「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内 薫著
   * 第2章 自分の頭のなかの仮説に気づく
 自分の頭にあること全てが仮設(思い込み)とすると、「自分とは何か」という根源的問いかけになる。
しかし、自分の思い込みに気づかない限り、それから一歩も外に出ることは出来ない。そして、他人のフィルターを通した
思い込みに惑わされてしまう。 現象の背後にある事実、真実について考えようがない。とはいえ、その事実、真実も、
思い込みとすると、その立つ場がなくなる。  ーまずは、その自分の中の仮説」についての箇所よりー
≪ 頭の柔らかい人は、常識がただの仮説にすぎないことを知っています。逆に、頭の固い人は、先入観や固定観念にしばられて、
思いこみでものをいいます。では、天才ではないわたしたちは、どうして自分の頭にこびりついた仮説をはがせばよいのでしょう
 ・・・世界の見え方自体が、あなたの頭にある仮説によって決まる。ということは、人は自分の都合の良いように解釈する。
われわれはよく事実、事実というけれど、事実はすべて、実は仮説の上になりたっている。「裸の事実」などない。
データーを集める場合も、やっぱりその仮説―最初に決めた枠組みがあって、その枠組みの中でデーターを解釈するわけです。
ガリレオの例でいえば、名だたる教授たちは、宇宙は完璧な世界だと思い込んでいるから、実際に望遠鏡で月のクリエーターを
目撃しても、「望遠鏡はデタラメだ!」という結論に達する。いまある枠組みに都合の良いほうに、事実の方が捻じ曲げられる。
でも本人には意図的に事実を捻じ曲げたという意識はない。自覚がないから、自分が特定の仮説に縛られていることに気づかない。
天才でない普通の人が、どうすれば頭の中にこびりついている仮説に気づくことができるか? 「タブーに挑戦し、あらゆる
仮説に触れてみよ」と、ある科学者がアドバイスをする。あえてタブーに挑戦し、あらゆる仮説に触れることで、知的な
「免疫力」をつけろ、ということです。たとえば、われわれは自由な民主国家に住んでいますが、あえて専制国家や共産国家の
「思想」にも、触れてみよ、ということです。・・・ 「仮説の呪縛から逃れる万能薬などありません」 ですが、できるだけ
みなさんの仮説を見比べることにより、支配的な仮説を疑うことができるのです。≫
 ▼ 自分の仮説(思い込み)に自分で気づくのは非常に難しい。気づくようでは、思い込みではないからだ。
  20数年前のバブルと、崩壊と、その後遺症が今だに続いている。「土地が限られている日本では土地価格の崩壊は
  絶対にない」という土地神話、これが仮説が前提にあった。それが仮説=思い込みということに気づかなかった。
  だから突然、それが崩壊すると、日本全体がひっくり返ってしまった。商家に生まれ育って、身に沁みていたことは、
  「人生も、事業も舟板一枚下は地獄」ということ。舟(=店)が沈めば、全てを失うという恐怖。だから、常に万一に備え、
  万一の備えをしておくこと。その手っ取り早いのが、普段の生活を合理的にしておくこと。それさえさえあれば、
  如何なる事態にも対応できる。現在、比較的気持ちの落ち込みが少ないのも、「で、どうした!」というのが幼心から、
  あったから。周囲の視線が可笑しくさえ思えるのは無知が見えているから。それも私の仮説でしかない。
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4087, 老いの見本帳ーダークサイト −7
2012年6月3日(日)
  * 中年と老年の境目         「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」 春日 武彦 (著)  
 「森林からサバンナへ」という文章を、ここで書いたが、森林=青年・中年、サバンナが老年と捉えることができる。
 私の場合、60歳を大きな目安にして50歳代を全力で駆け抜けた。そして5年の節目期間を置き65歳で会社を整理倒産、
 年金生活に入った。(結果論だが)一年前が、その境目になる。 ことがことだっただけ、ハッキリしている。
≪ 【人生の総決算】
 六十歳あたりで突如として警察に捕まるようなことをしでかしたり、妄想に囚われとしたとなると、ある意味でそれが差し当たっての
人生の総決算といった性格を帯びているのではないかと考えたくなる。 だがそれにしては、たとえ象徴的なものであろうと、あまりにも
下らなかったり安っぽく情けなくなってしまう。人生そんなもんだと言われれば首肯せざるを得ないにせよ、天を仰ぎたくなってしまう。
歳を重ねていくうちに、人は体力も知力も衰えていく。 少なくとも瞬発力は失われていくだろう。しかしそれを補うかのよう、
経験に根差した判断力や理解力は豊かになり、酸いも甘いも噛み分けた人格者となっていくものと思いたい。 にもかかわらず、
老いの訪れを待っていたかのようにして愚かな言動に走りがちなことが少なくないのはどうしたわけか。もともとの性格だとか生き方が、
老いを迎えるに当たって問い直されるのだといった言説は、もっともなようでいて疑問符を付けたくなる。暴走老人という言葉が流行り、
それは老いがあるまじき暴力的で非常識で自己中心的で、頑固老人とか我儘老人とはニュアンスを異にし、むしろ幼稚なチンピラのような
暴発性を秘めた迷惑老人なのであった。彼らの多くは老人であることによって敬意を払われることなどなく、精神的に孤立し、世の中に
居場所を見出せず、不本意な毎日を送っている人たちだったようである。それなりに「まっとうな」人生を送ってきても、六十歳が
「人生には、奇妙に歩調をゆるめて、前進をためらっているのではないか、それとも方向を転じようとしているのではないか、
と思われるような一時期がある。このような時期に人は不幸におちいりがちなものらしい」といった一節に重なるとしたら、
むしろ偶然としか言いようのない要素の関与のほうが当人への影響力は大きいのではないか。 老年を迎えるということは、
あらためて運命のサイコロを振ることを強いられるということではないのか。 ≫
 ▼ 心当たりのある考えさせられる一節。 太平洋戦争の敗戦直後に生を受け、45年間右上がりの経済成長の中、順調にきたが、
  バブル崩壊からの「失われた20年間」で、それまでの蓄えを全て無くし、最後は、落城。私の人生は日本国家の縮図である。
  リスク管理をしていたので、生活は何とかなっているが。それにしては、あまりに境目が、はっきりしている。肉体的衰えが、
  精神をも蝕むのだろう。「百里の道も九十九里をもって 半ばとせよ」というが、難しいのが老年。味わい深いが難しい!
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3721, ジャズについて −13
2011年06月03日(金)
   * 現代ジャズの新しい動きは?    ー 「音楽の本」三枝成彰著 より 
  ー ジャズのロック化ー 「フュージョン」はこうして生まれた
【 ディキシーランド・スクイルから発し、フリー・スタイルにいたったジャズは、その後、マイルスの前述したアルバム
 「ピッチェズ・ブリュー」が予感させたとおり、ロックや他のジャンルと融合・拡散していくことになる。
 その結果、レコードショップの棚には「フュージョン」という新しい分類もできた。 フュージョンとは、一言でいえば、
 ジャズのロック化を進めたもので、ロックはもとより、ソウルやラテンなど、他の音楽のエッセンスを吸収した音楽だ。
 だが、七〇年代以降のジャズは、もはや五〇〜六〇年代にそうであったようには、のちに影響を及ぼす斬新なスタイルを生み出す
 勢いを失ったといっていいだろう。 なお、八〇〜九〇年代にかけてジャズの周辺で起こったことで、いくらか注自すべき点もある。
 ロンドンのクラブに端を発した、踊るためのジャズの再発堀の動きである。 クラブのDJが特に注目したのが、六〇〜七〇年代のジャズ。
 レコードを素材のとして扱うクラブのDJの腕は、ジャズだろうがソウルだろうがラテンだろうが、自分が選ぶ曲がフロアの客を
 気持ちよく踊らせることができるかどうかにかかっている。もともとジャズのルーツが、「踊るための音楽」だったことを思い起こせぱ、
 これは面白い現象といえるのではないだろうか。 もちろんクラシック音楽でも古典派やロマン派がいまなお愛されているように、
 ハード・パップを中心としてジャズは聴かれているし、過去のスタイルに回帰しているジャズマンもいる。
 その意味では、ジャズは現在もこれからも生き続ける音楽といえるだろう。 】
  ▼ロックとは、電気楽器の使用に特徴があるポプュラー音楽の一種で、誕生から時間を経て、ロックンロールを略してロックと
   呼ばれるようになった。黒人音楽のリズム&ブルースと白人音楽のカントリー&ウエスタンが、異種混合して出来たもの。
   そのロックと、ジャズが混合してフュージョンが生まれた。アメリカ社会の混合が、そのまま音楽で象徴的に現れ出てきた。
   それだけ、アメリカ社会は複雑怪奇ということになる。それが、そのままフュージョンとなったといえる。
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3356, 風の画家・中島潔
2010年06月03日(木)
 「風の画家・中島潔“いのち”を描く」   ー NHK クローズアップ現代(5月31日19時半〜)
 ーNHKのHPよりー
 日本画壇で異彩を放つ“風の画家”中島潔(67)。NHKみんなの歌などで親しまれたノスタルジーあふれる童画にはじまり、
源氏物語や詩人・金子みすゞの世界を描いた絵などで、国内だけでなく、海外でも高い評価・人気を誇る。
その中島が「生涯で最高の仕事」として取り組んできた46枚のふすま絵が完成。京都・清水寺成就院で4月末、公開された。
日本画の伝統とは無縁の画家が、1200年の歴史を誇る名刹でふすま絵を描くのは極めて異例。 
中島は、ここで、終生のテーマでもある「いのちの無常と輝き」を表現するため、過去何度も描いてきた
金子みすずの代表的な詩「大漁」を4たびテーマに選んだ。中島が5年をかけてひたすら描き続けた
イワシの大群の絵は、圧倒的な存在感を放つ。「風の画家」が現代に発する「いのち」のメッセージに迫る。
 ▼ 先日、「クローズアップ現代」で、中島潔清水寺成就院の46枚の襖絵をみて、息を飲んだ。
日本画とは無縁の漫画的な絵だが、その存在感と溢れ出るエネルギーに圧倒され、その絵について語る画家・中島潔
言葉の一言一言の思いの深さに引きこまれてしまった。雑誌などで何度か見たことがある画風。その絵の暖かい風を感じていた。
本人の終生のテーマが「いのちの無常と輝き」と、番組で知ったが、それぞれの絵から湧き出してくる明るい暖かさは,
母に対する慕情という。 さらにいえば仏さまの世界とも言える。 それにしても生命感の溢れた絵である。
清水寺が、童画的絵画を襖絵に取り入れる大らかさに恐れ入る。中島潔が、「金子みすず」の詩を幾つか絵にしていることを初めて知った。
金子みすずの悲しみと、母への思いが、重なっているようだ。 この人の画集は、多くは出版されてないようだ。 
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2981,超円高社会 ー4
 2009年06月03日(水)
日本国家の財政が破綻しているのは「短式簿記方式のため」、という論は知ってはいたが、この書に明快に表現してある。  
  ーまずは、その辺の部分をコピーしてみたー  
 * 日本国家が借金漬けの元凶は単式簿記のため
今の政権=自民党公明党に多額の借金を貸し込んでいるのが、我われ国民である。この政府が抱える本質的な欠陥は、
会計に単式簿記を採用していることである。大福町会計あるいは家計簿方式といってよい。この元では、税収と借り入れを
区別することなく【歳入】と一括りに計上する。国債の利子支払いを、元金の償還と区別も出来ず、国民に対する
社会保障の支払いや公共事業などと一括して【歳出】の一言でまとめてしまう。そういう把握しか出来ない法人なのである。
何故今でも行われているか。理由は簡単。明治政府が発足した時には、日本では複式簿記を知らなかっただけ。
何故に、それを改定しようとしないのか。その方が政権を持っているほうが都合がよいからである。
社会保険庁の帳簿の改竄も、原理的に見抜くことが出来なかったのは、それゆえである。中部国際空港を作ったのは、
トヨタである。 これまでは巨大公共事業は、予算も目標期日もオーバーするのは当然と思われていた。
今の大福帳会計の政権法人が行う限り、ほぼ全ての公共事業が、必ず予算も期日もオーバーする。ところが、
トヨタが引き受けた中部国際空港は、驚くべきことに、目標よりも実際の開港が一ヶ月も早く前倒しされた。
しかも予算は7680億円に対して、実に1000億円も下回り、国民の負担を節約されたのである。 
関西国際空港の惨状を見れば、トヨタの凄腕はいっそう明らかである。関西空港は当初予算1兆676億円に対して、
1兆4582億円と、実に37パーセントもオーバーしていた。理由は他にも多くあるだろが、最大の理由は、
民間企業が複式簿記を採用しており、赤字と黒字の理由を把握する能力が備わったいた点に求められるのではないか。 
(字数の関係でカット2012年06月03日)
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2617, 消費社会から格差社会へ −1
 2008年06月03日(火)
  「消費社会から格差社会へ―中流団塊下流ジュニアの未来」   三浦 展 (著), 上野 千鶴子 (著)
 とにかく面白い本である。社会学部出身ということもあり、その系統の本を40数年読み続けてきたこともあるが 
 最近の格差社会については、非常に興味があった。「下流社会」の著者が対談の一人で、かつ上野千鶴子は私が20代の頃から、
 本を目にしていた。この二人の対談なら面白くないわけがない。 面白そうなところを抜粋して、感想を書いてみる。
・上野が(今の「下流」と言われるコミュニケーション能力の低い、ノイズに弱い若者が出てきたことに対して)
「『日本の保守本流が望んだとおりの国民形成を、あなたたちは3世代に渡って達成したじゃありませんか。
 これこそあなたたちが望んだ結果ですよ』って、『教育基本法改正』なんて言っている自民党のオジサンたちに
 言ってやりたい気分ですよ」
  〜感想ー強烈な皮肉が政治家と現代の若者、それも下流社会の若者に対して言いあてている。
 反面、ノイズの向こう側には彼らの好む音楽などの世界もある。
 これで対人恐怖症とか、トラウマとかいって、社会の面倒な世界を拒否する。
団塊中流で、団塊ジュニア下流
  〜感想ー これもまた、大方三分の二が団塊世代中流、そのジュニアが下流である。
 何故、そうなったか、時代がそうさせただけである。
・三浦 「堤清二が破滅型経営者で、西武破綻は起こるべくして起こった。
  〜感想  堤義明は、どうだったか? 似たようなものか。
・{ 中村うさぎ何故ショッピング中毒になるかというと、何ものでもない自分が、女王様になれるから。
 うさぎが、自分のことを『女王様』といったのは象徴的でしたね。ショッピングも、そのものを買った瞬間、
 ガラクタになってしまう。アルコール依存症や薬物依存症と同じ一種の病気として『消費』は「もっと刺激を」
 とエスカレートしていくわけ。渋谷の「109」が「表参道」、「ユニクロ」が「プラダ」になり、
 「エルメス」になっていくのです。消費によって人は王様になれるのです。でも、誰からも感謝されない。
 存在としては必要とされない。それが消費の限界です。 それに気づいた人が、消費以外の何かを探し求めた。
 それが自分探しである。}−上野
  〜~感想ー 突き詰めると、記号の消費でしかないのでは?という見方が面白い。
 「ブランド」というマーク=記号を消費し、王様気分になっている幼稚さ、精神症は、言いえて妙である。
・国家の安楽死説ーグローバリズムで外国人が来てもらわなくてよいようにするには、
 景気を悪くすれば良い。不況になれば潮を引くように自然に居なくなりますよ。逆に言えば、
 外国人が来ている間は、その社会が経済的に魅力があるということです。 そういう豊かな社会で育った子供達が
 競争力を無くすのを別に抵抗することは無い。{平和に滅びていってくれれば」というのが私の説です。ー上野
  〜感想ー ここまで書くだけ社会が変になっているのだろう。情報化に適応できないからである。 ーつづく
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2007年06月03日(日)
2252, ビョーキな人々探訪記 −2   o(゜∀゜)o オッ ヽ(゜∀゜)ノ ハー
 恋愛依存症の人といえば、過去に多く見てきた。 私の知る限り10〜20人に、若いときは5〜10人に1人というところか? 
いや実際は、もっと多いのかもしれない。恋愛依存症とは聞こえが良いだけ、色気違いじゃないかい?
でも、ある時期誰もなってしまうから、他人を責めることは出来ない。これに絞るのも人生、楽しいのだろう。
美人に人間性が良いのが多いのは、女性の職場で確認済み。 例外は何処にもいるが、バランスー平衡感覚は顔に現れるということ?。
とにもかくにも「色気違い」を「恋愛依存症」とは面白い。ヤリマン、アゲマンの凄いのは、何処にでもいるが、いざ自分が
出会ったら腰?が引ける。腰から下はコントロールが効かないから困ったものだ。 しかし出来ないヤツほど、解ったことを言う!
(字数の関係でカット09年06月03日)
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2006年06月03日(土)
 1887, 100曲CD           ォ'`ョ━━(。・∀・)━━ゥ★
最近、100曲CDをたて続けに買っている。3千円前後というのが気楽で良い。還暦の時に祝いで2セット貰ったものを
含めて7セットになる。事務所の数軒先にある石丸電気のソフト館に100曲CDの特設売り場があり、そこが買うか、
Web上のアマゾンで買う。 一年前に(私にとって)高価のコンポを買ってから、就寝時は必ず聞きながら寝入る習慣になった。
(以下、字数の関係でカットー2008年6月03日)
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2005年06月03日(金)
 1522, 将来の不安
将来に対して誰もが漠然とした不安感を持っている。特に激動期において、大きな不安が曇り空のように横たわって見える。
ある哲学書に面白いことが書いてあった。「将来の大きな不安は、現在が不安定である投影でしかない。このことに気がついてない
ことが大きな判断ミスを犯してしまう。将来のことは、現在考えている予測や不安とは全く違うものだ。いや、明日のことでさえ。
問題は現在の不安定が前向きかどうかである。将来の不安は、今の問題の不適合(目をそらしている)でしかない」という主旨である。
(字数の関係でカット12年06月03日)
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2004年06月03日(木)
 1157, 60対10の法則
1昨日、NHKのTVを見ていたらニューヨークの市警が取り入れた「60対10」の法則の取り締まり方法を紹介していた。
「10?の地区を集中して取り締まれば,60?の犯罪を未然に防ぐことができる」という法則を使って、ニューヨークの犯罪を
激減させた事例を紹介していた。 これは「80対20の法則」の応用であろう。20?の要点に80?の要素が集中しているというのを、
もう一ひねりをして10?の要点に60?の要素が集中しているという原理だろう。20?の半分の10%で60?なのだから、
さらに効率的になる。本でいうと、「目次」と「前書き」と「終わり」と、太字と図と箇条書きのところが20?の要点とするなら、
「前書き」と「終わりに」と箇条書き部分が半分の10?としてみるなら、そこに60?が含まれているという見方だろう。
その本によって使い分ければよいことになるが。犯罪のように80?より、60?の防犯の方が現実的なケースの方が良い場合がある。
100?使わなくてはならないケースもあり、ケースバイケースである。80対20という法則だけでなく、60対10の法則もあると
いうことを頭にあればよいが。200?で100?の効率の場合が必要な場合もあるから念のために!
仕事や受験などのように効率を求められている場合、平気でこれをする場合がある。人生はこの場合の方が多いから
困ったものだ。経営もマイナス10にエネルギーを集中して気がつかないから、本当に困ったものだ。誰だそのバカは?自分のこと?
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2003年06月03日(火)
 790, 産能大学講義
何事も経験と、会社のコンサルトをしてもらっている林さんの産業能率大学の授業の臨時講師を受ける事にした。
授業70分のうちの60分が持ち時間であった。場所は新宿より箱根に向かう小田急電鉄で一時間のところにある伊勢原である。
 気楽な気持ちであったが、二日前に講義をいている夢をみた。あまりにも力みすぎ空回りをして一人芝居をしている夢であった。
何処かで緊張していたのだろう。ゆっくり話すのがコツというが、力みを抜く事を忘れてしまって空回りをしてしまった夢だ。
 ところが当日は緊張感はゼロであった。「相手は学生で、実体験をそのまま実感で話せば問題はないだろう」
という気持ちと十分の準備があった為だ。いざ壇上に上がって驚いた、学生のほうが緊張をしているようであった!?
抽象的な話しばかりの授業が多い中、具体的な異様な話に逆に興味を持ってくれたようだ。まあ実務家の話は聞いたことがないから、
珍獣でも見ている気分ではなかろうか。 出席者は50人位で、女学生が半分近くいた。私語をする学生はゼロ、少し居眠りを
している学生が2名いた。講義は先日のレジメどおりに進めたが、カタチ、心観学術態、好きな事を今のうちに見つけて職業に
しなさい、ダンスと歩行、般若心教を暗記しなさい等を話している時は全員の目が光っていた。
「私の人生で得たエキスを誰か一人でも理解してくれればよい」という気持ちが少しは伝わったようだ。
しかし禁止用語も使っていたようだ。また大学で講義など変わった貴重な経験を一つしてみた。そして面白い経験であった。
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2002年06月03日(月)
 426,富豪の館
昨日ラーメン屋で見た週刊誌に、マリナーズイチローの新しい屋敷が載っていた。2億5千万にしてはプールはなかったが、
豪華な建物だった。南ベトナムに行った時、サイゴンの元南ベトナム大統領府が公開されていた。やはり広大で豪華なものだった。 
その時の説明で、豪邸の条件の話しが面白かった。
 1、映画館を備えている事ーいつでも見たい映画をすぐ見れる状態
 2、プールがあること  3、バーがある事ーホームパーテーが開ける事
さらにヘリコプターの離発着の機能がついていれば、さらによしという。大統領府にその条件が揃っていた。ホームバーと映画館は
一般の家庭に形を変えて入りこみつつある。TVのホームシアターでいつでも見たい映画を取り込める時代の到来だ。 
プールだけは無理のようだ。以前の日本では大きい庭と池と茶室、法事や正月に親戚が集まった大きい部屋だ。
こんなものより自由に世界を飛び廻っているほうが好きというのも、「物より事の時代」のせいか!
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2001年06月03日(日)
 昨日ホームセンターのムサシの外食部門のやき肉の店の‘赤大門’に行った。
‐大ジョッキーの生ビールとカルビ定食とカルビとロース四品で2100円。二人だから一人1000円あまり!