* おもいのままに 
 緑の原野からサバンナへの移行をした、とか分かったようなことを言っている割に、話題の中心は現在の世界情勢、特に、
世界恐慌という大津波襲来の内容が多い。百年、5百年、千年スパンの大変動の大波が襲来するのを、外海?の地平線に
目を凝らして見つめるのは人情として当然だが、どうも期待半分のようでもある。 現に到来した時の惨状は、10年〜20年以上に
わたる長期的になり想像を絶したものだろう。 現に私が、その前波で一年前に事業継続を断念したこともある。
しかし裏山に避難して海原をみると地平線の本体の大波は近づいているのがよく分かる。眼下をみると、これまで通り人々は
何も変わることない生活を送る人と、海辺で浸水が始まり慌てている人もいる。 鈍い人は、現実に大波が来ないと分からないのだ。
ただ、それぞれの立ち位置で、問題の大きさが違うから難しい。5階以上のビルの人にとって、それほど慌てることもないが、
目先の生命は助かっても生活圏が根こそぎ破壊されてしまう。 時どき週刊誌に、大津波の襲来と対応策が見出しに掲載されるが、
売らんがための大げさな見出しとして、狼少年の騒ぎとして見ている。しかし、NHKが特番で危機の深刻さを報じているので、
分かっているはずだが。また私の知人の子弟が外国に留学やビジネスで滞在している人が多い。彼等も二分していて、対策をとる人、
とらない人がいる。どっちにしても、この年齢になれば、何があっても先が知れている。初めは、戦争勃発による株式の暴落から
始まり、ハイパーインフレ、そして銀行閉鎖か? それもなく、延々と現状が続くのか?そうあって欲しいが、有り得ないこと。
   * 父親のこと
 父については何度か書いてきたが、年齢を重ねるごとに父親のことを思い出すことが多くなっている。
年齢が父の晩年に近づいているためだが、どうしも自分と対比してしまう。 私が父親の42歳時の子供だったこともあり、
私を特別視をしてくれていた。その影響はプラスマイナスにも、現在も強くある。父親の死は最大の子供へのプレゼント
という話を聞いたことがある。自立をするためだ。 その意味で私が26歳の時に亡くなったことは丁度良いタイミングであった。 
その頃から創業を始め、結婚も重なり決断は自分独りでするしかない。経験不足の身にとって一つ間違えると地獄のそれは、 
結果が直接、跳ね返ってくるため厳しい。それも、自信が無くとも、分った振りをして決めるしかない。 事業人生の40年間は、
特に、その場で瞬時に判断しなければならない世界。去年の節目から16ヶ月になるが、今だ解放感で空中を浮いているように
気持ちが軽くなっている。 現役の方が良かったなど懐かしむ気持ちは今だになれないが、後悔とか、未練は全くない。
 父は42歳で終戦を向かえ、10数軒あったという貸家は長岡の空襲で全て燃えてしまい一財産の殆んどを失い、そこから
裸一貫から第二の人生が始まった。その頃に私が生まれたが、当時の記憶は生まれた数ヶ月後からハッキリと憶えている。
変化変化の刺激的な日々だったからだろう。その中で必死に働いていた両親の姿が子供心に輝いて見えていた。
 ・・・・・・
3769, 下流の宴 ー2
2011年07月21日(木)
 昨日、7回シリーズの「下流の宴」−最終回のビデオをみた。これでシリーズの録画、3、4、6、7をみたことになる。
内容は団塊世代の現状の起承転結の転結そのもの。 遅かれ早かれ人生は、こんなものであると・・。下流と見下された少女と、
上流?家族の母親との対比の中で、下流、上流とかいう世間体の虚実を浮かび上がらせている。 この隠れテーマは、
「総中流だった団塊世代の崩壊と現代の若者」で、上流とかいう虚妄の実態を面白可笑しく表現している。下流と蔑まされた
痛いげない少女の必死な姿を通して、人間の品格とは何かを問おうとしている。あの夫婦の姿は多かれ少なかれ、定年をむかえている
団塊世代の家庭内に見られる実情。 そこで、問われるのは、「考える」ということ、定年までの準備の有無、そして、これまでの
人生を如何に生きてきたかである。 あの家族の父親が自分、医者の娘というだけが誇りの母親が家内、そして二人の息子を、
あの二人の子供に重ねると、他人事でない? で、どうした!である。 家族には、それぞれの結末が待っている。 
最後は永遠の果てに散っていくのである。それが早いか遅いかの差でしかない。 医者を偉そうに取り扱っているが、
現在の医師の8割は技術者でしかない。そのことを当人たちは熟知している(はずである?)。何かに向かい一心不乱で努力する姿勢、
それに対し全く無頓着の生様、それぞれの人間の姿を作家の林真理子は表現したかったのだろう。蔑まされていた娘が独りで、
医科大学に入って、医者の道を歩くところで、終わっている。 それをバカバカしいと断念する方が面白いのでは?と、思った。
が、これはこれで良い。「世の中の人が総下流なら、それは中流ではないのでは?」と、常々思っていた。
娑婆では下流は平均値の半分以下の収入を言うらしい。国民年金で生活する人たちが下流?というのだろうか? 鳩山一族が上流? 
こうなってくると、漫談になってくる。ところで、私が学生時代に入っていた馬小屋のような寮の住人。 その人たちの実家は
玉石混合だったが、学生時代の寮生活は、こんなものと、誰もが着るもの、食べるものに無頓着であった。 親が自営業だった?から、
仕送りは実家が裕福かどうかに関わらず、ギリギリだった。 むしろ、それを全員が楽しんでいるようだった。誰も実家の裕福さなど
問題にしてなかった。 日本は、アメリカの属国だったこともあり、経済大国といわれ、アメリカに次ぐ豊かさを一時的に謳歌した。
それが、この20年間で・・・ 最後は東北大震災がトドメ。下流とは言わないが、中の下。団塊世代と同じである。
米国が国債のデフォルトを臭わせてきた・・ 500兆以上は買わされているというが・・・ 待っているのは、下流の宴か、やはり。
 ・・・・・・・                               ーたまたま去年のテーマが、それであった。
3404, この国の終わり
2010年07月21日(水)
         「この国の終わり ー日本民族怪死の謎を解く」 林 秀彦 (著)
 18年間の海外生活から帰国した著者の目に映った日本は、いまにも滅亡しようとしている無惨な姿だった。
この本で三冊目になるが、時系列でいうと遡って読んでいることになる。帰国後の早い段階で書かれたためか、日本の惨状の驚きと
、怒りが新鮮である。 アメリカが60年間かけて作りあげた被植民地国家の悲惨な姿に唖然とし、そして怒りの言葉が続く。
私自身に著者が罵倒していると思いながら読むと、一言一言が胸に刺さる。日本人には、そもそも「考える」という総合的な頭脳的現象が
存在していなかった、という著者の見方が一貫している。世界は常に修羅場であり、「決闘の場」なのである。相手が選ぶ武器は、
こちらの武器でなければならない。剣には剣、銃には銃である。何より必要なのは悪だくみには悪だくみ、最低でも同等同質の武器を
持たないで生存が不可能というが・・。グローバル化、ネット社会に入ってしまった現在、これまでの島国の国民性の改造が必要になる。
  ーまず、印象に残った箇所から
 * 恐怖不感症もしくは不安鈍感症 −P63
日本人は、世界一信じやすい民族なのだ。「疑っちゃ相手に悪い」という心情が働く。何でもかんでも「信ずるものよ、幸いなり」
で貫く。疑うことは不道徳、といった観念まである。恐るぺきノータリン、ノータリンここに極まれりである。
疑うという心情作用は一種の恐怖であり、不安によって触発される。簡単に言えば、人は恐怖と不安という触媒によって進歩する。
ところが日本人は恐怖不感症である。不安鈍感症である。あるいは逆に、あまりにも臆病で卑怯だから恐怖や不安を先回りして回避する。
目をつむり、恐怖の実体を無視する。そしてその場限りの「逃げ」だけで片付ける。だかち戦争をはじめとするすぺての防災対策は
後手後手になる。治にあって乱を忘るるなかれ、などという段階ではない。乱の真っ最中でも、その乱を感じ取れずボケている。
呆けているほうが楽なのだ。そしていままでそれで何とかやってこられた。幸いなことにこの列島は資源がほとんどない、だから助かった。
 〜〜
 この国家的危機の中でも、国民の危機感が感じられない。そして頭を(首相を)取り替えることで、目先の不安解消にしている。
もう絶望の事態だろう、これでは。65年かけたアメリカによる日本国民への植民地化計画の完成が、現在の日本人である。
自分を見れば分かることだが、家内や親戚など身近な人を見ても、その完成体?に近いのでは、と新鮮に驚いている。
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3029,本屋に行くと何故トイレに行きたくなるのか?
 2009年07月21日(火)
 学生時代に新宿の紀伊国屋に行くと高い確率でトイレに行きたくなり不思議に思ったことがあった。そして、新潟に帰ってきた後も、
新潟の万代シティの紀伊国屋に行くとトイレに行きたくなった。ところが歳を重ねるにつれて、全くなくなったのは何だろうか。 
若いときは、このことが独自のことではなく、一般的傾向など知らなかったし、そういうことを話題にすることもなかった。
最近になって、私だけの傾向ではないと知った。本屋だけでなく、図書館も同じような傾向があるが、本屋の方が傾向が強い。 
私の知人は便秘気味になると図書館に行くという。あのかび臭いが効果があるという。インク、のり、紙などの複合した臭いが、
脳のどこかを刺激するものと言われている。私自身も、その臭いが条件反射的に生理反応が起きるのか、一冊一冊を手に取るときの
何か異様な緊張感が、そうさせるか半々だろうと思っていた。 いま一つは著者の凝縮したエネルギーが、その本を手に取り、
中を覗きみることで、脳に強い刺激を与えることも考えられる。大腸は脳の刺激を一番刺激を受けるというから、その要素が
重なるのだろう。また作家の霊(思い)が本屋や図書館に漂っていて、更に大腸を刺激するのである。 
 作家の山田風太郎は霊感が強く、全国の神社・仏閣に行くと、必ずトイレに行きたくなるという。私は外国のお城の牢獄に行くと、
必ずといってよいほど変になる。何か寒気を感じた後の15分ほどでアッきた、という感覚である。それも急性とくるから、大変。 
石牢の冷たさと自己暗示もあるのだろうが。イスラエルの城で、スイスのレマン湖の岸辺の城で、オーストリアの城で、
書けばきりがない。 ツアーといえども、外国は非日常である。 トラブルの全てが出る。秘境ほど。だから行くのである。
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2664, インドの女盗賊プーラン
2008年07月21日(月)
 図書館で見つけた、「インド盗賊の女王・プラン・デヴィの真実」に、一人の女性の壮絶な人生があった。
彼女の語った世界には尋常ならざる悲惨な現実が次から次へと出てくる。NHKスペシャルで昨夜もインドをシリーズで取り上げていた。
グローバル化とは、こういう異質な国とも垣根が無くなるということだ。
  ーあるブログに、この本の簡約した内容があったので、まずはそれをコピーしてみるー
プーランは、1994年、仮釈放となりこの自伝の口述を行った時には、読み書きができない状態、彼女の手記は口述であった。
 カーストは、絶対的神の前に、下層部が上層部にへりくだる事や、自分より更なる下層に倣岸に振舞うことによって維持されている
だけではなく、上層に対する打破不可能な絶望感の前で、同一カースト内部のより弱者をいけにえとすることによって、
欺瞞的に延命を画策する、集団的かつ日常的なテロリズムを蔓延化させている。 
アチュート(不可触民)のマッラ階級に生まれたプーランとその家族が、同じ階級のそれも叔父の家族に徹底的にいたぶられる
ことから悲劇の幕が開けられる。 貧困さゆえに、11歳で既婚暦のある20歳年上の農民との婚姻、日々の重労働と性的暴力。
それからの逃避、結婚して戻ってきた娘プーランとその家族に対する帰省後の郷里の村八分。半ば公然と(家族の前でさえ)
行われる性的暴力。 かくて、救いのヒンヅーの女神は現れることなく、いとこから、盗賊団(ダコイット)の汚名を着せられ、
最初の収監。収容所での地方官憲の更なる集団暴行。その後、曲折を経ての帰省後、今度は、そのいとこから依頼された
盗賊団に誘拐される。 ダコイット内部でさえ、構成される盗賊の階級によって分化が促される。 誘拐したダコイットの
一方の、同一階級のリーダーに愛されることによってプーランはそこで初めて心の安らぎを瞬時的に与えられる。
  (字数の関係でカット2011年07月21日)
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2007年07月21日(土)
 2300, また地震!どうなっている?まったく! ー4
 ー中越地震中越沖地震の意味することー
 この二つの地震が地元新潟にとって大事件ということは、今更だが、二回たて続きに重なったことと、
 原発活断層の真上にあり、直下型だったことは、重大な事態である!
 まず中越地震中越沖地震の違いは何か? 私の主観で考えてみる。
・規模からいえば三年前の中越地震の方が圧倒的に大きいが、地域的にみても長岡を中心とした中越地区全体にわたっていた。 
 山間部の道路や田畑、そして道路・線路がズタズタになった。一時期、中越地区で10万人が学校の体育館などに避難していた。
・それに対し今回は避難民は一万人足らずであり、柏崎市中心の商店街や住宅と至近にある刈羽原発などに被害が限定していた。
 しかし柏崎市を中心を主にした1000世帯が全壊、半壊などを含めて6000世帯が破壊。小さな市としては甚大である。
 その数は前の中越地震の3倍近い。
・今回の特徴は、世界で最大規模の刈羽原発の直下型ということである。もう少し震度が強ければ、チェルノブイユの事故の
 二の舞になりかねない事態だった。現実的に日本崩壊?の一歩手前だったのだ。チュルノブイユの8倍の規模からみて決して
 オーバーな表現ではない!(このことを何でマスコミは騒ぎ立てないのか不思議で仕方がない。また住民の怒りが、
 あまりにも少ない)まさか、角栄活断層が下にあるとは、思わなかったのだろう。政治は結果である。この男の罪は重大である!
 この中越沖地震の深刻なのは、三年もしないうちに二度たて続きに発生したこと。その意味では今回の地震は、前回に比べようも
 ないほど衝撃的といってよい。 新潟県にとって、アメリカの9・11事件に匹敵するといってもよい。
 9・11以前、以後というほど、この地震新潟県にとって深手である。まだ誰も気づいてないようだが。
 このまま原発が再開されれば、大手の企業の進出を躊躇うだろうし、撤退を真剣に検討するだろう。
 それだけではない、農水産品をはじめ酒や、加工品までもが影響を及ぼす。 今後、観光地は致命的イメージダウンになり、
 回復には時間がかかるだろう! 「チェルノブイユ一歩手前だった!」と、何故言わないのだろうか?
 日本沈没が現実になるところだったことを! 何で気づかないのだろうか? 
  脳がおかしいんじゃないか、この国は! 1?2週間以内に、震度6弱の余震がある可能性があるという。
 何故、そのことに無頓着なのだろうか?原発の施設にとってダブルパンチになり、危険性は計り知れない。
  本当は、そ知らぬ顔をして新潟に行っているほうが良いことになる。 解っていながら行動に移してないのだから、
 おかしいのは、私も同じである!もし現実に行動していたら、現実の意識レベルからみて、お笑いだろう。
   何故なら、普通の日常が、そのまま続いているからである。
 まさか、こんな大事件が起ころうとは!そして、いま現に現在進行しているとは。
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2006年07月21日(金)
1935, 霊界からの訪問者 ー3    (\ Y /)(\ Y /)オハヨウ! ♪
  ー四四太郎の霊界日記ー5
霊がブログを持つのも面白いものじゃ。ふざけて書くわけにもいかないし、教訓を垂れれば面白くもないだろうし。 
ところで、これを読んでカルトのそれと、用心している人もいるだろうが、全く関係ないから         
   (字数の関係で以下をカット2008年07月21日)
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2005年07月21日(木)
 1570, 日本壊死       ー読書日記
この恐ろしい題名の本を書店で見て、買おうかどうか迷った。船井幸雄氏の本は数多あるが、ほとんど読んだ事はない。
その場かぎりのいい加減なことを言っているのは私でも解る。しかし、多くの顧客を持ち、本も出し続けているのだから何かが
あるのだろう。以前いた会社で二年間、船井総研に加入したことがある。(30年も前のことだが)いい加減というのを体験上知った。
数回、この人とも一対一で話ししたことがあるが、怪しげな生臭坊主というイメージしか残ってはいない。
たまたま、この本が図書館にあったので、丁度良いタイミングであった。副島隆彦氏の本は図書館で数冊借りて読んでいるが、
本筋は正しい。(売らんかなのオーバーな表現が目立つが)この二人の対談で、彼(副島)の「日本の近い将来の悲観」
に対しては同感する。船井氏の話術で、彼が言わんとするところがクローズアップしていて解りやすい内容になっている。
     (字数の関係でカット2010年07月21日)
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2004年07月21日(水)
1205, 実存哲学(3)ー哲学についてー19
 ーマルクス ー2
マルクスの考えでは、当時の資本主義社会は歴史的に見て、対立なき社会が実現する二つ手前の発展段階とみなした。
近代技術はますます発達を続け、失業者はますます増加すると考えた。
その結果、いわゆる一般大衆が増加、彼らはいっそう生産手段から疎外され、ますます限られた者に生産手段が
握られてしまう。その結果、数の上で圧倒的な労働階級が資本家を打倒し、生産手段を自らの手に収めることになる。
そしてこの革命が、歴史の繰り返しを終わりに導く。この到達点に必然的に進んでいって、いったん理想郷が実現されると、
もはや弁証的でなくなる。生産手段は万人の所有者となり、万人の利益のためにつかわれる。マルクスは哲学そのものを否定し、
「哲学者は世界をさまざまに解釈してきただけだ。大切なのは、世界を変革することである」と断じた。
しかしその予言は実現しなかった。それはマルクスが、一人よがりに自分の理論を科学的と思い込んだからである。
自分が生み出した社会主義を、「科学的社会主義」とよび、これが説得力があったためマルクス主義者がただのマルクス
個人的意見を「絶対的な事実」と考えてしまった。彼らは未来の社会の姿を科学的に予測できると主張、自分たちが未来の側に
立っていると盲信してしまった。その結果「歴史がわれわれの側にある」がマルクス主義者の口ぐせになってしまい、敵はみな、
「歴史のごみ」として捨て去られるものと信じてしまった。この考えが20世紀に共産圏を中心として大虐殺を引き起こしてしまった。
ソ連や中国では、数千万の大虐殺が生じた。また現在の北朝鮮の不可解な体制は、このような考えの背景があるからだ。
当時、彼の思想は短期間に世界に大きな影響を及ぼした。これほど一時期に大きな影響を世界に与えた思想は歴史上ない。
1883年に、亡くなってからわずか70年で、世界の3分の1がマルクス主義の国家体制になってしまた。
それは驚くべきことであり、それが歴史に残る大失敗であった。芸術にたいしても、その真の役割は社会を批判をすることであると
主張した。芸術は革命の一つの道具とみなしたのだ。その結果、多くの芸術家がその影響を受けてしまった。
サルトルピカソなどは、その最たる人である。現在でも多くの国で、その体制が残っているが、独裁の一種の建前として
使われているにすぎない。一度手にした権力を人間は、決して国家人民の為には使わない動物であることを
見落としていた。これほど理想と現実の差がある思想も過去になかった。
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2003年07月21日(月)
838, アメリカの世界戦略を知らない日本人      ー読書日記ー
イラク戦」後、時代はこう動く  日高 義樹 (著) 出版社: PHP研究所 ;
  ー感想文ー
 新たなる世界大戦の序幕が切って落とされた。 中東、北朝鮮、中国、そして日本は…。
ブッシュ政権要人の肉声から読み解く驚愕のシナリオをシビアに書いてある本だ。この本を読んでいると、今の世界の流れの一部が
見える錯覚?に陥ってしまう。日高義樹はNHK記者時代を通じ、アメリカの専門家として有名で、その著書も数多く出版されてる。
この本は、イラクへの武力攻撃が懸念される2月始めに出版されたものだが、先日、図書館で借りてきて一気に読んでしまった。
主軸通貨を利用して、ドルと国債を世界にばら撒いて物資を集めてくれば良いのだから、やはり帝国主義そのものでしかない。
特に日本はいまだに属国から抜け出ることができない。そして、紙切れー国債を押し付けられている状態だ。今までは、
毒饅頭ー大衆消費社会ーを与えられ、骨抜きをさせられた。 ソ連よりはズットましだっただろうが。
  (字数制限のためカット 2010年7月21日)
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2002年07月21日(日)
 463,再び業態について
何回か業態について書いているが、地元の今井家具が昨日店の前を通ったら、いつの間にか倒産していた。
業種店の消滅である。ひと時代前,いやふた時代前の商売である。メーカー分類ごとの商品を並べる商法である。
靴屋、家具や、薬屋、金具屋、今でも原始的の兼業商家として駅前立地で一部残っているが。これに対し業態とは、
お客ー生活者のサイドで商品の括りを変えることである。全国チェーン化を始めた「ニトリ」がそうである。
店独自のコンセプトで商品を開発する。それえも早くから、インドネシヤとか中国で開発輸入をしていた。
   (字数の関係でカット2011年07月21日)
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2001年07月21日(土)
 [82] 人生がモチーフの公園
なんとその公園のモチーフが人生!であった。広大な公園の中央に建つ塔に、時計の刻印のように12のそれぞれの複数の像。
「赤ちゃん、幼児、少年期、青年期、・・老人期そして死」と像が、その時期を象徴して表現してあった。
その中央に死体の山。人生をリアルにそのままずばり表現してある。その周辺にそれぞれの人生の哀歓の像が立ち並ぶ! 
何故誰もが考えつかなかったのか、今まで見た公園で一番印象的と言ってよい。さすが北欧と感心させられた。
このような思いもよらない現物に突然出会うのが、旅行の醍醐味である。