つれづれに

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 今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=zUGEutiOO3s&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=kJ-slNvmFYA&feature=related

 時どき、過去の同月同日の随想日記をコピーし、貼り付けている。
その時どきにエネルギーを集中しているので、それが、時間を超えてたち返ってくる。

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3403, マイナス思考講座
 2010年07月20日(火)
 「マイナス思考法講座 ープラス思考をやめれば人生はうまくいく」 ココロ社 (著)
  ーアマゾンの内容紹介より
 前向きなポジティブ思考で「その気」になっても実際には何も変われていない、ってことありませんか?
そんなあなたにこそオススメしたい最終兵器がマイナス思考! 落とし穴だらけのポジティブ思考を捨て、
仕事・人間関係・恋愛で本当に役に立つ“戦略的マイナス思考”を身につけよう。
本当の成長は、徹底的な絶望から始まるのです! 人気ブロガーによる究極の自己啓発書!
 ▼ この本はまだアマゾンの内容紹介と、読者の感想しか読んでない。なるほどと思う部分と、
何も知らない何の経験のない人が読んだら誤解を受けそうでもある。 
プラス思考・肯定思考は意志そのものである。それに対しマイナス思考は感情面が強い。
したがって、二つをミックスしながら考えを進めてこそ、思考が高まる。 単純なマイナスも、プラス思考もない。
一般にいうプラス思考は、マイナス思考を乗りこえた上の積極的な働きをいうのであって、頭の軽い明るい人の
軽薄思考とは違う。ここで「絶望ワーク」という、14の講座が展開されているが、もちろん、
それらを乗り越えた上の思考であることは当然である。
 先日の全国紙上で、アメリカの「肯定思考法」の行きすぎに疑問を呈している論があった。
ただ、それだけで良いはずはないのは、誰の目にも明らかだが。 格差という視点からみて、肯定思考は
「一段上にアップスケールなど考えるより、現状を肯定し、それを受け入れるべし」と捉えがちになる。
 マイナス思考なら、「現状を絶対否定をして社会全体を破壊するか、現状に満足している
自分を否定する」ことになる。 そうすると、ヘーゲルの正・反・合の適応が考えられる。正=プラス思考、
反=マイナス思考、それらから導き出されたランクアップした思考こそ、練りこまれた結果となる。 
マイナス思考で準備をして、プラス思考で実践をすることがより有効になる。 思いもよらない失敗をした時、
我を取り戻すために必死になって、マイナスを取り繕うために、プラス面を探し出し気持ちの動揺を最小に
する作用として、プラス思考を使うケースが多い。 しかし徹底的に、そのマイナスの中心点をみるためには、
マイナス思考は重要である。 とはいえ、人生は「にっこり笑ってハンカチーフ!」でなければ、
生きられない局面が多い。 だいたい、「マイナス思考講座」という題名の本が出ること自体、
世界が金融恐慌だからだ。今後、10~20年は、いや50年スパンで歴史的大混乱は避けられない中で、
「マイナス思考」を持つのが自然であり、「プラス思考・肯定思考」そのものが、不自然になるのは当然である。
明日にでも、この本が送付されてくる。
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3028, 『死ぬときに後悔すること25』+2
 2009年07月20日(月)
 『死ぬときに後悔すること25』 緩和医療医・大津秀一著
《人生の目標は、『死ぬ時に後悔しないこと』》と言ったのは、日蓮だが、この本は新聞の書評で知り、ネットで概要を
調べたもので、実際には読んではいない。しかし、それだけでも、その骨子をしることは出来たようだ。 その骨子とは
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末期医療の現場で1000人の死を見届けた医師が書いた本で、「人は亡くなる時にどんなことを後悔しているのか」を
まとめたもの。人は生きている時に、「仕事で出世したい」「人生に成功したい」「お金持ちになりたい」とか思うのが
常かもしれないが、最期を迎える時に思うことは、どうも違うようだ。 
   ーその25のこととは?ー
健康を大切にしなかったこと        △     たばこをやめなかったこと        ○
生前の意思を示さなかったこと       ○     治療の意味を見失ってしまったこと    ?
自分のやりたいことをやらなかったこと  ◎     夢をかなえられなかったこと       ○
悪事に手を染めたこと            ○     感情に振り回された一生を過ごしたこと  ○
他人に優しくなれなかったこと       ○      自分が一番と信じて疑わなかったこと   ○
遺産をどうするかを決めなかったこと   △     自分の葬儀を考えなかったこと      ○
故郷に帰らなかったこと           ○     美味しいものを食べておかなかったこと  ◎
仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと  ◎    行きたい場所に旅行しなかったこと    ◎
会いたい人に会っておかなかったこと    ◎      記憶に残る恋愛をしなかったこと    ???
結婚をしなかったこと             ○      子供を育てなかったこと         ○
子供を結婚させなかったこと         ○      自分の生きた証を残さなかったこと    ◎
生と死の問題を乗り越えられなかったこと  ○     神仏の教えをしらなかったこと      ○
愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと  ○
【 私の実行度を主観で○(後悔しない)△(中間)×(後悔する)で評してみる?は未体験 】
  ー以下は、印象的と抜粋してあった内容をコピーしてみましたー
<私の中に三人、強い記憶を残している患者さんがいる。彼らは死を本当に恐れていなかった人たちである。
 残りの方たちは、大なり小なり死を恐れていた。しかし彼らは「まったくのゼロ」だった。死を恐れる気持ちが、である。
 しかも彼らは、私の知る限りでは何の宗教の信者でもなかった。もちろん日本的な宗教心はあったろう。
 けれども、どんな宗教の信者でもないとはっきりと言っていた。死を前にして、彼らの心は何のさざ波も起きていなかった。
 ただその時を粛々と、従容(しょうよう)として待っていた。 その中の一人に、ある女性がいた。
  (字数制限のためカット 2011年7月20日)
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2663, 「哲学づくと、どうなるか」
2008年07月20日(日)
 この随想日記を7年以上毎日書き続けたためか、以下のように左から右へと変わってしまった。 但し重心だが。 
 ということは、過去の自己否定の辛い日々になっている? 
根本を突き詰めない日々  ー>   考える日々(考えざるを得ない日々))
日常に流される日々    ー>   新しい知識を求め続ける日々
役立つことを追求する日々 ー>   役に立つとか立たない外を求める日々
常識を加える日々     ー>   常識を根本的に疑う日々
実生活のプラスを加える日々ー>   真実とは何かを求める日々
マスコミに左右された日々 ー>   自分の道理を最優先にする日々  
群れを求める傾向     ー>   孤独の時間に重心を移動
 要するに自分の話す言葉、書く言葉を大事にするようになった。
その反面、これまでの表層的な自分を思い出しながら赤面している。
そういえば、二十・三十歳代半までは右側の傾向が強かったようだが・・・ インターネットと、
印刷の発明とドチラが人類にとって大発明になるのかといえば(私自身の判断だが)数段、
インターネットだと思う。その人類の大きな転機の大事件に立ちあっている。 
それぞれがブログを通して「語ること」を始めたのである。ブログで語り始めて、語りを継続をして、
私の場合、哲学づいたのである。自分の知識と経験の限界を知ることは、何か空しい気もする。
 知っていることより、知らないことが膨大に広がっているのを知ると、
先ほど書いた右側の傾向になっていくのである。それにしても、面白い岐路を生きたものだ。