2007年11月24日(土)
2425, 自分を理解するための他者・コンピューター −1
                     ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] 
  ーまずは、私の感想文からー                   
  人間は自分の弱さをカバーするため、そして知識を持ったために神をつくった。
  それは他の生物から見たら、人間にとって都合の良い空想の産物でしかない。        
  ある雑誌に載っていたレポートを読んで考えさせられてしまった。
  19世紀に始まる進化論が人間は動物でしかないと主張、それまでの人間理解を根本から大混乱させてしまった。
  そこで人間と動物の違いが問題になった。動物の中の人間を浮き上がらせている諸特性ーたとえば、
  計算合理性、言語能力、抽象化能力などが浮かび上がらせて、我われ人間の根拠となり始めたのである。
  
  しかし20世紀半ばから出現したコンピューターは、動物とは違う、人間を理解する新たな<他者>になったのである。
  それが人間たらしめている特性を凝縮したものときているから、問題は更に人間とは何かを考える問題提起になる。
  動物とは逆の立場のコンピューターから人間が照射されて、動物と人間の差異を見ると、浮かび上がるのは何だろう?
  さらに、人間とコンピューターが融合してきたため、人間とコンピューターとの差異も見えにくくなってきている。
  その意味で現在の人間は哲学的に見ても大きな曲がり角に来ているのである。
   さらにコンピューターは人間の能力の概念を変えようとしている。
 ーー
 「人間とは何かを逆照射する新たな他者  ーコンピューター」
                  黒崎政男(哲学者)   
  *自分を理解するために他者が必要*

いま見てきたことからも明らかなように、現代科学技術の最先端を意味する〈コンピューター〉と、古代ギリシャ以来、
古色蒼然と続いてきた〈哲学〉との関係を論じることは、決して突飛な思いつきでも奇妙なことでもないことは明らか。
哲学者たちが長い間考えてきたことを知ることは、人工知能にとって決して無駄ではないし、現代科学技術の最先端で、
何が問題になっているかを知ることは、新たな発想のきっかけとなるだろう。
さて、それにしても、コンビューターという機械の研究と、人間の知識の研究が、かくもリンクするのはなぜだろうか。
それは、コンビューダーが、人間とは何かの問題を逆照射してくれる存在だからである。
われわれは自分を理解するために、他者を必要とする。だから、19世紀から始まる〈進化論〉の主張が、
人間の自己理解に大きな混乱と変動を引き起こすことになったのは当然である。
自分とは、動物ではないものであったはずなのに、自分は動物だった、と知ったら、自己を
浮かび上がらせるべき他者(つまり、自己を確定すべき境界線)が消失することになるからだ。
そこで、通常動物には欠けていると考えられる諸特性因たとえば、計算合理性、言語能力、
抽象化能力などが、われわれ人間のアイデンティティの根拠となりはじめたのである。
そして20世紀の半ばに出現してきたコンピューターは、人間を理解するための新たな<他者>となったのである。
人間ではないものが動物だったときには、人間と動物とが共通に有している能力よりも、知的・理性的側面が、
人間固有の特徴として逆照射されていた。 しかし、コンピユーターは、この「論理的能力」を特化した存在であるので、
今日では、人間とは何か、を考える場合、その知的・論理的能力は、人間固有の特徴としてクローズアップされ
にくくなってきている。むしろ、動物と共通する能力のほうが、逆照射されはじめている、といえるだろう。
だが、コンピューターと動物という二つの〈他者〉から、同時に自己を隈界づけ、
確定しようとすると、この両者に挟まれて人間の自己理解は深い困難を抱えこまざるをえない。
動物という<他者>によってわれわれを逆煕射しようとすると、コンピューターと我われとの差異が見えないし、
コンピューターという<他者>によって動物とわれわれとの差異が見えにくくなるからである。
                  ○(´・ω・)ノ ホン ヂャァネッ
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