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「創造と破壊」について考えてみる。何か新しいものが創造される時に、古いものの破壊が、そこにある。
新しく創造されたものも、時間と共に古くなり破壊される運命にある。破壊をマイナスだけで捉えるのではなく、
創造のベースとして捉えることが創造的破壊である。 人生での挫折は、新しい自己への生まれかわる破壊になる。
但し、それを糧に生まれ変わった場合だが。 社会的な立場だけでなく、内面も重ね合わせての人生の再生である。
順調に来た人ほど後半になっての挫折は、心に大きい重石となる。しかし挫折は人生の節目をつくる機会でもある。
竹の節は、これがあるから大風の時に折れない機能として全体のシナヤカさのバネニなる。
予定挫折のいう言葉もあるとおり、人生で無くてはならない節目は必要のこと。 半年前の挫折?で、比較的平然でいられるのは、
人生の前半に、多くの節目があったためである。 節目時は耐えるしかない。挫折経験が人生の支えとなる。
創造というと、まず「創造的破壊」という言葉が浮かんでくる。 ネットで調べると、
【 創造的破壊とは、オーストリアの経済学者シュンペーターによって唱えられた考え方で、非効率な古いものは効率的な
新しいものによって駆逐されていくことで経済発展するという考え方であり、その新陳代謝のプロセスをそう呼んだ。
不況は創造的破壊に必要であり、政府による介入はこれを妨げるものとして否定した。 現在ではこれを読み替えて、
企業活動の中で古いものを打破し全く新しいものを生み出す行動、という意味合いで使われることが多い。
ドラッカーは、これに近い意味として体系的廃棄という言葉で述べているが、組織でも何でも発展にはイノベーションが不可欠。
「脱皮できない蛇 は死ぬ」も、脱皮しおえた蛇はまたその外皮が支えられる体型までは急速に成長するが、そこまでいくと、
退化が始ってくるという意味。 創造と破壊は、対をなしているといってよい。・・・ 】
▼ デジタル化、ネット化は、この創造的破壊を加速する。情報化とグローバル化は、NO1以外のものを即座に駆逐するため、
創造利益を得るのが一部に限られる。しかし効率性からみて、最良のものが生き残るシステムも決して否定できない。
現在の世界の政治、経済の大混乱も、ネット世界が現実世界とは別に出来、上位にたってしまった結果生じている創造的破壊。
この中で生き抜くことは至難の技がいる。全ての技がデジタル化し、合理化を促すからだ。「面白こわい時代」である。
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3482, ライフログのすすめ −2
2010年10月07日(木)
ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! ゴードン ベル , ジム ゲメル (著)
この本を読んでいると、SFの世界に足を踏み込んでしまった気持ちになる。デジタル機器の進歩と、値段の劇的な
安さの実現と、その記録も無限大に可能になり、その分析も可能になってきた背景がある。 モバイル携帯など、
それらを可能にする端末を身につけて、超小型のデジカメ、ビデオ、ナビなどで収集しネットに記録保存をすればよい。
それらは眼鏡や帽子のツバなどに埋め込んで、モバイル携帯などで自動的に転送されて記録されていく。
これに近いのがモバイル携帯である。 万歩計、GPSがつき、デジカメも、デジビデオも、ついている。それが記録される
サイトに自動送信すればよい。 モバイル携帯の一回り大きい更に多機能のタブレット式パソコンが爆発的に普及を始めたが、
これに身体に付けたライフログの情報端末が連動すれば、より多くの種類の記録が可能になる。 何処に出かけたとか、その道筋とか、
誰と会ったとか、何をしたとか、誰と電話をしたとか、血圧はどの位だったとか、何を鑑賞し、どんな写真を撮ったとか、自動的に
記録保存して、牽引をつけ整理し、パターンごとに振り分ける。電子メール、デジカメ公開サイト、ソーシャルネット
ワーキングサイト、写真や動画の管理サイトなど、ライフログ技術が利用されている一方、多くの部分がつながりに欠け、
バラバラだ。共通のツールセットで統合されてないし、共通のインターフェイスでまとめられていない。
私のHPと著者のライフログの決定的な違いがある。 私はライフブロガーで、著者は公開を否定している。
公開は妨害とかのマイナスが多くなるという。自分の全てを電子記憶にして、自分の存在を発見し、記録として残すことを目指す。
公開は自ずから正直なことが書けないうえ、制限がでてきてしまう。 ライフブログの多くは露悪趣味になりがちである。
ここで仲間のビル・ゲイツの著書の言葉を引用している。 「僕たちはいつか、自分の目にしたものや耳にしたもの
すべてを記録できるようになる」と。その何時かは必ず訪れる。何故なら、電子記憶がことごとく実用化されているからだ。
その何時かは、誰かが生きている間に訪れる。それが著者自身じゃないという理由はないという考えに夢中になったのである。
私が、ライフブログを続けてきたのは、10年前に書斎HPを推奨した久恒啓一の著書の「ブログ=墓場」という言葉である。
この本を読んで自分のWeb上の書斎を持ちたいと強く思ったからである。しかし書斎というより「居間」、兼「応接室」、兼「書斎」
になってしまった。 したがって、私と著者のそれは、根本が違うのである。著者は「人生の「すべて」をデジタルに記録する! 」であり、
私のWEB書斎とは違うのである。 前回に書いた「ライフブログを続けていたことになる」は、正確にいうと、間違い。
著者は人生の完全記録であるが、私のHPは主観的な毎日の「随想」であり、思い付きの記録。しかし可能な限り写真や、
毎日の読書や日常をデジタル化してファイルしていることは、同じである。「ライフログブログ」いや、「ライフログ」のシステム化
されたものが、あるはず。これを読んでいてデジカメの記録をHPに、より多く載せる気になってきた。 二度とない人生の記録か!
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3107,つれづれにー閑話小題
2009年10月07日(水)
* 中川昭一の死について
実際のところは藪の中になるだろうが、状況からみたら誰からみても自死。父親の死も当初は色いろな説が乱れ飛んだが、
自死に落ちついたのは数年経ってから。あの酩酊?会見で自民党も大きいダメージになったことは否めない。一年前には
鳥をも落とす勢いだったが。そして落選、政治の世界は一寸先は闇とは、よく言ったものである。鈴木宗男も政治的に致命傷を負った。
直接、間接的にしても中川親子の死に大きく影響を与えたことになり、敵に包囲されてしまった。
中川が政治的な挫折をもたらしたのは身から出た錆。 あれこれみて政治家だけはなりたくはない。
* オリンピックの東京の落選
石原都知事も政治的には大ダメージになってしまった。 権力を持つと人間は変わるものである。時間の経過とともに慇懃に
なっていくが気になっていた。やはり二期で辞めるべきだった。立候補をした時に、もし東京が落選をしたら都知事として責任を
とるといっていたようだが、ここに及んで辞めないと言葉を翻したが、普段言っていることと違うじゃないかい、と言いたくなる。
それにしても、招致のお祭り騒ぎはいい加減にすべき。日本一国が150億円の予算のかかるシステムは根本から変えるべきである。
しかしブラジルの決定は正しい。世界の良識が働いたようだ。昨年の中国は問題があったとしても順番からいって正当だったし、
次の英国も順番としてよい。今度の決定も、一度も開催されたことのない南米の開催は一番真っ当。
そうこうみると次々回はインドか、エジプトあたりにか。いや先進国と新興国との交互と考えると、1900年来行われてないパリ。
* 新潟国体も終わり、恐慌景色が再びか~!
7月半ばの新潟競馬から始った恒例の夏景気と、秋の五連休、そしてミニ神風の新潟国体も終わって、
来週から再び大不況の冷たい風に曝される。(週末は身障者の大会がある)
予約状況からみると5月の連休明けの異常な事態。一応は来年の二月決算の目途は立ったが、
それでも日本全体の景気が上向かないと、どうもこうもしようがない。
やはり中小・零細企業の三年間返済ストップは必要のようだ。そうもしないと、パニックは必定である。
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2742, サブプライムの本質とは?
2008年10月07日(火)
「資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす 」ー 竹森 俊平 (著)
サブプライム・ローンの分析については、分かりやすい文章である。 喩えで言えば、
債務不履行という債権入りの毒饅頭をアメリカの格付け機関の保障付きで世界中にばら撒いてしまったのである。
そのため他の健全な住宅ローン債権まで売買ができなくなったのだから、問題は大きい。
その上に、アメリカのドルや債権まで不信感を持たれるようになったのである。
アメリカの一極支配のドル体制が崩壊をしたのである。 それだけ、この激震は大きいことを何度も書いてきた。
ーまずは、その部分から
P−27 サブプライムについては、日経新聞だと「信用力の低い個人向け住宅融資」という注釈が必ず付くことになっている
(筆者も日経の紙面に書いた時に経験したので間違いない。)筆者はひそかにこの注釈がなくなるXデイを楽しみにしている。
これだけ毎日、新聞に顔を出す単語なのに、いつまで注釈が必要なのか。ともかく、このローンは審査基準が非常に甘い住宅ローン。
普通のプライムローンは、連邦政府による与信審査のガイドラインがあり、金融機関は厳格な与信審査をしなければならないのに、
サププライムは、このガイドラインに従わないからである。 だから、「特殊」な住宅ローンというわけだ。
サブブライムが連邦政府のガイドラインに従わないのは、それを供紹する金融機関、すなわち住宅ローン業昔が、
連邦政府の監督下に置かれていない場合が多いからである。 実際、住宅ローン業者全体の半分だけが連邦政府の監督下にあり、
残りの半分はよリルーズだといわれる州政府の監督を受けている。さて、日経のサブプライムについての注釈は
「信用力の低い個人向け」ということだが、何もサブプライムの供給者が、「うちは信用力の低い個人を相手にしている」
と宣伝しているわけでない。プライムローンを申請しても、承認される見込みのない「信用力の低い個人」が、
そのローンを借りに行くのである。 サブブヲイムローンの審査は本当にいいかげんらしい。 「所得なし」「審査なし」
「資産なし」でも審査に通る。住宅ローンの場合、住宅が抵当に取られているから、最低限の安全性は確保されているという
判断があるのかもしれないが、それにしてもなぜ、こんなに危険な住宅ローンが罷り通るのだろうか。理由はおそらく政治である。
クリントン政権、ブッシュ政権と続く歴代のアメリカの政治は、普通のローンの審査には通らない低所得者が、
特殊なルートであっても持ち家を持てるようにすることが政治的に有利と判断した。それに加えて、クリントン政権とか、
ブッシュ政権の「オーナーシップ・ソサエティー」の哲学とかも、「サブブライム」の存在を正当化する根拠になっている。
2004年末において、アメリカにおける住宅ローンの60%は証券化されていた。 当時EUの証券化は15%でしかなかった。
「住宅ローン抵当証券」は、最初は普通の住宅ローンについて開発されたが、90年代半ばから政治的空気に押されて
サブプライム・ローンの証券化が開発された。 普通のローンもサブプライムも、証券化をする原理はかわりないからだ。
それが諸悪の根源になったのである。 サブプライムの歴史がなかったことと、住宅が右上がりに上がりだしたこともあり、
サブプライムの危険性が見落された。さらにサブプライムの市場では連邦政府の規制や、監督が不十分なため、
モラル・ハザードが起こりやすくなった。更に、このサブプライムの毒性を隠す現代錬金術として、投資適格性を審査する
ムーディーズやS&Pなどの主要格付け機関は、それにトリプルAという最上の格付けを与えてしまった。
格付け機関が有毒廃棄物にお墨付きを与えてしまった。
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世界の景気を主導してきたのは、アメリカの住宅バブルと言ってよい。 住宅産業は、産業のあらゆる要素が含まれている。
国内景気を維持するためにドルを刷って、アメリカ国内の「信用の少ない人たち」に、ほぼ無審査で貸し出していたのである。
ヘリコプターから貧民街に金をバラマクようにである。その毒入債権を保証書付きで撒いたのだから根は深い。
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2007年10月6日
2378, 邪視の思想 −2 (。・∀・)ノ゛おっは〜
我々は、人を褒めてあげなさいと教えられるが、イスラム圏ではむしろ、あんたの子供は可愛くないと、
わざわざ言う場合もあるという。邪視の思想の原型は、イスラム教よりずっと以前の古代ローマやインドなどで
信じられてきたもので、東アジアを除けば世界的に昔からあったという。 瞳を覗き込むと、黒い部分に相手の姿が
小さく写っているのが見えるが、昔の人にとって、これが不思議に見えて、それを怖れたという説もある。
インドでは王や聖職者など位の高いものが持っているとされ、反対に、エチオピアなどでは身分が低いものが邪視を持つと
思われたという。特に、国を持たないジプシーと軽蔑されたロマは誰もが邪視を持っていると欧州では思われてきたようだ。
だから欧州では人をジロジロ見ないのである。パキスタンのカラコルム・ハイウエーをバスで駆け抜けた時のこと、
フンザの近くの村に差し向かったときに、「絶対に村民を見ないでください。ここは見られることに異常に敏感なところで、
殺されることもあります」と言われ、全員が硬直して前を見据えていたことがあったが、邪視の思想の名残りでったのだろう。
欧米、特にアメリカや日本などは、相手をみたら良いところを見つけ褒めてやるのがエチケットと推奨されるが、
元々は褒めるということは、逆に恨みや嫉みの元と考えて嫌がるのが本来の考え方だったのである。
世界では、これだけの違いがあるのである。エジプトなどでは、子供の名前を雑巾という悪い意味の名前をつける
親もいるという。だからエジプトなどでは、日本みたいに「お子さんは何人ですか?」
という質問ができないという。 子供が多くいると羨ましがられるから、聞くのはマナーに反するという。
動物学者の畑ムツゴロウが、「動物は、視線に関して人間が想像する数倍も敏感である」
と言っていた。 試しに電線にとまっているカラスをジッと見るとソワソワする。若い時に視線恐怖症や赤面症になるのも
動物の名残りなのであろうか。東アジアでは視線に関しては無頓着で、邪視の思想は殆どないのはアジアは大らかということ。
一歩外に出ると今まで持っていた常識とやらは通用しないということだ。島国日本の常識は、世界の非常識と思ったらよい。
(○´ω`○)ノ**SeeYou**
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2006年10月07日(土)
2013, 居酒屋離れ (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
先日の新聞記事によると、居酒屋が、この十数年で30?以上も売り上げが減ったという。(1992年の1兆6千億に対し、
2004年度で1兆1千億)しかも今年になっての飲食業の研究機関の調査で‘団塊の世代’が、「居酒屋をほとんど利用しない」と
46?も回答、「料理がどこも同じ」「うるさい」という答えが理由の上位を占めている。団塊世代の飲酒頻度は「だいたい毎日」
というから、自宅か、家族で週末にレストラン辺りで飲むのだろう。月の酒代は50代で3万円弱、20代で2万円弱だという。
居酒屋も、団塊の世代が定年を向かえる2,007年を控えて危機が迫っている。彼ら企業戦士たちが居酒屋からも大量に‘卒業’
するからだ。少なくとも連れ立ったオジサンたちの姿は激減するだろう。
私自身を振り返ってみると以前に比べて半分以下になっている。その理由は、
・このHPをもったお陰で日々が充実したことと、
・大型TVとDVDレコーダーを4年前に購入、店で酒を飲んでも家で飲んでも大して変わらなくなってしまった。
・さらに一年ほど前に晩酌の時間に、同じ目線で居酒屋で飲む番組を放映。
家で缶ビールを飲みながらみていると、ほとんど一緒に飲んでいる錯覚になる。
といって60歳を過ぎた現在も週一は‘会’で飲んでいる。さらに家内とは、ほぼ毎週のように
駅周辺の居酒屋チェーンか、自宅の至近にあるイタ飯チェーンの「サエゼリア」で食事をしている。
家族二人だから、行けるのだろうが。社会人になってから、居酒屋に行く機会が多くなった。
しかし、今から考えてみると回数が多くなったのは、現在の仕事を始めてからで、それまでは居酒屋は、
出張と家族と旅行にでたとき位であった。私の場合、少なくとも10〜20年は命を縮めた。 緩慢なる自殺である。
最近の居酒屋の流れは、
・個室化、個性化をしていて、 ・ハモとか、湯葉とか、専門料理店が出している料理を格安に、
・メニューの内容を流動化していて、・客単価が3000円以下で
・駅至近距離で目立たないところ。
女将が独りの小料理屋や、夫婦でやっているような旧来の個人店は大苦戦中で、死滅?直前の状態である。
それにしても、よく飲んだものである。 \(^▽^*)バイ!
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2005年10月07日(金)
1648.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・
7・うちの商法ー2
宗親
こちとら月に一度は、その産地に行ってさセリに一緒出たりさして、いろいろやっているのが解らないんだ。
それと築地に一日おきに行くの。マグロの部分買いもしているんだ。それと見せ商品も買ってさ。
マグロ以外は絶対に手をかけないのがミソだ。マグロだけだらさ、それだけ集中しているから安く買えるんだ。
店の開店までさ、彼らの数倍の知恵と時間を使っているんだ。もう店が開いた時は、勝負がついているのさ。
酒もさ、新潟の酒のメーカーから直接仕入れるんだ。一社だけだね、これは通でも素人でもわかる美味しさだ。
ほぼ越の寒梅と同じかそれ以上だ。〆張り鶴という酒なの。蔵元が一緒といっていたが、事実かどうか解らないがね。
つきだしにトロを少しだけど出すんだ。 これもこれだけで1000円はするの。
240円しかもらってないの。ビールの大ジョッキーと日本酒の小と付きだしで960円。
うちは税込みだから、1000円でおつりつくの。これにマグロの焼き鳥で1時間という人が3分の一もいるんだ。
(字数制限のためカット2010年10月7日)
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2004年10月07日(木)
1283, 原油高騰の不安
原油が、あれよあれよいう間もなく高騰を続けている。昨日の段階で51ドルで、このまま行けば、11月以降
61ドルもあり得るという。イラク戦争後、原油供給国の政情不安を引き金に始った暴騰に歯止めがかかっていない。
産油国はフル生産をしているが追いつかないという。 この高騰には、イラク戦争の政情不安だけでなく、
中国経済の原油消費が「底なし沼」のためという。既に日本を抜いてアメリカに次いで世界第二位の消費国になった。
これに・ベネゼイラの政情不安 ・ロシアの石油大手ユコス社の輸出大幅減 ・メキシコ湾を襲ったハリケーンによる
影響による精製施設の稼働率のダウン などが重なった為である。これを材料にヘッジファンドが、巨大な資金をつぎ込んで
先物取引市場をあおる。いわゆる「ペーパー取引」は9月、実需の2.5倍もあったという。ユダヤ資本が動いているのだろう。
いずれにしても、日本経済にとってはボディ・ブローになるのは時間の問題である。デフレという前門のトラ、インフレ懸念と
いう後門の狼の気配がしてきた。原子炉に対して多くの批判があるが、(必要悪としても)日本にとって造っておいて
良かったことになる。中国は世界にとって、大きな波乱要素になりつつある。
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2003年10月07日(火)
ある時間の断片
1968年11月9日
・10時起床。 瓜生のところで、30分お茶を飲む。その後、洗面をして、今度は佐藤の部屋でコーヒーを飲む。
そこで、大妻女子大祭に行くからこないかと誘われ、尾形と佐藤と3人で行く。知っている人が居ないし、一人で途中で帰ってくる。
その後米林が部屋に遊びに来る。風呂に行き帰ってくると、再び米林が来る。早稲田の二年であるが、哲学や文学などかなり
突詰めている。その後。駒村の部屋でTVデ「ハニーを銃を取れ」をみる。なかなか面白い。明日はハイキング、どうなることやら!
11月10日
・6時半起床。 長瀞にハイキング。 (字数制限のためカット2010年10月7日)
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542, K−1が面白い
- 2002年10月07日(月)
1昨夜のK−1が面白い。これは10年近く前から始まった総合格闘技である。寝技を認めてないのが、
プライドという格闘技と少し違うところだ。キックと空手とカンフーの頭文字のKの字を取ってK−1にしたものだ。
(字数制限のためカット2010年10月7日)
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[177] 世間様ー2 2001/10/07
あまりに程度の低い言葉なので書きたくないが、実感している言葉として、その言葉を多用している‘痴呆症(病)の無恥蒙昧’
(自身も含め)に捧げるためにかく。しかしこの言葉の被害者になったり、加害者になったりしているからことは重大だ!
それこそ「みな皆いっている」これが‘世間というやつ’の正体の、いや現象の表皮の世界の(俗に言う世間の)
テクニックとして通用しているからことは重大だ。ある話を聞いてこれは面白い!利用してやろうという時、
「皆言っている!」と知的レベル? 低い人間を探していう。 あるいは相手を混乱させる目的に言う。
それでは「皆言っている」にどのようなが含まれているか?
1、誰も言わなくとも自分の主張強調するために使う。 2、一人に聞いたとき、誰かに話を強調するために使う。
3、噂の場合につかう。 4、聞くほうは実際どうか解らないが、それをまた人に使うに都合よい。
5、相手を実際やりこめる場合の言葉のテクニックとして有効。