2003年03月07日(金)
702, 心と魂

以前に社内報の事業百訓で、 「心」と「こころ」と「魂」の違いを書いたことがあった。
ーホームページH09/05-見聞皆師
先日、ある本を読んでいたら、パソコンのハードデスクを「魂」、ソフトを「心」に喩えていた。
ーその概要は以下に書き写す
 魂と心は厳密に言うと違います
・魂はパソコンでいうとハードディスクやCPUを中心としたハードウエアにあたり、
・心は基本OSを含むソフトと例えることが出来る。
 
  心の基本形成は、親の心のエネルギーを吸収しながら6才頃に、そのアウトラインがほぼ完成するという。
    パソコンでいえばウインドウズのインストールを終えた状態。
・「こころ」の核となっているのが魂で、これは生まれながらのもの。
・魂は天命・宿命に関わり
・心は運命を左右します。
・そして双方の共同作業の結果が、あなたの「個性・能力」となって現れる。
魂の進化は心とともに ある。 パソコンは平成8年春の製品でクロックは120しかありません
150以上を指定してあるウインドウズMeはインストールできない.

モリーとハードディスクは最大限増設してあるが、クロック増設の手間と費用に見合うだけの魅力がMeに有りや否や?
深層心理学者のユングは「魂はしだいに進化し、聖なる方向に向かっていく」といっている。
  この進化の方向に関わってくるのが心なのです。 Me(心の向上)を諦めたので、
  ハードウエアのクロック(魂)は120のままで進化していません。

こころの葛藤とは魂と心の綱引きをしている。 魂は多くの業(ごう、因縁ともいいます)を持っていて、
その業は縁あらば表へ出ようとしています。 それが自己本位の好ましくない事だったら、心がセーブをかける仕組みに
なっているが、本質的には「魂の方が強力」です。 魂が要求している事柄を実行して良いかどうか…を
・「判断するのが心なのです」が、
・「決断するのは魂」です。
心が「ノー」という結論を出すと、そこで魂と心の綱引きが始まるのですが、
魂が心の判断を無視して行動を起こすと、人間社会の中では往々にして問題行動となる。
40にして惑わず、という言葉があるように、どうやら人間は、その年代以上にならない
ことには、「魂を制御できるだけの心は完成しない」ようだ。

ー以上であるが、喩えが解りやすい。
 また他の本で「自己」と「魂」は似ているとか。 自己の背後にある大本が「魂」といってよい。
自己実現」を「魂をつくること」と言い換えたほうが むしろ解りやすいことからも納得できる。
 ー魂の喩えとして
・心の親。
・心の故郷
・心の実家
・宗教心
・他己
・御祖先様
・心の積み重ね
・神ーラージX

「心を込める」と「魂をいれる」と言葉の重みが違う。
「魂を入れる」は全身全霊を入れるという意味合いにがある。
そうすると全身全霊ということか。対象の物事に対して「魂がこもる」ともいう。
一生は「魂をつくること」ということか。自己実現を図る事だ。