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522,勉強法ーノートのとりかた--3 -
2002年09月17日(火)
以前にも「鳩山家の勉強法」でも書いたが、レオナルド・ダビンチや
モーツアルトなどの過去の天才のノートやメモの共通点があるという。
・絵と図を中心として、そこに文章を書き込んでいる。 空間配置を中心にしてある。
知識としてより、創造のエネルギーが、それを共通項として必要としていたのか、直感的なのか?
・似た方法として、左か右に普通のノートをとり、反対側に絵や図や遊びなどの自由のコーナーにしてある。
考えてみれば、脳そのものが右脳・左脳と二重構造になっているいるから、そうする事が自然で効率が良くなる。
このような箇条書きも、してないよりはず〜とよいが、できたら空間配置のほうが良いのだろ。
空間配置の中でフルに○と→をフルに使ってそれぞれの関係を現しながら、解りやすく表現する事が重要だ。
考えてみたら、これはある目的を達成する為、中世から現在まで、見取り図、発想法、かつ記憶の手段であった。
また対象をわかり易くする為の手段でもあり、準備作業でもあった。 今はパソコンに変わろうとしている。
私の場合パソコンのワープロ機能の活用で、毎日の随想日記が可能になった。
この画面で左がこのワープロで書き込め、左にノートパッドに ペンで自由に手書きで書き込めるソフトあると、
便利のはずだが。 もうあると思うが?いやないか?デジタルとアナログの融合になるのだが。
「天才のノート」というソフトを創れば、売れると思うが!手書きも、タイプで打ち込める混合のソフトだ。
アナログから脱皮できてないレベルの発想か? 携帯電話の絵文字はその先をいっているのか??
絵文字の組み合わせは、まったく違った可能性を含んでいる。
時代は技術はどんどん変わっていくが、可能な限りついていくつもりだ。
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