2007年11月17日(土) 2418, よく生きる −3

          才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪

   宗教の問題も、それぞれの人間にとって大きな問題である。
   日本人が平気で外人に「私は無宗教」と言うと、腰を抜かさんばかりに驚くとか。
   多神教の風土が無宗教と言わしめるのだろうが。しかし著者の次の内容は、宗教の必要性を解りやすく説いている。
   私達は大いなる根源から送り出され、そして根源に帰って行くのだ。
   その道筋は、それぞれ違っても行きつくところは同じであろう。
   その違った宗教観を持った人の集まりが社会である。宗教観と社会観を理解してないと、よく生きることは出来ない。

  その部分を、「まえがき」の部分から抜粋してみる。
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(3)さて、人は自己を実現して自分の存在を確保し、他者との交わりによって愛の喜びを味わっも、挫折、病気、老化、
死という関門が待ち構えています。この問題について本格的な態度を持ちえなければ、真の安らぎには至りえないでしょう。
それが第三の論点、すなわち宗教の問題です。この問題は一言でいえば、私たちと私たちの存在の根源、言い換えれば、
宇宙のすべての存在者の根源との関わりの問題です。この根源は、人類の中で、存在、神、絶対者、道、
天、空、ヤーヴェ、仏、アラー、ブラフマンなどなど、いろいろな名前で呼ばれてきました。
要するに、私たち個々の存在者はこの根源から送り出され、死を通しての根源へと帰るのです。
このとき、この根源を善意に満ちた親と考え、優しい親元へと帰るのだと信じることができれば、安らぎが生れるでしょう。
それはすべての存在者を生み出した根源ですから、そ二では自分と他老の区別が意味をなさなくなるでしょう。
それが自他不二の世界であり、絶対者の懐に抱かれて万人が肯定される世界です。 ところで宗教的人間は、
一般に特定の宗教に献身していますが、人類の歴史を血まみれにした宗教戦争の惨禍を乗り越えるためには、
各人が自己絶対化を捨てなければならないでしょう。
多者共存が人類共生の不可避の前提となった現代においては、それゆえ、すべての偉大な宗教が
それぞれ異なる道を通って共通の根源へと向かっていると考えるべきでしょう。普遍的な霊性が肝要なのです。

(4)そして最後に、第四点として、社会の問題があります。
人間は本性的に社会の中で生きる存在者ですから、どのような社会を作るかは人間の幸福にとって死活の問題です。
人類は、おしなべて初めは王制から社会を作り始め、やがて貴族制へと移行し、それらの劣化した形態である独裁制
寡頭制を経て、現在ではデモクラシ喜最良の社会形態として是認しつつあります。
これは、すべての人間が自由で平等な存在者ですから、誰か特定の人間や種族が、
支配権力を独占することは許されないという認識にもとついて成立した社会なのです。
この原理にもとついて、統治構造の問題、経済活動の問題、福祉制度の問題、一言で言えば正義の問題についてさまざまな
工夫がこらされていますが、自由と平等はもはや揺らぐことのない人間社会の究極理念です。
この理念は、やがて、民族という生物的な枠に囚われていた人類を世界市民へと解放し、国境のない自由で平和な世界へと
私たちを導くでしょう。それは、現在では夢のまた夢ですが、哲学はユートピアを語らなければならないのです。
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一生懸命、自分の求めることを追求していけば、どの努力したレベレの人と邂逅できる。
それは本の中での過去の人を含めてだが。また、生老病死を知った人間は人生の不条理も知ることになった。
そこで自らの神に縋るしかない。一生をかけて神の御魂に帰る準備も必要。
また、我われが住んでいる社会に対しても良くするように努力しなければならない。
 よき人生か〜
                   ゚★βyёヾ(*゚∇゚*)ノβyё
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