■
ー庶民は知らないデフレの真実 ー森永 卓郎 (著)
* 資本主義社会は、金持ちが有利につくられている!
要点を絞り込むと、資本主義社会の金持優遇が明確に見えてくる。消費税が5%から10%に増税される反面、金持ちや
企業の減税がなされる。 英国で1979年にサッチャーが首相になると、9年かけて、これまでと真逆の政策を実行した。
25%から83%まで11段階あった所得税率を25と40%の二段階にした。その反面、消費税を8%から15%へ引き上げた。
金持ちの所得税を半減し、庶民が負担する消費税は二倍近い増税である。これは1982年のフォークランド紛争を利用して、
勝者・サッチャーの政策を支持させて、この金持優遇の税制改革をした。弱肉強食社会こそ国力を上げるという美名の元に。
現在、TPPの話し合いが続いているが、日本にとってはマイナス。環太平洋沿岸国の関税などを撤廃して、アメリカ主導の
貿易圏を作りましょう!というが、これは弱肉強食の強者に有利な制度。狙いは、日本人が溜め込んだ郵貯。それを民間にして、
本体の株式と、預金を狙っているのは自明である。 ー金持優遇の一節より
《 金持にとって、デフレは天国だ。私が持っている3億の価値は、デフレで1%下がっただけで300万分の価値が上がると
同じことになる。資産がさほど無いけれど、おいしい既得権を握っている人はデフレは好都合。庶民は転職が難しくなったり、
リストラにあうが、終身雇用の公務員はリストラはない。デフレは、この人たちの暗黙の了解で行われている。
管弦楽団と同じように、オーケストラのメンバーはタクトを見れば、具体的指示がなくても指揮者の意図を読取り演奏ができる。
それと同じことが、世の中で行われいるのだ。・・ 消費税増税で10%になった場合、庶民は収入の80%を消費に回すのに対し、
金持ちは20%で済む。社会保険は収入に対してかかるのに、庶民の払う消費税は、80%のうちの10%で収入の8%になるが、
金持ちは20%×10%だから、2%で済む。だから金持ちと、庶民は消費税一つとっても違うのだ。》
▼ 著者は、だから金持にならないとワリを食うと強調する。まず、一年分を貯めろ、次に三年分。そして、それを投資の
タネ銭にしろ!という。この辺りから、「君は一万円を破れるか?」の著者と、大きく違ってくる。本音は誰も貧乏より
金があった方がよい。その目安は、金に心配しないで済む収入と、貯蓄。一説では、300〜400万の収入と2千万の預金。
あとは、さほど変わらない? という。しかし、これも思い込み? 生物の進化は優勝劣敗があればこそだが!
・・・・・
4273, 100の思考実験
2012年11月27日(火)
「100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか」ジュリアン バジーニ (著),
ー 内容紹介(アマゾン)
● これは「読む」本ではありません。「考える」本です。
● 「列車の暴走で40人が死にそうなとき、5人だけ死ぬほうにレバーを切り替えられるとしたらどうするか」
NHK「ハーバード白熱教室」で取り上げられた「トロッコ問題」のように、古代ギリシャの時代から哲学者たちは
「思考実験」を“考えるためのシミュレーション・ツール”として用いてきました。 身体と脳・自意識・生命倫理
・言語・宗教・芸術・環境・格差など、多岐にわたるテーマから選りすぐった簡単に“答え”の出ない、哲学・倫理学
・論理学の100の難問があなたをぐらぐらと揺さぶります。 世界19ヶ国で刊行! イギリス発ロングセラー!
★【書評から】 「読んでいて思わず引きこまれる。知的で愉快で、型破り。巧みでセンスのよい構成。
誰かと議論したいのに、相手が見あたらないとき、繰り返し手にとりたくなる本だ」 「楽しんでできる頭の体操」
「何度も考えることこそ、明敏で切れ味のよい本書の意図するところだ」 「この本はさながら、道徳哲学の“数独”。
身動きできない地下鉄の中でも、“思考実験”のどれかに取り組めば、たちまち通勤地獄から抜け出せる」
▼【私の書評】 考えさせられる本である。まず一番私が考えさせられたのは、「楽しみの法則」である。
≪ キャリア上の躍進を続けてきて、ようやく、二つのチャンスが同時に舞い込んだ。ふたつの国の大使である。
どちらも南太平洋の小さな島国で、ひとつは、厳しい法律があり、婚外セックスも飲酒も麻薬も大衆的娯楽も、
贅沢な食事まで禁じられている。許されているのは美術や音楽といった高尚な楽しみだけ。実際に国が、それらを
推奨していたため、世界屈指ののオーケストラやオペラや美術館や劇場がそろっていた。もうひとつは、
知的にも文化的にも砂漠のようだった。しかし、快楽主義者にとって天国で知られ、何もかも許されていた。≫
このふたつの判断、自分だったら、どうするだろうか。 学生時代の四年間の過ごし方に似ている。
学生時代の遊学で、有り余る時間の中で何をするかは、本人の自由。この問いのように、学びに中心を置くか、
遊びに中心を置くか、大きく迷うところ。 都会での遊びも、学びも、学生時代しか出来ないことがある。
問題は、どう考えるか。人生でも同じことがいえる。往々にして、二つの両立は、なかなか難しい。私の場合は、
「硬派のレールの上を軟派に生きる」を意識していたが。低俗の遊びには、高い税金がかけられ、崇高な遊びには、
推奨金が出るケースが多い。とはいえ、どちらも実際に経験してないので、本人にとって、選択した以外の方は、
うかがい知ることはできない。この歳になり過去を振り返って、この問題がフラッシュのように思い浮かぶ。
あの誘惑に乗っていたら??・・ で、私なら? 答えは明白である。高尚の方である? 何故なら、
快楽の楽しみは、帰国した時にチャンスは無限にあるが、高尚の方は、帰国した時に雑多な日常の中では、
じっくり浸る時間が取れないからだ。その人が、それまで苦労して手に入れた高尚な?大使職である。
その職に相応しい時間を味わうのは当然の理である。とはいえ、大きな後悔も残るだろうが。
・・・・・・
2011年11月27日(日)
3898, つれづれに ー景気の話ー
* 金融株は、どうなっている?
久々に金融株を見て驚いた。何と野村證券が230円、三井住友銀行が2000円(額面を換算すると200円)、みずほ銀行が
100円割れ。東京三菱が330円とあった。 野村證券は5年前の10分の一、みずほ、三井住友が6〜7分の一以下。
銀行株が100円を割ると危険水域を超えるというから、みずほ銀行は非常に厳しい事態。いかに、リーマンショックの影響が
大きかったかである。EU危機も何処かの国がデフォルトでもすれば、欧州だけでなく、世界中の銀行の連鎖倒産が起る。
日本国債務のGDP比が220%もあり、ユーロ圏の90%程を大幅に上回り、アメリカの100%、イギリスの80%に対しても、
あまりに多いことが分かる。その日本が、このままでいられる訳がなく世界の投機筋が日本を狙うのも時間の問題。
日本人が1400兆円の金融資産を保有しているというが、その多くがアメリカ国債に変わっている。 日本が本当に健全なら、
日本の三大メガバンクの株価が、ここまで落ち込むことはない。その中で消費税の10%へのアップを与野党がこぞって反対を
している現状は情けない。とはいえ経済の疲弊度からみて、内税のコストを中小企業が吸収するに限界を超えることになる。
* 70インチTV
新聞報道で70インチのTVが売り出されたとあったので家電で見てきたが、想像以上に大きい。50インチの二倍近い画面で
あれば当然だが、一般の家庭の居間に果たして収まるか疑問もある。大型TVは大きいほど良いが・・・
あれでデナーショーを見たら現場感覚に近い迫力を感じ取ることが出来るだろう。50インチのTVを見た時の驚き冷めないうちに、
二倍の大きさになっている。こういう不景気の時代、家でTVを見ているのが一番安上がり。
・・・・・・・
3533, 竹森俊平の「漂流を始める世界経済」
2010年11月27日(土)
経済専門雑誌「Voice」12月号に、竹森俊平「漂流を始める世界経済」があった。
彼はリーマンショックの直前に、それを予測するような著書「資本主義は嫌いですか」を出版している。
直ぐに読んだが、そこで「紙切れ通貨制度」の功罪を呈示し、そこから生じる厄介な問題がいくら抱えても、
われわれは管理通貨制度と、うまくつきあっていくしかない!と論じている。
「漂流を始める世界経済」の中で彼は、2011年の記憶をあらかじめ消去してしまいたいほどの経済惨状を予測する。
【 来年には世界経済が二番底に陥る可能性が高く、その様相が悲惨になるからだ。 主要国指導者は己の判断ミスを認めず、
責任を外国に転嫁し保護貿易主義に走る。しかし保護主義によって事態が好転しないため、指導者への信頼は一層地に墜ち、
その後の操縦席に人がいない状態になり、世界経済の漂流が始まるという。
そこで二番底は、ギリシャ危機以降、PIIGS(ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペイン)の
破綻と考えたが、それを撤回した。 ヨーロッパのエコノミストや政治家と、逆に財政刺激策の継続を説くアメリカの
カウンターパートとを比べると、景気浮揚に失敗するのはヨーロッパと思われるが、ヨーロッパの政治エリートは、
大衆の意向に反して豹変が許されている。「状況が変わった」と、今までと百八十度異なる政策をとることも可能である。
しかし選挙民の思惑にがんじがらめなのがアメリカ。失業率9%台の高止まりも、本来、緊急景気対策費65兆円のおかげで、
その程度でいられると読むべきだが、「巨額な対策費にもかかわらずそんな効果しか上げられないのか!」と受け止めるのが
アメリカ国民の実態である。 さらに今年末には前政権による所得減税が終了し11年からは増税が始まる。
「ティーパーティ運動」が声高に叫ぶ「これ以上無駄な税金を使うな」を、政治家が無視できなくなる。
ということは、二番底がどこかで発生するとみてよい。 今や二番底と保護貿易主義という暗雲がたち現われている。
ここで世界は問われているのは政治のありようである。】
ー以上だが、来年、再来年にかけてリーマン・ショックを震源とした大津波が、3年後にウネリをあげて襲ってくるのは
避けることの出来ないこと。それ以来、何度も何度も書いてきたが、10年は続く。100年、250年に一度の大変動である。
・・・・・・・・
3158, 金を通して世界を読む −1
2009年11月27日(金)
「 金を通して世界を読む 」 豊島 逸夫 (著)
このところ、金の価格が動き始めてきた。年初からみると、4割の上げで3500円。
銀が9割上げていることからみて、まだ上がるという強きの見方が大勢である。
この本、半年前に買って目を通したが、あまり積極的には読んでなかった。
しかし、ここで新聞などで金の値上がりが報じられたこともあり、再び読み始めたが面白い。
まずは、その一分内容を書いてみる。
・ 投機を目的とするか、投資なのかをハッキリすべし。
・ 金は一般的に「有事の買い」といわれるが、実は「平時の買い、有事の売り」である。
・ ドルは200年、金は2000年の通貨の歴史がある。
・ ドル発券国のアメリカの外貨準備に占める金の割合は70パーセント以上。 中国・日本は1パーセントに過ぎず、
巨額のドルを保有。欧州のドイツ、フランスは50パーセント以上。中国の金の生産量が南アを抜いて世界一位。
その日本は、金が高騰すると、貴金属のリサイクルが進んで、一転輸出国になる。これは国力衰退の象徴である。
・ 金は30年前の5千数百円をピークに停滞が続いたが、10年前の1999年から長期上昇トレンドに入っている。
10年前の底値は250ドルである。現在は1200ドルに近いので10年で5倍近い値上がりになる。
・ 実物資産の不動産と比較すると、金には
*固定資産税がかからない。 *売買市場が完備されており、日々の価格も外為同様に公表される。
*小分けが出来る。 *資産の隠匿手段として最適 *利息などキャッシュフローを生まない。
しかし、これがアラブなど中東の金持ちにとって、アッラーの教えに反しないので金保有は都合が良い。
〜〜
以前にも少し「金」について取上げたが、金といえば商品取引業者の餌食になる「金の投機」が思い浮かぶ。
目先の動きの先物で利ヤザを稼ぐ際どいもの。 著者は、その道のプロだが、長年の結果が8勝7敗だが、
そのプロ筋では8勝の結果は評価は高い。金投機のプロは8勝7敗で生き残り、7勝8敗で消えていく世界。
その8勝と7勝の一勝の差は、「損切り」。 問題は負けが込んでいたときに、いかに手早く見切るか、
それが出来ないという。 今に戻ると希望的観測を持ちたがるが、よほど強い意志がないと出来ないという。
だから、相場のプロも自分個人の資産運用に関しては純金積み立てと決めている。
相場に魔法の杖がないことを骨身にしみているので無益なゼロサムゲームには、参加しない。
仲間のデーラーも同様だという。 そういう世界が投機筋ということだ。 恐ろしい世界である。 ーつづく
・・・・・・・・
2793.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・2
2008年11月27日(木)
「自分を大切にするものは、他人も大切にできる」とするなら、「自分を大切にしないものは、他人も大切にしない」ことにある。
こういう人間、本当に多いよな〜、と思っていたが、じゃあ、御前さんはどう?と言われると、酒飲みすぎて、
命を縮めているじゃないか。そして酒の勢いで他人を傷つけているじゃないかい?と言われれば、成るほど、納得する。
「自分の意志の主人となり、良心の奴隷となれ」(ユダヤの諺)は、至言である。
ーーー
「ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ 」−2 読書日記
【第一の法則】
▼ 自分を大切にするものは、他人も大切にできる。
「自分が ありのままの自分でいられるような人生を 謳歌するためには、音楽家なら作曲し、画家ならば絵を描き、詩人であれ
詩を書くのだ。自分の命にそった生き方を選ぶことが、人間にとって、もっとも自然な姿なのである」エイブラハム・マズロー
▼「無理して人と違う自分を演じようとする必要はない。
良い結果を出そうと頑張れば それだけでじゅうぶん人とは違う自分を演出できるのだ」 アーサー・フリード
「盲人の国では片目の男は王様だ」 ユダヤ人の友人のことば
▼「自分を信じるのだ。 自分の力は、自分が思っている以上に あるものだ」 ベンジャミン・スポック
▼「自分に対して とことん正直になること、それが心身に良い影響を与えるのである」 ジークムント・フロイト
▼「いつも自分一の外側に、カや自信の源があると信じて捜してきました。でも、本当は自分の内側から
にじみ出てぐるものなのです。 いつだって 自分の中にこそ、強さや自信の源はあるのです」 アンナ・フロイト
▼「世の中を敵にまわして戦う時は、世の中につけ!」 フランツ・カフカ
▼「よく、あの人はまだ自分を探し終えてない、などという人がいるが、
そもそも自分とは 探すものではない。 みずからが創り出すものである」 ユダヤの諺
▼「みんなにイイ奴とは、誰の友達でもない」 ユダヤの諺
▼「自分の意志の主人となり、良心の奴隷となれ」 ユダヤの諺
▼「わたしのモットーは、心に生じる罪悪感を 決して疑わないこと」 フランツ・カフカ
・・・・・・・・・
2007年11月27日(火)
2428, 自分を理解するため他者・コンピューター −2 才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
人間と動物とが共通に有している能力よりも、知的・理性的側面が、人間固有の特徴として逆照射されたが、
今度は特有の特徴を凝縮したコンピュータから人間に向けて照射したら何が浮かび出るのだろうか。
この数日、コンピューターから人間を照射した、動物と人間の差異は何か?を自分の頭で色いろ考えてみた。
・喜怒哀楽の激しい感情、
・欲望の過大性、
・自らの知恵で環境を変える能力、
・考えることを考えるー哲学をする能力、
・新たな他者としてのコンピューターを使い、支配する能力、
・言葉を持ち、それを書き写す能力、
・自らの意思を持つ能力、
・自らの神を創造する能力、
を持ち、それ故に自ら自然界を道連れに消滅する宿命を持った動物である。 まだまだ幾らでもあるが、
私が今考えた「動物と人間の境い目」である。そうこう考えると、やはり動物とは違う存在である。
更に人間は、この新たな他者を爆発的に発展させ、自らの周辺の環境に融合しだした。
これが良いにつけ悪いにつけ、次の大きな問題になってきた。 世界が一変しだしたのである。
ー 前回のレポートの続きである。
*現実感を変えるバーチャル・リアリ一アイ ーコンピューター
黒崎政男(哲学者)
そして、今日では、コンピューターと哲学をめぐる聞題群はさらに広がっている。1980年代から始まったコンピューターの
パーソナル化は、予想を超えた速度で進行し、コンピューターはあっという間に個人的生活の内部にまで浸透した。
コンピューターは、もはや、われわれに脅威を与える他者という遠い距離に留まるのではなく、完全に環境として
われわれを取り巻くようになった。 そしてさらに、コンピューターとわれわれの関係はさらに密接になっていき、
〈われわれの外部としてのコンピューター〉という性格さえ危ういものとなっていく可能性が出てきた。
つまり、現在さまざまな形で間題となっている〈バーチャル・リアリティ〉である。
われわれわれは、今やそれをわれわれの身体の一部として、あるいは頭脳に一部として
組み込もうとしているわけである。その意味で、人問とコンピューターとの結びつきは、もしかしたら、
着実に進行しているのだろう。それは、脳に直接機械を埋め込むという、ミンスキー教授が言うような
原始的な方法によってではないかもしれない。われわれの環境が、電子的に媒介された映像などで満たされていくとき、
そして、人々のコミュニケーションがほとんど電子的な媒介によって営まれるようになったとき、われわれの現実感の変容
という形で、それは進行していく。コンピューターは、人間とはなにか、を逆照射してくれるあらたな他者として、
今日、きわめて意味深い存在者なのであるが、今後、人間は自己規定をどのように遂行していくのだろうか。
あくまで、人間性にこだわっていくのか、それとも、そんな課題は放棄してしまうのか。興昧は尽きないのである。
−−
10年先、いや5年先さえ、想像すらつかない変容が待ち受けている。
それを見るだけでも現代に生まれた良かったと思っている。 ヽ(。・c_,・。)ノ バイ
・・・・・・・・・
2006年11月27日(月)
2064, あたりまえなことばかり −15 o( `▽´ )Ψオハヨウ!
7歳の頃、一番上の兄が死んだ時に姉に「死んで兄ちゃん、どこに行ったの?」と聞いた。
そのときの姉の答えは、「白い馬になって、空の上の昇っていたいったのよ」であった。数日後、兄が白い馬になって
空に昇って行った夢をみた。子供ながらに、その時の両親と兄・姉の悲しみは敏感に感じ取っていたのだろう。
こういう経験を重ねて、死は怖いもの悲しいものという先入観が植え付けられたのだ。
亡くなってから何度か「どこかに行っていた兄が帰ってきた夢」をみた。
空の彼方からというより、そのつど事情が変わっていた。兵隊から帰ってきたり、旅行より帰ってきたり・・・
人は元気で長生きをしなくてはならない。世界も、自分も変わっていく。それは遥かに予測や想像をこえている。
いま、ここは全てである、しかしその全ての背後に得体の知れない世界がある。
それを知りえるには、変化していく自分の世界と経験の蓄積の範囲でしかない。
ーーーーーーーーーーーー
他者の死はなぜ悲しいのかー?
ーーーーーーーーーーーー
言語と論理に即して考える限り、「死は存在していない」。自分の死は言うに及ばず、他人の死すら「見つからない」。
しかし、だからこそ、「他者が死ぬ」とはいったいどういうことか悩ましいなぞとなる。死は存在しないが、死体は存在する。
他者の死体の存在によって、現実の出来事になる。死の境によって動いていた体が動かなくなる。この変化の意味、
これが理解できない。理解できないまま、死体は然るべき手順で処理され、無くなる。
(カット 09年11月27日)
・・・・・・・・
2005年11月27日(日)
1699, 人生の価値について −1 −読書日記
『人生の価値について』西尾幹二著 新潮選書 (-_ゞnemu (~O~)ふぁ
この本では、どうしたら人生に成功するかという、いわゆる人生での成功の秘訣や、いかに生きがいを見つけるか
といったことは書かれておらず、生きがいとは何か、成功は価値に等しいのか、が述べられている。
成功失敗、幸福も不幸も、希望も絶望も、生も死も、結局は同じものの二面性にすぎないという。
「人生は偶然に支配され、何が起こるか分らないからこそ、生きるに値する」という、宿命を認めているところは
本人の人生体験を重ねて深いところを見据えている。
104節からなる各々の文章が、どれを読んでも解りやすい文章で読者を深いところで納得。
ー90節の「希望について 」が、心に残った。
重病患者ばかりが入っている病棟に入院したときの著者の記述が鋭い。
著者がそこで不思議に思えたのは、明日にも死ぬかも知れない人々にも「社会生活」があることである。
余命幾ばくもない患者たちが、日常のささいなことに心をとらわれていることである。
明日の命も知れぬ人が、ナイター中継に夢中になっていたり、同じ病室の人に悪く思われないように
気をもんでいたりすることなど、「死」という大きくて困難な問題を直視しないようにしていることを知る。
Σ(゜Д`;)ア…ア…アッハァァァァァァァァ?!! 死にたくない!
(カット 12年11月27日)