2006年11月06日(月)
2043, 「私」のための現代思想 −17
才八∋ウ_〆(∀`●)
ーこの本の‘まとめ’になるー
今年は「面白い本」の当たり年であった。 この本は「面白い」という面で、ベスト3に入る本である。
( ̄∇ ̄ |||
私たちは考えごとをする時に、略しているかどうかは別として、《私》という言葉を常に使っている。
意識しないのを含めれば一日数百、いや数千回は使っている。そして、取巻いている世界からは、他人の《私》の
「超越確実言明」を聞く。人間関係の軋轢の中で都合よく自分勝手な理屈をつくり上げ、
その歪みに全く気づかないのが人間。さらに悪いことには他人の歪みには敏感に気づくときているから始末が悪い。
近代哲学などで多く「私」について扱われてきたが「<私>について何か解りやすい理論がないものか?」と考えていた矢先に、
この書に出会った。「他者」と「他人」の違い}も解りやすい。「他人の知らない部分を他者」と思っていた。
自分自身の知らない一面をみてもゾッとすることが度々あるから、自分の中にも他者がいることになる。
ユングの「意味ある偶然の一途」の経験など、まさに未知なる自己である。
「自分の物語」の中で他者を勝手な配役に振り分け、俺様は主役。主役の俺様にとって、他者へ役割が「他人」になる。
自分の人生劇場の登場人物として都合の良い役割を決めつけてしまうのだ。
その都合よい物語の中で他者を端役として位置づけ、都合の悪い相手は悪役にしたて、
都合に良い相手は善役にする。自意識過剰な軽い女子学生が唯我独尊の独り芝居をしている「あれ」である。
数年前に亡くなってしまった同級生が、チンドン屋のような独演をいていたが。
まあ、人生は全ての人が多かれ少なかれ、同じようなものだろうが。U(^(ェ)^)U
自分のことさえよく解らないのに、他者のことなど解るはずがない。
他人は、自分の妄想でしかないことを自覚すべきである。 他者不可知論も肯ける。
いずれにしても、我われは露出しないにしても、何らかのカタチで、《私》と<他者>の軋轢の中で生きて
いかなくてはならない。<私>の核の《私》が他者の積み重ねの中から出来ているという指摘には驚いた。
考えてみれば、そうなのかもしれない。簡単に言えばー「私」を認める者の存在ーを通して《私》になる。
その一番最初は、普通は母である。 初めの他者が母である。
「《私》と、その<世界>は腐っていく」というのも、戸惑ったが、実際周辺をみていると解る。
多選の県知事汚職が、そのよい事例になる。 w(☆o◎)w 県知事も、その周辺も腐っていくのが当然である。
こと自分自身について考えると、あまりにも辛辣に聞こえてくるが・・・
気が付くかつかないの差である!身体も、《私》も日々腐っていくのである。柿の実と同じである。
( ゜o゜)ハッ まあ、まあ、まあ、コーヒーいかが? (*^ー^)/C□~~
おわり! バイバイ!
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