2004年10月02日(土)
1278, 人生(時間)のセイムスケール−2

このHPにあった「アンソロジのコーナー」の内容が濃い。「死の瞬間に何人も悟るだろう。

    • 人生の目的なるものが、いかにばかばかしいことであったかを」(山田風太郎)などは、

虚無の境に立ったときに「人生の目的とやら」が、卑小なことと直感するのだろう。
人間の本音が、あまりに辛辣に次々と書いてあるが、それでいて、何かホッとするから不思議である。
★「人生は日常の反復である。だが、いつのまにかずれが入りこみ、
 同じ行為が変質してしまう。反復とずれ、それが人生の時間の意味だ」(吉田喜重
★「神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す」(山田風太郎
★「人はだれでも可能性を持っている。自分の中にある埋蔵資源をできるだけ発掘して、
 それに形を与えていく。 それが生きるということの意味です」(鶴見和子
★「私の人生は失敗の連続だったが、その都度、全力を出して失敗してきた。
 失敗も全力を出せば満足に変わるのである」 (佐藤愛子
★ 「絶望は人生の通過点に過ぎない」 (梁石日
★「線路を走る列車のように、人生は見えないレールの上を走っていく。そして、終着駅が近いと知ったとき、
 〈別の人生もありえたのでは〉と夢を見る。 しかし、列車を乗り換えることはできない」(田中 誠)
★「我が命は地球より重い。他人の命は犬より軽い」(山田風太郎
★「人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれでつきている」(正宗白鳥
★「みんないう。いつか死ぬことはわかっている。しかし、「今」死にたくないのだ」(山田風太郎
★「幸福な人々の死だけ悼もう。つまりごく少数の人々だけを」(フロベール
★「---いろいろあったが、死んでみりゃ、なんてこった、はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、みなの衆」
                                       (山田風太郎
★「雪はげし書き遺すこと何ぞ多き」(橋本多佳子)
★「死が生にいう。〈おれはお前がわかっている。しかし、お前にはおれがわかっていない〉」(山田風太郎
★「昔の死は、人が、死にゆく人物を演技する喜劇的な悲劇であった。
 今日の死は、人が、自分の死ぬのを知らない人物を演技する悲劇的な喜劇である」(フィリップ・アリエス
★「死の瞬間に何人も悟るだろう。--人生の目的なるものが、いかにばかばかしいことであったかを」(山田風太郎
★「死んで不幸せになった人を、ひとりでも見たことがあるかね」(モンテーニュ
★「どんな臨終でも、生きながらそれは、多少ともすでに神曲地獄篇の相を帯びている」(山田風太郎
★「大多数の人間は、死なないですますわけにはゆかないので死ぬだけである」(ラ・ロシェフーコー
★「いかなる人間も臨終前に臨終の心象を知ることができない。
 いかなる人間も臨終後に臨終の心象を語ることができない。何という絶対的聖域」(山田風太郎
★「おいとまをいただきますと戸をしめて 出ていくやうにはゆかぬなり生は」(斉藤史
★「生は有限の道づれ旅 死は無限のひとり旅」 (山田風太郎

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