* 携帯電話が、世界を変えている     「新潮45ー6月号」 ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより
 旅番組などで、ケニアなどの僻地でマサイなどが携帯電話をしているのを見かけて驚いたことが何度かあった。 
携帯電話の電波環境が出来ているためだが、さほどインフラに資金がかからないのだろう。考えてみれば、僻地ほど
濃密な繋がりと日々の生活情報が必要である。苦労して僻地についた先で、携帯電話をしている姿を見たらガックとするはず。
 ーその辺りが具体的に書かれているー
【 たけし〕 ところで、そうい極限の地域で暮らしている人たちの生活って、今も昔と変わっていないものなんですか。
 関野〕昔は自分たちが食べていくために自給的生活とか狩猟採集で暮らしていた人々が、換金可能な作物を作っている。
  現金収入を得ないと生活ができなくなっている。特に最近はグローバリゼーションがアマゾン、シペリア、アフリカとか、
  どこまでも進行しています。特にすごいのは携帯電話ですね。携帯で全てが変わります。
たけし〕 それはどういう意味でですか。
関野〕 携帯電話は世界を変えていますよ。アマゾンには、僕が四十年前からつき合っている先住民の部族がいます。
 最初会った時は、大人たちは腰巻きだけつけて、子どもは素っ裸でした。そんな村でも三十年ぐらい前に学校ができたんです。
 それは小学佼しかないから、中学校に行くようになると町の寄宿舎に人る。高校生にもなると、みんな携帯を持っています。
 村に帰ってくると電波は通ってませんが、携帯でダウンロードした音楽は聴ける。
 そうなると、若者は伝統音楽ではなく、ロックを携帯で聴くようになる。文明人に近いほうがステータスが高いと思うと
 伝統音楽に目を向けなくなって、どんどん文化が変わっていく。アマゾンの奥地でさえそうなるのですよ。」
たけし〕 あっという間の変化ですね。
関野〕 ここ数年、フィリピン、マレーシア、インドネシアの海域で淘賊がいっばい出るところがあるんですけど、
 そこにパジョという家船生活をしている漁民がいるんです。
たけし〕 確か百万人ぐらいいるとか。
関野〕それは海岸緑に杭を打ち込んで家屋をつくって住んでいる人たちも含めての数字です。わずかに家船で陸に家を持たない
 人たちがいて、その人たちのところに僕は「泊めてください」と言って、一緒に暮らしていた。ちょうど僕が訪ねた頃に
 彼らの生活にも携帯電話が入ってきたんです。
たけし〕 2004年から、日本人の祖先が日本列島に到達するルートを辿る「新グレートジャーニー」(〜2011年)を
 始めていますが、それに挑戦していた時のことですね。
関野〕 はい。南方から船で海上を渡ってきた日本人の祖先のルートを辿ろうとしたんです。風の関係で航海で暫なくなると、
 パジョの人たちのところに通っていました。彼らにとっても携帯はすごい役に立っている。 家船が十数隻あって、夜は
 集まってくるんですが、昼間は別々に魚を穫りに行ったりして行動している。その時に、海賊がいるかいないか、
 携帯があれば安全かどうか確耀できたりするわけです。
たけし〕 海の上で電波が届くわけですか。
関野〕 沿岸から五キロまではアンテナがあれば届きます。
たけし〕海の漂流民がそうならば、砂漠のペドウィンはどうなんだろうね。】
 ▼ これは、僻地だけでない。都会の社会的弱者にも携帯が普及。弱者が結びつけば、強者に変身する。中国など多くの
  社会的矛盾を抱えた国家は、ある日突然、この矛盾への暴発が起こることになる。そこにパソコン機能が入った
  スマートフォンの普及は、世界を根底から変えようとしている。貧富の格差は、情報の格差から生じるが、それが
  均質化されていくとしたら、格差は一部を除いて是正されていく。ただし、それは世界平準に近づくため、G8は、
  G20の国々の平均値に、G20は、世界200ヶ国の平均レベルになっていく。日本にとって、それは貧乏への茨道!
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4182, 呪いの時代 ー2
2012年09月07日(金)
          「呪いの時代」内田樹
 呪いに対する言葉は祝福である。含めて世の中が右上がりの時は、何事もハッピー。しかし、世の中全体が右下がりになり、
暗い世相の中では一部の勝ち組を傍で祝福する人は少ない。羨望と嫉妬が、そこに生じてくる。特にこの情報化で、そのの事態が
生で伝わるから、呪いが社会全体を覆ってくる。その中でハッピーにいるには、「にもかかわらず祝う」しかない。
現に生きている、そのことを祝う諦念である。最後は生きている感謝しかないのである。今さら世を呪っても致し方がない。
  * 「このようなもの」でしかない自己の承認   ー 第2章 「祝福」の言葉について ーより
≪ 「生身の、具体的な生活のうちに捉えられた、あまりパッとしないこの「正味の自分」をこそ、真の主体として
あくまで維持することです。「このようなもの」であり、「このようなものでしかない」自分を受け入れ、承認し、けなげに
生きている姿を可憐と思い、一掬の涙をそそぐこと。それが「祝福する」ということの本義だと思います。呪いを解除する方法は
祝福しかありません。自分の弱さや愚かさや邪悪さを含めて、自分を受け容れ、自分をだきしめ、自分を愛すること。多くの人が
誤解していることですが、私たちの時代にこれほど攻撃的なふるまいが増えたのは、人々が「自分をあまりに愛している」からでは
ありません。逆です。自分を愛することがどういうことかを忘れてしまったせいです。私たちはまず「自分を愛する」というのが
どういうことかを思い出すことから、もう一度始めるしかないと思います。≫
 ▼ 第二次大戦後、経済成長という僥倖に恵まれ「自由」が容易く転がり込んで来て、安手の「近代」を掴んでしまった。
 しかし、それが崩壊する中で、「全て他人が悪い、自分は悪くない」という他責的で未成熟な言説がメディアにより拡がった。
豊かさが急速に萎み、大多数がプアーになりつつある中、呪いの時代に思われるほど、惨めな社会になってきた。
「このようなものでしかない」自分を受け入れず、承認せず、祝福せず、自分探しという自分でない突っかい棒を求めて
彷徨っている社会。 わが国は平城平安の時代から呪いを基軸にして変転してきた。ここで急に「呪いの時代」がキーワードに
なったのではない。呪いがあればこそ古事記日本書紀源氏物語平家物語太平記法隆寺北野天満宮も正史に登場しなかった。
日本の文化文明の本源は、この呪いにある。だから一時でもよいから祝うしかない。お祭りは、そのためにあったといえる。
社会に出てからの読書習慣がなかったら、現在、世を呪い、過去を後悔し、人生そのものを否定しているはず。 娑婆娑婆!
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3817, 松下政経塾の野田が首相に
2011年09月07日(水)
   まずは松下政経とは何か? −知恵蔵2011ーによると
【 松下電器産業(パナソニック)の創業者・松下幸之助が、1979年に約70億円の私財を投じ、政治家育成塾として設立した財団法人。
神奈川県茅ヶ崎市の6千353坪の敷地には、寮棟・食堂・体育館の他、茶室やテニスコートも付設されている。入塾の応募資格は22〜35歳。
全寮制で3年間の研修を原則としているが、期間中に選挙に出馬することは半ば容認。ただし、最低2年間を修了しないと退塾扱いになる。
授業料などの費用はゼロで、逆に研修資金・活動資金が提供される。研修は、人間学・哲学・近代政治学などの講座と茶道・書道・剣道
などによる精神修練が中心。また、現地現場主義の下、自治体訪問、松下関連工場での実地作業、自衛隊体験入隊といったカリキュラムも
用意されている。過去30年間の卒塾生は237人で、このうち69人が政治家の道を歩んでいる。開塾後の10年間で当選した国会議員は、
1期生の逢沢一郎(自民党)だけだったが、新党ブームが吹き荒れた93年の衆議院選挙で、一気に15名の当選を果たした。
政経塾出身議員の評価は分かれるが、世襲議員が増える中、選挙に必要な3バン「地盤(地元支援組織)・看板(知名度)・カバン(資金)」
を持たない若者に政治家への道を開いている点で、政経塾の存在は評価されている。 現職の松下政経塾出身の国会議員は、
衆議院議員が27名、参議院議員が3名。*自民党では前述の逢沢一郎の他、元金融担当大臣の伊藤達也(5期生)、高市早苗(5期生)ら、
民主党では元代表前原誠司(8期生)や野田佳彦(1期生)、原口一博(4期生)ら、次代のリーダー候補が名を連ねる。
この他、神奈川県知事の松沢成文横浜市長中田宏など、自治体の長も輩出している(2009年7月時点)。 】
▼ 現在の日本に丁度良さそうな人物が、首相に選出された。それも、松下幸之助憂国にかられ、つくりあげた人材育成機関出身。
 存在そのものは知っていたが、まさか34名も国会議員になっていたとは驚き。巷では、「人工栽培の頭でっかちのエリートの
 育成機関と」批判的だが、それでも公明党に次ぐ出身母体になっている。どうも、二、三代目が目に付く中で、 こういう機関も必要?
 卒塾生の43パーセントが、政治の道を歩いているという。 政治家は、一国を未来に導く仕事。
 「クールな頭脳と、暖かい心」を必要とする。それを3年か、4年の期間でベースをつくり上げることが良いことかどうか?
 二代目政治家と、どちらが良いというと考えてしまう。 やはり二代目より、まだましレベルか。現在議員は、貴族院化している。
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3452, ニューカレドニアの休暇 −2
2010年09月07日(火)
 * ホェール・ウォッチング 
 オプション・ツアーの「ホェール・ウォッチング」に参加してみた。 家内はヨットに12時間も無理ということで、私一人の参加。 
20人乗りの2Fのヨット(1Fにトイレとベッド)に、日本人が私の他に中年ペアー。 他は白人系が15人を加えた18人。もう少し大きな
ヨットのつもりだったが意外と小さい。外海に出たと同時に、船は二メートルの波で大ゆれ。 案の定、気分が悪くなってきたが後の祭り。 
乗員も分っていて海水を入れたのを持ってきて、「あげろ!」という。そして胃を空にした。その直後に睡魔が襲ってくる。
ロビーの椅子に座ったまま二時間ほど寝たら気分は元に戻る。 船酔いを心配していたが、その時はその時と覚悟はしていたが、
何とかなるものである。そうこうして鯨の出産場に三時間後に到着。そこを40分ほどかけて通過している間に、5分位の間隔で、
鯨が空気を吸うために海面に出てくる姿をウォッチングすることができた。そこでテレビの撮影を過って見たことを思い出した。 
今回は10匹近く見ることができた。 鯨は、まず潮を噴き上げるので見逃すことはないが、潮を吹いて7〜8秒しか浮いてないので、
目を凝らしてないと見逃してしまう。 海も天気で大きく左右するが、天候に恵まれたこともあり今回のウォッチングは大当たり。
 また12時間も小型ヨットに乗船するのもワイルドな感覚で、南太平洋を堪能することができた。甲板から海に向かって足を突き出して
座って海を眺めボットするのも、気分は爽快である。また10秒ぐらいだったがイルカが二頭、ボートと同じスピードで泳いでいったのも印象的。
 さらに帰港前の20分ほど、タイミングよくサンセットにゆきあったが、南太平洋に浮かぶヨットと、赤い色合いのマッチが印象に残った。
一期一会、迷ったら直感を信じ躊躇をしないことだ。
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3077,SCが工期半年で完成とは、驚き
 2009年09月07日(月)
 長岡の自宅から500m先に、オープンモールの25店舗のSCが9月1日に着工、来年の3月8日にオープンと
現場の立て看板にあった。 それにしても半年とは驚いた。これから冬場の中で駐車場も含めてである。 
新造成地の更地で全てが平屋だから可能なのだろう。突貫工事になるのだろうが、見ものである。先月、近くで説明会があった。 
折込の通知によると、大和ハウスの総合企画で、三菱東京銀行系が資金調達とあった。 住宅地も数ヶ所売り出されているが、
坪27〜8万円、少し高いが環境からして悪くはない。 場所は長岡駅裏から直線道路一キロほど、自宅からは5分の場所。 
自宅の100m先にSCがある上に、長岡駅(12分)には一万坪の専門店街があるので生活環境は、ますます良くなる。
 そのSCから車で数分(一キロ)のところに家具のニトリ、家電のジョウシン、ホームセンターのコメリ、ディスカウント、
紳士服のアオキなど20店舗近い川崎のオープンモールのSCがある。店舗構成をみるとバッテングをさけて補完してあるのが分かる。 
店舗が重なるのは、原信と、蔦や。業種では中古ショップである。 二つのSCを買い回ると丁度良い店舗構成になっている。
 これまでは長岡の信濃川の向こうに比べて、川崎のSCだけでは、魅力が薄かったが、この二つを合わせて対抗拠点として、
周辺に店舗が自然発生的に出来ていく過程をみることになる。 長岡駅中専門店街は、年々、弱体化していくが、
駅前再開発も含めて大きく一変する。これも見もの。間違いなく大きく縮小していく市場の中で、再開発だけは止まらない。 
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2712, 大相撲が面白い!
2008年09月07日(日)
 若貴あたりから違う面で大相撲が面白くなってきている。マスコミを巻き込んで、北朝鮮のような瀬戸際のブラックジョーク的な
展開を示してきた。グローバルの流れと、人材不足をカバーするため、いち早く外国人に開放をした。 しかし国技とかいうが、
法的に全く根拠の無い曖昧な協会が実態だが、税金を払わない宗教法人と同じような扱いを受けている。相撲部屋はヤクザ世界に酷似、
縄ばり社会が寄り合っているだけ。部屋がそれぞれボクシングジムのように独立し、それが集まって大相撲協会をつくっている。 
だから,北の湖が言い訳をするのも一理ある。ボクシング協会が、個々の選手の薬物まで責任はないのと同じである。そんなことは、
どうでもよいが。 今回の土俵外の物語は、ロシアの三人の麻薬事件である。一月前までは、朝青龍を中心としたモンゴル人が
トラブルメーカーだった。それが一転してロシアの(麻薬)文化?への話題が移ってしまった。朝青龍かたなしである。
今回の物語は北の湖理事長の辞任のプロセスである。今回は、もう無理だろう?しかし・・
 昨日のニュースでは、期待をしていたとおり相撲協会が尿をすりかえたり、自民党の??あたりが天皇家への尻尾振りで、
政治的な圧力をかけてくるか、などなど漫画的な動きである。しかし、幾ら程度が低い彼らも、世界的にも注目を浴びているので、
腰が引けたのだろう。 日本のマスコミのロシア人兄弟に対する質問が甘い!「ロシア国家に対する代表として、宣誓できますか」
の質問をすればよい。もし、「もちろん、します!」と答えたら、帰国をして数ヶ月以内に行方不明になるだろう。
大相撲を国技としている限り、今後、中国、モンゴル、ロシア、東欧の国家戦略として日本バッシング戦略的対象になる。  
相撲協会は、あまりに、軽く甘い。 私が敵対国の政治家なら、対日の攻撃対象にする。 
自国の強い力士に女とか薬を与え、マスコミに騒ぎ立てるか、日本の力士を徹底的に怪我をさせるようにもって行く。
それかモンゴルのように、三役力士を自国の力士で占有する。 その意味で、外国人に開放をしたと同時に、
旧来の国技という名を返上すればよかった。せめて日本の相撲のルーツのあるモンゴルと朝鮮だけに限定すべきだったろう。
それともモンゴリアンだけに。 しかし、現実は現実である。 国技とかいう名を返上、払うべき税金は払い、
横綱審議会など解散することだ。 天皇家も閲覧席などに座らないで、しかるべき警備をして一般席に座るべきだ。
 こういう不祥事も、人気取りの前座と考え、割り切っているのもよい。あくまで、格闘技の見世物でしかないのだから。
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2007年09月07日(金)
 2348.ベナレス・・・4
この街では私たちの世界と価値観が逆転しているとさえ感じられる。そしてその不思議さは、私たちが生きる社会への、
痛烈な批判なのかもしれない。朝夕、スワループさんの僧院では神への祈りがささげられる。
そこには路地に暮らす数多くの人が参加し、スワループさんが唱える経典の言葉を聞き、その後に繰り返し唱える。
集まってくる人びとの中には、たくさんの子供たちの姿もあった。かつてスワループさんがそうであったように、
聖地ベナレスに受け継がれてきた伝統が、また次の時代へと伝えられて行くことを感じさせる光景であった。
街が人を生み出し、人が街の営みを支えて行く。こうしてペナレスは聖地としての歴史を刻んできたのである。
(以下、字数の関係でカット、11年09月07日)
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2006年09月07日(木)
 1983, 閑話小題    Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
  ーウォーキングの道でー
(以下、字数の関係でカット、11年09月07日)
 ー紀子様、男子出産の意味ー
   (字数制限のためカット 2010年9月8日)       
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2005年09月07日(水)
 1618, 楽しく生きるー3
「楽しく生きる」にも、色いろある。「ドラックをやって、目先の快楽を追い求めて人生をボロボロにしてしまっても」と、
 いう意味で言っているのではない。目先の楽しみだけを求めると、長期的に問題がでる。何ごともバランスである。
前回書いた「楽しく生きる」精神科医高橋和巳著の一部をさらに書き写してみる。
 ー人生の「動」と「静」を楽しむー
私たちの生活のあらゆる動きを生み出しているのは「欲求」。それは無限のエネルギーを生み出したりして人生の全体を創造している。
欲求が生まれ、動き出し、目的を達成すると、一つのサイクルが終わり、動きは止まる。すると、次の欲求が生まれ、
新しいサイクルが始る、この繰り返しが生命活動である。その生命の欲求サイクルが始るところが心の奥底の透明な「意識」である。
ただ私がそこに「いる」だけの場所である。欲求は心の奥底の何もないところ、無から生まれる。
「欲求」は、生まれるとすぐに自分を実現しようと動き出すが、欲求を生み出した「意識」はその動きに巻き込まれることなく、
いつも欲求から離れている。この「欲求」と「意識」が私と私の人生を動かしている。意識は動かない「静」で、欲求は動きまわる「動」。
楽しく生きるということは、欲求を満たす過程を楽しむことである。そのためには、いつも「動」と「静」の二つが私たちを
動かしているのを忘れないように。 いつも変わらない「静」があるからこそ、 「動」を楽しむことができる。
「動」の欲求と「静」の意識が対になって、この世の花を楽しませてくれる。楽しく生きる。 今、人生を楽しむ。
純粋の遊びこそが、遊びの真髄である。ー私には「会いたいもう1人の自分」がいる欲求とその成就は、本来、単純である。
このような欲求を邪魔をしている唯一のものは、私たち大人が身につけている「思い込み」である。この「思い込み」が、本来の
欲求不満を自分から隠してしまうのである。「思い込み」という間違った解釈を自分で与えることで、私たちは自分の欲求不満をそらす。
この自分の思い込みを解除することは、実はもう1人の自分に出会うことでもある。
思い込みが積み重なって出来あがる最大のものは、私たち自身の「自己像」についての思い込みであるからだ。
この思い込み、特にネガティブなイメージの取り除いて本来の自分に出会うことが、
「もう1人の自分に出会う」ことである。あったはずなのに気づかなかった素直な自分の欲求に気がつく。
素直な自分が嫌いな自分のすぐ傍にあったことに気がつく。人生は、その素直な自分の欲求を満たしていく時間である。
 ー以上が、この本の概要である。
 <自由とは、その周囲から植えつけられた「思い込み」からの解放である>
秘境ツアーに来ている人の中に多いタイプに、思い込みに気がつき、真の「自分探し」の人を多く見かける。
そのタイプを要約すると、ー親と世間の常識を信じて何も疑うことなく、何時の間にか歳をとってしまった。
ふと気がつくと、あと数年しか時間的に自分の残された人生しかない。このままでは、死ぬに死に切れない。
そのために捨て身で世界の果てに来て、自分の心の渇望を埋めようとしている。 もう少し早く気がつけばよかった。
余白はあまりにも短い! 等々である。「楽しく生きる」も、深い心の底からの欲求の充足でこそ意味がある。
その辺のカラオケで騒ぐ、軽いものをいっているのではない。 魂が入っていれば、それでもよいか?
・・・・・・・
2004年09月07日(火)
 1253, 死について再び考える
過去に死について多く書いてきたが、五十嵐恭一さんの死で改めて死について考えてみる。
毎晩、何気なく寝ているが、そのまま目が覚めないと仮定して、深い長い夢をみながら死んだとしたら、
その夢と現実とはさほど変わりはしないのではないか。 死んでしまえば、重油をかけられ燃やされ、
灰に帰す。骨は墓に入れられ、一年もしない内にほとんどの人から忘れさられる。
人生とは何なのだろうか?ー意味  その行蔵の中味は何か?ー経験
何を成しえたのか?ー達成     何を成しえなかったのか?ー挫折
それを成し得たとして、それが如何ということだろうか? 
人の苦しみ、喜び、快楽、達成とは何か? 精一杯生きたのだろうか?
  答えは無いと思うが、それでもヒントは以下の格言に多く隠されている。
ー生死の格言ー
・死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。   byレーントン・ワイルダー
・墓場は、一番安上がりの宿屋である。            byラングストン・ヒューズ
・僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ  byマルロー
・虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。保険に入っていれば金を残す。 by吉行淳之介
・あたかも良く過ごした一日が、安らかな眠りをもたらすように、良く生きられた一生は、安らかな死をもたらす。 byダ・ビンチ
・命とは、セックスで感染した病気である。         byガイ・べラミイ
・誰でも死ななくちゃいけない。でも私はいつも自分は例外だと信じていた。 なのに、なんてこった。 byウィリアム・サローヤン
・立派に死ぬことは難しいことではない。立派に生きることが難しいのだ。  by映画『無防備都市
・人間、死ぬときは死ぬのがよい。                    by白隠
・どのみち死なねばならぬなら、私は、なっとくして死にたいのだ。     by梅崎春生
・死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。         by村上春樹
・昨日まで 人のことかと思いしが おれが死ぬのか それはたまらん    by蜀山人            
・死の恐怖は、解決されない生の矛盾の意識にすぎない。          byトルストイ
・不幸な人間にとって、死とは無期懲役減刑である。           byアレクサンダー・チェイス
・死の持つ恐怖はただ一つ。それは明日がないということである。      byエリック・ホッファー
     (字数の関係でカット08年09月07日)
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2003年09月07日(日)
 886, 「ありがとうの言葉」ー8