2005年11月06日(日)
1678, 読書について

「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく」
ショウペンハウエル(1788‐1860)の寸言である。 読書には、プラスもマイナスもある。
自分自身で世界を観察し、考え、そこに不変の法則をみつけることこそが重要である。
自分で見つけた知識だけが自分のものになり、初めて世界は部分的としても理解される。
人生を振り返ってみて、「自分とは、過去の行蔵の総量である」と実感する。
だから、その蔵の中には良いものにしておかなくてはならない。
「言葉によって表現されていることを直感的に理解するには、その表現されていることを既に知覚していなければならない」。
いや、そのベースの上に書き加えられるという方が正しい。

カントではないが、盲人には『空は青い』は理解できない。視覚という機能があってはじめて空を知覚できる。
自分で体験しないことにはよくわからない(経験主義)。また人間の理解は、その脳機能の範囲を出ることができない。
思考も言葉で考えを表現して見せたところで、それを考えたことのない人間には通じない。
考えを伝達するのは、その考えを知っている人間に対してはその考えを想起させ、
知らない人間に対してはそれを考えるきっかけを与えるに過ぎないのである。
読書についてショウペンハウエルは、読書についての中で「読書は、言ってみれば、自分の頭でなく、
他人の頭で考えることである。絶えず読書を続けていけば、仮借することなく他人の思想が我われの頭脳に
流れ込んでくる。」 また「読書は思索の代用品にすぎない」と言っている。

しかし読書も、その行蔵のお宝のコーナーの重要な位置づけになる。
考えるということは、言葉によって初めて可能になる。その言葉と、見方、考え方、思考法を学ぶのは読書が中心になる。
異質の人との議論といる方法もあるが、範囲が狭まれてしまう。 それにしても、読書をしない人が多い。
問題は、読書をしない人は、読書の効用をほとんど理解できないことだ。

書物には、活字の奥に無限の空間がある。そこには、未知という名の圧縮された世界が存在する。星座の世界に例えると、
宇宙の星座と違い、書物の世界の中にある星座はたやすく得ることができ、人間形成に大きな役目を果たす。
教養とは、自由を獲得するためー生まれた時から縛られてきた先入観からの開放に必要な知識、経験である。 
その一番身近なのが読書である。 それにしても、教養が無い自分に今さら唖然とする。知らないことが、
知らなかったことがあまりにも多い。 人生の次の最大のテーマは、全く経験しなかった分野に目を向けること、
[未知への道を歩き続ける]ことである。

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