2004年01月03日(土)
1004, 正月の過ごし方

  基本的には寝正月だ。元旦は、墓参りとTVと自宅に訪ねてくる兄一家と酒を飲む。
  2日は家内の柏崎の実家に行って、お節を食べるのが習慣になっている。
  近くの料理屋のものだが、絶品である。?万もするとか。お節だけは恒例で贅沢をするという。
   実家では子供の時から、「まるやま」という魚屋のお節をとる。
   内容は家内の実家の方が、倍位は美味しい。 魚屋と料理屋の差は歴然としている、仕方がないが。
   2日は家内が子供と実家に泊まる為、一人で帰ってきて何処かのスナックで酒を飲む。
   今年は家内が日帰りの為に、家でおとなしくしていた。年末年始の挨拶は一切なし。
   図書館で読んだ月刊誌の中で、正月に対して今の若い人は以前ほどの思いいれはないという。
   むしろクリスマスの方に思い入れが強いとか。 正月に対する若者の意識の変化は家庭崩壊の一つの現象と、
   筆者が分析をしていたが、少しオーバーに思えた。日本では年越しにマトメテ年をとる習慣があったのも年越しの
   思い入れにあったのだろう。 田舎や実家に年二回帰る習慣はやはり根強い

  これを書きながら、実家以外で正月をむかえた事の少ないのに気が付いた。
  初めて勤めた年に神戸で宿直をしたことと、7〜8年前にタンザニアの年越し位である。
  あとは全て両親か母親と供にいた。実家は私が引き継いだ為に、いまも実家で正月を過ごしていることになる。
   反面、タンザニアにしても、神戸の宿直は強烈な思い出がある。
      以下をコピーしておきます。  
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  アフリカは何と不思議なところであろうか。行ってくるだけで魂がいやされる。
  ケニアの南に隣接したタンザニアは、ケニアの首都・ナイロビより車で5時間のところに国境がある。
  ケニアの国立公園は一歩、中に入ると世界中のサファリ観光の為、百年以上の時間をかけて、整備がされてあった。
  しかしタンザニアのそれは全くの未整備、サファリという言葉がまさにぴったりであった。 
  ケニアよりさらに二日もかけてのサファリの為、ただ行って帰ってきた感覚だったが、
  それでも強烈な印象はケニアのそれとは比較にならない程強い。
 ? あのどこまでも続くセレンゲッテ国立公園の大草原の地平線(360度の視界がすべて地平線である。)
  ここを車で走っているだけで魂がいやされる。もちろん生まれて初めてみる360度の地平線である。
 ? ンゴロ・ンゴロ国立公園はタテヨコ、16Km×19Kmのクレ−タ−にとじこめられた野生動物達のロスト・ワ−ルド。
  この中に東アフリカのほとんどの種類の動物がとじこめられているという。自然がつくりあげた自然動物園であった。
 ? 大みそかの晩、特別に現地の運転手達に招待されたホテルの寄宿舎近くのスナックのアフリカ式年越しパ−ティの
  さわぎが一番のハイライトであった。ホテルから車で15分のところにある掘っ立て小屋風のスナックであった。
  街頭があるわけが無い真っ暗な中にあった。自分がドキュメンタリ−の主役になったような別世界であった。
  20〜30人が、そこで潰した羊の肉で酒を飲んでいた。色っぽい現地のママがいた。その部分はどこの世界も同じだ。
  外にも椅子が置いてありバーベキューをしていた。4〜5匹のハイエナが焼肉の臭いで近くでウロウロしてのが
  唸り声でわかった。子供たちはハイエナに襲われないようにバケツを叩きながら遊んでいた。
  そして全員で年越しのカウントダウンを数えて、その瞬間歓声をあげた。
  少し離れた寄宿舎からも歓声が聞こえてきた。少しすると、我々に引き上げようという。これからは危険だという。
  喧嘩や暴行がおきる可能性があるからだ。そそくさと、面白くなりかけたところで帰ってきた。
  日本人では、特別に招待された5人であった。これで4年連続のアフリカだが、担えきれない何かを持って帰ってくる。
  そして1回ごとの旅行のたびに、意識が拡大していく事が実感できる。心の奥深く潜む神秘の領域までとどく体験でもある。
   神話の英雄が日常の世界より、超自然的で不思議なものが住む世界に入り決定的な経験、そして勝利を納める、
  まさにそれに近い世界を体験する。 ますますアフリカ病が重くなった。 −1997年12月28日〜1月4日
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