2006年11月16日(木)
2053, たとえ他人の過ちが90?であっても
才八∋ウ_〆(∀`●)
いいですか、たとえその人のあやまちが90?であり、あなたのあやまちが10?であるにしても、
あなたは90?のことを考えることより何も得ることはできません。 何故かと言うと、
あなたはそのことをどうすることもできないからです。
ところが10?からは、とても大事なことを学ぶことができるでしょう。 (ユング)
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ある本に引用されていたユングの言葉が心に残った。ユングはフロイトの理論に共鳴して精神分析を始め、
フロイトも自分の後継者をユングと期待していた。しかし途中から二人の意見の食い違いが大きくなり決別してしまった。
そこでユングが考えたのは、「互いの理論の誤りは人間のタイプの違いによるのではなかろうか」ということである。
同じ現象でも、感情によって判断する人と、理性によって判断する人は、受けとめ方も違ってくる。
それぞれが、それぞれの理由や合理性があるはずである。 かりにどっちかが間違っていたとしても、
相手の考えを変えることが出来なくとも、自分の考えを変えることは出来る。
理論の対立だけでなく、我われの日常のことでも使えることだ。隣の人が教えてくれるような忠告だが、深い内容である。
この理屈を少しでも実践すれば、家内などとの些細な事などに、いちいち対立することも激減していただろうに・・・
些細なことなど、相手に従いなさいということになる。「他者不可知論」と同時に、深く考えなければなるまい!
熟年期を向かえて何の準備の出来ていない同年代の群れの悲哀の姿が、あまりに生々しい。
・・それも他人の90?の誤りと思い込んでいるでしかない。それぞれのタイプがあるのだから。
家内相手に、これを実践したら毎日の生活では隷属することになるんじゃないかい?
夫婦間で超然としているわけいかないだろう? 心の奥で思っていればよいことか!
(;´-`).。oO (ぇ・・マジ!)
(。^0^。)ノサイナラ!
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