■
2006年09月19日(火)
1995, 世界の絵画50 −2
おはよ〜!(*^ワ^*)i
不安の正体 ームンクの「叫び」
不安感を絵で表現するとムンクの「叫び」になる。あれは恐怖の叫びとは違う!不安の叫びである。
人間がいきている限り、不安は常に付きまとうものである。生きていること自体が不安の原因となる。
これが 先日、ハイデッガーについて書いた中にある、「不安」の本質である。
「不安とは現存在として最も根本的な気分である」という。 彼によると現存在は世界内存在として理由もなく
この世界に投げ出され、そのつど、何らかの気分に規定されている。
日常性の中に埋没されて生きている非本来的あり方から、本来的自己を呼び覚ますきっかけとなるのが不安である。
とりわけ「死」の可能性の前にしての不安において、現存在としての根源的開示がはじめて生起すると・・
誰でも漠然とした不安が夢の中で熊の姿で現れたり、金縛りになったりする。
その根源が現実社会と思っていたが、「死」の可能性を前にしての不安というのも納得できる。
恐怖は具体的な恐れであるが、不安は漠然とした恐れである。 その正体が「死」である。
もう一つは変化そのものであるが・・・ 難しくなるので、「変化」のテーマで書くことにする。
( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪
ところで、新聞にノルウェーのオスロのムンク美術館所蔵の強奪された「叫び」が発見された、と報じていた。
この「叫び」の男は、絵の中で表現された人物として、絵画の世界で有数な有名なキャラクターになっている。
ムンクは、この男の絵を通して不安を表現したかったようだ。彼は、この絵に対して、次のような言葉を残している。
ー友人ふたりと歩いていたムンクは、ひとり立ち止まって、太陽の沈んだあとの、血のように赤くなった雲を見た。
友人はそのまま行ってしまったが、ムンクはそのとき、恐怖と不安にふるえながら、自然の大きな叫び声を聞いた。
そして、この「叫び」を描いたーという。 彼は自分のその時の体験をそのまま描いた絵であり、
その男は、ムンク自身の姿である。この絵には中央の雲の部分に小さな字で、「こんな絵を描けるのは狂人だけである」
と書き込みがある。ムンクは1863年、ノルウェーのロイテンで軍医の子供として生まれている。
5歳にして母親を亡くし、その9年後、母親と同じ結核で姉を亡くし、32歳で、
父親と弟が亡くなっている。そして、妹も精神を患い、病院に入れられてしまう。
彼は「病と狂気と死が、私の揺りかごを見守ってくれた黒い天使だった」という言葉を残している。
ー「世界の絵画50」より抜粋ー
正に「病と死と狂気への不安感」が大きく口を開いている。この絵は人間の不安感という黒い闇を鋭く描いた絵である。
(。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
・・・・・・・・
2005/10/16
1657, 世界の絵画50
今回の北イタリア旅行でも、フィレンツェのウフィツ美術館で素晴らしい絵画を多く見ることができた。
実物を見ないかぎり、その絵画の背後にある意味を知ろうするには余程のキッカケがない限りできないものだ。
「知識を持って絵をみること」これを知ったのは、15年前にスペイン・マドリッドにあるプラド美術館で、
日本人のガイドの説明を聞きながら絵を見た時である。絵の中には、さまざまなドラマが詰まっている。
その画家の技法、思い込み、性格を知ることで、絵が全く違ってみえる。
ピカソの「ゲルニカ」、ベラスケスの「ラス・メニーナス」、そしてゴヤの「裸のマハ」「カルロス4世の家族」
スペイン独立戦争を描いた「1808年5月3日」など、絵の中にある多くの背景と、隠されているドラマを聴きながら、
初めて知識を持って絵を見ることの醍醐味を経験した。
名画は、画家たちの精神や思索の凝縮したものである。それが絵画というカタチで、私たちの前に提示されている。
いかなる技法で描かれたか、あるいは画家が作品に込めた思いや、その人となりを知ることで、はじめて鮮明に私たちの
目の前に立ち現れてくる。それまでは、絵の力や精気から感動を得るだけであったが、この日以来、絵の見方が全く変わってしまった。
その意味で、この本は初心者にとって理想的な本である。この歳になって、やっと知りえることがあまりにも多い。
年齢を重ねることは、前を向いているかぎり堰が切れたように好奇心が旺盛になる。自分を鳥瞰できるようになるからだ。
ー目次
1 誰の何という絵か言えないと恥ずかしい名画
2 見る者を神話・宗教の世界へいざなう名画
3 美術史のターニング・ポイントとなった名画
4 歴史と人間の営みをいきいきと表現した名画
5 画家の心象風景がリアルに伝わってくる名画
6 独創的な色づかいとフォルムに圧倒される名画
著者名:佐藤 晃子 出版社 :河出書房新社
・・・・・・・・