2003年03月09日(日)
704, [つかず離れず]ー群れない為に

「つかず離れず」は人間関係の基本である。「和して同ぜず」ー和同の精神である。
(仲良くはしても、お互い同じでない事を理解することだ)「隣の芝生は緑に見えます」
「隣の花は赤い」は 同じ意味だ。「味噌汁の冷えない位の距離」は嫁姑の距離である。
以上は相手が良く見える距離を保つことの必要性をいっている。
人間関係には「親しき仲にも礼儀あり」という基本ルールがある。
離婚した女性を見ていると、この距離感の果たす役割の解ってない人が多い。
スナックや居酒屋のママは離婚経験者がほとんどだ。
フレンドリーで、お互いに距離を置かないのがプラスに働くのが皮肉である。
お客は群れに来るのだから丁度フィットするのか。 群れといえばこういう話しがある。
私のある姉が東京圏で、サラリーマンに嫁いで団地に住んでいる。
そこで色々な家庭を見ていて、子供の数の理想は3人以上と言っていた。
「3人以上だと群れという感がする」「家庭は群れの場、その為にはその数が必要と見える」
といっていたのが印象に残っている。人間は孤独を求めると同時に、何らかの形で群れてないと生きていけない。

 カナダやアラスカで一人で荒野に住んでいる人が街に出てきて人に会うと、ハイになって話しまくるという。
スナックなどでは多く見かけるという。何か解るような気がする。都会のスナックの片隅で一人飲んでいる人は、
人間の持つ両面を裏表にした姿である。 群れの中で自分を見失わないためには、自分の世界をしっかり持ち
距離を保つことが必要だ。 朝鮮人儒教の影響が非常に強く、家庭の結びつきが日本に比べ格段に強い。
それに比べ日本は幕藩体制を300年続けてきた為か、組織に対する所属意識が強い。侍は藩に?百姓は5人組に
組み込まれていた。韓国人ー朝鮮人と結婚した人はその文化の違いに驚くという。基本的には日本人と全くかみ合わない。
とくに男女間の距離感が違うという。韓国では結婚した男は妻以外の女性とはどんな形でも
付き合ってはならないという不文律があるらしい。夫婦間の愛情は濃密で老夫婦でも小さな布団に一緒に寝る。
 韓国人は情が厚く、寂しさに耐えられないために、家族間の人間関係は深い。
他人同士でも一つの共同体になったときには「親しき仲にも礼儀あり」という日本的習慣は通用しないという。
親しくなったら甘えてもいいという発想があるという。今でも地方では日本でも強く残っている。
韓国人は親しくなればなるほど相手を騙す。馴染みの店から不景気だから来てくれと電話がかかったら、
それはサービスをするという意味でなく、馴染みだから高い金を払ってくれということになる。
あの北朝鮮金王朝の異様さは、この濃密さを政治体制にくみ込んだためである。
 韓国的濃密さは日本では一番嫌われる。日本人と韓国人の結婚の話が少ないのは文化の違いがあまりに大きいからだ。
朝鮮人が日本で「つかず離れず」のスタンスで住むには最適。在日朝鮮人にむしろいえることか。
いつの間にか朝鮮人論になってしまったが、「つかず離れず」とは正反対の文化である。
逆にいえば、「つかず離れず」こそ日本人の文化といってよい。色いろな社会に属すことを好む日本人は、
「つかず離れず」が一番良いスタンスになるからだ。属している共同体が、それでいて最優先にする。