2002年12月05日(木)
601,ある時間の断片-15
 1968年  10月5日  土曜日

昨夜飲み過ぎせいか頭が痛い。10時に深井に電話をするが、アユに用とかでお流れ。 集団デートお流れ。
小作の方にしておけばよかった。 その後、酒井君が部屋にきて疎外論から人間関係論について話し合う。
かなり哲学づいているようだ。 深井が寮の部屋にくる。車を持っていると行動範囲が広い。新橋の深井の自宅に行く。
親父に紹介される。 40店舗を持っている新橋しのだ寿司の社長だ。私に興味があるみたいであった。
そこで食事をした後、東名高速で横浜・板付へドライブ。あまり面白くなかった。
帰寮後、ボクシングの世界戦をみる。小林が一方的に勝つ、つまらない試合であった。 その後食事に行く。
TVを見ていると市川さんが飲みに誘いにくる。寮の近くの「三浦」という行きつけのスナックへ行く。
帰寮の後夜半の2時に寝る。明日からは本格的に卒論に集中しなくては。

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「青雲寮」の過去に書いた内容をコピーしておきます。 2001/12/20
 −青雲寮(わが青春)
私が学生時代過ごした寮ー青雲寮のことを書いてみよう 。
場所は飯田橋から都電で新宿への中間 、新宿の牛込柳町にあり早稲田南町のバス停にも近い住宅地であった。
早稲田大学の理事の自宅の庭にあり牛小屋のような造りで、古くきたないL字型の24〜5室の寮であった。
早稲田の学生が3分の1、あとは各大学の在学生で占められていた。
そこからは代議士(渡部恒三)や県会議員が数人ずつ出ており、汚い棲家でもけっこう皆プライドはもっていた。
全国からの出身者のため個性的な人間の集まりであった。今でも年数回、そこに今でも住んでいる夢を見る。
月に数回は10人位集まり酒を買ってきて飲んでいた。 誰か必ず部屋に遊びに来ている状態で、
勉強に良い環境と言えないが人間勉強という意味で非常に良かった。自民党の総裁の鳩山一郎系のいきがかかっていた。
思いもよらない先輩がいて、よく赤坂とかあの頃の学生では行けない所に飲みにつれてもらったりした。
音羽鳩山御殿も数回行った憶えがある。その関係で軽井沢の友愛山荘に長期の休みにアルバイトに行ったりしていた。
そこで学生時代の大きい財産になった欧州旅行のきっかけもできた。
その寮は一緒に生活をしている事もあってか、とにかく癖が強い人間が多かった。 私生活がお互い丸見え、
どうしてもアラが見えてしまう、と同時にサル山と同じ勢力争いがあって結構それが面白かった。
ホモ、女狂い有り。哲学専攻でいつも一人ニヤニヤぶつぶつ言っている先輩あり。
クソ真面目のいやみな先輩、学生運動の闘士有り、現在振り返ってみても非常に面白い寮であった。
学生時代は「この寮と、武澤ゼミと、一ヶ月間の欧州旅行と、クラブ」を除いては考えられないが、
いい経験をした寮であった。私の大学の友人の間でも、この寮の存在―特に汚い馬小屋風の寮で珍しがられていた。  
父がこの寮に卒業の八ヵ月前にきて、翌月から仕送りを二倍に上げてくれた事で、いかに凄いか想像出来るのでは。 
         (昭和40〜44年)
                           2001/05/24
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