* 金メダルを取れる人
「金メダルを取る人は、トップレベルの才能のある人は逆に取れない」という。
トップレベルの人を目標に背中を追っていた「三番手、四番手の人」の方が、努力をするからである。
一番手の才能の人は、そのこと自体の有難さが分からないから努力をしなくなり、こぼれていく。
その重なりの中で、結果として金メダルの道を歩くことになる。
必死に努力した方は、その努力に愛情を持っているから、心の芯になってしまう。
ここに金メダルと、途中で挫折する才能のある人の差が出る。 何か亀とウサギの御伽話のようだが、
人生の深い示唆があるような話である。 二代目が大成しないのと同じか!
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 * 物語をつくる
毎日、随想日記を書き続けて、あと40日ほどで3千回になる。
随想日記も考てみれば「小さな物語」である。 物語とは、テーマの設定と筋書きつくり。
文章作法の起承転結という筋書きの中で、味付けをしなければならない。
その上に魂を込めない限り読むものの魂に響いてはこない。そうそう毎日、魂を込めるのも並大抵ではない。
一年ごとに見つめる自分の目も怖い。しかし一度、物語にしてしまえば、記憶パッケージ化したことになり、
魂の記憶として長期間残ることになる。
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 * エーゲ海クルーズと吉田類の酒場放浪記
「オーシャンモナーク」というクルーズ船で一昨年にエーゲ海クルーズをしてきたが、まったく同じ船で、
同じコースをBS・TVで放送していた。 同じクルーズの再経験をしているようになる。
「一度いった旅行は、決して終わらない」というが、同じような経験を年中している。
同じ島に上陸しても違う場所や景色を見ることができる。追体験をしているようで、気持ちが豊かになる。 
時間帯も違えば同じ景色としても風情が違う。 少し贅沢な趣味だが、それにしても価値は充分にある。
同じ時間帯に「酒場放浪記」を放映していたが、居酒屋にいるような気持ちになる。
以前は18時30分から放映していたので晩酌をしながら見ていた、居酒屋で飲んでいる気分だったが。

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2595, 閑話小題
2008年05月12日(月)

 * シティーバンクが41兆円の資産売却の意味すること
ニュースでシティーバンクが総資産の2割にあたる41兆円を売却すると報じていた。
ということは、サブプライムローンで同額位の損失をしたと考えてよいだろう。
それが、世界全体の10~20?と見ても200~400兆円の損失と考えても不思議ではない。
シティだからこそ、それを売却して支える力があるから良いが、殆どの金融機関が無理だろう。
このことから考えられることは、世界経済が重大な局面に入っていることの裏づけになる。
アメリカの株価が数年以内に数分の一になるのは必定。それに伴い世界大恐慌とイメージするのは悲観的だろうか。
このニュースは考えれば考えるほど、恐ろしい先行きが迫っている意味を含んでいる。
マスコミが、あまり深刻に報じていないのが気になる。
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 *大相撲が始る
大相撲が昨日より始った。 二人の横綱が体制になって面白みが少し出てきた。
上位の将来性のあるのは殆どが外人で、日本人は数人しか見当たらない。
体質とハングリーさがモンゴルや元東欧諸国出身の力士と比べると劣るのは育った環境による。
大相撲も一昔とは大違いである。 異種格闘技と割り切ってみれば、逆に面白い。
初日は、さっそく朝青龍が負けた。前半に二敗をしても撥ね返すだけの実力は、この横綱にはある。
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 *連休明けから、少しおかしい!
覚悟をしていたが、連休明けから宿泊が少しおかしい。
例年、新年度になる4月初旬と、5月の連休明けの宿泊に異変が起こるかどうかで今年度の予測ができる。
これだけ石油をはじめ、物価の値上がりをすれば、おかしくなるのは当たり前のこと。
ただ、まだ小団体が引き続き入っているので、青くならないで済んでいるが、それでもタダゴトではない。

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2007年05月12日(土)
2230, 人生張っています 
                              ?読書日記
  それでは特に凄いウンコ話を抜粋してみた。オカマのマツコとの対談は、あまりにも凄いので掲載はひかえる。
  「ニラを面倒なので、切らずに煮て食べた、そして・・・」 オカマでなければ言えない話である。
  誰も長い人生で危機一髪か、近い経験をしているはず。 ただ言うか言わないかだが、
  それを楽しんで話すところが異常? それを薄ら笑いを浮かべて読んでいるのも似たようなもの。
  ある明治維新の立役者が、電車の開通の式典の後に乗った時に便意をもよおしシルクハットの中に急遽・・
  の逸話がある。「あのバカ野郎!」は、アメリカでは「ファック、ユー!」だが、
  日本は「クソたれ!」。それだけ日本人は、隠したがる恥になっている。
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サイバラ:ウンコ漏らした?
 うさぎ:私がね。自分ちの玄関で。玄関までは、何とか我慢したんだけど。
サイバラ:ああ、そういう時は玄関なんか見ると、括約筋が開きますよね。
 うさぎ:開きますねェ~。全開してでしてねぇ。
サイバラ:全部出た?
 うさぎ:もぅ?、ボタボタと滝のように。しかも白のベルェサーチのワンピースを着てまして。
サイバラ:オオー、いい感じだ。
 うさぎ:夏物で、初めて着たんですが、捨てました。夫はビックリしたみたいで、
     猫と部屋に閉じこもっていました。 後始末は自分でしました。
サイバラ:私は片づけてあげたけどな。
 うさぎ:そうなんだ、鴨ちゃんがウンコもらしたんだ。
サイバラ:コンビニで買い物をしている時に、急に変な歩き方になって。
    満月の夜でさ。「フェー、かーちゃん、ウンコ漏らした」って泣きが入って。
   「真夜中のカウボーイ」みたいになって。スェットはいててその下から、
    ボトボトって。これがまたぶっといの。しょうがないから、コンビニの袋で
    ウンコ拾ってあげて。泣いてる亭主の背中を撫ぜてやって、
   「何時までこの坂は続くのやら」と自分で自分に言って。

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  斉藤綾子:そうだ、知り合いの知り合いなんだけど、すごいウンコ話があるの。
うさぎ:(身を乗り出して)はい!
  綾子:首都高乗っていたら、強烈な便意をもようして、
   どこかには入れるまで待てないって。 窓開けてケツ出してやったって。
うさぎ:おおーっ!(拍手)
  綾子:すごいでしょ?歴代ウンコ話では一番と思って。
うさぎ:男ですか?
  綾子:女です。
うさぎ:ほほーう。
  綾子:何人か乗っていて、「悪いけど、ちょっとウンコするって」と言って。
うさぎ:外から見ると、窓から尻が出ているわけですね。風にちぎれて水平に流れていくウンコですね。
  綾子:後ろの車のフロントにパンッとかね。事故が起きたかどうかわからないけど!
    ーーー
  解)そういえば数年前TVで、マグロ釣りをしていた梅宮辰夫が、もようして
   船尾で尻を海に突き出して???、その直前まで写していたが・・・。
   先日のこと、ウォーキングの土手で便秘の犬が凄い格好で何をしていた。
   その若い女性の飼い主が、その姿に真っ赤な顔をしていた。

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 2006年05月12日(金)
1865, グーグル Google   (。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ
            ー読書日記

この本の重要な要約部分がこの章に詰まっているので、さらに破壊戦略の意味を書き写してみる。
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第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」?4

さらに、驚くべきものが「グーグルブックサーチ」で、2004年にそのサービスをスタートさせている。
これは書籍の全文が検索でき、世の中の全ての書籍がグーグルから検索できるようにすることを目指している。
出版社がこのサービスに登録して、自社で刊行した書籍をグーグルに送ると、
グーグルが全てをスキャンして電子化し、グーグルのデーターベースに登録する。
利用者が検索をすると、そのキーワードが含まれるページが表示され、そこから
オンライン書店の購買ページや出版社のHPにリンクする仕組みになっている。
検索結果は、そのページしか表示されないため、「著作権保護の観点からも問題はない」と、グーグル側はアピールをした。
ところがグーグルがこのサービスをさらに進化させて、図書館の蔵書を対象にしたことから、問題の火がついた。
同年暮れに、ハーバード大學や公立図書館の蔵書をすべてデジタル化し、検索できる新プログラムを発表したところ、
アメリカの作家団体や、出版団体などが、「著作権法違反」として、相次いで提訴した。そして現在も争いが続いている。
さらにグーグルは、今年2006年初頭からオンラインビデオ販売にも参入した。
これはアップルがスタートさせた「iPad」のビデオ配信と似たサービスで、アップルと真っ向から衝突することが予測される。
アメリカの調査企業IDCはグーグルを、「破壊者」という刺激的な呼称で呼んだ。
「破壊的なビジネスモデルが加速することで、新たな状況が生まれる」IDC社によると、
グーグルは次々と既存のビジネスを破壊していくというこの潮流は今後も拡大していく。
破壊される相手はIT企業だけでなく、古い業界にまで及んでいく可能性がある。
同社のレポートは、「より大きな影響として出てくるのは、古い企業が「破壊者グーグル」
に対抗するために自分自身のビジネスモデルを破壊していく状況だろう」と予測している。

第二章からは、グーグルの収益構造の秘密の解明になる。
             (* ̄(エ) ̄)ノ バイ!
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2005年05月12日(木)
1500, 人生の敗北者とはどんな人か??2

私の周辺でも、「人生の敗北者」の要素の強い人が何人かいる。
「自分は純粋無垢で、誠実で善良な人間であるいっぽう、
 自分以外のほとんどの人間は、不誠実な悪人たちと信じて疑わない」という考え方の人である。
「『無知』を起因としている」と考えざるを得ないが、
心のジャングルの中の暗い小道で、「知識」という光を持たないためである。

おそらく、その人がこの文章を見たら驚くにちがいない!(いや気が付かないか?)
その人が長年のかけて作りあげてきた世界ープライドの裏側を指摘され、根こそぎ否定されるからである。
本人の自慢といえば、子供が気楽に近寄ってくることぐらいである。
諺に「他人(ひと)を呪えば、穴二つ」というが、それが趣味になってしまっているから、なお恐ろしい。
短大卒のあの人(プライドの高さが実態と全く伴わない?)。親や舅・姑などに頭を抑えられている人。
転職を繰り返している人。夫婦間が上手くいってない人。 等々に、こういう傾向の人が多い。
(これでは、殆どの人を網羅してしまうが)誰もが一時期でも、こういう心情は持った経験があるはずである。
しかしこの性癖から抜けてない人が多いから面白い。これが、その人を不幸にしていることに気がついてないから滑稽である。 
そういう私が一番滑稽である?!『世間様』を小ばかにして見下しているのだから。「世間様」から見たら、なお滑稽だろうが?
そういえばマスコミ報道は、敗北者の視点である。記者や、ディレクターは「視聴者の心理が敗北者の視線」ということを
知っているのだ?マスコミ報道に我々は更に洗脳されているのである!マスコミを盲信している大衆のレベルを周知しているため。
「大衆を善玉して、誰かを血祭りにする」のが、手っ取り早いからだ。
人生の敗北者としての視点をマスコミが作り上げている。

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2004年05月12日(水)
1135、「ライフ・レッスン」?13
 ー遊びのレッスン

 遊びは仕事とともにもっとも大事にしなくてはならないことである。
何のために働くのかと問われれば、遊ぶために働いてますと真から答えることができ、何のために遊ぶのですかと
問われれば仕事をじゅうぶんできるために遊ぶのです、と答えることが理想といえる。
 遊びとはつかの間の気楽な時間ではなく、遊びのためだけに捧げられた、
じっさいの時間である。私にとって、この随想日記を書くことじたい遊びである。
遊びでなくては絶対に1000回も書くことは無理であった。 散歩もわたしにとって、最大の遊びである。
初めは腰痛対策であったが、いつの間にか遊びに昇華してしまった。 歩いて楽しいのだ。
 晩年になって過去を振り返ったときに、あの時は良かったという記憶に残るのはやはり
無心で遊んでいた時であろう。それぞれの年代において、それぞれの遊びの中で我を忘れて楽しんでいた時である。
ー抜粋
・われわれは趣味や遊びが何であるか忘れている。家具つくりを趣味でしている人が、
ある日突然「これを仕事にしよう」と思い立つ。好きなことをして、それが仕事になれば、というかもしれない。
しかし趣味とは成果を気にしないで純粋に楽しむものである。売るための家具をつくれば、もう趣味といえなくなる。 
それは仕事である。そのことに気づかずに、好きなことを、純粋に楽しめないことに ゆがめていく人が少なくない。
・面白くって、一日中でもやっていたい、本当に好きなことをやらずに、欲求を最大限おさえて生きていくなんて、
何ておぞましい人生だろう。遊びにかけているサファーを、われわれは並以下の人間に感じる。
しかし、真剣に問われるべきは、われわれの大半が遊びのない世界に住んでいるのは何故かということだ。
・自分自身に上質な時間をあたえてほしい。愛する人とすごす上質な時間が必要だということを、誰もが知っている。
ところが、自分だけのための、ひとりですごす上質な時間もまた必要なのだ。ひとり取り残された時間でも、
気がついたらひとりになっていたでもなく、純粋にひとりを楽しむ時間が一番大事だということを知って
ほしい。
  ーーー
 ー以前書いた文章ー 
ー遊びについてー
人間にとって「遊び」は最も重要の一つである。そこで「遊び」とは何かを考えてみよう。
まずその達人を事例で考えてみる。一番身近では母がそのプロ?であった。
戦前、戦中、戦後の動乱期に10人の家族が生きていく中で、父とともに苦労の連続であった。
そして長男、次男の連続の不幸な死で今の重症のノイローゼーニ。心筋梗塞、死の一歩の手前までいった。
亡くなった時、医師の要望で心臓を解剖したら、心臓の4分の1が壊死していた。
それを乗り越えた後は、それまでのエネルギーを遊びに全て向けていった。約40年近く遊びきって亡くなった。
日本舞踊、短歌、お花、旅行、茶道、写真。毎日いそいそと何か遊びを見つけ楽しんでいた。
子供ながらに、そのエネルギーに感心をしていた。遊びの重要さもそのため学んだ。
父は「働く人」、母は「遊ぶ人」と役割分担がハッキリしていた。ただ父も仕事の合間に、結構遊びを作っていた。
「遊び」を儒教的影響の為か、キリスト教的倫理観の為か、罪悪と教えられてなかったか。
子供のころ誰もが、毎日目を光らせて遊んでいた。 ただただ無心に遊んでいた。
あの遊びをいつの間にか我々は忘れてしまった。人間は生きていかなくてはならない。その為に働かなくてはならない。
競争に打ち勝たなくてはならない。 その為に勉強もしなくてはならない。
しかしそれだけでは、それだけの人生だ。 それがクロなら、その対象の白が必要になる。
どちらが大事かでない、どちらも必要なのである。 それを特に母の生き様から学んだ。
一般的にいうと、遊びの優先順位があまり高くない。どうしてだろうか、やはり生活をしていかなくてはならないからだ。
そして厄介な不安という心理がある。その為に、お金をセッセと溜め込まなくてはならない「馬鹿な?生き物」である。
遊びとは、「好きな事をして、それを楽しむ事」をいう。そうすると、仕事も遊びになりうる?天才はその典型であろう。
あの子供の時の遊びを我々は忘れてしまった。 何でも遊びの対象にした「遊び心」を。
純真の心を失っているからだ。 「純真な遊び心」をいつの間にか忘れてしまった。
「遊んでないで、笑ってないでもっと真面目にやれ!」と暗示をかけられてないか?
私の趣味の一つにウオーキングある。初めは腰痛対策であった。今は大事な趣味ー遊びになっている。
純真に楽しいーヽ(^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)vのである。
その中に純真な遊び心が躍動を始める。何々のためにといった場合は、遊びでなくなる。
それを乗り越え、純真な遊び心になった時点で「遊びに昇華」する。
パソコンもそうだ、このホームページもそうだ。そこまで持ち上げる必要性を人生で学んだ。
「遊びになるまで集中する」という事か。  これから散歩だ!

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2002/01/05
 一人遊び

常に人に何かを求めているか、頼っているからだ。
 (字数の関係でカット二千八年五月十二日)

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2003年05月12日(月)
768, 規制緩和

 この国が狂っているのは誰もが解っている事である。たまたまホテル業界は全くの規制がない世界。
その事が今になってみれば自分をすくうことになっている。
ホテルは完成した時がベストの状態で、必ず右下がりになっていく装置産業といってよい性格がある。
そこにもし規制があって、解除されたら後発の装置に対応ができない。
小売業をみてみると、過去に存在した大店法が流通業界そのものの脆弱な体質をつくった。
一店舗を出店するのに多くの規制がある。そのために業界は出店が自由に出来なくなり競争が最小になってしまっていた。
既存小売店を守るためというより政治家と役人の?意味合いが強いものであった。
ところが実際は既存の大手チェーン店の利益を守るものになってしまった。
それがダイエーやニチイや長崎屋の間接的な弱体化の要因になった。
現在西友の買収というカタチで、アメリカのウオルマートが進出をしてきたが、
ジャスコヨーカ堂が合併しても太刀打ちできない事は自明である。
規制ー許認可緩和が、いま日本が直面している典型的な基本の問題である。
その規制で権力と利益を得ている役人と政治家が、今だに権力に執着しているのが現状である。
それでも酒屋・タバコ・ガソリンスタンド・米屋などアメリカの圧力で規制緩和がなされている。
既存の業者は壊滅状態である。今でも多くが利権保持の圧力団体からの票と献金規制緩和が維持されている。
それがこの不況の一つの原因になっている。経済を多くの規制でコントロールしようというのは社会主義的規制社会である。
大きな政府になりざるを得ないのである。しかし情報化社会はグローバル化を止める事はできない。
それは自由化、競争の激化をいみする。それに対応するには競争力をつけるしかない。
規制社会はその力をそぎ落としてしまう。その為には規制緩和をするしかない。
いまの自民党を中心とした政府を潰さない限り不可能である。野党を中心とした政府になっても大して変わらないだろう。
しかしこの失われた10年を考えてみると、政府が何回か交代をする必要であったのだ。
他人事ではないが、新陳代謝が国も会社も個人も必要である。

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2002年05月12日(日)
404, 結婚と離婚ー3
 ?夫婦というもの-

人生の永遠のテーマの為か、過去に多くのエピソードが多くのこっている。
まずはソクラテスの妻は悪妻で知られている。「哲学者になりたかったら、悪妻を持て」というジョークがある。
徳川家康の築山御前は、愛人と謀反を企て殺された。あと息子も殺してしまった。
夫婦の間には、永年の間に底なしの泥沼になってしまう。
一時の熱で、一生後悔の人生を過ごさなくてはならないのは、悲劇より喜劇といってよいのかもしれない。
それが解ってたら誰も結婚をしないから、「恋愛という高熱の麻痺」を神が創りあげたのだろう。
誤解で結婚をして理解で離婚するのが、夫婦のある一面かもしれない。
といって一生の連れ添いは必要である。やはり生きていくうえでなくてはならない存在である。
特に離婚した人や死に別れをした人を見ていると、そう感じる。
やはり家庭ーそれも夫婦という基本形は大事にしなくてはならない。しみじみ感じる年頃になってきたということか!
「また生まれたらもらってね!」といって知人の奥さんが亡くなった。 いい言葉だ。