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2003年12月25日(木)
995, クリスマス−2
昨日は学生時代のクリスマスイブの日を書き写したが、
その[一年後のクリスマスの日]を記憶の中から引き出してみる。
ジャスコオカダヤに入社して四日市本店に勤務、そこから合併先のジャスコフタギの「神戸垂水店」に転勤になり、
半年経っていた。会社は幹部候補生を即戦力にする為に、店と売り場の高速配転をしていた。
2ヶ月もして慣れると、即配転である。四日市、神戸、桑名等。
5番目の売り場では、関西では初めての靴部門の立ち上げの責任者に取立てられていた。
それにしても、あまりにも過酷であった。当時のスーパーは、まだ得体の知れない新参の危うい小売屋でしかなかった。
濁流に放り込まれて、毎日が濁り水の中を溺れながら押し流されている日々だった。
現在考えても、よくぞあの濁流に飛び込んだものだと思う。それだけ当時の流通は暗黒の世界であった。いや今もそうだが。
話はそれたが、クリスマスは食堂でささやかなクリスマスパーテーをやったような記憶があるが、確かかどうかはハッキリしてない。
その後に会社仲間と寿司屋で酒を飲んでいたような記憶があるが、これも如何であろうか。女性とは一緒ではなかったようだ。
そうなら何処かで記憶が残っているだろう。クリスマスなどと浮世のことなど考えられない状態であった。
それにしても、あまりに異常の世界であった。 合併というのは、信じられないほど現場の摩擦がある。
その先兵は如何立場かという知識は全く無かった。 先ほど書いたように、流通業は当時は濁流そのものであった。
信じられないような光景が色いろあった。
ところで、その年の年越しを思い出した。 宿直で、年越しを床屋で髪を刈っていた。
当時の関西は、年越しは床屋が深夜まで営業をしていた。それまでの年越しは全て実家で両親と供に年を越していた。
刺激が強すぎた日々でも、芯には染まらないのが私の特性である。これは武澤ゼミのお陰であるし、また欠点かもしれない。
また創業という目的があったためである。
「クリスマス」や「年越し」という視点で、過去を切り取ってみると色いろのことが記憶の底から湧き出てくる。
メリークリスマス!
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