2007年11月06日(火)
2408, 久世塾 −2
(*´・ω・)ノはよー 読書日記
ー本当の不幸な人とは−
印象的な人ー講師の話を抜粋しながら、この本の要点を書いてみよう。
まずは、内館牧子の「本当に不幸な女」には驚いてしまった。
4人の姉がいたことと、女の職場にいたので、色いろの女性の時々の多くの生き様を見ることができた。
特に結婚や恋愛の姿をみていると、心の中が手に取るように見えることがある。
100?満足をして結婚する女性は皆無に近い?当然のことながら、妥協か成り行きである。
そして最期は、諦めになっていくのは、キュープラー・ロスの本にあった末期ガンを宣言されて、
その受容に落着くまでの患者の諦念への過程に似ている。
最期の最期まで白馬の王子様を待っているが、そんな人は現れるわけがない。
結婚詐欺師は、その心に付け込み理想的物語の世界に誘うのである。
それはそれでよいが、シナリオライターの眼は、もっと深いところをみているのである。
ーまずはその部分を抜粋してみよう!ー
私は悪いことでも、つらいことでも、苦しいことでも、あった方か幸せだと思っています。
テレビは反響がすごいからそういうことをドラマで書くと、「内館さんはテレビの中
で、『悪いことでもあった方が幸せだ』と言わせているけれども冗談じゃない。
私のように悪いことだらけの人はどうしてくれるのだ」という手紙がすぐに来ます(笑)。
でも、一番つらいのは、いいこともなければ悪いこともない人間なのです。 私自身、自分は
ずっとオール3の人間で、オール3の暮らしをずっとやってきたという思いがありました。
周辺も全部、いいこともなければ悪いこともない人たちの集まりだったのです。
ですから、その中で彼ら彼女たちがどうやって生きていくかということが、私のドラマのべースになっています。
今NHKのテレビ小説で「私の青空」というのを書いていますが、未婚で子どもを産むという女の話です。
未婚の母というのは、もしかしたらいいことでないかもしれない。実家の親には怒られるわ、世の中は生きにくいわ、大変。
だけども、未婚の母になることさえできないで、恋人もいないで、セックスもできないで、
という女たちがいっぱいいるわけです。 その人たちの方がもっとつらい。
よく「男にだまされて貢いで捨てられて…」みたいなことを書いた手紙が来て、
ドラマにして下さいと言われるのですが、ほとんど興味がわきません。
というのは、「男に貢いで捨てられて妊娠して、その子どもが死産で……」
っていうすごい事故みたいなことがあったとき、それは逆に男運がいいということです。
そういう男と出会うことはめったにない。 それを男運が悪いと言っていじけているのはむしろ陶酔なのです。
私は、そうでなくて本当に男運の悪い女たちをいっぱい見てきているわけです。
それは何かというと、男がいないのです。 全然いない。 好きも嫌いもない。
通り過ぎることさえない(笑)。 おそらく世の中の人たちが考えているよりも、
恋人や恋愛というものが実生活の中にない若い人たち、二十代、三十代が結構いるのではないかという気がします。
現実にずいぶん見てきました。 だから、例えばふられて泣くなどというのは恵まれた話なのです。
「つらいことでもあった方がいいよな」というのは、そういうことです。
ーーー
この文章を読むまで、ドラマとは、男に捨てられた立場の女を描くものと思っていた。
しかし、それでは心をうつドラマにはならない。何処にでも転がって話でしかない。
もっと辛いのは、それさえない女である。 全く、その通りである。出会ってきた多くの人は、そうだった。
それさえなかった人である。そういう意味で、場数を踏んだシナリオライターでなければ、言えない言葉。
人生とは、そういうことなのかもしれない。たまたま偶然知り合った男が積極的にアタックしてきただけの
相手でしかなかった?その人と結婚に成り行きでなったが、本当に良いのか。もっといい人のはずだったのに。
という疑問を持って流されていく。しかし、何も無い人生かもしれないが、その細部の中に何かを見つけていくことこそ、
人生の味わいがあるはず。 燃焼してこそ人生であるが、不燃焼の燃えカスも大事な人生の一部である。
誰かが「僕は、欲求不満女性のオタスケマン」といっていたが。それでも、良いのかもしれない。需要と供給の関係だから。
ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Ю
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