つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=ritmcZZyLis

 午前中は、自転車チェーン店に、今回、買った自転車の不備の部分の直しに行ってくる。
これで午前中に、二時間、自転車に乗ったので、三日続けて、二時間、ポタリングしたことになる。
昨日は、運動ジムでヨガを含めシッカリ二時間、合計四時間も運動をした。
寝る前には、身体がバラバラという位、疲れが残った。 健康的生活ということ。
 あとニケ月もしないうちに冬期間に入るので、これぐらいで良いのだろう。

 隣家の工事、二週間前に、二日間かけて杭打ちをしてから、全く動きがない。
工場で、枠組みなど製造してして、ある日、クレーン車がきて、数日で組立てることになるが。

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1636, ローズパレード
2005年09月25日(日)

昨日、何気なくNHKのBSHVをまわしたら、ど派手のパレードを放映していた。
アメリカのロス近くにあるパサデナの「ローズパレード」であった。
花や自然植物で作られる豪華な山車や行進が見もののお正月恒例のパレードである。
一時間の番組もアッという間に過ぎてしまった。アメリカ全土だけでなく、世界からも多くが参加。
100チーム以上が参加している。アメリ海兵隊、カナダ騎馬隊、大学のチアガールチーム、企業体、
などがそれぞれのテーマを決めて行進する。これに参加すること自体が、アメリカでは大きな
ステータスになっている。参加するには厳しい審査のパスが必要という。
リオのカーニバルと違い、ど派手だが、控えめな演出?で心打つものが次々と出てくる。
実際にみたらTVとは違った感動があるだろう。このパレードを見るために全米から100万人が集まってくるという。
TVでは終始生放送で、その様子が一日中流されている。前夜には、道に泊り込んで場所確保する人達で込み合う。
指定席もあり、かなり高い値段がする。
そのローズパレードは、毎年1月1日の朝8時から始まり、
パサデナ市内のメインストリートの コロラド通りを多くの山車などが練り歩く。
その山車も年々豪華になっている。それと並行してローズクイーンコンテストも開かれる。
またこのパレードが終わると全米カレッジ・フットボール勝戦のローズボールが行われる。
ローズパレードの始まりは1888年迄遡る。今年で116回目という。七十数回も参加しているチームもある。
当時、キツネ狩りで有名なプライベートクラブ バリーハントクラブがあって、クラブのメンバーが
1890年1月1日に四輪馬車をきれいに飾りつけてパレードしたのが始まり。ヨーロッパの<バラ>
の祭りを手本にして、山車(フロート)に沢山の花を飾って自然の美しい輝く太陽を本当に楽しそうに行進している。
この中で美しさ、パレードのテーマ、デザイン、独創性、花の使用、また花の新鮮さや参加者の
コスチュームなど数々の項目で審査され、賞が決定される。
このパレードに使う山車(フロート)1台の平均費用は、1000万円という。
1台で10万本の花が使われまれ、まさしくローズパレードといわれる所以である。
お祭りは、TVでみていても楽しさが伝わってくる。世界は広い、そして深い!

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2004年09月25日(土)
1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2
 十数年前のこと、新潟に著名な教育者が講演に来た。その夜、勉強会の「新潟木鶏クラブ」で、
彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。そしてそのままホテルに泊まってもらった。
翌朝お礼を兼ねて、弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。
二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。そして直に旧知の友のようになった。
知らないうちに、昨日書いた母の生い立ちと、それゆえの不幸の出来事の話と、不条理の話に及んだ。
本人も、思いもよらない「五合庵」の散策と、新潟の田舎の風情を楽しんでいたようであった。
それから2ヵ月後、本人から連絡が入った。「先日のお母さんの話」を、森信三さんに話したところ
「すごい内容だ。是非うちで開いている勉強会で話してくれないか」と依頼されたという。
いま考えたら、そこにいって話をすべきであった。「自分の話ならするが、母の話なので、勘弁して欲しい」と
断ってしまったのだ。こういう機会でなければ、森信三という戦後日本最大の教育者とは、会う機会がなかったのに、
本当に惜しいことをした。また、そこに聞きに来ている人はふだん会えない、凄い人ばかりのはずである。
後悔あとに立たずである。森信三氏も似たようなことがあったというが。
それから数年後の1992年に、森信三氏は亡くなったのだ。本当にバカのことをしたものだ。
話は元に戻るが、母の7人の兄弟・姉妹のうち、母の実父の上・三人は幸せな人生をおくり、
下4人は?? ー 幸せ不幸は、本人が決めることであるが。「事実は小説より奇なり」というが、
母方の姉妹をみていると軽く一冊の小説になる。一人一人の一生は深く重いものである。

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2003年09月25日(木)
904, 讃岐うどんの店-2
 9月2日に『讃岐うどんの店』というタイトルで書いてから、3週間経つ。
その後、新潟の郊外にある店に7~8回通っている。 何かヒントがあるようだからだ。
・いつも感心するのは、お客の滞店時間が短いことだ。 平均15分で出ていく。
・並んでからレジまで3~4分で済む。 ウドンは注文をして、平均15秒で出てくる。
・毎回、色いろな組み合わせができ、何回通っても飽きない。
・値段が安いことも驚きである。
 特に100円のかけウドンは価値がある。
・外国の飛行場などにあるセルフ方式で、トッピングできるのがよい。
若い女性や女子高生が平気で一人で食事をしている。
 面白そうなので、今マスコミで話題を集めている「はなまる」という
讃岐ウドンのチェーン店のFCの説明会にいってきた。
新潟のワシントンホテルの会場で、社長が直接説明をしていた。
「まだ100店だが、数年のうちに1000店にする」と言っていた。
聴く前はハッタリだろうと思っていたが、可能性は充分あるようだ。
婦人ファッション関係の出身で、
「ダサイ讃岐ウドンの店を、若い女性でも平気で入れるブテック的な店」
が店舗のコンセプトと言っていた。
 聴いていて、これは本物かと思った。
・今まであるものを、
・時代のニーズに合わせて、
・提供方法を変えることで、価値を作りかえることー業種から業態に置き換えることーを忠実に実行している。
ホームセンターも、スーパーも、
・郊外に大きい店と駐車場をつくり
・セルフ方式で
・より多くのアイテムを
・ディスカウントにして売る
業態にしただけである。

その意味で、面白い可能性のある商売であろう。ホテルも、いま一度新しい業態という視点で、
見直す時期に来ている! 一番の課題である。去年の今日も焼肉屋の『新業態』の店の分析をしていた
ー後にコピー たくもう、全く成長してない自分を見る思いだ!
分析している暇があったら、ホテルの新業態を死ぬほど考えろ!という言葉が心の奥から聞こえてくる!

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讃岐うどんの店 -1
- 2003年09月02日(火)

 最近ブームになっている讃岐うどんのチェーン店に行ってきた。
100円からの讃岐うどんを食べられる客単価400円の店だ。
揚げ物などを皿に取り、うどんを注文して勘定をする方式をとっている。
社員食堂のセルフ式をそのまま讃岐うどん屋に取り入れた業態である。
・一回目に食べたのが「肉コロッケと、掻き揚げと、普通の讃岐かけうどん」で約500円であった。
・2回目は、「100円の小のかけうどんにオニギリとハンペンと天ぷら」で400円であった。
 客層は家族ずれからサラリーマン風とOL とばらついていた。一組あたりの滞店時間が20分位で、
非常に短いのが特徴だ。近くにあったら週に一度はいくだろう。気軽で300~400円で済むからだ。
 ガソリンスタンドと同じで、セルフ方式そのものが受け入れられている。セルフ方式を取り入れて、
美味しい?ものを安くしているところがミソだ。家族で美味しいものを食べにいくところではない。
お腹を満たす為に行くところだ。 新潟駅前の自社の事務所の近くに牛丼の「松屋」も開店予定だ。
おそらく週に一度は行くことになる?だろう。遅かれ早かれ、この業態の讃岐うどんチェーン店も出てくるだろう。
客単価の低いところをねらった店が求められているからだ。今までの単価の半額が目安である。
 これは一時的ブームで済むのか、このデフレの時代の大きな潮流にそったものなのか、今のところ判断はできない。
しかし、セルフ方式の合理的システムは流れに沿っている。
 最近の居酒屋チェーンも闘いの中から、必死にそれぞれの新しい業態の店を創ってくる。いかに
消費者に受け入れられるかの闘いである。その闘いを避けた店は受け入れられなくなる。
その意味で個人経営の居酒屋はますます苦しくなっていくだろう。
 飲食店のウォッチングは身近で判りやすく面白い! 趣味といってよい。

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[161] 自然体(自然態)
2001/09/25 07:01
 あまり気張らず、心配せず、そのまま、自然のまま、なるがまま、生きていく生き方。
目の前の出来事に気を取られず、その背後の流れに従う行き方。「自然体の経営そして生き方が大切」
 15年前かパレスホテルの経営セミナーに出ていたとき、その時の時勢の勢いにのっていたある経営者がいった言葉。
丁度必死に仕事をしていた時の不自然の自分にピッタシの言葉であった。
浪人を何回か経験していて少なからず身につけていが、しかしかなり印象深い言葉であった。
 丁度ホテルという長期物件を手がけて、その意味‐長期の装置産業の難しさにきずき始めた為もあった。
その後この言葉に生き方がかなり影響された。目の前の困難に対してあまりジタバタしないで済んだのも、
この言葉のおかげだった。
 7~8年前南アフリカを旅行した時、あまり添乗の経験少ない中年の女性の添乗員が、出発前に成田で
言った言葉が印象的であった。「この旅行全てのトラブルが起こるはずです!起きた時に一つずつ
解決していきましょう。自然体しかありません。無理せずそのままでいきましょう」
「なるほどいいことを言うな、でも素人だな!」とそう思った、そしてそのとうりになった。その言葉が最期まで利いていた。
トラブルも旅行の一部、慌てずそれをうけとめ、そしてそれを楽しむこと。自然体そのものであった。
たしか法華経自然法爾(じねんほうじ)という言葉があった。イスラムの「すべてアラーの神の思し召し」も
これに似ているところが面白い。もうひとつ似たのに、名人の域に達した落語家もこれに近い。