2005年01月18日(火)
1386, 若者と携帯電話

携帯電話の進化と普及はめざましいものがある。特に若者にとって、「何が無くても携帯電話」というほど、
必須用具になってしまった。我われの年代から見ると羨ましい限りである。
若いときに携帯電話があったら、どんなに楽しかったことだろう。
特にTV携帯電話があったら数倍のコミニケがとれ、多くの友人が作れたのではないか。
反面、孤独感からくる学びが数分の一になってしまう。が、しかしそれなりに違った孤独感がでてくるという。
「携帯電話不安症」という違った孤独感が出てくると、新聞で読んだことある。
定期的な電話が来なくなると、絶望感に陥ってしまうという。

『他人との依存が強くなり、自分が自分であるという実感が乏しくなり、自分の中の空虚な穴に陥ってしまう』
考えただけでも背筋が寒くなる孤独であろう。若いときは、孤独に向き合い、悩み、傷つき、一人七転八倒する時期でもある。
それが、寂しければ携帯の電話番号を押して呼び出して慰めあえるのだ。
ところが、その手軽さが真の心の通じ合いを疎外してしまう。ただ友情をつなげる道具が、反対に真の友情を妨害している。

一人になり自分の中で自問自答した言葉を投げ合うプロセスからこそ、真の友情が生まれる。
また本を読んでいても、孤独の中から生まれた著者の真実の声に共感する。
身近に携帯電話馬鹿?があまりにも多い。こういう浅い人間関係しか経験しかしてないから、
柔な傷つきやすい人間になるのだ。それも人生と割り切っているのだろうが、それを乗り越えた先が良い。
道具の進化は人間を誘導する。 昔、年寄りが同じようなことを言っていた。

・・・・・・