2004年12月29日(水)
1366, あなたにできること
文芸春秋12月号の 巻頭随筆 の小川洋子の「あなたにできること」がよかった。
中越震災のNHKスペシャルの題名が確か、「あなたにできること」であった。
時期からみて、この随想がヒント?ではなかっただろうか。
心に響く内容であったので、その文章を抜粋して考えてみた。
ーーー
ー16年前ほど前、文芸誌「海燕」に小説を書くようになったとき、
最も驚いたのが、編集者が親身になって私の作品と向かい合ってくれたことだった。
どうして自分の小説でもないのに。というほど圧倒されるような気持ちに陥った。
その彼はまだ私と同い歳のまだ若いのに、思慮深く、決してうろたえない人であった。
どういうわけか、ふと小さな灯りがともり、私の中に新しい場面が浮かんだ。
すぐさま私はゲラに赤ペンで、十数行ほどの書き込みをした。・・・
その時、編集者の視線が痛いほど鋭く手元に突き刺さってくるのがわかり私は恐ろしかった。
仕方がないので、恐る恐る一歩ずつ進んでゆくしかなかった。
そのうちに思わない方向に道が拓け、小説は「ドミトリィ」という題名となった。
(´・ω・`)_且~~ イカガ?
以来私にとって、ズット編集者は恐い存在であり、完成前の未熟な小説の前で
彼等の内面ではどのような思いが渦巻いているのか、想像もできないでいる。
そんなある日、偶然「『ニューヨーカー』とわたし 編集者を愛した40年」という本を手にした。
アメリカの『ニューヨーカー』という雑誌のライターである、リリアン・ロスの自伝であった。
内容の多くは、名物編集長ウィリアム・ショーンとの出会い、結婚を許されない状況の中、
関係を深めていくないように割かれているが、私が興味を持ったのは、編集者としてのショーンの姿。
サリンジャーやレイチェル・カーソンなどの信頼を寄せられていた。
作家がどこに向かっているにせよ、そこまでの道のりをしめすことができた。
そして、「あなたにできることはあなたにしかできないんですよ」と言って、作家を励ました。・・・
耳にたこができるほど、何度でも作家達はショーンのこの言葉を聞きたかったという。
私も16年間、同じ言葉で励まされてきた。別の言葉で、態度であるけれど、大勢の編集者に導かれてきた。
私の小説にどれほどの意味があるのですか、素晴らしい小説は世界には一杯あるのに・・・・。
そんな気分になって座り込もうとする私を、無理やりにでも立ち上がらせてくれた。
・・・ウィリアム・ショーンは既に亡くなり、文芸誌『海燕』は休刊になった。
けれどもショーンの残してくれた言葉は、今までの小説に向かいあってくれたすべての編集者たちの声と
一体になり、心の中で響き続けている。 ーーー (*゚Д゚)つミ匚_ _ あ゙!
以上であるが、読んでいて自分の内面、過去に対して深く考えさせられた。
NHK・BSの「遠くにありて日本人」のバイク・ビルダーの生き方にしても、
ひた向きに何かを創造している姿勢と精神の真髄に、改めて教えられた思いである。
「私にしかできないことは私にしかできない」それが何か一度考え直してみる必要がある。
随想は自分にしか書けないことを書けばよい。毎日書き続けると、自分に書けないこと
しか書くしかないが。 それが毎日書き続ける効用である。
・・・・・・・