「ほめことば練習帳」山下景子著 
    * 第二歩目は関心を持つということ。
   ー要約の箇所からー
《 日本語には、風景や季節を愛で、讃える言葉がたくさんあります。それだけ、この国の風土を愛し、関心を寄せてきた証。
 人間が好きな人は、自ずと褒めることが多くなる。旺盛な人は気づくことも多いので、ほめる材料にこと欠かないでしょう。
 自分の価値観や思い込みに縛られている人はほめることができません。粗探しばかりしてしまうとしたら、要注意です。
 それは、相手に関心があるのではなく、つまるところ、相手を否定しているのですから。 ひとりひとり違う人の能力。
 それを敬う気持ちが、ほめ言葉につながるのでしょう。》
  ☆ 第二歩の(能力に敬意を表するほめ言葉)
 多才/三舟の才/詠雪の才/七歩の才/十八番/立て板に水/達筆折り/紙付き/圧巻/ハ面六膏/鬼才/鍾々たる/
 賢い/利口/造詣が深い/知的/優れている/上手/腕が立つ/ハ丁(八挺)/器用/妙/巧み/堪能/秀でる
▼ それぞれの個性を認めて、絶対肯定する言葉が「ほめ言葉」になる。ほめることは、相手だけでなく、自分を
  肯定することになる。このことを自ら分かっているか?というと、分かってない。 肯定は意志。それが分からない。
    * 第三歩は、円滑油となるほめ言葉
《 ほめ言葉は、潤滑油としての役割も果たします。これらを第三歩としてまとめました。
 特に日本人は、この使い方を大切にしてきたようです。しかし、それゆえの弊害もあります。
 よく「心にもないお世辞」などといいますが、実際、ほめ言葉とお世辞の境い目は限りなく曖昧です。
 下心がなくても、相手がそう感じれば、お世辞になってしまいますし、反対に下心があっても、相手が感じなければ、
 ほめ言葉です。ですが、人を傷つけないための潤滑油は、必要だと思います。それよりもむしろ、ほめることによる効果を
 期待することの方が、問題ではないかと思うのです。 たとえば、やる気を出すためにほめるなどということも、
 見返りを求めているといえないでしょうか。ほめ言葉は、言葉の贈り物。義理で贈り物をすることはあっても、
 はじめから見返りを求めて贈り物をすることは、気持ちのいい行為ではありませんね。》
  ☆ 第三歩 ー潤滑油となるほめ言葉
 結構/重宝/面白い/珍しい/初めて/筆舌に尽くし難い/そこはか/微妙/雰囲気があるいい/気が利く/
 卒が無い/機知に富む/打てば響く/才覚がある/成る程/頼りになる/愛想がいい/いみじくも
▼ ほめ言葉は言葉の贈り物。贈り物には繊細の注意とタイミングと、綺麗な包装紙で包む必要がある。
まずは身近な家族から、ほめる訓練をしてみようか。家内が服装に迷ったとき、何時も私に選択を委ねる。
  その時がチャンスである。(逆の場合は、無視されるが) そういえば、母親が子供の頃から常に褒めてくれていた。
  ほめ言葉は、愛情の自然表現になる。ほめていれば自然と愛情が入る。逆に貶すことは、憎悪の念が入ることになる。
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4201, 呪いの時代 ー16
2012年09月26日(水)                              
   * 「ほんとうの私」という幻想からの脱却 ー2     「呪いの時代」内田樹著 
「ほんとうの私」という幻想、考えてみると実に奥行が深く面白い。ある種の人間、それも比較的軽い人間が陥りやすい心理トリック。
その幻想に本人が気づかないから始末が悪い。会社が倒産したり定年で辞める節目に、ハッとする。「本来の自分はこんな会社に
いるべき人間でなかった!自分の人生、失敗した」と。これが実は「ほんとうの私」という幻想のなせるワザに気づかない。
結婚相手の選定の失敗と思う夫婦の確率95パーセントと酷似している。 結婚も職業選択も振り返れば似ていることが分かる。
それ以前に人生は幻想そのものだが。で、結婚相手と、選定した職業を呪うのが必然となると、大方の人は人生を呪う宿命?になる。
だから老人の顔は肉体の衰いと病気が重なり暗くよどんでいる。しかし、このことを知っていれば、自分だけでないことで諦めが
つくというもの。誤解をして結婚、理解して離婚というが、その上、大部分が「誤解して結婚、我慢して老年!」になる。
幸せそうな夫婦と、幸せな夫婦は違う。 ありもしない「ほんとうの私」さがしが高じるとルーツを知りたくなる。
ルーツなどアフリカのサルぐらいを知っていれば充分。平家の落人だったか、源氏の末裔だろうが、それが何だというのだろう。
その間に嫁の血が入っているため、血筋などあってないに等しい。頭の体操で、私にとっての「ほんとうの私」とは何か考えてみた。
そう、HP内に10年以上もかけ、いろいろアップしてきた、これ?。 で、どうした? どうでもない! ただ、それだけ。
これは「ほんとうの私」というより、「正味の私」に近い、この程度のもの。 その「正味の私」も、怪しげなもの。 あとは
文章と同じように、最後はひねりをいれ自嘲するしかない。「ほんとうの私」は、いつの間にか肥大化し、現在の「正味の私」を
何とかフォローしようとする。それが性格の歪みになり、その病的性格が、成熟を止め、無知で無能を正当化して呪いの塊になる。
そのため停滞の世では、国民全体に蓄積されるため自分より弱い者と、政府に攻撃することになる。だから首相は一年も持たない。
権力闘争で批判勢力は、「ほんとうの私」の「私」を「政治」に取り替える。あるべき「ほんとうの政治」を掲げれば、呪いの
時代では、権力奪取に有効に働くからだ。それで民主党が政権奪取をしたが、このザマ。そして、今度は「維新の党」である。しかし
結果は火を見るより明らか。とはいえ、あの自公民の延長は困る。そうなると連立で強権政府を時限立法で、大鉈をふるうしかない。
要は、日本は思い切ったダウンサイズをして、正味の日本になるしかないと割り切ることだ。原爆を持ち、アメリカと手を切り、
自主憲法を作り直し、国民全体の生活を数段落とし(消費時アップ)、地勢を生かした真の独立国家を建て替えるしかない。
現実に、そうなるだろう。アメリカか中国の属国より、その方が余程よい。 この10年、いや20年は大荒れになる!
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3836, ツール(道具)について考えてみる ー3
2011年09月26日(月)
  どんな優秀なツールを持っていても、目的が定まらないと宝の持ち腐れになる。 現在はデジタルの時代。
情報の大部分はデジタルに置き換えられる。デジタルは限りなくコピーが可能。 完成時から、それらは無料の方向に
限りなく下がっていく。完成と同時に、それを叩き台とした次の革新が始まり、その連鎖は止まらない。
知的ツールも同じことで、止め処もなく優秀になっていく。それが一般に浸透すると知的底辺の底上げが生じる。
それが先端の能力を押し上げ、情報が核爆発的に拡大を始めている。その結果、どうなるかは北アフリカ独裁国家の現象。
 知的ツールの集約されたモデルが現在のところiPhoeとiPadと、それに付随してくるアプリ(ソフト)。
また家電と電気自動車、そして住宅にも、その流れが更に進んでいる。 iPadを例にとれば、一枚のタブレットに、
あらゆる機能が組み込まれている。 本・雑誌、本棚、本屋、ゲームセンター、スポーツジムのインストラクター(ビデオ)、
映画館、ファッション店、スーパー、レコード店など、あげればきりがない。重要なことは、一枚のタブレットに集約されたこと。
音楽がiPodeに数千、数万曲が収まってしまって数年もしないうちに、本に雑誌も同じ流れが生じてきた。
本棚の数千、数万冊の雑誌、本がタブレットに収まるのである。レンタル本まで出てきている。(ある時期が過ぎると自動的に消える)
iPad/iPhoneのアプリだけで、既に10万種もあり、現在も果てしなく増え続けている。フリーの子供のゲームや、カーレースものを
ダウンロード、遊んでいるが、これが面白い。 数年前までゲーセンに行って遊んでいたものが、タブレットPCで遊ぶことができる。
対戦相手が必要な場合、ネット上から呼び出し遊ぶことができる。 私たちの年代からすればSFの世界に近い感がする。 
 ネット世界に入り込み、その住人になったら、現実世界の中で生きることに違和感が生じて当然。 一枚のICチップに80億個以上の
トランジスターが入ったものが出ているという。 トランジスターは私が十歳代前半の頃に普及を始めた。父が仕入れの出張先で買ってきた
トランジスター・ラジオを見て驚いたことを覚えている。 あれから50数年といえば、この時代では大昔になるが、トランジスターが
80億もICに入っているなら、iPhoneに数千、数万の曲が入るのも納得する。デジタル化とネットが情報機器のカタチになって、
世界を根底から変えている。 それを利用しない手はないことは言うまでもない。 が、それら全てを放棄し、畑仕事や釣に没頭する
生き方こそ求められる時代でもある。 ツールに振り回されるより一歩、二歩、それから離れることも必要。 ツールはツールである。
 午前、午後に分けるとか、週末は釣と畑仕事、平日はツールで遊ぶとか。逆に中途半端か。 こんなに面白いもの、私は使う方をとる。
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3471, 久々のジョーク -9
2010年09月26日(日)
  * 呼び方
  * 男女の差
  * 動物愛護
  * 祈り
  * 離婚の理由
 ( 以下、字数の関係でカット2012年9月26日 )
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2731, 恐慌前夜 −2
2008年09月26日(金)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
  *焦げついた住宅公社債《530兆円》その内訳
 P−34 ことの始まりは、7月に入って米大手証券のリーマン・ブラザーズが「GSE社)は、会計基準が厳格化されれば
750憶ドル(8兆円)の増資が必要だ」と記したレポートを発表したからだ。このリーマン自身の破綻の日も近い。
人(他人)のことを分析している暇はない。 7月10日にウィリアム・プール前セントルイス連銀総裁が、「GSEはすでに実質超過
(破綻している)である。 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)}
 *シティーメリルリンチ、さらにモルガンも消える
 P−178 アメリカでこれか30社ぐらいの大銀行、大証券会社、生命保険会社、侵害保険会社が潰れるだろう。
ヨーロッパでも20社ぐらいが今からまだまだ潰れていくだろう。
 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)}
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2007年09月26日(水)
2367, エーゲ 永遠回帰の海 −3
               ー読書日記
今回のギリシャ旅行の目玉の一つのデルフィの神殿について、立花隆の「エーゲ 永遠回帰の海」の中に、解りやすい記述があった。
具体的で解りやすい興味を引かれる箇所である。ギリシャギリシャ神話と、哲学の起こったところであり、その原点がデルフィでもある。
最近、哲学がますます面白くなってきたことも、このギリシャ旅行への動機になった。 世界は深いし、人生ではその一端しか触れる
ことしかできない。少しでも多く触れて、世界を知ることが人生である。実際のところ、その場に行ってこそ、その一端が見えてくる。
ツアーとはいえ世界の光の場に多く立てたのは大きな心の財産になっている。プラトンの「饗宴」でも読もうか。 ーP・166よりー 
 (以下、字数の関係でカット2009年9月26日)
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2006年09月26日(火)
2002, 具体的にみるWeb2・0社会とは −1    おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
長岡商工会議所(9月24日13時半)でおこなわれた「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演をまとめてみる。
テーマは「グーグルが拓く、『Web2・0』マーケティングセミナー」である。
著書の説明程度だろうと期待していなかったが、一時間半で最近のネット社会の現状を面白くまとめた内容であった。   
 {字数の関係で一部カット(2007年9月26日)               \(^▽^*)バイ!
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 2005年09月26日(月)
1637, 37年前の私への手紙−1
ー22歳の日記を読み返してみて、当時の自分に手紙を書いてみたくなった。 37年前の自分は、
 自分のアイデンティテーであるが、全くの赤の他人にも思える。だから手紙が書けるのだろう。
ー37年前の私への手紙ー
あなたの日記をまさか30数年経って、読み返してみるとは思っていなかった。どうして書いたかさえ憶えていない。
倉庫で偶然その日記を見たとき、書いていたことさえ記憶になかった。見つけた後、決して手に取ろうとしなかった。 
見たくなかったのが本音である。そこにいたのは正に自分自身の姿がそのままあった。
数年前、この随想日記に思いきって書き写すプロセスで、露わなあなたを冷静に?振り返ってみることができるようになった。
あなたは社会に飛び出す前後で、緊張の絶頂だったのが窺い知れる。弱い自分をどう強くつくり上げるか必死のように思える。 
社会全体がが学生運動や高度成長期の真っ只中で、燃え上がっていたが、あなたは当時の言葉でいうノンポリもよいところだ。
あなたは、人生の根本的なことで迷っているようだが、それが若さだ。根本的なことで悩んでいるからこそ、青春の輝きがある。
現在の私は、あなたに比べて本当に強くなった。自己改造を積み重ねてきた結果強くなったのである。いや社会そのものに鍛えられたのだ。 
その結果として、何か大きなものを失ってしまった。あなたの弱さこそが自分を駆り立ててくれているのだ。いま考えてみて、貴方
(37年前の自己)の悩みこそ大事である。そのことを貴方は直感しているはずだ。歳を重なることは、強くなる反面、純粋さを失う。
膨大な未知の世界を前に好奇心と期待に胸を膨らませている姿勢は認める。しかし本心を決して開いてない。開いても中には何もなかったか。 
貴方の日記を読んで好感を持つ反面、狡猾な嘘つきと思えてならないのは、どういうことか。気まぐれなハッタリ、大言壮語を
言っているだけではないのか。もう少し、哲学書を読みこなしておくべきということも感じる。あちこちと、浅く知識を摘み食いを
していただけだったが、まあ、それはそれでよい。ただ、他に多くの文章(思い)を書いていたことを私は知っている。
それを全て捨てたことも。なぜ彼方は捨ててしまったのだろうか。捨てたから良かったのか、悪かったのか何ともいえないが。
あの時、真剣に書いた内容は、現在書いている随想日記の内容に決して劣ってなかった。そのことを手紙を書きながら憶い出した
だけでも、この手紙を書いてよかった。あなたが内面を書きだしておかなければ、自分が押しつぶさていたことも理解できる。
あなたは、まさに基本的な足固めをしているのだ。その後、三十数年の自分を振り返ると、決してあの時の理想とは一致はしない。
しかし方向は考えていた通りであった。あなたが思っていたことは、高度成長期の時代背景の妄想かもしれない。
しかし気にすることはない、高度成長期にいかに生きるかが課題でよいと思う。自分の人生は深く生きることが、一番大事なことである。
まあ、説教になってしまうので、この辺で止めておく。少し力を抜いて、思いやりを持って、生きたほうがよいよ!
 他人をもっともっと大事にしなさい。 これが私の最後の言葉です。              ーつづく
 ー後記ー
人生の反省会みたいで、なかなか書いていて面白い。意外とスラスラ書けるのも驚きである。
当時の自分に強く愛着を感じるのは当然だろうが、「気持ちを書きのこす」ことは、非常に大事なことだ。
当時の自分と対話さえ可能になり、心の芯同士の、魂の対話になる。過去と対話をしているが?、実際は現在の自己会話でしかない。
それがよい。旅行先で、知人や家族に手紙を出すついでに、自分に手紙を書いている人を見かける。 一番思い出になるからだろう。
 これは過去ではなく未来に対して書いていることになる。
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2004年09月26日(日)
1272, シュリーマンの話−1
映画で去年と今年「トロイ」が別々に、2本公開された。去年公開された方をDVDレンタルで見た。
トロイの遺跡といえば、一生をかけ執念で発見した「シュリーマン」が思い浮かぶ。 誰もが憧れる波乱に満ちた人生の成功物語?。
男の生き方として、他に注目するのはガラパゴス島に行ってヒントを得て「進化論」を書いた「ダーウィン」と、日本の地図を実測で
初めて纏めた「伊能忠敬」である。 それでも、スケールを考えるとやはりシュリーマンである。反面、彼ほどマイナスの逸話が
多い人物も珍しい。 また膨大な日記や旅行記を書き残してある。彼は15~18ヶ国語をマスター、それを武器に莫大の資産を得た。
外国語をマスターするノウハウが、今でも多くの人のバイブルになっている (これは次回、書く予定である)。
あるホームページに、彼の行蔵を上手く纏めたものがあったので、コピーしておきます。
 ー以下は、字数の関係で中間をカット(2007年09月26日)
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2003年09月26日(金)
905, 物を置かない努力
 TV番組の自宅訪問で、デザイナーのコシノ・ジュンコが、家では「物を置かない努力」を心がけている、
といっていた。「なるほど!」と納得してしまった。家の中のデザインは無機質でシンプルであった。カラーは白と黒だけ、
空間そのものがデザインという感じであった。さすがデザイナーの住むところは違うものと感心をした。
コシノ・ジュンコビルの最上階の広いワンフロアーを住居に当てていた。
 以前、事務所の部屋に来た知人が『机には一切物をおかないこと』と注意をしてくれた。
「会社の机は物事を考え判断するところ、空即是色の空にしておけ」ということだ。
銀行の支店長室は無味乾燥な位に何も置いてない。場所が少ない場合とか、仕事柄置きっ放しの方がよい場合が大部分だが。
私の欠点の一つは、書類管理が苦手なことである。このホームページに、その一端が出てしまっているようだが。
頭の中の書類?を公開することで、管理せざるをえない状況にしておく目的もあるが。
せめて机の上にモノを置かないことだけは守るようにしている。モノの置きっぱなしは、後まわしの一番身近な習性である。
 ごく身近に?全てを後まわしにしようとする人がいる。判断ができないのだ。周辺はやりかけの山になっている。
まあ書類やファイルに関しては私であるが。確かに判断をのばしてよかった事もあるが、身近なことは即決の方がよい。
孫子」も兵法では速攻を説いている。 海外の旅行に出ると一日おきに、バックの全てを出して整理をしている。
これは長年の旅行経験からの知恵である。10分で済むし、出発の時に慌てないで済む。
圧縮されたバッグの中はすぐに混沌として、小さい空間にかかわらず必要なものが何処にいったか判らなくなる。
そのままだと、気持ちまで落ち着かない。ところが、机の中やファイルや書類等になると後回しにしてしまう癖がついている。
 経営者や弁護士や代議士は、まず秘書をどう機能として取り入れるかがポイントになる。
サービス機能ー総務管理が組織創りの第一歩だからだ。 家に住んでいて、キチットしているのは気持ちが良い。
生まれたときから必ずお手伝いさんがいた。父が潔癖症であったのもあるが、常に整然と片付いていた家であった。
しかし、いまは??!!である。それでも居間と寝室の私のテリトリーは整然?としているが。
さあ今日は、事務所の机周りの整理をしよう!
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531, 天皇制度について

  • 2002年09月26日(木)

 国家感だから書くのに少し気が引けるが,避けては通れない問題だ。 島国とか離れたスカンジナビア半島のように、
あまり外部との入れ替わりの無い国では、王室を国家の体制としておいておく方式もあってもよい。また多神教の場合の統治にも
王室が有効となる。ユダヤ教キリスト教イスラム教のようなラージXの一神教には共通の価値観がある。アメリカ大統領の宣誓式で
バイブルを手に宣誓をするのは、一神教のラージXのアラーの神に国民の前で国家への奉仕を約束をすることである。
旧約聖書では王を認めてない。 日本の神話で神が出てくる。彼の左右には必ず二人の対立したセカンドがでてくる。
 (字数制限のためカット 2010年9月26日)
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 [162] 手順  2001/09/26
 人生を生きてきてつくづく思うことは,どう学びどうそれを実現してきたかというとである。
大学を出たとか高校を出たとかは二の次、しかしそこで何を学びなにを得たかがポイント。
 私の場合、浪人が一番勉強になった。そこで得たものは、そこにたつと「ぎりぎりの線に立つと」知恵が出てくる。
そこで手順を身につけたことだ。人生の若い時にこれを身につけないと、人生の後半に問題にあたったとき
その解決に苦労する。ぎりぎりの崖っぷちにたってはじめて、手順は身につく。それも前向きである必要がある。 
チャレンジの中で自分を追い詰めて(その中で自己をぎりぎりのところに立たせる中で)、 知恵が出てくる
プロセスを手順というのではないか。30数年いろいろな仕事を手がけてきた。仕事は違えど同じことがある、
それがプロセスである。どこの世界にいっても馬鹿な二代目がいる、そしてプロセスをみて笑う。
創業のプロセスは傍目でみてミットモナイ姿でもある。 プロセスは直線的にいかない。
それが傍目からでは解らないからであろう。「目的と手段」の手段に似ているが手順はその両方を含む。
「空即是色」のところもある。空にしてそこから手順を踏むからだ。