GMがそのまま本気で電気自動車に取り組んでいたら、現在も世界NO・1の優良メーカーだったはず。
将来の先取りが本来あるべき戦略であったのに、それを自ら葬ったことで自分自身を殺すことになった。
この数年は多目的のSUV(スポーツ多目的車)という大型車に社運をかけてしまった。
そのうえ自社でローン会社をつくり、車だけでなく住宅ローンまで扱っていたという。
歴代のホワイトハウスのスタッフが石油会社の出身者で占められ、電気自動車の抹殺に組していた。
「誰がアメリカ合衆国を殺したか?」に題名を変えてもよいようなアメリカの縮図でもある。
腐りきったネオコンアメリカを支配し、それに憎悪を抱いたイスラム原理主義者が9・11のテロを行い、
彼等の戦略に引きこまれ、アフガン、イラクに戦争を仕掛けてしまった。そして、その戦費を捻出するために、
サブプライムローンなどの債権の乱発になっていった。
 結果から見ると、ブッシュ親子、クリントンは歴史に残る最低の烙印が押される大統領。
「誰が世界恐慌を引き起こしたか」というと、ネオコンであり、ブッシュ親子、クリントンである。
その総括がアメリカで行われるかといえば、その動きが出てこない。
こと世界に対しては、彼等を追及することは自分の首を絞めることになるからだ。
現在、化石燃料のマイナスが槍玉になっているので、原発が容認されているようだが、
これとて人類に最悪の事態をもたらす可能性がある。 その是非の判断は非常に難しい。
 ところで、温暖化などで世界は電気自動車へ向けて走り始めた。 
これはトヨタなどの大手自動車メーカーにとって、大きな問題になる。 根こそぎ、現在の生産体制を
見直さなければならないことになる。 自動車はエンジンが一番の要になる。 それが一転直下、
ガソリンエンジンから電気モーターに重点が移動するからである。 革新的なモーターが、
次々に開発されるのは時間の問題。元もとモーターの技術の蓄積はあるのだから、進化は早いはず。
燃料電池も革命的なものが出てくるだろう。 これから10年の自動車の変化が見ものである。

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2645, アメリカ狂乱 ー1
2008年07月01日(火)
 「アメリカ狂乱 ー次の大統領統は誰か」 日高 義樹 (著)

本屋で平積みしてあった本だが、何時か図書館に並んだら読もうと思っていた。
それが数日前に、長岡の図書館で読んだら、数十年近くに渡り、アメリカの国内事情と
大統領選挙を見てきた著者の視点のためか多角的に分析していて説得力がある。  
  ー面白そうな部分を抜粋しながら、まとめてみるとー
民主党有利と言われているが、現時点では共和党のマケインがもっとも大統領に近いのではないかという。  
 その理由として、ヒラリー、オバマ民主党候補の争いが泥沼化していること、ベトナム戦争の英雄である
 「強い指導者」をアメリカ国民が選択するであろうという。  
 「大統領選挙の本番になればアメリカ国民は、それぞれの候補にアメリカ軍の最高司令官としての能力があるか
 どうかを慎重に見きわめる」というキッシンジャー博士の言葉を引用して、誰がアメリカ軍の最高司令官に
 ふさわしいかどうかと言えば、経験と力量からいってまぎれもなく 元海軍士官にしてベトナム戦争の英雄であるマケインだ。  
 ブッシュがマケインの主張を取り入れ、ラムズフェルドを解任し、兵力が不足していたイラクに一度の大部隊を送り込んだ 
 という話や、共和党の政治家のほとんどがイラク問題を身辺から遠ざけていたときに、マケインは流れに逆らって 
 自分の主張を通したという。 71歳の高齢ながらベトナム戦争時の英雄として扱われており、民主党の候補者同士が 
 泥仕合を続けるならば、勝機は十分にある。しかし、現在は、上院・下院とも 民主党が多数を閉めており、 
 大統領になったとしても苦しい政局が続くだろう。 
(以下、字数の関係上カット、2009年7月01日)
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2007年07月01日(日)
2280, ビジネススーツ・ビル
                       ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!           
ー 超高層ビル=ビジネススーツ・ビル論 ー

*半月ほど前の読売新聞に掲載されていた建設史学者の鈴木博之氏の「ビジネススーツ・ビル論」が面白い。
超高層ビルの外装を、ビジネス・スーツと類推するところがユニークである。
超高層ビルが林立すると、そこに立ち並ぶ超高層群は無個性化を始め、ビジネススーツのように縦ストライブの、
抑えた色調の外装パターンになり、外観からはビルの存在感を消そうとする傾向に入った。
それを「国際化」と見る人もいる。ー  概略は、このようである。
 (以下、字数の関係上カット、2008年7月01日)
                  ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Юバイバイ
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2006年07月01日(土)
1915, スペイン画家・堀越千秋 ?6
       \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/

文化とかという難しい?ことでなく、スペインの日常料理から現地の生活実感を垣間見ることができる。。
私など、三度行ったスペインのバールの美味い酒のツマミの印象だけで、
「もし永住するならスペインが良いな?」と思っていたら、一撃を喰らう内容があった。
 ー 
スペインの町でキョロキョロしている日本人旅行者たちは、「イヤァ、スペインは美人が多くて結構ですな」
など言いがちである。おまけに「スペイン料理は日本人の口にあっているし」とも言う。
「オリーブ油が如何だこうの言いますが、私は大丈夫です、美味しいですよ」という人がいる。
じゃあ、今夜みそ汁も白米も一切やめて、固いバンにオリーブオイルとラード(マンテカ)塗ってくてみなよ。
あんたの好きな烏賊のリンク揚げと、二週間続けて揚げて使ったオリーブ油で好きなスペイン・オムレツを
こしらえて喰いなよ。皿からこぼれそうな豆と豚の脂身のスープに、さらにオリーブ油をドブドブかけて喰いなよ。
アンダルシアの貧乏人のように。皿からハミダシしてテーブルに垂れているアビラの牛肉、食ってから、ベロベロに
甘いサンチャゴ・ケーキ、全部喰いなよ。 これを乗りこえて、著者はスペインを理解しているのである。
 堀越流の国家観もよい。「西洋人は、面子より実質的な損得をとる。欧州とは、金品と武力で倫理を売買してきた
歴史ではないか。もちろん、人間の一人一人は、道理をもって説けば通ずるものである。何処の国だって、
個人というものはおおむねそうである。が、国家とか政府というものは、個人より随分劣っているものである。
野蛮である。 どの町だって、何とかというとピストルや刃物を出してくる隣人というのは、
そうそうない(アメリカは知らないけど)。しかし、国家というのは全部軍備を持っている。
いつも腰に刀やピストルをさして歩いているようなものだ。核兵器を背負っている老人もいる」
 ――
スペインにいればこそ、こういう見方ができるのだろう。
島国で、四面を海に囲まれて、元寇に攻められたことと、第二次世界大戦で敗戦で占領された以外、
外敵を意識したことがない日本にいては、軍備の必要な事態が理解できないのだ。
               つづく             i (ω・`) bai
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2005年07月01日(金)
1550, 将来の不安?2
 ー不安を哲学するとー

我われは、過去に対しては悔恨があり、未来に対しては、不安が付きまとう。
といって、まだ来ぬ未来を不安がっていても仕方がないし、反対にノンビリ過ぎるのも問題。
最悪を想定しておくことも必要であり、「大丈夫!」という言葉を口ぐせにしておくことも、一つの解消方法である。
不安の対象に対して考えつくしたあとで、「その時は、その時だ」と放念することも時に必要である。
青年期の日記を読み返してみても、その時点時点で不安感が大きく口を開けていた。
不安は一生我々を悩ますものだ。我われを脅かす「特定の対象」に向けられたものが「恐れ」であり、
「不安」は漠然とした恐れの感情をいう。その恐れに対して、打ち勝つ克己心が勇敢、勇気ということになる。
前にも、「将来の不安」という題目で書いた。不安は目先の変化に対する不適応から生じる心理の揺れと書いたが、
目的意識の希薄さも不安心理の一つである。 その不安感に対して、哲学者がどのように考えてきたのだろか?
ーある本からの抜粋をしてみるー
・先ずは、キリスト教の初期に神に対する畏敬や罪に対する恐れを不安とみた。
 その不安を克服することが永遠の生を得るための前提であるとした。
・次には、19世紀になって、キルケゴールが不安の心理分析をおこなった。
 その後、ハイデッガーサルトルなどの実存主義者やフロイトなどの精神分析で中心概念になった。
 キルケゴールは不安感を罪の問題に結びつけて考察する。アダムとイブの原罪から,
 人間は皆罪を持って生まれてきたとして、 罪の状態に陥る可能性の中で罪あるものとなると。
 不安とは、悪魔的なものが持つ妖しい魅力に堕落できるという「自由のめまい」であり、それは堕落の深遠を
 覗き込む時の感覚にたとえられる。サルトルは、これを「めまいが不安であるのは、私が断崖に落ちはしないか
 という恐れだけでなく、私みずからが断崖に身を投げはしないかと恐れるかぎりにおいてである」と考えた。
 ひとは天使や動物と違って、可能性に対してたえず不安を覚える。
 それは人間がこころと身体との総合としての精神という特殊のあり方をしているからだ。つまり人間はその本性上、
 不安になりざるをえないのだ。 不安の中でおのれの罪を自覚して、はじめて目覚めた精神となる。
 その絶望的な不安にかかわらず、なおも自分自身に真剣であり続け、 ひとりの単独者として信仰へと
 飛躍することによって、不安から解消され、真に自由になることができる。
 キルケゴールは不安の心理を分析することを通して、人間のあるべき姿を探求した。
ハイデッガーは、不安とは現存在として最も根本的な気分であるとした。
 彼によると、現存在は世界内存在として理由もなくこの世界に投げ出され、そのつど、何らかの気分に規定されている。 
 日常性の中に埋没されて生きている非本来的あり方から、本来的自己を呼び覚ますきっかけとなるのが不安である。
 とりわけ「死」の可能性の前にしての不安において、現存在としての 根源的開示がはじめて生起する。 
 我われはいつか死ななくてはならない。 「この私」の死を誰も変わってはくれない。
 その死を痛感する時、人は日常から引き離され、単純化し自分自身と対面せざるを得ない。
 その死を見つめることによって、その可能性に「先駆」することによって、本来の自分を取り戻すことができる。
 おのれの実存をたえず知覚させてくれる 気分として「不安」を考察した。・精神医学において、フロイト神経症
不安の関係を探求した。 はじめは、不安を性的不満足にたいする生理学的な反応とみなしていた。
 しかし後半は不安とは自我に対する危険を知らせるシグナルであり、
 それを回避するための防衛機制を作用させる感情であるとした。
ーー
不安感は誰にもあるが、その度合いであろう。不安感のないのもおかしなものであるし、
強すぎて何もしないのも問題である。我々の究極の不安は、やはり「死」である。
といって、死ぬまでは生きているのも間違いのない事実である。
キリスト教的な神への原罪意識
・精神を持ったためにあらゆる可能性を持つ不安
・死への恐れ
・自我に対する危険のシグナル  等々、を不安の根本原因とみている。
これらの不安を抱えて生きていくからこそ、人生は面白いのだろう。
所詮、不安感からの解放はないのだ。それならば、精神の属性として仲良くしていかなくてはならないのか。

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2004年07月01日(木)
1185, 異境・秘境ツアーレッスンー4

 秘境ツアー先の現地の日本人ガイドを見てみると、多様な人生が垣間みえる。
 それぞれの色いろな事情を聞いているとドラマそのものである。
・日本でたまたま、その国の人と知り合って結婚、移り住んでいるケース。
・その国の留学滞在や、連れ添いが仕事で駐在しているケース。
・旅行をしていて気に入り、一度帰ったが忘れられないで、何とか手続きをとって住み着いたケース。
・世界中を数年単位で渡り住むことを、自分の生き方にしている人。 等々さまざまである。
 日本人がほとんど行かない現地の人ほど、日本人に会うと、そして日本語が話せることが嬉しいようである。

・最近の変わった人といえば、去年行ったアラスカのマッキンレーの伊藤さんという人だ。
 60過ぎの、見た目はエスキモー人そのものであった。若いときにアラスカに渡って、そのまま現地人に同化してしまった。
 観光シーズンはガイド、それ以外が猟師をしているという。
「アラスカのエスキモーが、たまたま間違えて日本人に生まれたきた」といっていた。
 この人の存在は私も本で何回か出てきていたので知っていたが、まさか会えるとは思ってもいなかった。
 狼などの猟の話が、リアルで原始的で非常に面白い。30数年前の「3億円強奪事件」の犯人ではないかと先年、
 週刊誌に騒がれた人物でもある。 嬉しそうに、その逸話を話していた。
・やはり去年の、アイスランド若い女性ガイドは、「旅行先のパリで知り合った白人男とたまたま
 アイスランドに来て数年滞在している」といっていた。結婚をするかどうかは解らないとか。
 今風の若い人は、こうなんだと驚いたが、日本人と思わなければ如何ということはない。
イスラエルのガイドは、以前にも書いたことがあるが、ヘブライ大学出で神学者くずれの60歳位の人。
 癌で何時死ぬかわからないといっていた。 日本にいまさら帰っても、友人もいないし、
 現地で死ぬかもしれない寂しさを10日間、切々と話していた。自己証明をしておきたかったのだろう。
 日本人はイスラエルに来ることは殆どないという。そのためか、マイクを離さず「自分の過去」をこと細かく
 話しまくっていた。「イスラエルの地で、自分が消滅する不安がたまらない」という叫びが心の底から響いていた。
 旧約・新約聖書の地を巡りながら、ガイドの心の十字架を背負って生きている姿が印象的であった。
・人間的と思ったのは、ニュージーランドの70歳ぐらいの女性である。若い時にニュージーランドの豊かさに憧れ、
 移住した。 ところが、その直後から日本が高度成長になり、この国より豊かになってしまった。
 そのまま日本に住んでいた方がよほど豊かな生活ができた、無念であるという言葉が何か微笑ましく、
 しかし悲痛な叫びに聞こえてきた。
南アフリカの50歳位の女性はもっと切実であった。 日本の商社でイギリスの男性と知り合い結婚、イギリスに行ったが、
 仕事の関係でケープタウンまできて生活をしている。 日本人の墓は一つしかなく、彫られていた年号は明治末期という。
 その女性に何があったのだろう、推理するだけでも面白い。 みていて寂しさが墓から伝わってきたという。 
 若い時の海外生活はよいが、歳を重ねたそれは厳しいという。 自分の子供の名前を日本名前にするか、
 イギリス名にするかで夫婦で争うという。 死んだ後、自分の存在が子供の名前しか残らないからだという。
 ツアーはよい、絶対に個人では行けないところまで、行けるからだ。それも安く、安全に。 
 [皆で行けば怖くない]ということか。

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2003年07月01日(火)
818, 12の宮

ある本に面白いことが書いてあったので抜粋する。
  ーーー
昔読んだ本の中に、こんなことを書いたものがありました。うろ覚えなのですが、こんな内容でした。
私たちには「12の宮」があり、その宮には必ず一つの黒丸がある、というものです。
「12の宮」というものを私なりに作ってみました。
・家族・家系的な6つの宮に対して
・自分にかかわる6つの宮があるような気がします。
ー家族・家系にかかわる宮として
1番目として家系運  2番目として親運  3番目として子供運  4番目として兄弟運
5番目として親戚運  6番目として配偶者運ー結婚運ー結婚できるかどうかも含む
ー自分運として
7番目として金銭運ー出入れする金ー短期スパンの金
8番目として財産運ー蓄積された長期スパンの金  9番目として仕事運 
10番目として健康運 11番目として友人・先輩運 12番目として異性運
以上は私が考えたものです。その本の著者が考えたものと違うと思います。
この「12の宮」に必ず1つの黒丸がある。つまり瑕疵(キズ)があるという考え方です。
(以下、字数の関係上カット、2008年7月01日)

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2002年07月01日(月)
454,面白かった!!

ワールドサッカーが終わった。 やはり世界のトップが集まる試合は面白い。
サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。その時の勝負のアヤが左右するのが特に面白い。
優勝候補のフランスとアルゼンチンが早々に敗れるというのも、勝負のアヤであった。
ワールドカップというのがこういうものだという事が、理解できたように思った。
実際のところサッカーの面白みがいま一つピンとこなかったのが、これを契機に好きになれそうだ。
勝戦が終わったときの,勝者と敗者の差の大きさもそのまま画面に出ていた。
やはり一国でやるべきというのも確かであった。 最終戦で会場の勝者に対する会場のシラケぶりには
世界に対して、この国のセンスの低さを曝け出してしまった。
韓国の熱狂と比べ、途中で負けてしまった事を差し引いても盛り上がりが少なかった事は否めない。
ブラジルが勝ちあがっていくプロセスでやはり強かったようだ。
南米の予選ではやっと勝ちあがってきたという。彼らも実際優勝できると思ってなかったことも含め、
喜びは最大級だろう。 TVの前でこれだけ熱狂するとは思っていなった。

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2001年07月01日(日)
[70] 夢についてー2

何か欲しい!とか、どこかに行きたいという夢と夜見る夢と共通点が非常に多いという。
トイレにいきたいと探している夢は目を覚ますと殆どトイレにいきたい状況である。
次の夢は不思議な不思議な夢だ。‘母とか父が死んだ後自分のなかに生きている!’とかいうが、
少なくとも私の中で事実の世界だ!夢で事実生きている。
痴呆症になり幼児に退行した幼児に変身した母が出てくる。それは正しく母が私の中で事実生きているのだ。
次にまた以前書いた文章をコピーしておく。
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H0511妙な夢?
 ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ
一周してもどってきて布団に入る。ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。
これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて(そのまま水平にいて)
下をみると自分の肉体が下にみえる! 直観的にまずいと思い下にもどろうとするがもどれない。
かなりうなされていたと思うが?何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
こんな事もあった、これは夢ではないが部屋の天井や床の下四ケ所で次々と音がする。しかし夢ではなかった。