「もうこれは世界大恐慌」朝倉慶著
  * 大波乱の幕開け!
 世界恐慌への不安をかき立てていれば何時か世界恐慌に間違いなくなるのだから、これほど確かなことはない。6京もの不良債権
世界中の銀行、政府、企業にバラ撒かれているのだから、何時か大爆発をすることは必定のこと。とはいえ、今だ沈潜しているのは
不思議である。考えられるのは、国家単位で合法的に一般国民に分からないように沈めておくことしか考えられない。それでも、
ユーロ圏内の綻びで何時爆発するか分からない。その時に連鎖爆発するのが、目に見えているため、各国の現政権トップは、
先送りするしかない。この本は取り立てて刺激的なことを述べているのでなく、分かりやすく書いているから良いのである。  
  ー背裏の見出しーより
 ◎CDS取引に手をつけたとたんに世界は終わる        ◎へッジする手段を失つたヨーロッパで国家破綻が続出する   
 ◎ユーロ破綻を見越して姑息に動くヘッジファンド      ◎本当に助けたいのはギリシアではなく、自国の銀行     
 ◎スイスが強行した無制限の為替介入は亡国の決断      ◎日本はユーロ買い介入のかたちで、EFSF債を買わされる  
 ◎次の姿リンブリン危機の本格的ターゲットは間違いなく日本 ◎オリンハス株空売りで大儲けしたずごい手口     
 ◎2012年には怒濤の円安が待っている            ◎金は4000ドルを突破していく 
  ー「はじめに」ー で、以下のように現状を書き表している。
≪ 2001年の9・11同時多発テロ、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災と、21世紀に入って驚くような事件、出来事が
 相次いでいます。そしていよいよ2012年にはこれらの出来事を凌ぐ、人類史における大変化が我々の上に降りかかってくるのです。
なぜ、そんな事態が起こってくるのか? この本では様々な視点から現在の世界、並びに日本における問題点をあぶり出し、それが
もうどうにもならないところにきていることを解き明かしていきます。まず中東情勢。平和ボケしている日本人にはピンときませんが、
多くの核開発が秒読み段階にきたいま、火薬庫と呼ばれる、この地域は平穏無事でいられるのでしょうか? 自らの生存権を脅かす
イランの行動に、イスラエルは黙っているのでしょうか? 
 また、ユーロそのものに無理があるのです。ユーロ圏では経済好調のドイツ一人勝ち状態で、南欧諸国の経済は次ぐ財政再建の要請に
疲弊する一方です。若年者の失業率がスペインでは46%という有様です。そして域内の国債価格の値段の下落(金利上昇)が止まらなく
なってきています。ユーロ圏各国は不毛な会議を繰り返していますが、いよいよ市場から暴力的なユーロの空中分解が起こってくる。
 また世界を覆う金融の肥大化、闇は広がる一方です。CDSと呼ばれる倒産保険が世界中で取引されています。日本の数値は1・3%、
日本国の破綻確率は6・5%です。ユーロ圏の中核国の一つフランスは、CDSの数値が2%、破綻確率は1割を超えます。そしてギリシア
至っては破綻確率が98%で、ギリシアは金融の世界では国としての体をなしていないのです。なぜ実質破綻している国家が破綻認定
されないのでしょうか?破綻確率98%などというのは、数字の遊びなのでしょうか? 日本の財政はどうなるのでしょう? 税収38兆円で
約100兆円の予算を組み、累積債務が1000兆円を超え、完全に持続不能財政破綻は必至。なぜ日本国債の相場は安定しているのか?
金利の急上昇、国債暴落はいつ来るのか?財務省の攻防と金融機関の思惑、知られざる日本国債の相場のカラクリに迫ってみる。≫
 ▼ この9月から年末にかけて、リーマンショックに匹敵する大きな国債か、株式の暴落が発生する確率が高いのは、別に、
  この本だけでなく、潮流の流れからいって誰の目にも明らかである。シリアにイスラエルとトルコが介入し、そのドサクサに
  イスラエルがイランの原子炉を攻撃し、それに対しイランがホルムス海峡を閉鎖、そこにNATO軍が総攻撃というのが、筋になるか。
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3778, ユング ー12
2011年07月30日(土)
   * 箱庭療法 ー1
  ユングといえば(日本では)河合隼雄で、砂遊び療法を箱庭療法に発展させた人。彼の著書で、その概要は知ることになった。
 一種の創造療法だろう。幼児の頃、砂場で山を作ったり、幼稚園で初めて手にしたクレヨンで我を忘れて家や動物の絵を描いた、
 あの頃に立ち返り、用意されたオモチャの植物や動物で、思いのまま自分の内的世界を表現することで、自分の中の何かにつながる
 方法である。 その辺のことを、あるHPに分かりやすくマトメテあった。まずは、その部分をコピーしてみた。
≪ 「箱庭療法」は、1929年、イギリスの小児科医ローエンフェルトが、子供のための心理療法として考え出したもの。
 ユング派の心理療法家ドラ・カルフが「砂遊び療法」として発展させた。 後に、日本の心理療法の第一人者であり、
 ユング派の心理療法家でもある河合隼雄氏が日本に持ち込み、「箱庭療法」と名づけた。 その方法はいたって簡単。
 52cm×72cm、高さ7cmの長方形の箱に砂を入れます。さらに、動物や植物、建物などの様々なおもちゃ、人形などを用意し、
 適当な場所においておきます。患者は、箱庭のなかに、先ほど説明したおもちゃや人形を自由に使って、遊びながら自分の内的世界を
 表現していきます。ここでは、治療者は、特になにもしません。患者(クライエント)を見守る役に徹します。この「見守る」ことには、
 深い意味が込められています。治療者は「見守る」という行為を通して、患者の状態を深く理解していきます。また、患者は治療者に
 見守られていることで、安心して自分自身の内面を表現することができます。1回の治療単位をセッションといいますが、患者が箱庭を
 見つめるだけで、なにも表現しないセッションもあります。また、ただ砂にさわって砂遊びをしているだけのセッションもあります。 
 こんなセッションのときでも、治療者は特に指示をしないで、見守り続けます。   ーつづく ≫
▼ 人生を俯瞰すれば、箱庭みたいなもの。色々なオモチャを掻き集めて、自分の庭に配置する。それを、小さな箱内でやるのだから、
 面白いといえば面白い。言語というと、その限界で真の気持ちが表現できないが、玩具を箱庭に気ままに配置すると、自分の中の精霊が
 知らないうちに心の底から湧き出てきても何ら不思議ではない。私は家庭菜園は知らないが、そこには、箱庭的な面白さがあるはず。
 他に遊戯療法というのがある。これは遊びを通して悩みや問題を表現し、子供の心理的な問題に取り組み、課題を乗り越える。
 この場合、次から次へと玩具を変えて落ち着きのないケースが多くなる。言葉や絵となると、その表現に限界ができるが、玩具の
 組み合わせは、それを取り除き具体的なモノを組み合わせることで自分の心が表現される。 この随想日記は、言葉の箱庭?になるのか?
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3413, 中学校同期会 −65歳
2010年07月30日(金)
 まだ65歳まで半年あるが、先日、長岡郊外にある蓬平温泉で中学校・同期の会が開催された。 (前期高齢者入会の会)
出席者が67人で約2割が出席をした。この年齢では2割弱が亡くなってので、亡くなった人が、逆に出席している
「あの世の会」と思うと一人ひとりが際立って見えてくる。把握された亡くなった一割近くの27名が名前が呼び上げられ、
黙祷をした。 5年前に還暦の会が開かれたが、このときは、三分の一の110名の出席者であった。4割減ったことになる。 
60歳を過ぎると年々、老化が目立つようになる。 事故、糖尿、脳梗塞などで、何らかの問題が肉体に出てくる時期にはいった。 
今回の同級生に卒業以来初めての出席の女性が2人いたが、どのような感慨があったのだろう。 前回の還暦の会の時には
懐かしさのあまり泣いていた人がいた。私のいたクラスに面倒みの良い女性が二人いて卒業以来、頻繁にクラス会を開かれていた。
20歳代を除くと、高校時代を含めて、ほぼ毎年開かれていた。 しかし年々、参加者が亡くなったり、転居をしたために、
還暦を機会に、他のクラスに呼びかけ同期会になってしまった。地方だから可能なのだろう。
男80歳弱、女86歳強の平均年齢と先日、発表されたが、まあ全体活き活きしており、その位は生きそうだ。
それにしても、65歳は長く生きたものである。この年齢になると分かってくることは、人生は生きること、そのことが
目的である。それで充分。 しかし、恵まれている人は何処までも恵まれており、そうでない人は、そこから抜け出せないのが
人生のようだ。九州など県外からの出席者が三分の一位だったが、一回ごとが一期一会になる。
子供の頃の想い出は魂の故郷というが、昔話に花咲くとき、なるほどと合点がいく。通ってきた道で出会うことは、
奇跡的なこと。一人ひとりには、それぞれの宇宙がある。その宇宙同士が触れ合うのは素晴らしいと、歳を重ねるごと実感する。 
 それにしても、幹事は大変である。 とりつかれたように役をこなしていたが頭が下がる!
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3038,明日になれば何とかなる!
 2009年07月30日(木)
 これは菊田一夫の言葉である。 誰もそうであるように、若いときは心配性の傾向が強い。そして長い人生で色いろ経験して
分かったことは「先の心配事は、その時になってから当たるしかない。で、今は問題の中心から目を外さないこと。 
明日は、明日の風が吹く。今心配しても、今心配している範囲のことしか考えられないのだから、それ以上のことは考ても同じこと」
である。「明日になれば何とかなる」の菊池の土壇場での悟りのような言葉は、何か心に迫ってくる。創業時の不安感は、
底知れない海の上を小さなボートで漂っているようであった。 そういえば一休の逸話があった。
 一休禅師が亡くなる直前に、三巻の巻物を弟子たちに遺した。 そして・・・
「この先、私が亡くなった後本当に困り果てた時にだけ、これを開けなさい。それまでは絶対に開けてはならない」と遺言し、
遷化されました。何年か後に、寺に大問題が持ち上がり、寺の存亡の一大事になりました。弟子たちは、知恵の限りを尽くしましたが、
妙案を思いつかず、どうしようもなくなってしまった。そのとき、一休禅師が遺してくれた巻物のことを思い出して、
恐る恐る紐解いてみると、そこにはこう書かれていた。
 一巻目・・・大丈夫  二巻目・・・心配するな  三巻目・・・なんとかなる
 それを見た弟子たちは、あっけにとられ、笑い出した。そして、そのときに素晴らしい解決策を思い浮かべた。
 「なんとかなる」と信じていたら、本当に「なんとかなる」もの。
 「なんとかなる」だけではなく、人生は思いようで、本当は「なんとでもなる」ということである。
 19才でライ病発生以来深刻な体験をもとにリアルな小説「いのちの初夜」などを書いた北条民雄に次の言葉がある。
《 私にとって最も不快なものは、あきらめである。 あきらめ切れぬ、という言葉は、あきらめを肯定してそれに
 到達しえぬ場合にのみ用うべきものである。が、私はあきらめを敵とする。私の日々の努力は実にこのあきらめと戦うことである。
 あきらめるくらいなら自殺した方がよほどましである。 というよりも、あきらめと戦うためには私は決して自殺をも否定しない。
 死んで勝ということは絶対にないが、しかし死んで敗北から逃れるということはあるのである。》 (北条民雄(頃日雑記より)
 絶望の果てに行き着いた言葉だから、鬼気迫ってくるのである。 
 明日になれば何とかなると、何もしないで生涯を過ごした人を多く見てきたが・・ 大部分の人は似たようなもの?
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2673, iPhoneは、超小型パソコンだった!
 2008年07月30日(水)                    (っ´Ι`)っ { おはよう
一昨日、iPhoeを購入した。新潟市郊外の赤道の山田デンキで買ったが、説明やら、手続きに二時間もかかってしまった。 
購入の手助けをしてくれた知人と、購入直後に居酒屋で操作をしながら、「これは何だ?」と丁度よい酒の肴になった。
携帯電話や、情報だけの端末ではないし、パソコンの括りにも入らないし、何だろうかと? 私が玩具ではないか?というと、
そんな軽いものじゃないと反論された。そりゃそうだ。私の現時点の判断は、「ポケットサイズのタッチ式超小型パソコン」である。
超小型のため、身体に密着できて、タッチで情報を瞬時に呼び寄せることが出来るところがミソ。それに音楽が数千曲も入力でき、
電話が出来て、インターネットもできる。カメラや、携帯電話機能は、多くの機能の一つでしかない。現行の日本の携帯電話は、
各メーカーが競って色々の機能を付加していったもの。そのため、その多くは使われない。平均5?の機能しか使ってないという。
ボタン・キーは他に無いので慣らされ使っているだけのこと。この中の機能で驚いたのが、みたい部分を二回、指で叩くと拡大する。
これで小さい画面のデメリットをカバーしてくれる。よく考えたものだ。ただ、文字入力が慣れないせいか、躊躇している。 
キーワードは、 ワイヤレス通信 ・マルチタッチインターフェイス ・超小型(ポケットサイズ)。
常にポケットに入れておけるところが良い。脳のサイボーグ化?ともいえる。次ぎのポイントは低価格化が可能かどうかだろう。
私自身、7年前にこのHPを開設してから感覚が変わってしまった。開設してから数年後に、ブログという個人のHPが爆発的普及した。
更に携帯電話が爆発的に普及をし、機能も良くなった。そして、これからは「ワイヤレス超小型携帯パソコン」である。 
これは世界を、更に根こそぎ変えるだろう。携帯電話はタッチ式に大きく舵を切るだろうし、あと十年後から振り返ったら、
これは大きな折り返しの歴史的マシーンの位置づけになるだろう。パソコン?に、携帯電話と、カメラとiPodを付けてポケットに
入れたという意味で!そんなものが果たして必要か?皆が持ち始めれば必要になるのでは?お宅という言葉も、これで死語になるのでは?
部屋に居る必要もないからだ。  いや、閉じこもりは別か! ヾ(^ω^*) あと、数日経ったら、その後の感想を書きます。 
まだ、焦って買うこともないようだ。
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2007年07月30日(月)
2309, 自民党が惨敗!
              ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
参院が予測どおり自民党の惨敗に終わった。 当然だろう。
自民党のパフォーマンスには、国民はうんざりである。これで本来あるべき二大政党の枠が出来上がった。
小泉が党内の保守派=悪との対立軸を作り、旧来の自民党をそのまま存続させたのが、安部政権である。
岸信介の孫、安部晋三の息子というだけで、憲法改正の騎士として期待されてなった首相である。
だから、あれだけ甘い組閣をしたのである。最後は赤城農林大臣だが、その前の防衛大臣がタレント上がりの女性はいただけいない。
(字数の関係でカット 10年07月30日)
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2006年07月30日(日)
1943, ローマから日本が見えるー17          八∋ウ_〆(∀`●)
第七章「創造的天才カエサル」ー4
 ーカエサルがヨーロッパを作ったー
ところで、カエサルによるローマ帝国の安全保障構想は、後世のヨーロッパ史にも大きな影響を与えることになる。
カエサルがヨーロッパを作った」とする人も多い。 現在の西ヨーロッパの都市の多くは、
カエサル以降のローマ帝国時代に作られた軍団基地や、植民都市を起源としています。
・フランスのリヨン、ストラスブール、フレジュス  ・ドイツのケルン、ボン、マインツ  ・イギリスのヨーク、チェスター、バース
オーストリアのウィーン             ・ハンガリーのブタペスト、セルビィア ・ユーゴスラビアベオグラード 
 などなど・・・  ヨーロッパは古代ローマ人によって作られた。
 ーなぜカエサルは寛容を掲げたのかー
カエサルは「新しいローマ」のグランド・デザインを描き、それを次々と具体化していったが、その構想をよく理解できた人は
同時代に一人もいなかったといってよい。当時の一番の知識人であった歴史家のキケロさえ、カエサルは協和制の再建に力を
貸せてくれるものと信じていた位である。
   (字数の関係でカット 10年07月30日
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2005年07月30日(土)
 1579, 閑話小題
 一昨夜の夢の話ー
面白い夢を見るものだ。医者から薬による至高体験のため、無害の麻薬を注射してもらった夢である。薬によるハイ状態とはどんなものか、
病院のベッドに横になって冷静に薬によるハイを待っている。ところが、横になっていなければならないのに、歩き出してしまった。
危ないと思って元のベッドに戻った。しばらくすると、フア?とした酔った感覚になった。潜在意識が、薬の至高状態の経験を夢の
カタチでさせようとしたのだろう。安全であれば一度は経験してみたいが、安全のわけがない。インドに行った時ツアーの同行の女性から
?を飲んだ体験談を聞いたことがあった。とにかく可笑しくなり腹の底から笑って嬉しさが極限になるとか。経験者がいうことは解りやすい。
 ー広い世界に馬鹿ひとりー
    (字数の関係でカット 10年07月30日
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2004年07月30日(金)
 1214,パスカル(3)ー哲学についてー24
  ー「賭けの断章」ー
「賭けの断章」は『パンセ』の中でも最も有名な断章の一つである。神の存在と信じる方に賭けることの有利さを確率的議論から
 説得しようとするものである。「神は存在するか、しないか。どちらに賭ける? 」すでにこの世に生きている以上、この勝負を
 降りることはできない。賭けないということ自体が、結果的に一つの選択になる。
 賭ける対象は「自分の人生そのもの」であるから大きな命題だ。
・神が存在するという方に賭けて、勝てば永遠の生命と無限に続く喜びを得て、人生は意味あるものとなるが、
 賭けに負けても、失うのものは何もない。
・反対に、神は存在しないという方に賭た場合、たとえ賭けに勝っても、儲けは現世の幸福だけである。
 死後は虚無とみなすことになるから、得るものは何もない。逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。
 来世の幸福をすべて失うことになるからである。如何みても神の存在を認めるほうが有利であると言いたかったのだ。
 37年前、『パンセ』のこの断章を読んだとき、ナルホドと納得をした。といって、今さらキリスト教関係のクラブに
 入るには遅かった?  せっかくミッション系の大学だったのに惜しいことをしたと悔いが残った。
 理性で納得し、心情が同意するためには時間がかかる。そのためには人との出会いと時間が必要であった。
 しかし、今から考えてみて、自分は仏教の方が向いているが。
ー以下はパンセの中の断片集の抜粋である。
・人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。
 むしろ同時に二つの極端に達し、その中間を全て満たすことによって、それを示すものである。 
・人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。 自分自身においても、また他人に対しても
・もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。
 人間のむなしさを知ろうとするなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい。
・人間はつねに、自分に理解できない事柄はなんでも否定したがるものである。
・人間相互の尊敬を結ぶ綱は、一般的に必要から生じたものである。というのは、全ての人間が支配者に
 なりたがるが、みながそれになるわけにはいかないし、各種の階級が存在せねばならないのだから。
・悲しみは知識である。多く知る者は恐ろしき真実を深く嘆かざるをえない。知識の木は生命の木ではない。 
・好奇心というものは、実は虚栄心にすぎない。たいていの場合、何かを知ろうとする人は、ただそれについて他人に語りたいからだ。
・人からよく言われたいと思ったら、自分のよいところをあまり並べ立てないことである。
・この無限の空間の永遠の沈黙は私に恐怖を起こさせる。
・人間は考えるために生まれている。ゆえに人間は、ひとときも考えないではいられない。
・ひとつの事柄についてすべてを知るより、すべての事柄について何らかのことを知るほうが、ずっとよい。
・我々は現在についてほとんど考えない。たまに考えることがあっても、それはただ未来を処理するために、
 そこから光をえようとするに過ぎない。現在は決して我々の目的ではない。過去と現在は我々の手段であって、
 未来のみが目的である。
・習慣は第二の自然だといわれているが、人は、自然が第一の習慣だということを知らない。
・誤った法律を改正する法律くらい誤ったものはない。法律は正義であるがゆえに従うといって服従している者は、
 自分の想像する正義に服従しているのであって、法律の本質に服従しているのではない
・偉人が我々より偉いのは頭が少しばかり高くでているだけのことで、足のほうが我々と同じくらい低いところにある
・実物には一向に感心しないくせに、それが絵になると、似ていると言って感心する。絵とはなんとむなしいものだろう。
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2003年07月30日(水)
 847, 海は見ていたー映画日記
 wowowで放映した映画『海は見ていた』がすばらしい内容であった。レンタルのDVDで見た『たそがれ清兵衛』と『阿弥陀堂
に匹敵する。山本周五郎の作品を黒澤明が脚本をしたものを、熊井啓が監督して面白くないわけがない。
江戸の深川岡場所でくりひろげられる人間模様と心根の美しさが何とも清々しい。熊井啓も二人の作品を映画化できたのだから
監督稼業として最高だろう。主役の若い女郎の心根の美しさがよく出ていた。日本には日本の素晴らしい人情がある。
   (字数の関係でカット 09年07月30日)
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2002年07月30日(火)
 472,近くの川の鴨
15年前に自宅から150m先の川に鴨のツガイが来た。そして半年がたった頃13羽の雛を連れていた。
そしてある時期が来ると旅立っていった。そしてある時期が来ると再びやってきた。その都度その数がどんどん増えて、
一時200?300羽まで増えていった。ところがその一番多い時期から河川工事で川の泥が整備され、鴨が住む場所が少なくなり、
今では50〜100羽近くまで減ってきている。今では鳩やカラスと並んで、鴨の姿は一般的の光景になっている。
人家の近くは猟がない事を経験的に知っているのだろう。鴨にも大型と小型の鴨がいる。それと渡っていく鴨とのこり鴨がいる事が、
散歩で解るようになった。少し話が反れるが、結構多くの種類の鳥がいる事も知った。見たこともない鳥もけっこういる。
こんな近くで鶯、カッコウ、鷺、雲雀、もず、などだ。
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2001年07月30日(月)
 [92] 変わった人ーとの出会い
 旅行それも秘境系に面白い人が多い。
・人生の余白を埋めにきましたとか、
・毎月ー年12回来ている人とか、女の人で退職金使い切るまで続けるそうだ、
・100回目の人とか(はじめ50回で目を回してしていたが)、
・12日間の旅行に布のショルダーバッグ一つ。グレーのスーツにポロ、その上によれよれレーンコート。
  行き先はヨルダン・シリア・レバノン。着いてみると現地人は正にそのスタイル。彼のほうがピッタシ。
・57歳のグランドオールドミスが一人いらいら。キャリアウーマンは会社から見たらヘドロの典型! 会社の中は天国、こちらは地獄!
・大手の社長か会長あがりの人物。この前まで偉かろうが旅行の最中はただの旅行仲間!の意味が全く解ってない!人。
 奥さんこっそり社会復帰のリハビリのこれが初めての旅行と教えてくれた。
・生死の手術の後、奥さんと来てヒマラヤを見て泣いている人、
・10年ボケの父親を見送り世界中を旅行しまくっている人、