つれづれに

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今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=p7V-8v8tOJQ&feature=related

 昨日、家電チェーン店に入ってみたが、今まで見たことがないTVがあった。
スマートテレビでパソコンと大型(55インチ)TVが融合したもの。 19万8千円とあった。
韓国製のようだが、面白そうだ。 二年前に買った東芝の未来型TVは、今でも買って正解と
思っている。とにかく、見る立場からしたら、これほどの機能はない。YouTubeが見れるが、
さすがにパソコン機能はない。 パソコンとTVの進化を見ていると、情報化の世界が読み取れる。
これに電気自動車が加わるとすると、何が起こるか?恐ろしい近未来と同時に、こういう
電子化の流れを見ていると、面白い未来も待っている。 
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20120522/1041110/?P=2

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3404, この国の終わり
2010年07月21日(水)
         「この国の終わり ー日本民族怪死の謎を解く」 林 秀彦 (著)
18年間の海外生活から帰国した著者の目に映った日本は、いまにも滅亡しようとしている
無惨な姿だった。この本で三冊目になるが、時系列でいうと遡って読んでいることになる。
帰国後の早い段階で書かれたためか、日本の惨状の驚きと、怒りが新鮮である。 
アメリカが60年間かけて作りあげた被植民地国家の悲惨な姿に唖然とし、そして怒りの言葉が続く。
私自身に著者が罵倒していると思いながら読むと、一言一言が胸に刺さる。日本人には、そもそも
「考える」という総合的な頭脳的現象が存在していなかった、という著者の見方が一貫している。
世界は常に修羅場であり、「決闘の場」なのである。相手が選ぶ武器は、こちらの武器でなければならない。
剣には剣、銃には銃である。何より必要なのは悪だくみには悪だくみ、最低でも同等同質の武器を持たないで
生存が不可能というが・・。グローバル化、ネット社会に入ってしまった現在、これまでの島国の国民性の
改造が必要になる。
  ーまず、印象に残った箇所から
 * 恐怖不感症もしくは不安鈍感症 -P63
日本人は、世界一信じやすい民族なのだ。「疑っちゃ相手に悪い」という心情が働く。何でもかんでも
「信ずるものよ、幸いなり」で貫く。疑うことは不道徳、といった観念まである。恐るぺきノータリン、
ノータリンここに極まれりである。疑うという心情作用は一種の恐怖であり、不安によって触発される。
簡単に言えば、人は恐怖と不安という触媒によって進歩する。ところが日本人は恐怖不感症である。
不安鈍感症である。あるいは逆に、あまりにも臆病で卑怯だから恐怖や不安を先回りして回避する。
目をつむり、恐怖の実体を無視する。そしてその場限りの「逃げ」だけで片付ける。だかち戦争を
はじめとするすぺての防災対策は後手後手になる。治にあって乱を忘るるなかれ、などという段階ではない。
乱の真っ最中でも、その乱を感じ取れずボケている。呆けているほうが楽なのだ。そしていままでそれで
何とかやってこられた。幸いなことにこの列島は資源がほとんどない、だから助かった。
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 この国家的危機の中でも、国民の危機感が感じられない。そして頭を(首相を)取り替えることで、
目先の不安解消にしている。もう絶望の事態だろう、これでは。65年かけたアメリカによる日本国民への
植民地化計画の完成が、現在の日本人である。自分を見れば分かることだが、家内や親戚など
身近な人を見ても、その完成体?に近いのでは、と新鮮に驚いている。