「屋根裏に誰かいるんですよ ―都市伝説の精神病理」春日 武彦著
 「幻の同居人」をネットで検索すると、日本老年精神医学会学会での「幻の同居人」に関する考察で、医師の深津亮
埼玉医科大学)が講演で、以下のような発表をしていた。
  1.はじめに = 超高齢社会を迎えた我が国の社会構造は劇的な変化がもたらされている.高齢者は社会的に孤立を
余儀なくされており,このような孤独な環境は 種々の喪失体験を増悪させ,特有の妄想反応や誤認症候群を生じる母胎となる.
「幻の同居人」もその様な症状の一つであり,「自分の家の中にだれか知らない人たちが住み込んでいて,さまざまなかたちで
自分を苦しめる」という妄想と定義されている.
「幻の同居人」はRowwan EL が1984 年に「自分の家の中にだれか知らない人が住み込んでいて,さまざまなかたちで自分を苦しめる」
と訴える女性例を報告したことをもって嚆矢とされている.「幻の同居人」は「天井裏や,床下に住んでいる」,「留守にすると
部屋に入ってきて,いろいろなものに触っていく」などと訴えられる.さらに自分 の行動がその同居人に監視されていると
確信していることがある.Rowan の報告例では,知的機能の低下や感情障害が明らかではなく,思考,感情,精神運動の障害や
退行などの脳器質性障害を示す徴候も認め られないことから遅発性パラフレニーにみられる被害妄想とされた.
  2.「幻の同居人」はどのような精神症状か? = 「だれかが自分の家に侵入して,物を盗んでいく,部屋を汚す,
嫌がらせをする」などの住居(家) に関する被害妄想は遅発性パラフレニー,遅発性統合失調症接触欠損性妄想症などにも
認められる.高齢者では少なからず見出される.我が国においても,同様の症例は,報告されている. 精神症状はいかなるものか,
幻覚か,実在性意識か,あるいは想像上の友達などとの鑑別が必要と思われるが,必ずしも明確でない。
  3.「幻の侵入者」か「幻の血縁者」か? = 確かに「幻の同居人」は,本邦の高齢者にも稀ならず見出される.
Terada S らは前述の「幻の同居人」の特徴を分析して,「幻 の侵入者」と記載した.我が国では,このほかに父,母,祖父,
祖母,子供などの血縁者が現れることがある.外部から侵入するのではなく被害的でも敵対的でもないことが多い.
むしろ親密で友 好的協調的な懐かしい血縁者であり,特に小さな子供の場合も少なくない.これらは「幻の血縁者」と呼ぶことが
できるかも知れない.この様なタイ プの同居人が比較的よく見出されることが我が国の特徴のように思われる.
また妄想性誤認症候群,鏡像現象やTV 現象を伴うことも稀ではない.
  4.「幻の同居人」の発現機構 = このような精神症状は加齢によるさまざまな変化や社会文化的背景をもとに出現して
いると考えられている.精神機能の解体過程,退行などによ ってゲマインシャフト的世界,しかも日本的な農村共同体への回帰と
みることができよう.「幻の血縁者」に子供が現れることは,遠野物語のザシキワラシ 伝説とも相通ずることを示唆している.
▼ 以上だが、この「屋根裏に誰かいるんですよ」で、< 身体の一部を失っても、脳機能は、それがあたかも存在する
 ように感じ取る働きをする。それに似た働きに近いのでは>は納得できる。作家の佐藤愛子本人が、色いろな場所で、
 これに近い経験をしているが、作家なら、冷静に精神の衰えと看破するはずだが、どうだろう。知人の夫人の場合は、
 高齢者の孤立、種種の喪失体験などによる精神不安定が見て取れる。老化による精神機能の解体過程に出てくる妄想ということ。
  私にもサードマンが頭の中に同居しているが、これは自分で意識的に作りあげた対自。ちょっと違うか。
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4074, 屋根裏に誰かいるんですよ
2012年05月21日(月)
          「幻の同居人」 ―都市伝説の精神病理  春日 武彦 (著
   ーアマゾン 紹介文ー
まず、その奇妙なタイトルが目を引く。しかし本書は、そのタイトルから受けるコミカルな印象とは異なり、
 精神科医である著者が、現代社会におけるさまざまな精神病理を、きわめて冷静に考察したものである。
 ある日、ひとりの老女が、「自分の部屋に勝手に人が入ってきて困る」と訴える。その侵入者は、彼女の部屋にある
 日用品などを盗んでいったり、ちょっとだけ位置をずらしていったりするという。しかし、姿は見えない。
 まるで、「座敷わらし」などの妖怪のしわざとしか言いようがない不可解な話を、老女は真剣に語る。
表題となっているこの症例は、「幻の同居人」と呼ばれる。このような症例は、多数報告例があるらしい。
 患者たちは、脳に器質的な異常が認められるわけではなく、精神的にも問題ない場合が多い。
 「妄想の突飛さと当人の穏やかな常識人ぶりとのあいだに乖離が生じているときには、精神医学はたちどころに歯切れが悪くなってしまう」
 と著者は言う。それがこの症例の複雑さと奇妙さとを物語っている。本書は、現代社会においても、妖怪と出会うといったような
 「非日常」的な現象が、たちあらわれる瞬間があることを示唆する。 精神科医が語っているだけに、いっそう説得力がある。
  ▼ ある亡くなった友人の奥さんが数年前、急に事務所に訪ねてきて、世間話の後に何気なく、「最近、家に侵入者が時々入ってくるが、
  生前、主人が何か言ってませんでしたか」と言う。「侵入者とはとんでもないこと、どういうことですか?」と吃驚して聞きなおすと、
  「自宅の屋根裏に侵入者がいて、彼方此方、徘徊している。」という。 よくよく聞いた後、「貴女は魔界に一歩踏み込んだようですね。
  ご主人からは、それについて聞いたことはありません。」と答えた。警察に相談して屋根裏を調べてもらった時の写真を何枚か出して、
  「私には、侵入者が見えるが,貴方は見えませんか」という。 私には全く見えなかったが、その辺から、何か精神的に追い詰められている
  のだろうと思い始めた。その後、ご主人と共通の複数の知人から彼女の同様の話を聞かされた。本人には、実際に屋根裏に何かが
  いるのだろう。彼女は初老で、独り暮らしである。佐藤愛子が、似たような現象を経験している。それと同じかどうか私には分からない・・・ 
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3708, 自己を見つめる −24
2011年05月21日(土)
   ー 他者について 〜? ー    ーP194      「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
【 幼児は、他者が素敵な玩具をもっていると、自分もそれをもっていなければならないとすぐに決め込み、それでいて自分には
その玩具がないところから、その他者を激しく嫉妬することになる。 こうして、一般に、大人になってからも、人間は、他者とか
世の中とか世間からの影響を色濃く帯び、ときにはそれに飲み込まれてしまって、その水準で自分を裁断し、ほんとうの自分の姿を見失い、
自己喪失の状態に陥ってしまう。 また、自分の不幸や不満の原因を、他者のせいとして責任を転嫁し、自分がひどい目に遭った原因を、
ともすれば世の中に押しつけ、他者攻撃に生きる傾向に人は陥りやすくなる。したがって、本来そうであるぺきなように、自己でありつつ、
他者とともにあるという、二重性ないし両義性をほんとうに生きることは、人間にはきわめて困難になるのである。
東洋ふうの言い方をすれば、「和して同ぜず」という、自他の自由な自律性と、連帯性ないし他者容認とが、過不足なく、
円滑に両立してこそ、自他の関係は充足されうるのだが、それがきわめて困難になるのである。
 ニーチェは、自他の関係において、ルサンチンマン(怨恨感情)という恐ろしい感情が胚胎する機微を鋭く抉り出した。
他者の不当な振る舞いに直ぐに反発できずに、じっと我慢する人間のうちに、やがて次第に欝積してくる不満の感情のことを指す。
それは、恐ろしい怨恨感情となって、やがてさまざまな形で爆発してきて、自虐と他虐の凄惨な凶行さえも生み出す原因となる。
しかし、ニーチェにょれぱ、そうしたルサンチマンの人は、他律的なのである。つまり、怨恨感情は、他者に囚われ、他者からの
傷跡に執着し、こうして、他者への遺恨を募らせ、やがて復讐心の形を取って、自虐と他虐に向けて爆発する。
 そこでは、自己自身の本来性が見失おれている。しかし、自己は、ときに、自己自身を見失って、他者になりきってしまうことも
あるものである。しかもそれは、人間的他者に関してだけ起こることではなく、事物に関しても起こる。 たとえば、私がすっかり
花に見惚れたときには、花が私になりきってしまうのである。それと同じ意味で、私たちは、自己自身を見失い、ついには、
さまざまな主義主張の虜になったり、迷信や邪教に取りつかれたり、神憑りになったり、あるいは、変身願望に駆られ、嘘と芝居で
身を塗り固め、役者気取りで自分を英雄天才視し、人類の救済を気取って、大言壮語し、自己欺瞞と他者篭絡に憂き身を窶すことすら
生じかねない。 その反対の被害妄想や厭世意識も似たりよったりである。 】
▼ その人を知るには、その人の身近の他者(=親、妻、友人、会社の上司など)を知ればよい。そして、その不満と満足度を聞けば、
 ほぼ大部分を知ることが可能になる。「人を恨めば穴二つ」と言うが、恨んだレベルのことでしかない。そこに囚われるからだ。
 長期の間に、その質の段差は、その空白に大きなガスを溜めることになる。 身近な人と、自分の関係はメビウスの帯のように結局は、
 同じようなもの。だから、連れ添いや、仕事は厳選をしないと互いに命取りになる。 他者は、三人称より二人称をさすことが多い。 
 他者たちによって形づくられた自己は、自分の合せ鏡でもある。 
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3343, 閑話小題
2010年05月21日(金)
  * 9・11事件の謎
 ここで「9・11事件についての謎?」何で、というと、米国軍事産業か、金融関係者なら平気でやりかねないと最近、
特に思うようになってきたからである。このテロでアフガンやイラク戦争軍事産業が大きな需要が生じ、恩恵を受けたからだ。
さらにリーマンショックもしかりである。世界中に不良債権という毒の入った債権を売り、その影響が今後、10年〜20年間にわたり
出てくる。これは数百年にわたって築き上げられてきた近代資本主義の崩壊をもたらす。それさえ金融の支配者はやりかねないという
疑念が出ている。ユーロの揺さぶり、そして膨大なアメリカの借財の棒引きの狙いだ。その真っ只中に我われがいるのである。
その第一波の大きな波が、まずは南欧のラテン系の国家、Piigsである。そして、時を同じくして日本の地方と輸出産業である。
まずは地方の我われが、その直撃を受けている。 9・11事件発生の数ヶ月前から、株と為替に異常な動きが在ったと、
関係者からの証言がある。事前に知っていた者たちが、その情報で大儲けをしていたのである。あれから世界は本格的に激動を始めた。
  * 韓国が北朝鮮に報復攻撃?
  (字数制限のためカット 2012年5月21日)
  * 一年近く収まっていた腰痛が?
 (字数制限のためカット 2012年5月21日)
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 2968,閑話小題
 2009年05月21日(木)
 * 考えるほど、恐ろしい近未来
新インフルエンザが、日本でも拡大してきた。通勤帰りの新潟発の新幹線は、車内で一割、新潟駅構内と長岡駅構内では
3〜4%位がマスク着用。数週間後には、全国に蔓延しているだろう。微弱性の新インフルエンザに過剰反応と思いがちだが、
秋口には、弱毒性から強毒性になる可能性がある上に、鳥インフルエンザが流行する可能性もあるというから、WHOの反応は
決してオーバーではない。今回の新インフルエンザは、鳥インフルエンザに対する世界規模のシュミレーションになっていると、
考えた方がよい。新インフルエンザの死亡率が2%だが、鳥インフルエンザは60%というから、ただごとではない。
都市機能だけでなく国家機能も失われることになる。 この騒ぎが何時まで続くか誰も知らない。
世界恐慌を上に、これである。 現実の世界とかけ離れた小説のような世界に入ってしまった。
地球システムが、人間システムを根こそぎ壊し始めたということなのか?
 * 事務所の移動
事務所を移動したが、これで8回目。前の事務所は5年間。これまでの平均すると4年である。
まあ腰が落ち着かないが、ここも4〜5年先に移動することになる。 今回の引越し理由は、事務所の壁を隔てた隣のテナントの
居酒屋が事務所の面積を含めた規模を希望したため。 今回の事務所は、第一シングルインの隣のビルの2Fである。
オーナーと知り合いで、家賃を半値にしてもらったことが、この移転の決め手になった。
とはいえ、ここも駅再開発工事の道路拡張のため取り壊しになるので、移転しなければならない。
また、第一シングルインの接収の売却交渉に、隣りのビルにいた方がリアルで交渉がしやすく、
そこのオーナーとも共同戦線もはれることも良い。 昨日で大方の移動作業は終了したが、
窓側が全面ガラスで天井が高く、事務所環境は格段上である。 さすらいの事務所? ということか。
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2604, 最近みる夢 ー2
 2008年05月21日(水)
前回、「空からパラシュートから飛び降りて、墜落し、気がついたところが海底の檻の中で、
もがいている所で目が覚めた夢」を書いた。そこで、その夢分析をしてみた。
・まずは「空を飛び降りる夢」
 空は束縛のない自由の世界。 現実の世界は覆いかぶさる責任ある仕事の重圧や、会社や家庭という束縛、日常の退屈など、
 知らないうちにプレッシャーがある。 空から飛び降りる夢は強い脱出願望の現れ。また落下することは、強い不安の現れである。  
 不幸な境遇に陥る、ひどい気分に落ち込むなどを、敏感に感じ取っていることを現わすから、サブプライム問題で更なる
 不況への不安感や、還暦を過ぎたことの焦りなどが、夢に集約されている。
・「落下途中にパラシュートが開かない」 これは開くはずのパラシュートが半分しか開かずパニックになる、
 予定していた想定が、外れる不安である。この歳になると、いつ死に直面するかもしれない不安感の顕れ・
・次は、「海に落ち、海底の牢獄の中で檻から出れないでもがいている」部分。 これが面白いのである。 
 夢の中で、海なら助かると自分で直感的につくりあげた瞬間創作。海は欲望、それも自我愛である。 
 海底の牢獄は自我愛の牢獄。そこでもがいて死の境にいる私の顕わの姿そのもの。
・そして、「ああ、このままでは死んでしまう」と恐怖を持った瞬間に目が覚めた。死の夢は、古い自分が死んで新しい自分が
 生まれる前ぶれという期待。 従って死ぬ夢は、新しい人格の為に古い人格が死ぬことを意味している。
 解釈の問題だろうが、それにしても人間の顕わの姿が、自分の夢に示されている。
 現在、色々の問題で混乱している部分の己を、こういう夢で光を与えてくれていると解釈すると、驚きである。 
 一種のユング的な夢と受け止めることができる。 夢そのものより、解釈のほうが面白いだけか?受け止め方である。 
  前夜、これを書いたためか、これに劣らないほど?面白い夢をみたが、ほぼ断片を残して記憶の彼方に消えた。
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2007年05月21日(月)
2239, 宇宙に他に地球のような星があるの?       ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
以前にもすこし書いたことがあるが、20年以上前の話。夏休みの午前中にNHKラジオ放送の「子供電話相談室」に
「宇宙に地球のような星が他にあるのですか?」という質問があった。子供は純粋だからこそ鋭いから、偉い先生も
タジタジすることが多い。その時の回答の先生が天文科学者だったが、その名回答に、「成る程!」と感心してしまった。
    ーー
「宇宙に人間が住める星が他にあるかどうか、まだ科学では解ってないの! でもね、考えてみて、この広大の宇宙に地球のような
奇跡の星があって、人間や生物が生きているとうことの方が、素晴らしいことで疑問なの。現在どんなに科学の研究が進んでも、
解決できないほどの奇跡の結果なのね。解る?だからね、他に星があるのか疑問に思ったなら、この広大な宇宙に地球しか無いかも
しれない不思議を考えてみる方が重要なの解る!」である。車を運転しながら「何ということをいう学者だろう!」と驚いてしまった。
最近マスコミで、「さほど遠くない星に地球に酷似した環境の惑星が発見された」と発表されたが、生命がいるということではない。
哲学者の池田晶子が、最近TVに頻繁に出ている怪しげな「来世」など「生まれかわり」を話す江原啓之を、一刀で切り捨てていた。
「いま、生きていること自体が不思議で解らないことばかりなのに、何で来世など問題にできるの?笑ってしまう」と。全くその通り。 
(字数制限のためカット 2010年5月21日)
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2006年05月21日(日)
 1874, 人生の質×量=人生の総量      才八∋ウ_〆(∀`●)
4月19日のバードウォッチングの中で、
「人生の真実は、人生の勝敗で勝ったとか負けたとかは関係ない。人生の質は常に喜ぶことのできる能力に比例する。
その喜ぶ能力は、日常の細部に目をやることによってもたらされる」を紹介した。
(モーニング・ページを紹介してある「ずっとやりたかったことを、やりなさい」 の中にあった言葉である)
この言葉が頭の中に残っていて何度も思い浮かべているうちに、人生の質×人生の量=人生の総量(豊かさのレベル) 
と思い至った。人生の質は認めるが、それだけでは男として物足りないと考えているうちに、人生の量(行蔵)も
大事であると思いたった。そらから人生の質×人生の量=人生の総量ではないかと。そして総量があるラインを越すと
アップ・スケールが生じる。蛹が蝶になる脱皮である。 総量が一段上の質へ転換することだ。 
人生の質だけでは何か男として物足りない、量も大事では?と思ったことが、これで筋が通ってくる。
アップスケールし続けることで総量(豊かさ)が増え続けることになる。人間は、それぞれの立場で、立ち止まることなく、
変化(アップスケール)をすればよいのだ。少し歪んだ立場(場面)になると、人間は自分の人生を必死になって肯定しようとする。
誰か何らかの形で、現状を肯定しようと必死になっているものだが。幼稚園から、小学校、中学校、高校(大学)、社会人、
親・・と、それぞれの立場が変化していく。その時々の立場を喜んで受け入れ、肯定して次の立場へのステップをしながら
脱皮続けることが、人間のあるべき姿ということになる。 「人生の質とは成功も失敗も喜んで受け入れる能力に比例する」
ということからみても「好きなことを見つけ、それをやり続けること」こそ、人生を豊かにするである。
「人生の質=喜んで人生を受け入れる能力」という言葉から、人生を考えてみた。      ヾ(^ω^*) バイ! 
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2005年05月21日(土)
1509, ご自愛のほど ー1
 「もっと自分を愛してごらん」 ー1    ー読書日記
図書館で何げなく借りてきた本である。女性向の本だが立ち読みをして、心が和んだので借りてきた。
簡易な短い言葉の奥にある優しさや力強さが、そのまま感じられ、また見る度に気になるページが変るから不思議である。 
すっと自分の心に入るもの。ちょっと考えこんでしまうもの。自分を愛すると変わってくるもの。自分を満たすと見えてくるもの。
そのページごとに深い愛情が、言葉の底から湧き上がってくる。その愛情が自分を楽にしてくれ、誇りを感じるようになり、
また深い自分に気づくようになる。実際に「自分の娘に語りかけるように」して書かれた内容である。
一人、孤独に浸るときなど、女性だけでなくとも読むと良い。また心の疲れや悩みを和らげてくれる。 
 まず、自分を愛してみることである。
 ーその幾つかを書き出してみるー
もっと自分を愛してごらん すると すぐにあきらめたり 妥協したりしなくなる
もっと自分を愛してごらん すると自分のいいところが見えてくる。
 (字数制限のためカット 2011年5月21日)           
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2004年05月21日(金)
1144, つれづれに -不安
 ・テロの脅威
アルカイダ幹部が、昨年9月まで、一年二ヶ月も新潟に潜伏していたという。経歴もかなり年期の入ったテロリストで、本人がその気なら
何時でも大きなテロを起こせたようだ。まさかと思っていたが、身近な問題になっていている。ドイツで捕まり、取調べからこの事実が
初めて解ったのだ。上越新幹線柏崎原発辺りは、何時でも可能であった?スペインやインドネシアのテロが思い出される。
   (字数制限のためカット 2012年5月21日)  
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2003年05月21日(水)
 777, 何ともいえない日々が続いている。
 中小企業の8割が赤字、一割がボーダーライン、一割が黒字だそうだ。数年前までどんな時代でも3割は堅実経営で、
黒字であると税理事務所の担当がいっていたが、いまやそれが一割だそうだ。ここで景気がさらにおかしくなってきた。
     (字数制限のためカット 2011年5月21日)
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2002年05月21日(火)
413,ー印象に残っている両親の言葉ー
 母から聞いた言葉で「片耳だけを聞くな」という言葉があった。昔から、ちゃんとそういう言葉があったのだ。
世間知らずの人や、人の良い人を利用しようとする時、あるタイプの人(片耳内幕情報や)が利用する。
三流マスコミや株屋、そしていびつな組織人が良く使う手だ。要するに一方的の話しだけを聞いて判断するな、
数名の人の話を聞いて判断すべきという事だ。何人かに聞いているうちに、その背景見えてくる。
「あと歯に血がつく」という言葉も、母から聞いた。博打で勝ってその味を知ってしまう事をいうが、上手い言葉だ。
歯についた血がいつまでも口に残る。今はあまり言葉として聞かないが、父が使っていた言葉で「てんごうを欠く」があった。
自分の力の以上の仕事をして、失敗することを言っていたので、天の理を欠くで、「天合」?を欠くというのだろう。
倒産した会社の社長を何時もそう非難していた。「きみせをするな」とも、子供の頃よく言われた。他人におどけて見せたり、
パフォーマンスをするなという意味だった。大家族のせいもあって、あまり目立つ行為をするなということだった。
 家内に時々そういう類の言葉を使い、「明治生まれの両親の子」とからかわれている。
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2001年05月21日(月)
つれづれに
今日3時半に目が覚める。4時半に散歩にでる。この時間でもけっこう歩いている人がいる。
土手を朝日をうけて歩くとこの上なく気分がよい。このところ5時間も寝ると目が覚める。
爆睡しているせいか、寝不足に感じない。最近CS?TVの癒し系の番組268チャネルを』
申し込んで音楽を聞いているが映像もいい。何回も書いているが、このソニーのBSハイビジョンTVはいい。
映像つきラジオ番組472チャネル?マザーアースもいい。