* カラスの糞かけ
 数年前になるが、自宅近くを自転車に乗っていた時、カラスが低空で私の二mほど先に糞を落としていった。
問題は、これは果たして私を狙ったのか偶然か、毎朝近くを通る度に考えたことがあった。
ところが、一昨日の朝日新聞の朝刊のコラムで、四コマ漫画の「ののチャン」が、専門家に質問する形式で、
「カラスの糞かけは、意図したものかどうか」を取り扱っていた。よくあることだから、取り上げたのだろう。
答え手は、「あくまで偶然で、カラスにとって何ら利益にならない」と、ゲーム説や、カラカイ説には否定的だった。
専門家といっても、私のように三十年以上、毎朝、散歩やミニサイクリングでカラスを観察していた訳でない。
で、私はゲーム説である。 長岡大橋の手すりで、カラスが5羽並んで私が自転車の通りすがりで至近距離に近づいても
逃げない「度胸ためしゲーム」をしていたことを、ここで書いたことがあった。また散歩中の小型犬を、至近距離で、
威嚇して遊んでいるのを見たことがある。犬の飼主も、それを面白がって見ていたが、明らかにバカにして遊んでいた。
 話は変わるが、昨日の午後、帰宅をすると、隣の空地で5羽のカラスが入り乱れて空中戦をしていた。よくあることだが、
昨日は違っていた。その二組が同時に地上で激しい乱闘を始めたのである。初めは車内で見ていたが、決着がつかないので、
車庫に車を入れてから門の角から隠れてみていたが、その間7〜8分。鳴き声を聞きつけた他のカラスが数羽が駆けつけ、
騒然とした中での激しい乱闘はなかなか見もの。上下に体勢が入替わり互いの身体をワシヅカミしてツツキ合っていた。
よく再び飛びたてたもの。身体からみて若いカラス同士の縄張り争い。最近、一羽が我家の庭に度々来ているが、
その中の一羽だろう。

・・・・・・
4066, つれづれに ースポーツジム、その後
2012年05月13日(日)
   * スローヨガ
 このところ、スポーツジムのスローヨガに参加している。連続参加が勘違いで14回で途切れたが、これまで18回参加した。
ヨガのポーズは腰と背骨の矯正に絶好である。大よそ30〜40人が参加しており、火・木曜日の午後の週二日である。
平日の午後、これだけの人数が一同、暗闇の教室でヨガをするのも奇妙な感覚である。慣れるのに7〜8回はかかったが、
慣れてしまえばしめたもの。60×120センチのマットの上で色々のポーズをとるが、ヨガの先生曰く、「ヨガでは、
このシートが全宇宙と思って、自分独りと思って下さい!」  一回、50分だが、あっという間に、時間が過ぎてしまう。
始まると周囲の人が意識から消えてしまうのがよい。 シートの中の自分と先生の世界が、それぞれ出来てしまう。 ところで、
専門のヨガ教室だったら幾ら?と値踏みをしてみたが、一回、千円の価値は充分ある。 週二日、月に6回(二回、休む?)として
6千円になる。 これだけでSJの会費の元が取れることになる。時間帯もあるが、9割が中年女性である。
   * 昨夜は、新潟で飲み会
 何?から一年以上経ち、そろそろ蟄居閉門も明けつつある。とはいえ新潟駅前で事業をしていた手前、会場は敷居が高い地区。
一般債権が無いが、気分的には近寄り難いことは確か。「あの野郎、沼垂で赤ら顔をして飲んでいた」と、言われそうだが・・・
27〜8年前に、月刊雑誌「到知」に惚れ込み、新潟市周辺の愛読者の同好会「木鶏クラブ・新潟支部」を立ち上げた。
私自身は12年ほど前から、会から遠ざかっていたが、現在でも続いているが、有難いことである。最後に行ったのが
一昨年の忘年会、去年は時が時だけに一年の喪?が明けた今回、参加した。その前に、新潟駅構内にある家電のジョーシンと、
ビックカメラに行寄ったが、土曜日もあって客で溢れていた。 長岡と新潟の勢いの差は駅に出るが、あまりに大きい。
泊まろうと思ったが、22時半の最終新幹線で帰ってきた。 昔の仲間との邂逅は良いものだ。
   * 自転車専門大店
 昨日、新潟駅近くのイオン直営の自転車大店に行ってみた。100坪位の店舗にビッシリ自転車が並んでいたが、やはり
電動アシスト自転車が主流。 開店直後で、まだ軌道に乗ってないようだが、時代から見て時間をかければ良くなるはず。
まだ価格帯が10万円あたりだが、4〜5万円が爆発的に売れる分岐点だろう。 店長曰く、「電気代が月に20〜30円」。
一回分なら分かるが、こんなに安いとは知らなかった。電動アシスト自転車に乗って二年半になるが、本当に良いと実感している。
道具一つで、自分の生活圏の広さが全く変わってしまう一事例である。ヨガもそうだが、ポタリングを習慣にしてしまえばよい。
  ・・・・・・・
3700, ジャズについて −1
2011年05月13日(金)
 ジャズ1000曲がパソコンに入ったため、常にBGMとしてジャズを聴こえてくる。これに慣れると、もう無しには
 いられないから不思議。そこで、ジャズとは、そもそも何?と知りたくなって本棚をみると、三枝成彰著「音楽の本」があった。
 そこに丁度、私が知りたいことが、そのまま書いてあった。 面白いものである。
【 「黒人の民族音楽と白人のヨーロッパ音楽とが融合し、その結果、黒人を中心としたブラスバンドから生まれたポピュラーミュージック」
  「遅れて拍子を打つ黒人独特のバック・ビート(四拍子の一拍目、三拍目におくアクセントを二拍目・四拍子目にずらして演奏する)を
 リズムに持ち、即興演奏を生命とする音楽」 ジャズという音楽を簡単に説明すれば、こういうことになるであろう。
 さて、そのジャズは二十世紀の初頭、アメリカ南部の港町ニューオリンズで生まれるのだが、ここは十九世紀はじめにアメリカが
 購入するまで、スペインとフランスが交互に統治していた地域だ。そこには、フランスやスペインの白人と、西アフリカをルーツとする
 奴隷として連れてこられた黒人、そして、その混血である「クレオール」が生活していた。 
 クレオールはおしなべて教育水準が高く、ヨーロッパに留学をしたり、ビジネスで成功するなど、ニューオリンズではエリート層に
 入っていた。ところが南北戦争を受けて奴隷を解放せざるを得なくなった南部白人層の不満は、黒人ばかりかクレオ一ルへも向けられ、
 クレオールも人種差別の対象となる。
  一方、ニューオリンズの黒人たちは、奴隷解放後、主に音楽に仕事を求めた。南北戦争に敗れた南軍軍楽隊の楽器を古道具屋で
 安く手に入れた彼らは、祝祭パレードや葬儀の行進などで演奏するブラスバンドとして活躍。とりわけ、葬儀の際のブラスバンド行進は、
 ニューオリンズ名物として伝説化されている。埋葬へ向かうときには悲しげな曲を、墓地から戻るときには死者の魂が天国に
 迎えられるように明るい曲を。ジャズ史上最も有名な曲の一つである「聖者の行進」は、そんな時代に生まれた曲だ。
  こうしたブラスバンドには、どのグループにも何人かのクレオールがいた。白人社会から締め出された彼らは、同じ被差別層である
 黒人たちと一緒に仕事を始めたのである。音楽の素養があるクレオールは、楽譜の読めない黒人に西洋音楽の技法の手ほどきをする。 
 黒人はアフリカの祖先から脈々と受け継がれている生来のリズム感覚を持っていた。それが融合し、ジャズの生まれる下地が
 できあがったのである。「ニューオリンズ(ディキシーランド)−>スウィングー>ビパップー>クールー>ハード・バップー>フリー」
 これがクラシックの歴史を振り返ると「バロックー>古典ー>ロマンー>近・現代」といった流れで見るように、誕生から
 百年を経過したジャズのスタイルの変遷も、こうした流れで見るのは一般だ。 】
  ▼「ニューオリオンズ」という地域と「黒人」、そして「クレオール」という人種に行き着くのである。
  20世紀の初めの頃、怪しげな下町の酒場で、即興として、古道具屋から安く手にいれた黒人たちがバック・ビートのリズムで始った。  
  あのアルカポネの時代に全米に、それが瞬く間に広がっていった。やはり、その背景を知っているといないとでは・・
  ・・・・・・・・
3335, 閑話小題 ーつれづれなるままに
 2010年05月13日(木)
  * ゴールデンウィークの異変と、連休明けの異変
 このゴールデンウィーク、道路も街も賑っていたが、この5〜6年で様変わりをした。10年前までは車の旅行客が夕方になると
殺到していたのが、ピーク3日間でギリギリ満室か9割がやっと。それも高校の剣道大会とバスケットの大会がベースで
一棟埋まっていた上で、これである。不景気もあり消費者が合理的になったのである。 その行動パターンのケースとして
・連休の間に日帰りを二回するとか、一泊で四国まで行って来たとか、高速道路の料金千円をフルに利用するもの。
・東京まで早朝のバス代2500円×往復で5000円で行って来たとか、周辺ではいかに安く済ましたかが話題の中心。
 それがブログやツイッターで話題になれば、直ぐに伝わる。 これも恐慌と情報化の影響である。
ところで毎年の恒例で、連休明けに一時的だが宿泊が減る。さらに6月に入ると二段目の落ち込みになる。
覚悟をしていたが、今回も予測どおりの落ち込みである。 数年前の、このブログにも落ち込みの現象を書いているが、
それが、ますます大きくなっている。 年末年始明けと同じような数字だから恐ろしい限りである。
  * 民主党のおぞましさ
 思わず現政権の官僚の言葉に耳を疑った。一国のトップが外国と約束をした「5月末までの決着」を、
ここにきて「延期」と言い出したからだ。 国際間で、それが通ると思っている無知・幼稚さに、ただただ呆れる。 
これからみても政権末期である。これまた、一年も政権維持が出来ないことになる。これで4人連続である。
鳩山首相も、血筋も知性?も一級だが、やはり政治は阿修羅の世界で一寸先は闇の世界である。 長年かけた
アメリカの実質日本占領下で出来てしまった体質の中では、思い切ったことが出来ない事情もあるが。
  * 「Youtubeが面白い」のに気づく
 息子に「Youtubeが面白いよ」と言われてから一年以上経つが、殆んどみることがなかった。
ところがデジタルビデオカメラを購入しアップをキッカケにして時々見るようになったが、これが面白い。
それより、自分が現実にアップして初めて注目をするのだから、頭が固くなってしまったということ。
特にペットとか、動物の世界の思わぬ出来事の遭遇の映像には驚いてしまう。
これまではTVで、月に一度位でみた衝撃映像が、ここでは幾らでも出てくる。 情報格差も大きくなるわけだ。
 ・・・・・・・
2960,藤を見るかい
 2009年05月13日(水)
 「藤を見るかい」の招待を受けて、昨日の17時過ぎに長岡郊外の友人の別荘に行ってきた。
 (字数制限のためカット 2010年5月13日)
・・・・・・・・・
2596, 金融鎖国
2008年05月13日(火)
            ー読書日記ー   (朝´∀`){♪Good Morning♪}
「連鎖するドル大暴落」「ドル覇権の崩壊」の二冊を立て続けに読んでショックを受け、
それでは、その著者が以前に書いた本が、何処まで当たっているか見てみようと、
「金融閉鎖」と「日本壊死」を図書館から借りてきた。そして、その7?8割は当たっていた。数年前に本屋で手を取ってみたが、
気になってはいた本であった。読めば読むほど、先行きに対して不安になってくる。やはり、その2008年になったのである。
石油が120ドルという、とてつもない暴騰をし、世界経済が根本からおかしくなり始めたのである。
穀物や油が高騰を続ければ、世界経済は大混乱をするのは時間の問題である。物は売れない、原価は止めの無い高騰。 
企業は成りゆかなくなり、倒産、そして失業者が溢れかえる。資源を狙って隣国同士が戦争とマイナスの連鎖が続くだろう。 
現時点では、金融閉鎖は無いにしても、アメリカのドルの暴落、債権の暴落等で金融鎖国的の事態もありうるというのも肯ける。
悲しいことに日本は、その直撃を受けるのである。
 ー概略をまとめてみたー
「金融鎖国」ー日本経済防衛論 副島 隆彦 (著)
     (字数の関係でカット 09年05月13日)
・・・・・・・・・
2007年05月13日(日)
2231, 男は女のどこを見るべきか      (ヾ(´・ω・`)ノオハヨウ(o´_ _)o)ペコッ
  ー岩月 謙司 (著)  ちくま書房
 「女性は男性のどこを見ているのか」の著者・岩月謙司の女性論である。こういう女性論は探せば幾らでも在りそうだが、
 比較的少ない本である。彼の論によると「男は女をあまり理解していないが、女の方は逆に男と較べると段違いに
 理解していて、理解できないのは、男の強い性衝動位のもの」という。男と女の違いより、共通していることのほうが多いが、
 極限状態のときに本質的な違いが浮かび出るという。雄と雌でしかないのを、割り切ってしまえばよいが、
 割り切れないから面白いドラマがあるのだろう。
ー概略をまとめてみるとー
女性の思考法の特徴を
1、自分の快・不快でものごとの善悪を決める
          ー女性が感じる快は、自然の法則に合っていることが多いが・・。
2、社会的配慮が苦手ー自分を守り、自分を愛してくれる人が一人いれば社会を敵にしてもよい
3、二分法的な発想 ーゼロか100かという二分法の発想
4、数の論理    ー「みんながしている」という数の論理で動いている、それで安心してしまう
このような発想で生きていると、多くの人から愛される人間になり、結果として、
愛を多くため込むことになります。女性は「愛の貯金箱」にたとえる事が出来る。
人を愛するということは、
「人の悦びが我がことのように悦び、悲しみも我がことのように悲しむことです。
人の幸福を願い、不幸を悲しむことです。」
慈悲深い人になるのです。その愛情の大きさは、男の数十倍?数百倍もあるのです。
男とは桁が違うのです。それ故に、素敵な女性は女神であり、慈悲深い天使です。
・男性は理論から感情を構築し、女性は感情から理論を構築する傾向にある。その感情も小さくできており、
 大きな感情を理解できない。大きな感情を持っている人は、小さな感情は理解でたとしても、
 小さな感情の人は大きな感情の人を理解できない。だから始末の悪いことがある。
・気まぐれ(個人的感情)による約束反故は(彼女らにとって)正当な理由になる。
 (字数制限のためカット 2010年5月13日)
・・・・・・・・
2006年05月13日(土)
1866, 売春合法 ドイツ         おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
一昨日の産経新聞の国際欄の「鼓動2006」で、「売春合法ドイツの実情」の記事が載っていた。
売春業界?のシステムが面白いので取り上げてみる。自慢ではないが、売春婦を買ったことは一度もない! 
当たり前か? 良かったのか悪かったのか? 外食の味も良いのだろうが!
ー記事の概略というと・・   
(字数の関係でカット2008年5月13日)        (* ̄(エ) ̄)ノ  バイ
・・・・・・・
2005年05月13日(金)
 151, 人生の敗北者とはどんな人か ー3
人生の敗北者が本当にいるのか? という疑問が生ずる。敗北とは、自分が決めるもので他者の表層を見ての判断ではない。
しかし、「‘プライドと、それに対応した被害妄想’のために、自分の壁になる対象を否定。 それ故に一生を棒に
ふるってしまっている人」を見ると、敗北者と観るのも当然である。 もちろん誰の中にも多くの要素が存在している。
ー彼ら(自分)の心の呟きとは「そうでも思わなくては自分の精神を保つことが出来ない。それと実際のところ、そう思って
ストーリーの構築をしないと自分の正義は成立しない!」「敗北者には、お互いに傷を舐めあう共通精神が必要だ。 
その敗北者の共通根性こそ安らぎになる。我われには共通の敵がいるのだ。その共通の敵は、絶対数が少ないので攻撃をしやすいし、
攻撃することで我われのプライドは満たされている。敗者の惨めさは敗者しか味わったことがなく、この苦しみ、この惨めさは、
勝者には解ろうはずがない」「敗北というが、何を持って敗北と言うのか?決して敗北ではない! 立場が違うのだ!
大体が人が嫌いなのである、アクセクしているより面白おかしく人生を生きた方がよいではないか。
何を一生懸命生きる必要があるのか? 何を学ぶ必要があるのか?悪い奴らを疑い、憎悪するのは当然のこと、
叩かれれば叩き返せばよい。目には目をというではないか。何を奇麗事をいう必要など何処にあるというのか?」
等々と、それぞれの言い訳がある。(はっきり言うと、これは私の内面の声である。だから、スラスラ書けるのだ)
言い訳を先ず考えてから、ものごとに対処しようとするのが共通点にある。対象によって勝者と敗者に分かれる部分がある。
心の中は、この二人の会話の部分がある。だから複雑になってしまう。 でも敗者の方がいつも勝ってしまう。
心は否定の方が勝つ構造になっている。だから知識が必要なのだ。この年齢になって教養の必要性が今更のように解ってくる。
・・・・・・・・
2004年05月13日(木)
 1136, 「世界がもし100人の村だったらー(2)」
以前この本の(1)を買ったが、この続刊のー(2)が図書館にあった。
目を通すと、?(1)の解説書という内容であったが、さらに考えさせられるものであった。
これは世界の象徴であると同時に、グローバル社会の我々にとって、大きくかかわってくる。
ユダヤ民族が牛耳っているアメリカがいかに世界の富を独占しているか、そして貧富の差が世界を覆っているかが
一目瞭然と解る本ともいえる。イラクアメリカの侵攻の意味も、この数字を見ながら考えると不気味な感がする。
 ー「世界がもし100人の村だったら」ー(1)の概要を、ず抜粋してみると 
<世界には63億人の人がいますが、もしもそれを 100人の村に縮めるとどうなるのでしょう。>
  ー100人のうち
  52人が女性です  48人が男性です  30人が子どもで 70人が大人です そのうち7人がお年寄りです
  90人が異性愛者で  10人が同性愛者です  70人が有色人種で  30人が白人です
  61人がアジア人です 13人がアフリカ人 13人が南北アメリカ人 12人がヨーロッパ人 あとは南太平洋地域の人です
  33人がキリスト教  19人がイスラム教 13人がヒンドゥー教 6人が仏教を信じています
  5人は、木や石など、すべての自然に霊魂があると信じています
  24人は、ほかのさまざまな宗教を信じているか あるいはなにも信じていません
  17人は中国語をしゃべり 9人は英語 8人はヒンディー語ウルドゥー語を 6人はスペイン語
  6人はロシア語を 4人はアラビア語をしゃべります これでようやく、村人の半分です
  あとの半分はベンガル語ポルトガル語 インドネシア語、日本語ドイツ語、フランス語などをしゃべります
     (字数制限のためカット 2010年5月13日)
 『世界がもし100人の村だったら』池田香代子 
・・・・・・・・・・
2003年05月13日(火) 
 769,「私が20歳の頃」ー読書日記
 自分の二十歳の頃は何をして、何を考えていたのかなあ?と本屋で思わず手にとってしまった。
立花隆と東大生のゼミが、いろいろな年代の人たちにインタビューを試みた本だ。二十歳というと、人生の節目である。
その為この本に登場してくる人たちの話が自分との比較になってしまう。どんな人たちも二十歳のころに思い悩み、
試行錯誤しながら生きていた。このころといえば人生の前途に対して大きな不安と希望が混在していた時期だった。
個人個人のそれぞれの人生があるのがよく理解できる。それとそれぞれのバックグランドとしての時代背景があることが。
その時代背景が、その人の人生を大きく左右していることも読み取れる。こんど「私が20歳の頃」を、
このコーナーで書いてみようと思う。 以下はインターネットで調べたものです。
http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/~ctakasi/hatachi/
ーまえがきと目次と書評ー                新潮文庫
「私は何のために生まれて来たんだろう」「あの人の運命を決めた出来事とは?」
・・・・・・
2002年05月13日(月)
 405, 新潟駅前界隈     ー 駅前の変遷
駅前の変遷をいうと、10年前まではビジネス旅館とミニビジネスホテル、そしてファッションメーカーミニ工場が目に付いた。
 (字数制限のためカット 2012年5月13日)
・・・・・・・・・
2001年05月13日(日)
 図書館通い
毎週土日に1〜2回は必ず図書館にかよっている。大体好きなコーナーの好みの本は読んでしまった。
 (字数制限のためカット 2011年5月13日)