■
2007年01月09日(火)
2107, ウェブ人間論 −5 (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
*「ハビトゥス」という概念*
「ウェブ人間論」の中に印象的なところがあった。
まずはその内容から
ーフランスの社会学者のピエール・ブリュデューが、「ハビトゥス」という概念を出している。
ある社会環境の中で、上流階級の人は、子供の時からオペラを何回みているか、
もっと低いクラスの人たちはオペラを何回見たか、動物園に何回行ったことがあるか、具体的な数字を調査すると、
[階級]が再生産されていく、そういう環境にまつわるハビトゥス(習慣)が大きいー という箇所である。
そこで辞書で「ハビトゥス」を調べてみると
*人々の日常経験において蓄積されていくが、個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向。
*態度,外観,装い,様子,性質,習慣などを意味するラテン語。アリストテレスのヘクシスに相当する。
人間は善への志向をもつが,その構成契機のうち情念passioとともに道徳的選択に影響を与えるものがhabitusで,
行為によって獲得された習慣である。
*トマス・アクィナスの倫理学の重要な概念として、intellectus(知性),scientia(学知),sapientia(英知),
prudentia(分別),justitia(正義),fortitudo(剛毅),temperantia(節制)などをhabitusとしてあげている
ーあるHPに、次のような説明があったが、上記をフォローするのに良いー
「ハビトゥス」とは通例「習慣」と訳されるが、意味がずれるところがある。
「習慣」とは、外に現われた行為や生活の型であるが、ハビトゥスとは、むしろそういった型を生み出す能力であり、
しかもさらに重要なのは、個人の生活の中でなされる行為の型よりも、むしろ他者との関わりの中で行なわれる行為を
生み出す能力なのである。
・「習慣」を定着した行為の型、普通に習慣として捉えられるものと解し、
・「ハビトゥス」を、その「習慣」の基盤にある、身体化された社会的能力として用いることで、使い分けることにする。
ーーー ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪
以上が検索で調べたものだが、「子供には一流の音楽や絵画の芸術作品や大自然をシャワーのように浴びせなさい!
それが親の責務である」という意味が、最近さらに深く理解できるようになった。
世界中の美術館や大自然の光景を見てまわってみて、これらを幼児の時から見ていたら人生は根本から
変わっただろうと思うからだ。過去を振り返ってみて「人は家庭環境で80?、90?が決まってしまう」とつくづく思う。
家庭環境でベースで「ハビトゥス」がつくられるのだろうから。
それは10歳までに決まってしまうといって過言ではない。しかし兄弟姉妹でも違うから一概にいえないか!?
般若心経や、早朝の瞑想?、モーニングページや、この随想日記、ウォーキングなど、習慣づくりをして、
その総体と過去の経験と血筋などからつくり上げた人格ということか。
ネット社会は、むしろ恵まれてない人に対して、素材を与えるチャンスを与えてくれる。
私など時間が足りないぐらいである・・・ ハビトゥスか〜 これを考えると宿命論と運命論になってくる。
ところで、「教養」とドコガ違うのだろうか。「教養」によって培われた生活習慣、生活センスということ?
ところで、お前のハビトゥスなっとらん!( ゜Д゜)y─┛~~ X どういうこと? ( ̄ω ̄;)!!
酒癖が悪いからじゃ、分かっているのか! (*^_^*)酒もってこい!((( ^_^)且~~
┻━┻ミ\(≧ロ≦\)オリャァァ!!
(^_^)v バイ
・・・・・・・・
*[哲学]
2006年01月09日(月)
1742, 教養とは ー2
(」o^∀^)」コンチワァァァァァァァァァァァァ
教養を考えるために、
「教養のないオバちゃん」を例に考えてみる。 私が大好き?の典型だから解りやすい。
・小さな世界しか知らない上に、それが全てと信じている。
・品性がなく身勝手。
・とにかく本を読まない。 クルクル σ@( ゚∀゚)y パー!?
その結果、人の話を聞こうとしない。読む本は週刊文春か、週刊現代、週刊ポスト。
・身分の上の者や金持ちに対してひくつな態度をとる。逆に、身分低い人や貧しい人に対して傲慢になる。
・自己耕作(修養)に対して全く興味を持たない。ー 自分の内面には全く興味を示さない
・自分のことをやたらに話し、自己宣伝をする。
・群れをつくる、それも同じレベルと。
・関心は常に他人の粗捜しにある。ーTVの粗捜し番組に異常な関心を示す。
フムフム(*゚Д゚)φ))ナルホド!!
幾らでも要素が出てくる。
ある人?を思い浮かべながら書いているから、言葉が次々と出てくる。
考えてみたら自分の中にも多くの要素があるから、嫌いなのだろうが。ナニガナンダカ??┐( ̄▽+ ̄*)┌??サッパリ
男でも身辺に、この女版が幾らでもいる。知識はあるが教養のないタイプもある。
知識は教養の必要条件ではあるが、十分条件ではない。
しかし私が知っている範囲でみると、知識の多さが必要条件を充分条件に変える。
(・∀・。)(-∀-。)(・∀・。)(-∀-。ソウソウ!
こういうレベルの人ほど、「何々勉強の会」みたいなところに出入りしたがる。
(入ってないよりはましだが)こういう会での、その手あいの人物の見分け方がある。
理想論を述べ社会や会の批判はすれど、幹事などの責任を回避する。
幹事をしたとしても、心が入らない。そして自分のビジネスに利用しようとしか考えない。
何せエセ教養の???・・・ 人生は面白いものだ! O(≧∇≦)O オモシロ!!
この文章を読んで、ドッキとしない方がおかしいが!チャンと、逃げ道をつくってある!
誰も持っている共通項をいっているだけだ。この文章の内容こそが、筆者に教養がない証拠になる。 o(TヘTo) くぅ
文章を書いていると、こういうことに気づきされる。 これが、落ち!だが。
自分に教養があると思ったら、これこそ最低の無教養人間である!ある本を読んでいたら、
何処かの大学の教授が自分は日本を代表する教養人といっていたのがいた。(○ `ー´)○バキッ!
ε=ε=ε=ヾ(´▽`*)ノ☆バイバ
・・・・・・・