2006年12月21日(木)
2088, 14歳からの哲学−1      才八∋ウ_〆(∀`●)   
   「14歳からの哲学」 池田晶子著 
                   − 読書日記   
「知ることより考えること」と、「人生のほんとう」と、「41歳からの哲学」と、
この「14歳からの哲学」の中から、その都度目についたテーマを考えてみる。
人間として、社会人として、家庭人として、色いろな問題を地頭で考えているから、
そして子供向きに書いてあるから、解りやすく、深いところが考えやすい。
 今回は、
    ー「家族」ーである。 
「家族」については、家庭崩壊が大問題になっている現在、その本質をつかまえておかなければおかなければなるまい。
 家庭内離婚の含めたら半分は家庭崩壊というが、その中で一人一人が夫婦とは、親子とは何かをしっかりと
 把握しておかないと両親の犠牲になったり、子供の犠牲になってしまうことになる。

カナダでは親の責任は高校卒業するまでという。卒業したら学費を夏休みと冬休みにアルバイトで稼ぎ出すのが常識になっている。 
観光地の若い従業員は殆どが大学生の学費稼ぎである。首相の子供でも、大金持ちの子供でも、もし親が出している
ということが知れると、一人立ちできない人間として軽蔑されるという。
どこかの国の、いい歳をしたフリーターとは「独立心・自立」という面で雲泥の差がある。
動物の母親の責任は子が外敵に襲われても個体で対処できる時点という。
その時点を過ぎると、親は子供を冷たく突き放す。これは殆どの動物に共通の親子関係であり、
例外は人間位のもの。 本来、人間も当てはめることが自然である。
    
ー著者の「家族」についての章の中の要点を抜粋してみる。なかなか面白い!
 ーーー
世の中にはたくさんの他人がいるが、その一番近い他人が、家族である。
その痛みや心が解らないという意味で、たしかに他人である。
君が君のもともとの君は、誰から生まれたものではない。もともと君自身なのだ。
両親は、あなたの両親ではないというなら、いったい誰なのだろう。

彼らのほうから考えてみよう。
彼らにしたって、あなたが生まれたから君の親になったのであって、はじめから君の親としていたわけではない。
あなたが生まれなかったら、彼らはただの彼らであって初めから親という彼らではない。
この事実を、多くの場合忘れている。誰が生まれるかわからなかったのに君が生まれたという、
他人と他人のこの不思議な出会いの感動を忘れて、君のことを自分の子供だと思い込んでしまう。

親の役割は動物では、子供が独り立ちできるようになるまで、危険から守って育てることだ。
子供が独り立ちできるようになれば、それ以上手を出そうともしないどころか、逆に突き放そうとする。
それでは動物の親でない人間の親の役割があるとすれば、それこそが、他でもない、
人生の真実を教えることのはずだ。子供より先に生きている者として、何が危険で、何が大事か、
人はどのように生きるべきかを教える役割がある。真実とは何かを考え、教えることができるのは人間だけなんだ。
両親が全知全能と思っていたかもしれないが、君が生まれることによって、初めて親になったんだ。
完全な親なんて、人間の中には存在しないのだ。完全な親であることができるのは、動物の親だけなんだ。
彼らの目的は生命を全うすることだけだからだ。人間としての親は、人生とは何か、死ぬまで考えているのだから、
その限りすべての人間は不完全だ。どうしてあなたの親だけ完全のわけがない。
ーーー
 以上だが、半年位前のこと、帰省していた息子と酒を飲んでいた時に、酔った勢いでか、「親として、尊敬できない!」
と言われたことがある。その時の私の答えが、「それじゃ、お前は尊敬できる親になれるというのか!」であった。
子供もドッキとしたようだったが。尊敬できる父親ではないことは確かだが、軽蔑される親でもないはずだが?
もう一つ。いま一人の子供が高校生の頃、家内に「自分が親になったとき、親父と違って子供には優しくするつもりだ」
と言っていた聞かされた。かなりショックだったが・・・
  そのときの私の心の声は、
「しかし、じゃあ御前さんが優しい親となったとして、御前さんのような現状で優しくするというのか、
 自分自身そのものが、いまのその結果だろう」だったが・・・尊敬できる親が存在したら見てみたいものだが、
 多いのかも知れない。尊敬できる親と、優しい父親か〜。それより黙って温かく見守る両親が望ましいのか。
 家族は、外の社会の多種の他人とどう付き合っていくかを予習する場所。
 よりにもよって、自分の両親の縁で生まれたことの意味を考えると面白い。
 たまたま縁あって両親の下に生まれてきただけ、自分というこれ!は、親から生まれただけであって、
「本人そのもの、そう自分自身でしかない」のだ。なぜ、この親の元で生まれたか、この親から何を学べばよいか?
 考えれば考え尽きることはない。ただ私の場合は、両親には恵まれすぎるほど恵まれた。  
 黙って温かく見守る父親は、家庭が子供にとって社会への予習の場と見れば
 最低の父親ということになる。社会は温かくは見守ってはくれない!むしろ逆だろう。
 そうすると、時に厳しく、時に優しく、そして温かくすればよいが・・そうはいかないものだ。
  教えられるのは生活姿勢と、生きてきた生き様と、やはり人生の真実である。
              (+>∀<+)ノ ホンジャ〜
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