの信念が間違いと、架空の仮想現実装置を使って説明した。
「この装置があれば、誰もが思い通りの経験ができるし、自分が都合よく装置につながっていることを忘れることができる。
 彼は、以後の人生につながって生きていていいと思う人間は誰もいないと結論づけた。こんな装置で得た感情はちっとも
 幸せでないからだ。ようするに豚ならいざ知らず、洗練された有能な生き物には相応しくない目標ということ。
○ 判断の幸せとは、「○○について幸せだ」である。我々はものごとについての価値判断について幸せという言葉を使う。
 妻がタヒチに半年の赴任で、自分が子供達の面倒を見るとき、「自分は幸せでないけど、君が幸せなら僕も幸せだよ」
 という場合である。ここには、自分は幸せでないけど、妻が幸せなら、仕方がないという判断が入っている。≫
▼ この3つの幸せが、混同してしまうから問題が生じる。ただヒタスラ仕事に打ち込み、別荘をたて、そこで茶道具を
 買い集め、茶会を開き楽しんでも、最期に何か物足りない感情が残ったという類の話は、日常見渡せば幾らでもある。
 この3つが混同している典型的事例である。 感情の幸せを追うあまり、太った豚が、その辺の豚たちいへの面子で、
 本来の質素倹約を忘れ、何処か判断を間違ってしまった?のでは?いう後悔の念が纏わりつく。
 しかし感情、道徳、判断の幸せを分けて道楽をしていれば後悔はないはず。
 フランクルの、「良く遊び、良く学び、良く働く」の3つを、特に「良く」を意識して、バランスよく追求すれば、
 空虚な気持ちはないはず。「つねに面白いこと、ためになることを思っていれば、それで幸せになれる」ということか。
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3937, 閑話小題
2012年01月05日(木)
  * 年末年始
 この年末年始も、例年のように過ぎていった。事業から離れて初めての正月になるが気持ちは何も変りない。
ただ以前ほど政治経済のニュースに敏感に反応しなくなっている。こうなれば、良いも悪いもないが。
まだ事業を続けていたとしたら、この激流の中で夜も眠れない日々が続いていたはず。 事業から一歩退いてみると、
この断絶の大きさが更に鮮明に見えてくる。TV番組も、派手な内容のものは少ないようだ。
正月で特別なことと言えば、蔦屋で数年ぶりにDVDを一本借りて見た位。
  * 元旦の殿町で
 元旦は、例年、東京から帰省してきた次男夫婦と、長男と、私たち夫婦、合計5人で居酒屋での新年会が恒例になっている。
次男夫婦は地元の同級生と二次会とかで別行動。 今年は長男と殿町に行った。駅前は、居酒屋チェーン店が元旦でも営業を
しているが、さすが殿町は殆どの店が閉まっていた。その中で、一軒のスナックに入ったが、先客が二組み飲んでいたが、
危なそうな客。 一時間ほど経った頃、50歳頃の革ジャンを着たテキ屋か、ヤクザ風の客が私たちの隣に座った。 
隣なので何気なく話すと、奥さんと喧嘩をして飛び出してきたという。暫くして、「マスター、一軒回ってまた来るね!」と
出ていこうとするので、酔った勢いもあり、「勘定を払わないで出ていくの?」と言ってしまった。ところが、
「何だ御前、俺を馬鹿にするのか。御前に、そんなことを言われる筋合いはない!」と凄んでくる。そのへんは、慣れたもので
「別に馬鹿にしたわけじゃない。自然に出てきた言葉。そう思うのは貴方の勝手」と答えると、凄い目で飛びかからんばかり。
長男が、その辺の呼吸を知らないようで、立ち上がり乱闘寸前。 ようは、呼吸なのである。 押しても引いてもダメで、
「元旦そうそう、あまり怒るなよ!」とか言っていれば良い。 危ない奴ほど、簡単には手は出さないのは経験上知っている。
で、本人はプイと出ていったが、マスターに「あの客、馴染みなの?」と聞くと、「一げんです」という。飲み逃げ、手馴れたもの。
初めての店で、「少し他の店を回って後でくるね」じゃ、飲み逃げそのもの。で、結果、飲み逃げの手助けをしたことになる。
 特に年始のスナックは泥棒が多いと聞く。 それにしても、危ない客。 そういう私も、それを楽しんでいる変な客。
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3572, 人は何故、肯定思考に心がけなければならないか?
2011年01月05日(水)
 肯定思考といえば、中村天風の「肯定肯定、絶対肯定」の言葉が思い出される。
また書店には肯定思考の本がところ狭しと並んでいる。考えてみれば新約聖書も弱者肯定の見本のようなもの。
ありのままに、ほっとけば人間の思考はマイナス思考、否定思考に流れされる。電車やバスに乗り遅れたことは思い出しても、
ギリギリ間に合った記憶はホボ忘れている。その数倍もあるのに。楽しいことを忘れ、辛いことを何時までも記憶する習性が
人間にはあるようだ。 それは、我われの祖先がもたらしたもの。 大昔、毒のある食物で当たり、野獣に襲われ
食べられそうになったりすると、二度と同じ過ちを繰り返さないように、その記憶を長く残した。
逆に、美味しい食べ物に出会っても直ぐに忘れることにした。それに捉われると、次の食べ物に有りつけなくなくからである。
その習性に気づいてないと、良くない記憶だけが残ってしまい、自分だけ悪いことが起きてしまうと錯覚をしてしまう。
 だいたい、良いこと悪いことが同量が起こっていると考えればよい。 しかし良いことを思い出す訓練をしていると、
どうも良いことが擦り寄ってくるようになっている。 私の場合は、三対一と勝手に思っている。面白そうなことを探していれば、
自然、その方に自分から擦り寄っていく。 例えとして私事になるが、47回の海外旅行、それも秘境ツアーの経験は、
週末のTV生活を楽しませてくれる。BS/TVで旅先の何処かを放送している。一度行ったところを違う目線の映像を見ると、
再び訪ねている感覚で見ることができる。 また、自然に他の行き先に惹きつけられ、欲も出てくるもの。
 マイナス思考は逆である。 嫌なことに捉われていると、それに類似したTVや小説の場面で嫌な追体験をしてしまう。
その繰り返しの中から怒り、憎しみが憎悪に変わっていく。「人を恨めば、穴二つ」の相打ち、である。だから、嫌なことは、
意識的に排除すべきである。 言葉=精神。 明るい言葉は、明るい精神と言い換えることが出切る。
言葉を持ってしまった人間は、二人称の身近な死から、一人称の「自分の死」を予感するようになった。これが、マイナス思考を
更に深めている。そのため神という共同幻想の仮身をつくるしかなかった。 人間は人間であるが故に、脆いのである。
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3197,つれづれに ー 閑話小題
2010年01月05日(火)
 * 人生味わえば、8割は良いことになる
 1月3日のTV「熱中人生」で、藤岡琢也が対談した70歳後半の品の良い女性が語った言葉が良い。
「人生、生きてきて、良いこと、2割。辛いこと、8割だった。しかし、辛いことを味わえば、8割は良いこと辛いことは2割になる」
が、印象に残った。 「終戦直前に、近くの旅館に特攻隊員が数人、出撃の待機をしていた。その話し相手に行っていたが、
彼らが終戦の一月前に出撃していった。 彼らが死んでいっても、自分の中に生きているように感じる。
そのお陰で、疎かに生きなくてはならないと、生きてきた。 人生は辛いことが8割だが、味わえば、良いことが8割に変わる!」と、
しみじみと語っていた。 そう、辛さを味わうのである。 甘塩辛いが!
 * 面白いものである!
 実際に、数ヶ月に一度は全く書くネタが無くなる。 書いていると自己嫌悪に陥るのである。
自己嫌悪は今さらだが、書き尽くして如何もこうもテーマがなくなり、書いてきた内容に微妙な感情に押しつぶされ、
どうもこうも、ならなくなる。お手上げである。 しかし、その時ほど、直後に何かが出てくる。
その何かとは、小さな井戸の水を掬いとった後に、何処から水が湧き出る感覚である。だから続けることができる。
 これは人生と同じじゃないか? そう、挫折、その後に来る孤立と孤独の中から力が湧き出てきたのと同じである。
その時に、変化が生じる。そこ(底?)から知恵が出てくるのである。その繰り返しから、知恵も、力も出てくる。 
 * 婚活ブームの後は、離活ブームだと!
 現在、婚活ブームだが、次は「離婚ブーム」が来そうだと、昨日の産経新聞の社会面トップで取上げていた。
20〜30歳代前半の女性の多くが離婚相談所にくるという。 女が出来たとか、借金が多いとかいうハードなことより、
呆れるほど些細な動機。 熟年のように熟慮を重ねた上の離婚とは違い、単純な気分で嫌と決め付けるケースが多いとか。
以前なら親が説得する程度のことを、親まで一緒になって悪口をいうから・・。 今のユトリ教育で育った人種なら、
分からないでもないが。 「結婚など、嫌が上のハク」というのは、長年、連れ添ったものなら分かっているはず。
 後記)去年に、偶然に同じようなテーマを取り上げていた。 それも、新年早々に! そんなものだろうが。
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2832, 1秒でも早く・結婚したい女たち -2
2009年01月05日(月)
  ー前回に続いての、まとめである。
・雇用機会均等法の中で育った40歳前後のアラフォー世代の女性たちは、キャリア志向が強く「仕事をする女はカッコイイーッ!」
 という価値観。 彼女たちが20代のときは「結婚して家庭に入るよりも仕事に生きたい」と願い考える女性が多かった。
 その結果で晩婚化していった。その盛りが過ぎたキャリアウーマンが、40歳に近づいて焦り始めているケースを取り上げていた。
・しかし、その下の若い世代(20代)になると、女の幸せを考えたとき「仕事で輝いたとしてそれが何ぼのもの?」
 「それが本当にカッコイイーッのか?幸せなのか?」と考えるようになり、結婚も仕事もこなす女性の方がカッコイイーッと
 いう価値観が生まれてくる。 妻となり母となり、キャリアウーマンをこなす「キャリア・マザー」がカッコイイーッと捉える
 女性が多くなっている。 全体として結婚して人生のパートナーをつかみ、仕事もバリバリこなすライフスタイルの賛同者が多かった。
・その女性の反面、男子たちは女性化している。かつてクリスマスの夜の予約に執念を燃やしていた男達は少なくなっている。
 肉食系動物より草食系動物系に男が変化しているという。 別に結婚に執着しない男が増えている。
 「現在の20歳の女性の4人に1人が一生結婚が出来なくなる」というデーターもある。
 女性週刊誌は、いかに男を見つけ口説き落とすかの特集が多いという。一時代前の男の週刊誌と同じになってきたようだ。 
 何か気持ちが悪くなってきた。 36年間、結婚生活を過ごしてきて結婚生活は、そう甘いものではないと実感する。
 慣れるに10年、諦めるに10年はかかる。そのあと10年かけて同じ方向を見るようになる。そして最後は「同居の貴女」になっていく。 
 それでも結婚しないよりは良い。人生の半分(いや、三分の二)は、結婚相手によって良くも悪くも決まってくる。
 私生活の大部分を一緒に過ごすのだから当然のこと。選り好みをしていたらチャンスを逸するし、焦れば「化け猫」
 を掴んでしまう可能性がある。どう見ても「化け猫と、ボケ犬」の組み合わせとしか思えないカップルが多い。
 もしかしたら結婚とは、こんなものかもしれない。 「一秒でも早く・離婚したい夫婦たち」というテーマを思いついた。
 この数年に同年代の親戚の男が二組、熟年離婚をして旅先に家庭を置いて実家に帰ってきた。  
 知人に倒産・浮気等で夫婦関係が破壊して、それでも同居している男が何人かいる。 相手が気の毒だが、他人の家庭のこと。 
 地獄は、末期の夫婦の不仲にあるようだ? ・・貴方の家庭のことではありません?! 念のため。そして私の家庭のことでも
 ありません。 過半数が、家庭内離婚というから、熟年離婚を書くのは拙いか?  
 私のように、浅くて長い河があるのは、如何か? まだ歩いてわたれるから、まあいいか?
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2008年01月05日(土)
 2467, 歌は世相につれ      ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜♪
20年ほど前に経済評論家が「ナンバーワン戦略では、直ぐに二番手に狙いうちにあう。
ナンバーワンを深化してナンバーツーが辿りつけないまで磨き上げてオンリーワンになることこそ生き残りの戦略である」と論じていた。 
このオンリーワンの言葉をパクッタのだろうか、スマップの「世界に一つだけの歌」に、このオンリーワンという言葉がある。
オンリーワンの意味をしらない作詞家が「ゆとり教育」で育った若者に向た媚びた歌詞を作り上げたという見方ができる。
彼らも普通の人なのだから、そういう歌詩を批判する方が野暮といえば野暮だが。オンリーワンの本来の意味が個性ということだから、
その間違いを書いている。これだけ流行するのは、時代の現状を現している。ゆとり教育肯定派は
・一部勝ち組が賞賛される時代、それ以外でも精一杯生きる何処が悪いのか?
・オンリーワンと勝手に思い込む何処が悪いのか?
・生きているだけで全てではないか、それを気づかしてくれる歌詞の何処が悪いのか? それはそれでよい。
 しかし、それだけでは人生ではない!人生は世界に一つだけの花ではない、人間は。傷つき、汚れ、ボロボロになるのが人生。 
 (以下、中間略ー字数制限の関係で2,011年1月5日) 
・・・・・
2007年01月05日(金)
2103, ウェブ人間論             (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー   オハヨ〜
 このHPを開設して、あと4ヶ月で六年になる。開設した日の前と後というほど、大きなインパクトを持つことになった。
「誰かに見られている」という意識が文章の手抜きを最小にしてくれる。「手抜きができない」が一番の自己コントロールになっている。 
 平均2時間の準備と、寝る前に30分、 起きて30〜45分の添削をしている。それでも会社にいって読み返すと誤字や筋が通って
ないことが多い。誰に頼まれたわけでもないのに、毎日書き続けて2100項目になったが、確かにこの六年近く書き続けたことで、
何かが変わった。文章化の能力と、その蓄積と分類、そしてそのオープンソース化は、
人間の脳を根こそぎ変えてしまう不思議な何かがある。
  ー 第一章 ウェブ世界で生きる  −?
 *ブログで人は成長できる*
平野:梅田さんは新書や文庫という旧来型の紙という媒体で本を出される一方で、
  ウェブ上ではブログを書かれていますが、両方を経験して、どういう印象ですか。
梅田:まずブログというのは、まとまったものを読むのには不向きです。
  書くほうも読むほうも、一日でせいぜい原稿用紙で5〜10枚ですから。だから読むほうも、ジックリ読むのではなく、
  情報をパッパと見て、リング先に飛んで戻ってという情報ハンティングですよね。断片を消費するに近い。
平野:朝、新聞をざっと読むような感じで、ということですか。
梅田:ブログは文章の推敲が足りなくても、少々誤字があっても、リアルタイムが必要だということです。それに対し、本にしたのは、
  思考を構造化したかったということです。  考えをひとつの構造にまとめるのに適したメディアはやはり本しかない。
梅田:むしろブログの本当の意味は、何を語る、何かを伝える、ということ以上に、もう一つあるのではないか。
  ブログを書くことで、知の創出がなされて以上に、自分が人間として成長できたという実感があるのです。
  (以下、中間略ー字数制限の関係で2,010年1月5日)                           
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2006年01月06日(金)
  1739, 人生の自己採点   ま! (。・・)_且~~ お茶どうぞ   オットッ! 且_(゚◇゚;)ノ゙ アチッ!      
 私の何気なくする質問が時々キツイことをいう。その中でも特に顔色を変える質問がある
「これまで生きてきて、自分の点数をつけるとしたら何点?」思わない質問に、自己評価をどうしてよいのか一瞬たじろぐ。 
 おそらく、その後かなり悩むのではないだろうか。 それも次の言葉を加えるから厳しい。
「一応、あなたが考える第三者の評価も含めて勘でよいから感覚的な数字をあげてみて」と、一瞬の間を置く。
 (以下、中間略ー字数制限の関係で2,011年1月5日) 
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2005年01月05日(水)
1373, キュープラー・ロス
 去年の8月24日に『死ぬ瞬間』などの著者キュープラー・ロスがなくなった。その彼女の最期をリアルに映し出した
 ドキュメントを年末の教育TVで放送をしていた。その録画を一昨日じっくり見た。
 彼女の最後の日々のインタビューを見ながら柳田邦夫と山崎章郎とNHKの女性アナの対談形式で進められていた。
 彼女の本を数冊読んで何度か息を呑んだ経験を持っていた。そのためか、彼女の一言一言が心につき刺さってきた。
(以下、中間略ー字数制限の関係で2,013年1月5日)
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2004年01月05日(月)
 1006, 「この俗物が!」−2
一回で終わるつもりであった、あまりにも内容が面白いので続編を書くことにした。
 (字数の関係でカットー2008年0105)
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2003年01月05日(日)
 632, 自由化\(~o~)/
日本が大きな曲がり角にきている最大の原因は自由化のウエーブである。 特に厳しい業界は規制により守られてきたところだ。
酒屋、米屋、ガソリンスタンド、スーパー、ホームセンター、金融ー銀行・保険、農家など殆ど全てといってよい。
 (以下、中間略ー字数制限の関係で2,012年1月5日)
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2002年01月05日(土)
291、一人遊び
 孤独に強い人は、これができるかどうかである。一人で楽しみを見つけ・・・、書いていて気がついた、それって
「お宅」でないか。似ているがやはり違う。 それは一人遊びのできない人が表面を見て、いっているのではないか?
(以下、中間略ー字数制限の関係で2,013年1月5日)
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1月5日  1969年
 8時半に起床。 店に11時前にいく。長岡の街には人があまり出ていない。14時に兄三郎さんの婚約者の「木村恵美子」さんと
初対面。可愛い人というのが感想だ。17時に店を手伝い、家に帰る。正子さんに頼まれたものを間違えてしまった。
いい加減な自分に嫌になる。 ー今日の本にダイエー中内功の言葉が印象に残った。
「われ進むところ常に道なし,荒野の中独り道をつくる」