2007年10月26日(金)
2397, 恥をかかせろ、いじめはなくすな ー4
                        (*´・ω・)ノはよー
ここで彼が述べていることを野生動物のファミリーとみれば理解しやすい。
父親の役割は子供をつくり、餌を取ってきて、メスと子供を外敵から守る。
これは全ての動物の自然の姿である。 万物の霊長たる人間様は動物とは違う!というが、
その万物の霊長とかいうこと自体、自惚れではないのでは?と、吾身や社会を省みて思わざるをえない。
それと歴史・・・ 父親は父性、母親は母性の役割があるる! 変態と知能指数の低いのは 別だが・・・
これは世界の何処の社会でも同じことである。一番おかしくなっているのがアメリカと日本!
 戸塚宏の次の内容は、現代日本の家庭崩壊の根本問題を指摘している。
当たり前のことが当たり前でなくなっているところに問題の深さがある。
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*父性と母性*

こうした小学校時代の教育には、父親の力が不可欠である。
父親が家の方針を決め、母親がそれを補佐する形が理想だ。この形を維持すれば、
子供は父親の言うことを聞くようになる。実はヨットスクールに来る子供たちの
家庭は例外なく父性が弱い。酒鬼薔薇聖斗事件でも西鉄バスジャック事件でも、
犯人の家庭では、父親が弱かった。男女どちらが優れているという話ではない。
役割が違うのだ。「家庭内での男女同権」を唱える人がいるが、家庭で母親が父親
並みの権力を持って何かいいことがありましたか、と問うてみたい。
 無論、何もいいことはないのである。
私は、父親がなすべきことは四つあると考えている。
一つは、子供をつくること。
二つ目は、餌を取ってくること。
三つ目は家族を物理的に守ること。
四つ目は、国を守ることだ。
いきなり愛国心とは、面食らうかもしれないが、父親に愛国心がないと子供は
不安になるのである。自分の数々の経験からこれは間違いない。

人間は群れをなす動物で、男は時として群れのために命を投げ出すことがある。
これは男の本能だ。男は強くなろうとするが、それは自分のためだけではなく、
群れを守るためでもある。群れを守ろうとする気持ちが強い人は、父親が強いのである。
子供たちも己を捨ててチームや社会、国のために働くヒーローが好きだ。
漫画やテレビなどでもそういうヒーローものにひきつけられる。男の子は本能的にそれを知っているのだ。

いまの日本は、男性が女性化して守ってもらう側になっていることも珍しくない。
群れを守るどころではない。これも教育の悪影響だ。
戦後、男に与えられていた責任感が激減したから、強くなれなくなってしまった。
女は本能的に保護を求める性だが、男が頼りなければ、女が強くなっていくしかない。
しかし、母親はよほど自覚的にならない限り、子どもを強く育てることはできない。
たいていは子供が素直で勉強ができれば、満足してしまう。
それではひ弱な偏差値秀才ができるだけだ。少なくとも群れを守ろうとするような男の子は育てられない。
そろそろ男の論理を家庭にも社会にも取り戻さなければならない。

もっとも子供の教育に関して、家庭でできることはそんなに多くない。人間教育について親がやれることは限られている。
親は、子供に安心して帰れる場所を作って、外に送り出しさえすればいい。
外で子供は人間性を高めるトレーニングをしてくる。しかしトレーニングというのは厳しい。まいってしまうことだってある。
そのときに帰って安らげる場所、安心できる場所としての家庭を作ってやることだ。
子供はそこで安定する。それには母親とともに、強い父親が必要なのだ。

進歩とは、自分の価値があがることである。価値を獲得すれば、
本能的感情としての喜びが生じ、この喜びから理性的感情の幸福、感謝が生まれる。
感謝は人から与えられたときに生じるが、幸福は自分で獲得したときの感情である。
だから幸福になるには、自分の力でするしかない。子供たちを幸福にすることとは、
進歩させる力を教育によって身につけさせることである。いまの教育は、
その根本を間違えている。進歩させる力を育てるどころか、奪っているのである。
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家庭がシッカリしているということは、それぞれの役割分担が、あるべき姿であるということである。
父親や、母親になってない両親の子供は、欠陥が出て当然である。
それぞれが違う家庭文化を携えて新たな家庭をつくるのは、簡単なことではない。
何処かに歪みが出て当然、しかし、こと子供教育は最低の知識と常識が求められる。
「こころの旅」や、この戸塚宏の本などが「そういう子供」をつくらないためにも
お勧めである。      「エッ!もう、遅い」 失礼しました。 
                SeeYou**(○´ω`○)ノ
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