2003年10月29日(水)
938, 「ライフ・レッスン」ー読書日記

 各レッスンの内容が愛と真実に包まれている。「死ぬ瞬間」シリーズは世界的ロングセラーで多くの人に癒しを与えてきた。
ロスの本は何冊も読んだ。終末期医療から死にいく人々から学んだ数々を説いている。 すべてを終えたとき、「生」と「死」
の本当の姿があらわれるのだ。 彼女がマザーテレサに亡くなる数ヶ月前に会ったとき、ロスに、
「生きることがとてもたいせつと考えているからこそ死にいく人達と一緒にいることを最大の使命としているのだ」
また「生は一つの達成であり、死はその達成の成果です」と言われたという。 大部分の人は死を達成とみていないだけでなく、
生も達成とみていない・・死の淵にいる人は、そのことをよく知っている。 ロスは生そのものの大切さについて教えてくれる。
彼女の本を読んでいると、暗い?内容なのだが、暖かい愛に包まれた気持ちになる。

  ーまずは、この本の抜粋からはじめたいー
・一生と呼ばれる時間のあいだに学ぶべきレッスンは色々ある。特に死に直面している人々と一緒にいるときにはとりわけ多い。
 死に行く人々は人生の終わりに多くを学ぶが、通常は学んだ教訓を生かすための時間が残されていない。
 1995年にアリゾナに引っ越した私は、ある年の母の日に脳卒中で倒れ、麻痺状態になった。
 その後数年間は死の入り口にいた。時には数週間で死ぬのだと覚悟をした。そして幾度も訪れてこないことに失望した。
 準備は完了していたからである。しかし、死ななかった理由は、私にはまだ学ぶべきレッスン、最後のレッスンがあったからです。
 そのレッスンの多くは人の生についての究極の真実であり、命そのものの秘密である。私はもう一冊本を書きたいと思った。
 今度は「死」そのものではなく「生」についてである。
・人には誰でもガンジーヒットラーが住んでいる。象徴的な意味であることは当然である。ガンジーは人の中のベストなもの、
 もっとも慈悲ふかいものをあらわし、一方のヒットラーは最悪のもの、人の持つ否定性と卑小性をあらわしているのだ。
 人生における人ノレッスンとはおのれの卑小性に働きかけ、否定性をなくして、己のなかにも他人の中にもあるベストなものを
 見つけ出す作業である。人生の暴風に似たそのレッスンは、人をして本来の人に戻してくれる。人間が地球上にいるのは、
 互いに癒しあうためである。これは身体的不具合を癒すだけでなく、はるかに深いレベルでの癒しである。精神と魂の癒しである。
・人がこういった人生のレッスンについて語るとき、人は完結していない
 気がかりな問題の解決について語っている。完結していない気になる問題とは死についての問題ではなく、生についての問題である。
 '確かに私は豊かな暮らしを実現した。しかし、本当に生きるために時間を使ってきただろうか?'というように最も大切な問題である。
 多くの人々は確かに存在はしてきたが、本当に生きてはこなかった。それらの人々は完結していない気になる問題に蓋をするために、
 膨大なエネルギーを費やしてきた。
・完結していない気になる問題は人生最大級の問題であるから、死に直面したとき焦眉の急の課題になる。
 大多数の人々は完結していない気になる問題の多くを未解決のままで終わる。 問題の一部しか解決できない人も多い。
・人生には学ぶべきレッスンがあまりにも多い。一度だけの人生では習得不可能であろう。
 でも、学べば学ぶほど未完結の問題が少なくなり、それだけ充実した人生になり、本当に人生をおくることができる。 
 いつ死ぬかは不明であるが、死ぬときには、'オーイ神様、私は生きました'と言えることになる。  
                            「ライフレッスン」 エリザベス キューブラー・ロス (著),
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