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2005年10月11日(火)
1652, 北イタリア旅行記−3
昨日の午前、午後にかけてタイミングよくNHK総合で
『世界遺産イタリア縦断1200?・総集編』を放映していた。
今回の旅行前(8月と9月)にBSで放送したものだが、
行く前と行った後では、見る目も違ってくる。
今回行ったところではシエナと、チンクエレッテがあった。
とにかく石の文化は残るからよい。
一度つくってしまえば、数百年も先祖代々住みつづけることができる。
やはり、日本とは歴史の深さからくる民度が圧倒的に違う。
またイタリアも北と南との豊かさの格差が大きい。
ーフィレンツェー
ルネッサンス発祥の地”フィレンツェ”。
フィレンツェ歴史地区はフィレンツェの中心部であり、
ユネスコの世界遺産(文化遺産) に登録されている。
歴史的な町並みが広範囲かつ集中的に保存されていて、
ルネッサンスの芸術や文化を感じることができた。
イタリア統一後、短期間イタリア王国の首都がおかれていた。
(1865年-1871年)。
フィレンツェは長期にわたりメディチ家の支配下にあった。
中世からルネサンス期にヨーロッパにおいて、商業および金融の重要な中心地であり、
文化の中心地域としても発達し、美術、建築の傑作が数多く残されている。
黄金期のミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチなどの作品が残り、
街全体が美術館のような佇まいになっている。
ーその幾つかの概要を書いてみる
・大聖堂
フィレンツェといえば、その象徴とも言える大聖堂である。
別名「サンタ・マリア・デル・フィオレ(花の聖母寺院)」と呼ばれ、
白・緑・ピンクの色大理石を巧みに使った優美な外観を持つ。
量感と均衡に満ちた、イタリア独特のゴシック建築である。
着工は1296年カンピオによって始められ、その後ルネッサンスの建築家ブルネレスキが
14年の歳月をかけて大円蓋(クーポラ)を架け終ったのが1436年のことである
(頂上のランタン部分は1461年に完成)400段以上ある石の階段を上ったが、
その屋上から見る中世を思わせる町並みの景観はすばらしい。
外側の3つの扉にはレリーフがほどこされている。
その中の一つ東側の扉は、ギベルティが1425年〜1452年まで27年かかって完成させた傑作で、
50年後にミケランジェロが「天国の扉」と称えた程である。
・ミケランジョロ広場
アルノ川南岸の小高い丘の上にあるミケランジェロ広場の夜景もよい。
ここからは、花の都フィレンツェがパノラマのように見渡せ、
特にアルノ川とヴェッキオ橋が美しい。
中央にはミケランジェロの彫刻「ダヴィデ」のレプリカが置かれていた。
・ウフィッツィ美術館
ヴェッキオ宮殿のすぐ先に位置する華麗なルネッサンス様式の建物で、ウフィッツィ宮殿内にある。
「ウフィッツィ」とは英語で「オフィス」を意味している。
当時はメディチ家の事務所として使用されていた。
3階建ての宮殿は、現在美術館として一般公開されている。 名実ともに世界第一級の美術館である。
収蔵品は、
古代ギリシア、ローマ彫刻、フランドル絵画と幅広いが、
ダ・ヴィンチ、 ミケランジェロ、ボッティチェリ
等のルネッサンス期の巨匠の作品群がすばらしい。
ー主な所蔵品として、
*ボッティチェリ: <春>, <ヴィーナスの誕生>
レオナルド・ダ・ヴィンチ <東方三博士の礼拝>, <受胎告知>
ミケランジェロ <聖家族(Tondo Doni)>
ラファエロ <ひわの聖母>
ティツィアーノ <フローラ>, <ウルビーノのヴィーナス>
カラヴァッジオ <イサクの犠牲>
などが絶品である。現地日本人ガイドの要約した、
それぞれの絵画に背後にある説明を聞きながらの鑑賞がよい。
レオナルド・ダビンチとミケランジェロの人間臭い葛藤も幾つか聞いた。
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