つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=lf4BaUY9S3A

 昨夜からちょっとしたミスで、パソコンが繋がらず・・・
今朝の9時過ぎから、NTT 二社のサービスセンターに電話、90分かけて復旧。
光ファイバーの元を切断? 最初からやり直したが、最後にオチ!
元もと、切断してなくて、Wi-Fiの配線のつなぎ間違い。 それにしても、
パソコンやネットのトラブルは、大きなストレスになる。
 
 IPadの契約が、この御陰で、月三千近く、無駄祓いをしていたことが
わかった。3Gの契約がしてあったのを二年4ヶ月も気づかなかった。
それをWi-Fiの設定にしていて、何処でもネットにつながる3G契約に
気づかなかった! ソフトバンクの当時の窓口は分かっていたはず!
 NTTとの窓口の差が非常に大きいのは多方が気づいているはずだが・・・

 今朝の二時間、ネットがつながらなかったことでも、如何に依存しているかが、
よく分かった。逆に、ネットを自由に使える使えないとでは全く違ってくる。
問題は、使い方。 



・・・・・・
1738, 日曜喫茶室
2006年01月05日(木)
                      (っ´Ι`)っ { おはよう
日曜喫茶室・頭の特効薬」(講談社)がよい。
 日曜午後のNHK-FMの番組を本にしたもの。  
  毎週、各界からゲストを招いて常連客である安野光雅天野祐吉らが
   いっしょに軽く座談するという長寿番組。
   (最近は、二人の常連の出番は少なくなったが)
     改めて本として読んでみたが、中身の濃いトークである。
                  (。_。(゚∀゚(。_。(゚∀゚)
     日曜日は11時過ぎにスーパーセンターか、何処かのSCに家内と
    買出しに行くのが恒例になっている。その車のラジオで、
   この番組を聞きながら帰ってくる。
  角界の有名人が、それぞれの世界をリスナーにわかり易く話をする。
 決して肩肘を張らないのがよい。                       
                      フムフム(*゚Д゚)φ))ナルホド!!
この番組を聞いている人なら興味のある謎がある。
 ①その日の話題の打ち合わせの有無
  ②コーヒーは本当に出ているのか    ~~~~~ヾ(* ̄▽)_旦~~オチャドーゾォー♪
   ③「チャリーン」という音
    について、ホスト役のはかま満夫がーあとがきで触れていて、
     リスナーにとっては面白い本になっている。
                       
①は、殆んど打ち合わせなし。それが逆に番組を新鮮にしている。
 ②は、実際に出している。始めはパーコレーダー出だしていたが、
  最近はポットに入れたての紅茶やコーヒーを出している。
   カップの音は、自然に聞こえるもので効果音ではない。
     ③は、これだけはゲストに合わせて、ミキサー室からテープで流される。
     場所は、オーケストラが演奏できるような広いスタジオで、
     U字型のテーブルといすを並べて座っているという。
    大きなスタジオである理由は、ステレオ放送の効果音を出すためだ。
   
   このラジオ放送、昔から聞いていたはが、
  もう28年以上も続いているという。
 はかま満夫の思い入れと、ゲストの話題の引き出し方の上手さが、
ここまで番組を続かせたのだろう。

この本は、その中でも面白そうなものを選んであるので、
中味は濃い!
 
                         ☆ミ(o*・ω・)ノ バイ!!
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 ・・・・・・・・
 
 2005年01月05日(水)
1373, キュープラー・ロス

去年の8月24日に『死ぬ瞬間』などの著者
 キュープラー・ロスがなくなった。
  その彼女の最期をリアルに映し出したドキュメントを、
   年末の教育TVで放送をしていた。
    その録画を一昨日じっくり見た。

     彼女の最後の日々のインタビューを見ながら
      柳田邦夫と山崎章郎とNHKの女性アナの対談形式で進められていた。

       彼女の本を数冊読んで何度か息を呑んだ経験を持っていた。
        そのためか、彼女の一言一言が心につき刺さってきた。

         「私は聖女ではありません!ふつうの人間です。
           聖女など大嫌いです。
           そんな言われ方などとんでもありません」

          自分が死を迎えるに当たって、一番大事なことに気がついたといえば、
         愛を与えることと、愛を受け取ることです」

        「来世が死ぬ人にとってのニーズなら、それを認め与えてやらなくは」
                 (*´・ω・`)(*´-ω-`)(*´・ω・`)(*´-ω-`)ウンウン♪
       「死を覚悟して、自分がとるべき態度は悟り済ました姿ではない。
      死を看取ってきた患者の気持ちになって、恐れ慄く姿こそ私のとるべき態度です。
     その彼等の立場に自分がなって、その経験をすることこそ、
    残された最期のレッスンです。」
   等々、
  言っている内容が深い。         フムフム(*゚Д゚)φ))ナルホド!!

 医者や看護婦や医学生を集めて、死にいく人とのインタビューの
 録画があった。
  もう数十年前の白黒画像で、末期肺がんの老人であった。
   死に直面した老人の心奥の恐れや悩みを引き出していた。

    また白血病の10歳位の子供のインタビューもあった。
     その子供の内面を、ロスが引き出していく様子が涙を誘う。
     「死ぬことは違う世界に移り変わるだけ、そこには多くの人が僕を
       待っていてくれる」
       「この病気になって気がついたことは、生きるということは辛いことだ。」

        私がロスの著書で一番好きなくだりがある。
       ロスの最高の師が「黒人清掃作業員」だったということだ。
      ー重体の患者を元気づける不思議な能力のある黒人作業員の秘密が知りたくて、
     博士は彼女をスパイのように追いかけ回す。彼女に接した患者が誰もが癒される。
    作業員は博士に、彼女は息子を肺炎で亡くした経験から死を怖れず、
   「心配しないで。死は怖いものではない」
   と死に行く患者に語っていただけだと言う。
  博士は清掃員を「人生の師」と呼び、自分の第一助手として採用する。
 ーこれが彼女のあらゆる本の中で一番彼女をそのまま表しているところだ。

 ーこのドキュメントと、彼女の概略を書いてみると
  以下のとおりだ。

・「ベストセラー『死ぬ瞬間』ー死の概念を変えた精神科医
  愛とたたかいの記録」の著者。
  ・スイス生まれの精神科医
   死の臨床、終末期医療の先駆者で、死の受容に至る5段階説を主張
    ・『人生は廻る輪のように』は最晩年に書かれた博士の自伝だ。

     博士はわずか900グラムの三つ子の一人として生まれ、
      子供時代から
      「自分らしさがはっきりしない三つ子の一人として生まれたのはなぜか?」
       と疑問に思ってきたという。
        その疑問はやがて「自分は誰か?」
                「自分らしさを発揮する生き方は何か?」
         という問いに変わって行き、
          若くして父親の反対を押し切って医師の道を選ぶ。
          結婚を機にアメリカに渡ってから、
         末期ガンなど終末医療での患者の心のケアの必要性に目覚め、
        患者だけでなく、医療従事者も対象に「死を迎えるため」
       のワークショップを始めたりする過程を淡々とドキュメント風に進めている。

      「人生に偶然はない」
     「起こったことは、起こるべくして起こったのだ」
    と言う博士は、降りかかる様々な困難を
   「学ぶための試練」だと受け止めた。
  自分の道を最後まで勇気を持ってエネルギッシュに生き続け、
 死の臨床に打ち込む様子は
「医者」というより、ほとんど「聖職者」だ。
「選ばれた人」と思いたくなるが、彼女はそういわれることを一番嫌う。

  去年8月に78歳で亡くなったばかりだが、
   彼女が「死の看取りに全てを奪われた為」、夫は彼女に離婚をつきつける。。
    そして、子供三人を置いて離婚。

     1995年に発作におそわれた後、麻痺が残り、
      十年近い不自由な療養生活を送って後亡くなった。

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2004年01月05日(月)
1006, 「この俗物が!」-2

一回で終わるつもりであった、
 あまりにも内容が面白いので続編を書くことにした。

  福田ガ存(このガの漢字がない)の
   「俗物論」というエッセイがベースにある。
    早くいえばタネ本である。

     この本でまずとりあげているのが「地域俗物」である。
      これには田舎を軽蔑する都会者と、名門旧家を誇ったりする田舎者がいる。
       この田舎者の中に、知事・役人などの「実力俗物」と、官公立大学の先生
        などの「文化俗物」がいる。それに「ボス型俗物」や「取巻き俗物」、
         床の間に座りたがる「床の間俗物」や、常に下座に座りながら、
          上座の人の顔色をうかがっている「下座俗物」がいる。
          等々、辛辣に書いてある。

         更に、「自尊と謙譲」が俗物のキーワードとしている。
        注目(尊敬)をされたいが、その気持ちを知られたくない。
       けれども、知ってほめてもらいたい。という複雑な気持ちの具合によって、
      狡猾な俗物か露骨な俗物にわかれる。
     「首尾一貫俗物」「陽型俗物」に「陰型俗物」、性交人数や性能力を
    自慢したがる「性的俗物」「肉体的俗物」「精神的俗物」「知的俗物」
   などなどある。
  読んでいて、一つ一つが思いあたるから面白い。

 最近は「情報俗物」が出てきている。
 「交際俗物」もナカナカ面白い。
  こういう人を知っているとか、付き合っていることを自慢する輩である。
   その辺にいる「子狐」である。
    「交際を絶っても何ともないと自己の強大さを誇示する「孤高俗物」がいる。
     私はこの傾向が強い。反対に「誰も自分を理解してくれないことを
      かこつ女性型形態」としての「孤独俗物」がいる。
       福田は更に「一流俗物」に「個性俗物」「趣味俗物」などを挙げている。
        福田自身も俗物を分類分析定義する自分をも「反俗物的俗物」としている。
         この傾向も私にはある。

         ここまでずべての人間を俗物と指摘されるとウンザリする反面、
        ここまで割り切って斜めの視点で観ることも意味があると思うようになる。

       福田のいう俗物根性とは、
      「世間にたいする自己の関係に不安を感じ、その不安を解消するため、
     劣弱な自己を拡大修飾して現実の自己以上に見せかけようとする心理」
    と定義している。
   彼によれば「人間は、誰もかれもが、自己拡大欲に駆られている」という。
  その根っこに「自尊」感情がある。
 中心価値がなくなり、さまざまな価値が自らの価値を主張始めた。
人もそれを認めた。伝統的な権威も揺らいだ。
ようするにしゃかいの中から絶対性がなくなり、全てが相対化したのだ。
 俗物は、いいかえれば偽者のことだ。二人はお互いに自分が本物で相手が
  偽者と怒鳴りあっている。

   ーこの本は、このような文章がウンザリするほど延々と続くのだ。
    何か自分が惨めになってくると同時に、癒されてもくるから不思議だ。
     といって俗物中の俗物のような男は大嫌いだ。

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2003年01月05日(日)
632, 自由化\(~o~)/

日本が大きな曲がり角にきている最大の原因は自由化のウエーブである。
 特に厳しい業界は規制により守られてきたところだ。
  酒屋、米屋、ガソリンスタンド、スーパー、ホームセンター、
   金融ー銀行・保険、農家など殆ど全てといってよい。

    自民党と結託した利権団体を隠れ蓑にした社会主義共産党員社会である。
     その意味で今のこの混乱はソビエトが崩壊した
      十数年前のロシア共産社会の混乱に酷似をしている。

      今の自民党はロシアの共産党以下のレベルを演じている。
     それを支持しているこの国の民度の低さがますます露呈されている。
    その意味でこの3年間は更に激しい破壊の年になる。

   システムや能力は激しい競争社会の中でしか進化をしない。
  それを否定し理想社会を夢見たのが共産主義社会主義である。
 チャンス平等でなく、結果平等を求めた。
資本主義社会の矛盾の破壊の役割として有効に機能を一時果たした。
現在は、その役割を果たした日本的社会主義の終了過程にある。

 自由化とは何か??いや自由とは何??
  それぞれが自己責任を背負う事??
   それを国家単位で放棄してきたツケがこの数年で一挙に清算過程に入った。

    ところでこのホテル業界は規制が全くない。
     結果的にこれが非常に良かった。競争対策を常に求められた。
      一見大変そうだが、競争対策がシステムに組みざるを得なかった。
      従って現在大混乱にある甘さがよく見える。規制ー寄生の甘さである。

     例をあげてみると
    スーパーが大店法に守られ競争対策が全くなされてない。
   「存在意義が大店法の存在だけ」という事が露呈してきた。
  地方豪族化の漫画的存在が周辺でも見られた。
 あと5~7年後にアメリカのウォールマートに制圧されるかどうかの
 瀬戸際にたたされている。その前に自滅もあろうが。

 ホームセンターやスーパーの1ロットが最低5000億の世界という。
  地方では500億で大企業だ。
   その行方が??

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2002年01月05日(土)
291、一人遊び

孤独に強い人は、これができるかどうかである。
 一人で楽しみを見つけ・・・、書いていて気がついた、
  それって「お宅」でないか。似ているがやはり違う。

   それは一人遊びのできない人が表面を見て、いっているのではないか?
    結局中途半端のそれをいうのではないか?
     字のとおり、部屋に引きこもって自分の殻にこもった状態をいう。

     山登りや釣りはやらないが、これなど一人遊びの典型である。
     別にそれをお宅といわない。
    読書好きの人もお宅といわない。

   自分の強みは孤独に強いことだ。人に何かを求めないこと、求めても
  そこに何もないことを、経験上知っているためだ。
 結局人間最後は一人だ。そこでボールを一人でバウンドさせていくしかない。
そうしていれば、人が面白そうと自然に寄ってくるものだ。

「禅」とは、その修行によって、字のとおり単(一人)ということを示すことだ「示単」。
 これはある有名な禅僧から直接聞いたことだ。
  そこで自分の好きのことを見つけ、それを楽しむことから始めなくてはならない。
   その積み重ねが個性を作る。

    ノイローゼになる人をみていると、これができない人だ。
     常に人に何かを求めているか、頼っているからだ。

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1月5日  1969年
8時半に起床。
 店に11時前にいく。長岡の街には人があまり出ていない。
   14時に兄三郎さんの婚約者の「木村恵美子」さんと初対面。
    可愛い人というのが感想だ。17時に店を手伝い、家に帰る。
    正子さんに頼まれたものを間違えてしまった。
    いい加減な自分に嫌になる。
   ー今日の本にダイエー中内功の言葉が印象に残った。
「われ進むところ常に道なし,荒野の中独り道をつくる」