つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=4h9re1bHt40&NR=1

 一週間単位でみると、殆ど同じことの繰り返し。それはそれで充実をしているが、
時間の経つのが早い。 それも平穏無事ということ。
外は信濃川の土手と近くの栖吉川の土手と、スポーツジムと、図書館。
幾つかのSCと、昼飯のランチの店と、映画館。
 ところで、今日、図書館で、文庫本の「余命半年ー満ち足りた人生の終わり方」という本を
借りてきた。少し、胃の調子が悪くて、病院にいったところ、あと「余命半年」と、
宣言された時から、半年の間に、全エネルギーを使い果たすことになる。
 そういう意味で、恐ろしい本だが、読んでおかなければならない本である。
いつ何時、その時がきても不思議ではない。終末の患者を数百人、みおくっただけあり
書いてあるのはシビアである。やはり、静かに受け入れ、死んでいくためには準備が必要だ。
 

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1521, お人よしニッポン
2005年06月02日(木)

昨日の産経新聞4面の「北京春秋」というコラム
ーお人よしニッポンーというコラムが、言いえて妙で面白い内容であった。
日中関係の悪化のおり、この紹介してあった小話が「日本人のお人よし」を旨くあらわしている。
先日書いた、『知らないことを知らない恐ろしさ』に内容は通じるが!
 その内容とは。
小話-1
「・アメリカ人は殴りたい奴を殴る。
 ・イギリス人は殴られている奴を殴る。
 ・ロシア人は殴られたら殴り変えす。
 ・中国人は殴られたら抗議する。
 ・日本人は殴られても愛してしまう。 
 中国人は殴られなくとも抗議するというところか」
小話ー2
「六ヶ国協議で日本人がトイレに立った後の会話。
・中国「日本を本気で怒らせようと思っても難しい。
    潜水艦で領海を侵犯してもおこらない
・韓国「独島を占拠しても怒らない。」
・ロシア「北方領土を占拠し続けても怒らない。
北朝鮮「なら俺がミサイルを撃ち込んでみようか。」
アメリカ「よせ、もう60年前に原爆をうちこんでみた。」
まあ強烈な皮肉の小話だが、今の日本の弱腰の外交をそのまま言い表しているようだ。
まずはアメリカの属国であることを直視すること。
そして今後も属国であり続けるのか、真の独立を図るのか?
前者を選択をしているのが現状である。現在の事態では真の独立は無理?!

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2004年06月02日(水)
1156, 世間とは-4
「世間さま」という、我々を取り囲んでいる妄想について何回も書いてきた。
世間とは、いつの間にか自分で作りあげてきた「バカの壁」でもある。
といって、日本のような島国では、どうしてもお互いに気を使いながら「世間さま」から
自分を守らねばならない悲しい国民性も仕方がない。
藤沢周平の「海鳴り」の中で、ある商人の世間に対する気持が正直に書いてあった。
作家は、世間というものを鋭く観察するものと感心をした。私の世間感とほぼ一緒である。
それぞれの世界では、世間の妄想とはこんなものだろう。
-たしかに世間には善意の人もいれば、悪意の人もいた。
世間は時には悪意をむき出しにして襲いかかってきたが、稀には救いの手を差しのべても来たのである。
渡る世間は鬼ばかりではなく、世間は善意と悪意の巨大な混合物だった。
だが善意の人も、一たん利害が対立すると、手のひらを返したように悪意に満ちた中傷をばら撒いたり
することもめずらしくなかった。つまり、と新兵衛はそのころ思ったものだ。
無償の善意などというものを世間に期待するのは馬鹿げていて、
この世はむしろ悪意に満ちていて、隙があれば足元をすくおうとしていると覚悟をしていた方がいい。
それが、どうにか自分の才覚でまわりと折り合いをつけ、自分自身も人の足をすくうような真似をして、
きわどく世を渡っているうちに。商人である小野屋新兵衛の身についたようなものだった。
その中で得た一番の教訓は、人に弱味を見せてはならないということだった。
世間に侮られず、憎まれず世間を渡るということは難しいことだった。
だがかりに憎まれても、根性さえしっかりしていれば、商いが潰れるようなことはない。
同業に憎まれながら大きくなった須川屋嘉助のような例もある。須川屋は人の思惑など屁とも思わず、
憎まれれば反発をしてコワモテの商いをして、ついには誰も手がつけられない大物になった。
だが、人に弱味をにぎられ、侮られるようになると、商いもお終いだった。
人の弱味をにぎり、侮る側に回ったときの世間が、いかに残酷に振舞うかをみてきている。

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2003年06月02日(月)
789, 東京見物
 この二日間、東京と鎌倉に行ってきた。まずは初日の東京見物の話。
さっき帰ってきたところだが、「新潟と地球の僻地」を行ったり来たりしていた世界とは少し違う。
 一泊二日で約16000円の東京宿泊パックである。
新幹線とホテルのパックで、ホテル代が無料ということになる。
指定された列車で、二人以上という条件がつくが安い。日曜日の8時45分の新幹線で出発する。
家内は上野で降りて、息子に会いに行く。私は東京駅近くの八重洲ブックセンターに行く。
13時の待ち合わせまで、アッという間に時間が過ぎる。よくぞこれだけ面白そうな本があるものと驚く。
 その後、家内と丸ビルに行く。思ったより落ち着いた、奇をてらってないのがよかった。
そこの和食のランチが1800円と高いが、それを感じさせない店であった。
そして日本橋三越本店に行く。店員の多いのと、催事場の人の多さに驚く。
それと年配ー60歳から80歳が8割がたであった。

17時半より、はとバスに乗る。20数年ぶりのハトバスである。新宿の高層ビルの54階での食事と、
お台場をまわるコースで7500円である。50人以上の定員に12名の乗客である。
世界の刺激の強いところばかり行っていた為か喩えると、薄いコーヒーをクリープをタップリ入れて
飲んだ感覚であった。お台場も雨上がりの為、何ともいえない趣があったが!
それより、新宿のパックの指定されたホテルが見つからず、危なそうな場所をさ迷ったほうが
刺激的であった。ポイントを効率的に回った!のがよかった。

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2002年06月02日(日)
425,父・堀井誠作のこと-2
・女性の噂の全くない非常に真面目の人であった。家庭人としてこれが一番の基本である。
・非常にシャイなところがあった。
・商売では非常に厳しし反面、それを離れるとやさしいところがあった。
 これは自分で心がけているが、営業を狙ってくるタイプはその隙を狙ってくる。
  年内にその整理に入る!!!!ーこれは自分の話しか!
・その時々の時代に合わせて仕事を変えていったのは、最も学ぶ事であった。
・仕事も私生活も、楽しむ事が基本にあった。 これも両親からの最大の教えである。
・宗教に関しては、ごく普通の仏教徒であった。特に法事などの仏事に関しては非常に大事にしていた。
 これを疎かにすると家が傾くと本当に信じているようだった。
 所詮はレジャーでしかないのにーこれは私の主観。
・お金に関して父なりの金銭哲学があった。
   ー何を奇麗事を言っても、お金に関しては赤裸々な欲がある。
   -あまりに露骨の欲の塊が金、それをちゃんと見据えろ。
   -金は仕事の楽しみのカス、自分でその楽しみを見つけるべし。
・若い時に肋膜炎になり、戦争に行かないですんだ。
 これがコンプレックスと幸運の両方で人生観の背後にあったようだ。
・どちらかというと、母が男のように芯の強いところがあり、逆に父はシャイなところがあった。
・母から聞いた話だが、人間的に面白いエピソードがある。
 -戦前に一年に一商売をすると、一年間一家が生活できるだけの利益があったという。
その商売が成立すると、50銭ー今でいうと5000~10000円の硬貨を耳に挟んで、
嬉しそうに一人で夜食事に行ったという。 -5円なら解るが,50銭というところが自分に似ている。