以前もイチロウの言葉について書いたことがあった。その後も、これだけの記録を打ち立て続けて、それに対して
的確な自己分析を理路整然と話せるのも珍しい。右脳も左脳も明晰だから、これだけの記録が可能なのである。
  昨夜、NHKの19時半の ≪ おしえて イチロー選手!「大記録はなぜ生まれたか」≫で、
子供からの質問にイチロウが答える内容。 純朴な子供だからこそシンプルで鋭い切り口。
 イチロウといえば、「超一流投手の投げそこないを待つが常識だが、私は相手投手の一番厳しい球を狙う!」
という言葉を憶えているが、何処かに似た言葉がある筈と思っていたら、先日に読んでいた本に、
「一番強敵と思える相手に挑戦しろ」とあった。 それこそが真のチャレンジ。
  ところで、この番組の中で、良い言葉と思えたのは・・・
・「これはと思った道具を見つけたときは、その道具に自分を合わせていく。」
  現在のネット上の最高の道具といえば、ブログとグーグルの検索機能とグーグルアースなど。
  それなら自分が徹底してグーグル化してしまえば良い、という著書がある。 それと同じである。
・「どうすればチャンスに打ての?」の質問に、
 「何度も経験した中で、悔しさ、喜びを経験しながら、自分のカタチを創っていくしかない。」
 「チャンスに必ずしも打てるとは限らない。そうそう打てるものじゃない。そのプレッシャーに自分は弱い。」
・「野球を辞めたくなったことない? 」に対して、
 「辞めたいと思ったことないが、辞められた良いのにな~とは思ったことはある。」との答え
・「200本を9年続けられた原因は何ですか?」
 「続けて試合に出続けてないと、できないこと。 だから好きでないと不可能。
  しかし犠牲にしなければならないことが多くある。」 等々。
 
  ワールドシリーズの優勝決定戦の最後の優勝を決めた一打の直前の恐怖、その生々しい言葉が凄い!
 プレッシャーから、恐怖に変わった一瞬の重圧は乗りこえた人しか分からないこと。
 「あの瞬間の恐怖を乗りこえることが出きたので、これから、どんな場面でも乗り越えられる自信がついた」
その時の場面を何度か放送していたが、相手投手だけでなく、心の内で、自分自身の恐怖と闘っていたのである。
誰もが感動するわけである。 もし、三振だったら、その後、どうだろう? 結果が全てか、いやどうか? 。

  ・・・・・・・・・
 2748,  ソロスは警告する −1
2008年10月13日(月)
 「ソロスは警告する」 ジョージ・ソロス著  講談社
                ー読書日記ー
 まずは、この本の背裏のジョージ・ソロスの紹介文からして面白い!
生き馬の目を抜く世界でトップのクラスの利益を出しているのだから、余程の知識と哲学がなければ勝ち抜けない。 
10年前から哲学に興味を持って継続して学んできたが? つくづく今まで何をしてきたか考えさせられる。
歴史も哲学同様に学ぶべきである。権力者の都合のよいように作り変えられるとしても、生の人間の足跡がある。
ソロスという人物はマスコミでは知っていたが、実際に読んでみると、その骨組みが見えてくる。
哲学と歴史を徹底して学んで、それを長期投資に振り替えていることだ。
まずはアマゾンの、この本の紹介からコピーしてみる。
  −−
人物紹介: 金融投資家。ソロス・ファンド・マネジメント会長。
  1930年ハンガリーに生まれる。 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス卒。
  1956年、アメリカに移住後、証券会社勤務を経て、投資会社(後のクォンタム・ファンド)を設立。
   以後、世界一ともいわれる運用実績を上げ、今日までに1兆3000億円ともいわれる莫大な資産を築き上げる。
  1992年には、ポンド危機に乗じて100億ドル以上のポンドを空売りし、莫大な利益を得たために、
  「イングランド銀行を破産させた男」としても有名になった。 自ら設立した財団を通じての慈善事業や、
  巨額の資金を投じた政治活動にも積極的に取り組んでいる。 著書『ソロスの錬金術』『グローバル資本主義の危機』
  『ブッシュへの宣戦布告』『世界秩序の崩壊』はいずれも世界的なベストセラーとなった。
 ー以下は、あるブログの内容紹介文であるが、簡潔にまとめてある。
・2008年5月5日に発売されたジョージ・ソロスの「The New Paradigm for Financial Markets」の日本語訳である。
 本書は、ジョージ・ソロスが2008年以降の激動の世界経済・金融について書いたものであり、
 恐慌論でおなじみの松藤民輔氏が解説をしている。
・内容としては、ソロスの「再帰性」の理論について多くがさかれているが、かなり難解で難しい。
 解説で松藤氏も書かれているが、ソロスの現状認識と未来予測はカンタンにまとめるなら以下のとおりである。
 ー現状は、ドルを国際基軸通貨とした信用膨張の時代が終わりを迎えつつあり、未来は、サブプライム・バブルとは別の、
 さらに大きな『超バブル』が崩壊寸前で、その規模は、あの大恐慌以来のものになるだろう」というもである。
・ソロスは、欧米などの先進国は「売り」、中国、インド、中東諸国を「買い」としているが、
 素直に未来についてはよくわからないとしている。 経済問題が政治に飛び火し、それがさらに世界経済へ影響を
 与えるといった事態になるかもしれないし、そうはならないかもしれない。
 ただ、政治的にも経済的にも不安定な時代に入ろうとしていることだけは正しいのだろう。
 CDS市場の巨大さとそれがデフォルトした時の影響と中東のドルペッグ制である。
 ソロスはロシアには悲観的であるが、中国には楽観的である。中国を楽観視している理由がよくわからなかった。

ー他のブログである、これも簡潔でよい!
 1: 現在の景気後退は、単なる「アメリカの住宅バブル崩壊」以上のものである。
 2: 現在のサブプライムバブルは、はるかに大きな「超バブル」のわずか一部分に過ぎない。
 3: 今年末までに、一九二九年の大恐慌と比肩するほどの「超バブル」が崩壊するであろう。
 4: アメリカ・ドルを国際基軸通貨とした信用膨張の時代が終焉を迎えようとしている。
 5: この「超バブル」は、これまでの信用膨張の飽くなき肥大化(支配的なトレンド)と、
   市場原理主義という支配的な誤謬とによって生み出され、強化されてきた。
 6: 長年にわたって筆者が主張してきた「再帰性理論」を用いれば、
   現在のバブル崩壊の過程を有る程度まで正しく認識することが可能である。
 7: 「経済エンジン」としてのアメリカは間違いなく衰退化する。
  新しいエンジンとして中国・インドおよび中東が期待される。
   彼は「2008年中に巨大バブルが弾け大恐慌の危機が来る」と見事に予告している。
他に
 ・サブプライム危機は巨大なバブルの一部にすぎない
 ・このバブルは信用マネー取引の膨張と市場原理主義によって生み出された
 ・ドルの下落は今後も進んで行く。
 ・CDS市場に大きな問題が発生するであろうが、もし、そうなったら、それがヘッジファンド 
  の連鎖破綻を引き起こし、資金提供元である大手金融機関をも直撃する大変な事態に至る。
   と見事なまでに、現在進行中の金融危機を的中させている事は驚くべきことである。
  なお、これらのソロスの予告の後の数年間、一体、どうなって行くのかに興味のある方には
  副島隆彦著「恐慌前夜」、ラビ・バトラ著「2010年資本主義大爆裂! 緊急近未来10の予測」と
  「資本主義最後の5年」、藤原直哉著「世界同時株大暴落」そして恐慌論の名著ガルブレイスの「大暴落1929」を是非、
  読んでいただきたいと思う。それぞれの本についてもレビューを書かせていただいたので、ご一読いただければ幸いである。
  −−−
  本を買ったら、「まえがき」と「おわりに」と「目次」を読んで、その後、ネットで検索をしてから
 本文を読むようにしている。それも飛ばし読みである。そうでもしないと、短時間で、読みこなせるほど軽くはない。
 この本の冒頭に松藤氏が、解説をしているが、この文章も簡潔に、そのものズバリにまとめてある。お勧めの本である。

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2007年10月13日(土)
2384, こころの旅  −1  
 「こころの旅」神谷 美恵子 (著)

藤原治著の「人は60歳で何をしたか」に紹介してあった本である。 さっそくアマゾンで取り寄せ、読んでみて、
もっと早い時期に読んでおきたかったと思わせる本であった。 最近に、こういう本に出会うことが多くなった。
一冊の本に魂を入れることが出来るのである。本とは本来そういうものだろう。 それとも自身が著者の魂を
感じることが出来るようになったのだろうか。人生の旅路には、常に越えなければならないいくつもの峠がある。
この本は「こころの峠」の、それぞれの年代に焦点を当てて優しく語りかけている。この本のどの部分を読んでも深い魂から
呼びかけてくる声が聞こえるようである。この本は十章から構成されているが、一章ごとに過去を振り返りながら読める。
人が死ぬのは肉体だけで、「こころ」は何時までも残る、と感じさせる本である。 
人生で何か一番大事な部分から目を離していたのかもしれない。 この本の最終章に、この本の要約が書いてあった。
一番感じたことは「こころ」に「よろこび」が必要ということである。 アホかと思われるかもしれないが、
「こころ」に喜びはシャワーのように浴びせてきた。それが人生を振り返り、一番良かったと言えることである。
ーまずは、その中から一部をコピーしてみる
 ーー
からだにとって空気や水や食べ物が必要なのと同様に、「こころは生きる喜びが必要である」ことは一生を通じて
変わらないことであった。 幼児期のホスピタリズムは、これを証明するもっとも早期の例であったが、
その後も「生きるよろこび」欠乏のために神経症、犯罪、自殺企画、自殺そのものが各時期におこりえたはずである。
ことに大きな危機は青年期と向老期であることは見てきたとおりである。日本では老人の自殺率がいつも世界で
一、二を争うほど高いという。老人をめぐる社会的環境の悪さのために、老年期もまた心の旅にとって一つの危機。
社会的次元のことは社会全体の努力と工夫によって、かなりのていどまで改められるはずである。
老人にもこころのよろこびを、というのがその目標でなくてはならない。人間のこころのよろこびがどんなものかは、
幼いころから次第に明らかになっていった。愛し愛されること、あそび、美しいものに接すること、学ぶこと、
考えること、生み出すこと。こうしたよろこびが宇宙の中でどれほどの意味を持つかはわからない。
パスカルに言わせればみな「気散じ」の中に入れられてしまうかも知れない。
 しかし、人間は弱く、だれもが死や無限の宇宙の恐怖に直面してパスカルのように遁世できるわけでもない。
思索を使命とする人にはそういう生きかたがふさわしいのであろうが、ふつうの人間としては、
どの側面からでもこころのよろこびを求めて行くのが自然であり、素直でもある。
真にこころをよろこぼすものに一身を投げかけてこれを深めて行くとき、そこに時空を超えたものを、瞬間的にでも
畏敬の念をもって垣間みることもあるだろう。これに支えられて人は時々「我を忘れる」ことも許されるはずだと思う。
生にはほとんど必然的に苦しみが伴うが、これを乗り越えるためにも、人間には時折「自己対自己」の世界の息ぐるしさ
から解放されて、野の花のように素朴に天を仰いで、ただ立っている、というよろこびと安らぎが必要らしい。
それは植物や他の動物と同様に、人間もまた大自然の中に「生かされている」からなのだろう。
こころのよろこびのあるかぎり人は存続するだろう。たとえ廃嘘の中からでも新しい生活と文化を築いて行くことだろう。
 生命の流れの上に浮かぶ「うたかた」にすぎなくても、ちょうど大海原を航海する船と船とがすれちがうとき、
互いに挨拶のしらべを交わすように、人間も生きているあいだ、様ざまな人と出会い、互いにこころのよろこびをわかち合い、
しかもあとから来る者にこれを伝えて行くように出来ているのではなかろうか。じつはこのことこそ真の「愛」というもので、
それがこころの旅のゆたかさにとっていちばん大切な要素だと思うのだが。あまり大切なことは、ことばで多く語るべきこと
ではないように思われる。それでこれはヒトのこころの旅がかなでる音楽の余韻のようなものにとどめておくことにしたい。

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2006年10月13日(金)
2019, 「私」のための現代思想  −11
      (。^0^。)ノ オッ (*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ
我われは顔を露出することによって呼びかけている。多くの場合、「顔」を合わせることが「呼びかけ」になる。
「呼びかけ」は、常に同時に発生するが「先に呼びかけられた」と感じる奇妙な性質を人は持っている。
「自分の居場所がない」ということに人は非常に敏感である。居場所は、他者の存在によって支えられている。
《私》を支えているのが<他者>だから、<他者>が存在しなくなれば、《私》の存在そのものも危うくなります。
    <他者>の「呼びかけ」に応答し、その存在を望むことが、すなわち「<他者>をもてなす」ということです。
    そしてこの他者をもてなすことが、すなわち「《私》の居場所をつくる」ということであり、それは《私》の
    存在を確かなものにする」ということ、そのものです。それがお互いにとって「ともに生きる」ということです。

第四章「私」にとって「他者」とは何か  −?
  =「ともに生きる」ということ=
 −なぜ人は顔を露出するのかー
<他者>が《私》に呼びかけるということは、音声による呼びかけだけを指しているだけではありません。
実は、私たちは顔を露出することによって呼びかけています。「呼びかけ」は一方からのみ行うものではありません。
つまり、<他者>が《私》に呼びかけるということは、《私》が<他者>に対して「呼びかけ」を行ったことの帰結です。
そして多くの場合「顔」によって行われます。ここでいう「呼びかけ」は、常に同時に発生し、両者とも常に
「先に呼びかけられた」と感じる奇妙な性質を持っています。 このような現象を、私たちが「顔を露出し、
顔によって呼びかけている」ことによって発生します。人は常に「存在している」ことを前提として生きています。
「ともに生きる」こと、そして「呼びかけ」「呼びかけられる」ことを前提として、人は顔を露出しているのです。
(字数の関係上カット2008ねん10月13日)
  
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2005年10月13日(木)
1654, 北イタリア旅行記−5 
 ーチンクエテッレー
この意味は、「5つの島」という。海岸線に突き出た小さな島が5つあり、その小高いところに張り付くように
家が建てられており、その家々にカラフルな色が塗ってある。漁民が船で帰ってきた時に、自分の家を識別できるように
好みの色を塗りつけてあり、それが何ともいえない風情がある。 その岩場に細い散歩道が百数十キロ続いていて、
ウォーキングができるようになっている。 その近くを、やはり列車が通っていて5つの村に駅がある。
(字数の関係上カット2008ねん10月13日)
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2004年10月13日(水)
1289, 「元気の出る言葉」ー4
どん底からはい上がるコトバー1

どれだけ、どん底で先人の一言で励まされたことだろうか。 「元気の出る言葉」シリーズの中で、やはり胸を打つ言葉が多い。 
読んでいて思った事は、実際あの時、果たしてどん底だったのだろうか?今回の一言は、特に気持ちをこめた。
正反合の反という意味で、後で読んだときの思いが合になる。 第三者の視点も合になる。
  ーー
■心配すんな、どうせ死ぬんだ。 (by 軌保博光
 一言〜それが解かってないから心配するんじゃ! でも、死ぬことを常に忘れるな、
 そこから自分の人生を見つめよという点で良い言葉だ。
■自分だけは自分の潜在能力を信じてあげろ。 (by 高橋がなり
一言〜現在という瞬間の継続が、潜在への入り口だ 。
■時間が迫ってきて追いこまれて「もうできるとかできないとか、そういう問題じゃねえ、
 とりあえずやるしかねえ」って決心した途端に、一件目が決まる。  (by 高橋歩
一言〜本当?
■「わくわく」センサーに従って、進路をズバッと決めてしまうこと。 (by 高橋歩
■今がんばらなければ、いつがんばる。(by 藤田晋
■ぐちだけは、言わんとこうな。
一言〜愚痴か〜 、一人で布団の中で泣くのとどっちがよいのかな〜
■人生は10段変速の自転車のようなもの。
 自分が持っているものの大半は使ってない。(by チャールズ・シュルツ
一言〜一段だけの人もいるんだよな〜
■なんのために生まれてきたのか。答えは1つ。 生まれ変わるため。(by 中谷彰宏
一言〜うん〜〜〜?!
■乗らないと損だと思える提案をせよ。(by 神田昌典
自己実現とは、今の生活を最大限に充実させて満足を感じる能力だ。
(by アブラハムマスロー)
■努力した人ほど運が良かったと言い、努力が足りなかった人ほど運が悪かったという。
 一言〜そういうものだ!
■強いって事は泣かないことじゃない。 泣いてもまた笑えること。
 一言〜泣き笑いが一番
■どうにもならない事って、きっとどうでもいい事なんだよ。
 一言〜そう思うのが一番
■しっかりした知識より、土壇場での経験値のほうが役にたつ。
一言〜これも何ともいえない!しっかりした知識も大事
■自分で思うほどダメじゃない。(by 中谷彰宏
一言〜自分って、自分が思っているよりダメなのかもしれない!
■やれなかった、やらなかったどっちかな。(by 相田みつを
一言〜両方
■最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。
 唯一生き残るのは、変化できる者である。(by ダーウィン
■それが何と書いてあるのか何が言いたいのか。もちろんそれも大切だけれども、それよりも大切なことは、
 それを読んで 自分が何を感じ、どう思ったか、どんな風に考えたかなんだよ。
 一言〜それで、これを書いているが、バカ丸出しになっているんだよな〜。
■自分の欲しいものが何かわかっていない奴は、欲しいものを手に入れることができない。(by 村上龍
 一言〜何いっているのかナ〜この男! わかんな〜い。
■与えられているのは時間ではない。それは瞬間。与えられている瞬間で時間を作るのはわれわれである。(by G・プーレ)
 一言〜ホント?嘘だろ!!  一期一会、今ここに、と納得しながら何か酒乱の失敗の経験があるからな〜!
 ・・・・・・ 
 2003年10月13日(月)
 922, アイスランド旅行記−2
  ーアイスランドを印象順に書いてみるー
   字数の関係上、カットしました。(2007年10月13日)

                • -

548,予定挫折

  • 2002年10月13日(日)

ミスマッチの組み合わせの言葉である。挫折は途中で断念してしまう事で、予定していれば挫折でない。
この組み合わせの意味は、挫折時期を予想しておいてその準備をしておく事である。
私の場合、大学受験失敗や他の挫折を人生の前半に重ねた為、挫折の痛みと、反面その必要性を実感をしていた。
必ず生きていくうえで変化と転進の必要性がある。大体が7年である。その時期を読み、変化を積極的に自分で
創らなければならない。その時にそれまで続けてきた事を止める、これが予定挫折である。
スキーを子供のとき滑って失速した時、自分から前向きに倒れるコツを覚えた事があった。
その方が大事にならないで済むことを繰り返しの中で知った。柔道や合気道で、まず訓練をされるのが受け身や倒れ方である。
予定挫折を初めから組み込み、その時期がきたら割り切ってしまう事が必要である。節を予定して積極的に創っていく事だ。
ある甥が大手の会社に7年在職後、さっさと辞めて漫画家になった。 有名らしいが漫画を見たことがない。
曰く「入社前から、そう予定していた!デザインで社長賞を貰ったし、もうやり残した事はない。漫画家は自分がなりたかった仕事。
それで生きていけそうだし楽しい!」私事だが、29歳の時に成り行きで実家の商売をみる事になった。
五年を目安とその時の勘で思った。勿論そう宣言をしていた。3年も経てば兄弟が一つ舟の舵取りは無理!と実感。 
予定どおりに5年で今の事業に転進したが、少しは挫折感があった。これが予定挫折というのかと苦笑をした。 
しかしすぐに次の仕事がたっぷり待っていた。挫折時期はある程度読めるものだ。定年退職やリストラとかで、無知の為に
中年クライシスになってしまうのは、ただ流されて生きているからだ。 準備をする時間はあった筈である、たっぷりと!!

・・・・・・
[184] 基本  
2001/10/13

この20数年春になると、ほぼ毎年のように新入社員の入社前教育をしている。
以前はまる三日、最近はまる一日になった。真っ白な若い人に教育する楽しみも以前ほど無くなってきた。
結局家庭のやるべき躾や言葉使いを、基本から教え直すことから始めなくてはならない。本当にどうなっているのかと、
開いた口がふさがらない事が多いが、もうなんとも思わなくなった。対話形式で基本的な会話・対話の仕方から教えていく!
それはここではどうでもよい話だが、教えるべき要点は
1、本を読むこと             2、日記を書くこと
3、相手の話をきっちり聞き取る事     4、自分の言うべきことを明確にする事
5、メモをとること            6、給料を貰う立場になった事(買い手から売り手の立場の逆転)
7、同質社会ー学校から異質社会に変わった事
8、その会社の制服を着たと同時に、個人はその制服の配役になってしまう事 等々おしえる。
 しかし一番勉強になるのが、自分自身である。 毎年春先にこれを真っ白な新卒に教えていると、
自分自身にそのまま教える事になるからだ。 全てが大事な事だ。
読書にしろ日記にしろ今でも続けているのは、これを毎年反駁しているからだ。
本当にこれをきっちりやっている人間の少ない事は、今更言うまでも無い。
それでもこのレベルの文章しかかけないのだから、別に如何という事がないのか。