「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
 ギリシャ哲学の初めのころから、己について考えていた哲学者がいた。この文明の世でも、「自分」について考えようと
しない人が多い中、2500年以前に、このやっかいな自分について考えていた。 そのギリシャは、現在、国家危機の崖っぷち。
   * 古代の人間たちと自己の問題(ヘラクレイトスの驚きと戒め)
≪ 自己を問う試みは、ソクラテス以前の哲学者たちによってなされている。なかでも、その試みを自覚的に遂行したと考えられる
人物の一人は、初期ギリシアの哲学者ヘラクレイトス(前五〇〇頃)である。彼が残したとされる、「わたしはわたし自身を探究した」
(断片一〇一)という言葉の背後には、探究の視線を外部の自然から自己自身へと移し、自己の内に広大な探究の次元を見いだした
ヘラクレイトスの、自己への驚きが見てとれる。彼にとって、自己は問われるべきものとなった。
 彼は次のようにも述べた。「自己を認識すること、健全な思慮を持つことは、万人に許されている」。(断片二六)
その短い言葉を通じて、われわれが自己への関心、配慮をばねにして自己への探究を開始する存在であることが端的に示されている。
しかし、それを裏返せば、われわれは通常、自己を問題として受けとめることは少ないし、思慮を健全に保つことからも遠い存在だ、
ということである。よきことを考えて生きることよりも欲情にかられてよからぬ方向へとひっぱられていきやすいのが人間である。
それゆえ、彼は自戒の言葉を口にしている。「欲情と戦うのは困難である。なぜなら、それを欲する者を魂[命]をかけて購うから。
 放漫を消すことは火災を消す以上に急務である」(断片四三)
ヘラクレスは、人間がしばしば欲情の虜になり、とりかえしのつかぬことをしでかしたり、放漫、不遜になって、他人に不快感を
与える存在であることを見抜いた。人間は思わぬ仕方で壊れやすく、健全を失いやすいがゆえに、それに抗するためにも、よく
認識し、思慮を健全なものに保つようにしなければならないと考えたようにみえる。彼が認識したことは、自己を壊すものから、
自己を防御し、自己をよく整えるための自己認識であった。・・・≫
 ▼ 古代に、「わたしはわたし自身を探求した」とは、驚き。その頃から現在に至るまで、その問いが繰り返されてきた。
  まずは、他者と私、そして、自己対話をする内なる私と、分裂した私。それより、今過ぎ去ったばかりの己と、現在の己。
  欲望に支配されている私と、それを見ている私。ギリシャ哲学を知るにつけて、人間は二千五百年も考え続けてきたわりに、
  殆ど進歩していないというより、後退しているとも思える。いや、西洋的進歩という言葉自体が疑問である。それが構造主義
  につながっている。大きな節目には、それまでの自己が破壊される。その中で、破壊されてはならない核心は守らなければ
  ならない。そのために、この随想日記で、「節目どきに」「自己をみつめる」「自分の居場所のみつけ方」とかをテーマに、
  していた。このテーマも、その一連だが、哲学の具体的入り口は、「自分」と「死」と「神」と「自然」についてである。
  「私の事業」が崩壊して、残ったのは「自分」である。それも傷物としての自分。しかし、核心まで傷ついた訳でなし、
  問題は自己認識だが、どうもこうも、考えるほど、滑稽な行蔵しか残ってない。これも気づくかどうかの問題だが・・
  「欲する者を魂[命]をかけて購う」、その自分も、それぞれの他己から、自分の核心を守ることは至難の技になる。
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3961, 家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか
2012年01月29日(日)
 あるレポートに、「家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか」というテーマがあった。私たち世代の連れ合いが団塊世代のため、
身につまされるテーマである。その子供たちが「ゆとり教育」の犠牲者で、無気力世代として現在の社会の中核を占めている。
そして現在、団塊世代の退職期を向かえて世代交代が完了しつつあるが、良質の人材の比率が少ないことが深刻な問題になっている。
その中で団塊世代の母親は核家族化の中枢にあって家庭に対する価値観が失われていった。それが家庭内離婚を含めて過半数以上が
家族崩壊をしているのが現状である。  ー 次の部分は考えさせられる内容である。
≪ 数年前、行政企画の「団塊世代」をテーマにしたシンポジウムで、男性のことばかりが語られるので、団塊女性の老後の生き方に
提案はあるか、と質問した。ある男性の大学教員がこう答えた。「団塊世代の女性は、子育てに失敗した世代なので、その贖罪のために
孫育てに励んで、働く次世代の女性を支え、家族崩壊を食い止めなさい」と。 不登校や引きこもり、児童虐待、少年犯罪、DVなど、
家族を巡る現代の問題は、戦後の核家族を専業主婦として支えた団塊世代の母親に起因すると考えられているらしい。
 確かに、戦後の急速な核家族化は、人々が当たり前と思って担ってきた日本の伝統的な家族の機能を次々と失わせてきた。
これまでは、自然に生まれていた地縁による共同体を都会の核家族は作り出せなかったし、むしろ、家族は社会の荒波から
個人を守る防波堤、いや、高度経済成長期には産業戦士である男性たちを企業に送り出すための最小単位の基地と化していった。
それは日本社会独特の家族機能とし賞賛さて、某大手企業では妻に会社からプレゼントが届いたりした。
今も「あなたにとって家庭とは?」と問えば、中年以降の日本の男性たちは声をそろえて答えるだろう。「家庭とは安らぎの場」です、と。
だから、日本の夫たちが、もっとも恐れているのは、「妻の不機嫌」なのである。そもそも、一組の男女によって作られる家族の最大の機能は、
子育てである。 なぜ、人は家族をなさねばならないか、と言えば、今や、「子育てのため」に集約されると言ってもいいかもしれない。
そして、その子育ての目標は、すべての生物がそうであるように、子どもの自立。巣から子どもを社会の荒波へと押し出す役割である。
けれど、「安らぎの場」として求められた核家族は、この重要な役割で躓いた。子どもを抱き込み、社会の荒波から守る役割をこなすことと、
子供を突き放し、荒波の中に押し出す真逆なことを母親だけに担わそうとしたのは、結局、無謀な話だったのだ。 そして、親の介護。
 長寿社会では、介護もまた、重要な家族の機能として浮上した。けれど、家族はそれを結局は、担いきれなかった。・・・
目下、少子化もあってその夫婦と子の世帯の核家族まで下落していて、単身者世帯ばかりが上昇を続けている。・・・
 「一人家族」という言葉まで生まれ、2020年には約33パーセントが「一人家族」を形成するすることになる。家族の変容を
家族の進化と考え、知恵をもって、その進化に適応可能な社会システムを整えていく責務こそが、本気で求められいると考えるべきだ。≫
 ▼ アメリカのシリーズTV番組に「デスパラートの妻たち」がある。一見リッチだが、実は崖っぷちに立っている中年女性たちの危ない
  男女関係を含んだエピソードを描いたものだが、日本を含めた家族の崩壊を示唆をしている。あまりに価値観が多様化したこともあるが。
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3596, お絵かきロボット
2011年01月29日(土)                                
   * 画像転換ソフト
 最近、これまで撮った秘境・異郷先の写真を、「画像転換ソフト」で加工するのに凝っている。
カシオなどのHPにアクセスし、デジカメの映像を一度アップすれば、画像が水彩画や水彩画、スケッチ画、透明感イラストなど、
百位の転換ソフトで瞬時に書き換えられる。色いろの過去の映像を転換すればするほど、その出来栄えに驚いている。
これは人間のカタチはしてなくても、「お絵かきロボット」である。面白いのは実際の写真は平凡に見えても、絵にすると、
別ものになること。フリー(無料)のソフトで、これだけ素晴らしい加工をするのだから、有料のものを使えば・・
特にカシオの転換ソフトは素晴らしい。下手なイラストレターが描いたものより、既製品のソフトの方が遥かに上質な絵や、
イラストに転換してくれる。旅先で、水彩画や、スケッチを楽しんでいる人を見て、いつも羨ましいと思っていたのが、
そこの写真さえあれば、現在でも書き換えることが出来る。 何故に、この画像転換ソフトに、ここまで驚き惹きつけられるか?
というと、秘境の一番のポイントを自分の手で、書き残したいと思っていたのが、そこで撮った写真が、数年を経った現在でも水彩画や、
クレヨン画に変換出来るのが不思議で、奇妙な感覚になるためだ。 そのためデジカメの映像を絵画に換えていると、
当時の生々しい現場に引き戻される思いである。それと当時の画面の色彩の美しさを改めて意識させてくれる。
 気楽に使っている転換ソフトには限りないノウハウが入っているはず。こういうユビキタスが止めどなく我われの生活の中に
流れ込んでいる一例である。ソフトに美人修正とか、重ねがある。現在のネットと、電子機器の進化には日々驚きである。
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3231, フリー  −6
2010年01月29日(金)
  * フリーミアム
 この本は大きな波紋を示している。 新聞や月刊誌などで「デジタルのものは、遅かれ早かれ無料になる」という
 指摘が多くの議論を起こしている。 前に取上げた家の不用品をネット上で欲しい人に着払いでタダであげれば、
 両者とも良いことになる。 これはビットだけでなく、アトムの無料化の事例である。 贈与社会化である。
・同書のキーワードの概念は「フリー(無料)」と、プレミアム(割増料金)」を組み合わせた「フリーミアム」という造語。 
 無料で基本版を配布して広く顧客を集め、その中の一部が有料・高性能なプリミアム版に移行することで
 利益をあがるという、デジタル時代のビジネスモデルをさす。
・試供品配布などに代表される従来型の無料サービスが、5パーセントを無料で提供し、95パーセントを
 買ってもらうとう形に対して、「フリーミアム」の新しさは、95パーセントを無料で配布して、
 5パーセントから利益を上げるという点にある。 大量に複製配布するコストがほぼゼロになるデジタル化が、
 それを可能にしたとする。 その上で同書は「デジタルのものは、遅かれ早かれ無料になる」と、
 「フリーミアム」化の流れが不可逆であると述べている。 同書は昨年7月に、二週間の予定で全文を無料公開。
 30万ダウンロードされたにかかわらず、ニューヨークタイムスのベストセラーにランクインするなど好調だった。
 日本も一万限定で無料配布を始めたところ、ツィッターなどを中心に反響が大きく、二日で定員をオーバー。
 販売も好調だった。 自分で、それを自己証明したカタチになった。
 若い世代は当然という反応に対して、メディア関係者からは反発が多かったという。
▼ ブログなどは、取っておきの自分の情報を無料開放することで、それに反応してきた数パーセントの、専門の人との出会いがある。 
(字数の関係でカット2012年01月29日)
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 2856, つれづれなるままに
2009年01月29日(木)
  ー 当てごとは向こうから外れるー
「当てごとは向こうから外れる」とは「期待事は、自分の都合だけを考えてしまうので外れることが多い」ということ。
投機をしている人は、この意味の深さを十分に知っている。それから逃れるためには、「当てごと」をしないことだ。
事業も全く同じである。ついつい、自分の都合だけを考えて市場をみてしまい外してしまう。
実際の諺は「当て事と(越中)ふんどしは向こうから外れる」である。成るほどよく言ったもの。 
 今回のサブプライム問題で世界中の金融機関が破壊的な大打撃を被った。それもアメリカの金融機関が格付け機関
太鼓判を押した債権が紙切れになるのだから、詐欺そのものである。彼らは決して「当てごと」を外したつもりはなかった。
間違いないと信じていたのである。日経金融新聞の08年1月4日号が手元にある。その去年の予測は、日経新聞のプロの予測が
「米景気後半から回復」「事業法人の買い期待」である。「今年の株式相場」の専門家69人の予測は、年末に一万八千円超えが大多数。
一番低いのが一万二千円である。いかに予測が難しいかを示している。 
    ( 字数の関係でカット2010年01月29日 )
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 2008年01月29日(火)
 2491, 無くてはならぬもの −2              YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
                「無くてはならぬもの」 佐古純一郎著        
 まずは?の 生きる意味の創造 −から考えてみよう。「人生に目的があるかどうかではなく、
 自分はどのような目的をめあてに生きているか、というふうに問うべきである。」これを考えてみよう。
  ▼ 生きる意味の創造 ー本当の生きかたー
 人生に意味があるかではなく、いま我われひとりひとりが、生きることの中に、どういう問題を見出しているか、
 感じているか、ということが大事なことである。ここでは二つの生きかたを示して、その一つの生きかたを勧めている。
・人生にもともと意味などないという自覚に徹して生きるということである。この宇宙に、そして地球上に、
 一定条件の一つの結果として、たまたま生物なるものが生まれた・・  人間もその生物の一つでしかない以上、創造のの頂点として
 生まれたものでもない。その人間に人生の意味など、あろうわけがない。われわれが生まれようが生まれてきまいが、死のうが、
 一切なんの影響もない、生も無意味、死もまた無意味!という生きかた。
・いま一つは 人生の意味は先験的に私たちの中にあるのではない。虚無の中からの創造である。 私たちがつくり出していくからこそ
 人生に意味が生じるのである。どのような条件の中で、意味を見出しうるのか、を考え生きるべきであるということである。
 人生の意味とは、他者との力強い連帯がいきいきと成り立っているときのみ、生まれてくるのでないか、という。
 ー この二つの生きかたを通して、プロテスタントの佐古は、後者の生きかたを肯定している。
 私に問われれば、両者をコインの裏表として冷静に己の中に整理しておくべきと、現在では言うことができる。
 しかし当時の私には、「生きることの中に、意味を 創造していくべき」を当然のことと受けとめていた。
 また、その生きかたを良しとしてきた。当時の何人かの友人は、この二つを冷静に見ていたようだった。
 前者の生きかたも、この歳になると理解できる。上を見れば、きりがない。横を見れば情けない。下を見れば底がない。
 宇宙を見れば果てしない。こういう心境になっていくのである。後者は若者、前者は老年の心境といえるのではなかろうか。
  意味とは価値という意味もあるからだ。 そういえば心理学者のフランクルは、3つの価値を上げている。
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味=仕事・子育て・芸術を創造する
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味=自然にふれあう・芸術にふれる・愛する
3・態度価値: 状況・運命に対し【自分としての態度】を取ることで得られる価値・意味
 当時は日本ではフランクルは殆ど知られていなかったが、こういうこと!生きる意味とは。
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 2007年01月29日(月)
2127, アパ・マンション/ホテルについて  (o_ _)o.。o○グー   オハヨ〜
(字数の関係でカット2009年01月29日)        (*^_^*)ノほんじゃ!
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2006年01月29日(日)
1762, 愛のアフォリズム−2      ♪オハ(b´∀`d)ヨォ♪
ランダムに幾つか面白い順に抜粋していく。特に「結婚」に関する章が面白い!
「第八章 ああ結婚!」から面白そうなのを抜粋してみた。 人間形成の基本ベースは家庭にある。
その始まりが結婚というキッカケから始まる。 そして、その半分が家庭内離婚を含めて破綻する。
破綻した両親の下で半数の子供たちは悲惨な生活を強いられる。
人生の最大の決断は結婚といってよい。「その人物を判断するには連れあいをみよ」
というが、ほぼ間違いなく言い当てている。クサンチッペをみて、ソクラテスを判断はできまいが。                  
 =第八章 ああ結婚!=
結婚して最初の一年間、夫は支配権を手に入れようと努力する。
二年目にはいると、同権を求めて闘う。三年目にはいると、せめて身ひとつの生存を求めて悪戦苦闘する。
              (読人しらず) カンカンカン〜・・ ¶ゞ(; ̄д ̄)ノ☆=♀家内の ワラ人形
結婚生活が神聖だといわれるのは、きっと殉教者がたくさん出ているからだろう。(ルートビィヒ・トーマ)
恋愛とは短期的愚行。 結婚生活とは、短期的愚行にピリウドを打つ長期的愚行。(ニーチェ
結婚すると妻は夫の姓を名乗る。これは、戦勝者が会戦名を名乗るのに似ている。(モーリッツ・ゴットリー・ザーフィル)
おまえは生涯、妻を背負いつづけるかもしれない。でも、下ろすたびに妻は言うだろう。
「わたしゃ、くたびれた」と。      (モンテネグロの格言)
結婚生活は愛の置き土産です。      (ヘレン・ローランド)            (字数の関係でカット2012年01月29日)
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 2005年01月29日(土)
1397, 相手の話の聞けない人
『相手の話の聞けない人』といえば、誰もがピンとくるだろう。私の知っている限りでは、10人に1人あたりであろうか。
隠れ何とかを入れれば、その数倍であろう。それでも少なくなったが、今でも唖然とすることがしばしばである。
相手のことが見えてないのだ。この人はこういう人、あの人はこういう人という主観の思い込みが強いのだ。
世間体に言えば「頭ー固定観念ーが固い」ということだ。 地方の二代目に、こういうのが多いが。 身辺の長岡の二代目に、
そのタイプにも多いが今では殆ど淘汰された?いやこういう奴ほど、生き残っているか? 私もその一人なのだろうか?
(字数の関係でカット2012年01月29日)
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2002/12/24
パタゴニア旅行記ー7 
−話しまくる人ー
今回の旅行で面白い人がいた。常に一人話しまくっている人である。常に自分が話をしていないと気がすまない人だ。
アメリ経営学者のドラッガーの本にもこういう人のことが書いてあった。500人に一人の割合でこれで上手くいく人がいると
いっていた。タレントのタモリやサンマや古館一郎あたりの人のこと。相手の反応を見ながら瞬時に内容を変え続けられる人で、
一方的にしていてもう不快さを与えない人だ。誰かの話している間に割り込んで強引に自分の話題に引き込んでいく。
聞いているほうはたまらない。一種の自閉症に似ている。自分以外の世界を閉じてしまっている。三人のグループであったが、
その一人がコッソリト「あの人は悪い人でないが直らない病気!」と教えてくれた。誰もが持っているが、自分でコントロール
しているものである。私など人のことをいえた義理でない、他人より数倍その要素が大きい。それにしても老年に差し掛かった
女性のそれはすざましい。人の話を聞けない人は案外と多い。すぐに自分に置き換えてしまう心の癖がついてしまっている。
出羽の守という人だ。東京では、長岡では、仲間内では、家族ではという自分の世界の世界に置き換えてしまう人だ。
そうあの人のことだー幾らでもいるからこう表現した。この随想日記も一人話しまくっているようなもので、
自己対話という面で一種の自閉症のようなものか。人間その要素を誰も持っている。
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2004年01月29日(木)
 1030, ワークとジョブ
・ジョブは一般でいう繰り返しの仕事をいい、
・ワークとは創造的な仕事をいう。
従ってジョブは日常の8時間だけ働いていればよいが、ワークは24時間働かなければならない。
要するに仕事に知恵を叩き込まなくてはならない。仕事以外の時間に、知識の蓄積と知恵を出していかなくてはワークとはいえない。
一般的には、この差も認識してないケースが多い。 実際のところ、この数年ワークの仕事をしてきただろうか自分に問いかけてみると
「イエス!」と言いきれない。現在は問題山積みで、毎日がワークという実感があるが。学生時代は基礎知識と知恵の出し方を
学ぶところといってよい。社会に出ても、その蓄積を何らかのカタチでしていかなくてはならない。特に情報社会において、
変化に対して自らも変化し続けなくてはならない。一般に知的労働を含め、ラバー、ワーカー、スペシャリスト、トップに分けられる。
・ラバーは主に腕から先の作業を受け持つ人            
・ワーカーは頭は使うが、作業を中心に頭と身体を使う人
スペシャリストは、その道のプロとして24時間仕事に従事する人
・トップは、会社の方向ー方針と内部統括をする人に分けられる。
ラーメン屋や料理屋の亭主はその全てを受け持たなくてはならないから、傍で見ているよりズット大変である。会社が停滞をしたとき、
ワークがジョブに変わってしまうケースが多い。これは会社と人間の両方にいえることである。人間はジョブに流される傾向がある。
それを回避する為には、変化をおこすことが必要である。それをするのがワークであるといってもよい。
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2003年01月29日(水)
 665, 連れ合いーつり合い
以前ある大手の人事部長に「人の見分ける一番の虎の巻はあるのですか?」と聞いたことがあった。
「奥さんを見れば、ほぼその人が解る!」「なるほどな〜、下手な相手とは結婚できないんだ!」
25歳の金沢時代だった。考えてみれば、その人レベルの相手と結婚するものだ。酒に酔って思わず「出来ちゃった婚」もあるが、
その程度のレベルだ。知人の長男がそれで結婚し子供ができたが、嫁はもとの男と逃げてしまったと聞いた。
養子にして育てているが張り合いができて毎日が楽しいと。ある知人の奥さんが子供ができた後、子供が病気になって
血液検査のをしたら何と父親が違っていたとか。奥さんは子供を連れて蒸発したという話を他の人から聞いた。
(字数の関係でカット2011年01月29日) 
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2002年01月29日(火)
 315、心と意識と魂
心と意識と魂-その意味ー以前も書いたが!更に。「彼が彼女を意識したが」を「彼ー>彼女」のー>を意識という。
矢印そのものが意識というと、いまひとつ意識に対し明確な意味が解らなかったのが、矢印ひとつで、解って?しまうのが、
不思議である。絵文字の感覚を考える時、この矢印で考えると、見えてくるように思える。好きもハートの印で表現したほうが、
相手にストレートに通じる場合がある。ー心は円ー、ー魂は球ーが良い。心の中心点は何であろうか?正中心一点無で「無」か?
その内側は欲求というところ。「内側を意識で埋めると、円の上側80?のあたりにラインを引き、上が顕在意識、
下が潜在意識。上の空欄に小さな四角の書き、そこが自我、円の中心点がエネルギーの発生点」と何かの本に書いてあった。
心も「こころ」は仏心というらしい。
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1月29日 1969年 水曜日
朝10時に学校へ行く。寝過ごしてしまった。川崎と事業部で会う。そこで少し話をする。
彼から今日の分のコピーをもらう。午後帰寮する。その後ゼミのレポートを書き上げる。
その後価格理論をやるが、あまりはかばかしくない。夜半の三時に就寝。