2003年09月06日(土)
885, 遥かなるアルゼンチンタンゴ

 先日、NHKのBSTVで「遥かなるアルゼンチンタンゴ」の2時間番組を放送していた。
昨年末にアルゼンチンに行って、本場のアルゼンチンタンゴのショーに感激した余韻が残っており
丁度よいタイミングであった。 (感想文は後にコピー)
 番組はアルゼンチンタンゴの歴史や由来、超一流のタンゴの踊りを交えた内容の濃いものであった。
アルゼンチンタンゴは踊りだけでなく、歌も庶民の悲哀と愛を歌い続けてきた。
バンドネオンといわれるアコーデオンやバイオリンなど中心としたタンゴオーケストラもある。

ー以下はその放送に流れるナレーションを纏めたものである。

 禁断の踊りの魅力に満ちた哀愁の漂う街ブエノスアイレス
その隅々までタンゴの一部になっているようである。
パリの街の売春宿の踊りとして有名になった時、時の法王が、そのあまりの過激さに、「タンゴ禁止令」をだした。
 その時パリにやってきていたカシミール・アイーンが、法王に直訴をした。
そして法王の眼のまで実際におどって見せた。それをみた法王が感動して、禁止令を撤回したという逸話がある。

 この世界中を魅了している踊りの歴史は深くはない。
南米のアルゼンチンのブエノスアイレスに、世界中の踊りや歌を携えて
船乗りたちがながれてきた。そしてそこの男女が互いを誘惑しあった踊りである。
キューバのタバネロや、スペインのフラメンコが混ざり合い出来上がっていった。
執拗に互いの身体を密着しあった踊り、それをアルゼンチンタンゴというようになった。

 男女が誘惑しあうタンゴの原点はいつの世にも変わることはない。
変な気取りを全て捨てて鳥のように誘惑しあう姿が美しい。男女が身体を離して踊るのではない。
二人は密着しあって一つになる踊りである。 彼らはタンゴから人生そのものを学んだ。

 ブエノスアイレスは犯罪が少ないという。男女の欲望はタンゴをとおして発散できるし、出会いの場が多い。
ダンス場が街のあちこちにあり、入場料はマンドリン(飲み物付き)で200円ばかり、眼が合えば一時の恋人になる。
音楽の続く3分間はお互いに相手にゆだねる。全く知らない人でも、ダンデーな男と艶やかな女になれる、
それがアルゼンチンタンゴである。

ー以上であるが、何よりも男女の誘惑しあう踊りがイヤラシクも何もない。スペインのフラメンコは一人踊りか、
集団で踊るかだ。それに対して、男女二人が体を密着して誘惑しあう。
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ータンゴの歴史
 タンゴがうまれたのは今からおよそ130年位前のブエノスアイレスの場末といわれる。
ジャズよりもずっと昔からタンゴが存在していたことになる。
タンゴを生んだのはプエノスアイレスにやつてきたイタリア系と
スペイン系の移民たち、自然に生きてきた牧童ガウチョ、黒人の
子孫たち、それも社会生活からハミ出してしまったやくざ者たちである。
 彼らが自分たちの娯楽として作り出したダンス音楽がタンゴとなったのだ。
だからタンゴにはそれぞれが生れ故郷で親しんできた昔楽が入り込んで
いるし、望郷を思わせる哀愁あるメランコリックなメロヂィーを持っているのである。

 タンゴが他の地域へとひろまり始めたのが1920年代。
きっかけはそれまでダンス音楽だつたタンゴに「歌」という表現形式が現れたことといわれる。
それから楽譜産業、レコード産業の発展も大きく貢献した。
それと並行してパリを中心にしてタンゴは世界的流行を見せ始める。
 その後はアメリ力の映画や音楽に押されてしまうが、1940年代に復活、ペロン大統領とその妻エビータの
ナショナリステイツクな政策も助けとなって第二の黄金期を迎える。

 1950年代後半から経済悪化にともない、小編成グループが増加、アストル・ピアソラを中心とした
現代タンコ・への歩みもスタートする。 今、アルゼンチン・タンゴ・界では昔からのスタイルも、
現代的なスタイルも、男性歌手も女性歌手もあり、ダンサ一も数多く活躍し、とてもパラエティに富んだ趣味、
芸術に発展したのである。

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2002年12月21日(土)
617,パタゴニア旅行記(タンゴ)ー4

 アルゼンチンタンゴがすばらしい!
昔はブエノスアイリスは女性が少なく、その憂さを晴らすため船員同士
が女のふりをしてエロッチクな踊りをふざけて踊ったのが由来という。
それが波止場近くの娼婦の売り込みの踊りと変化していった。
その踊りが西欧の人達に認められていった。従って内容はエロチックで情念丸出しのものであった。

 ブエノスアイリスで一番の1400人収容の店で、ショーが2時間以上にわたって繰り広げられた。
全く期待をしていかなかったのが良かったのか、初めから終わりまで拍手喝さいのすばらしいショーであった。

 お客の全員が感動に包まれ、アンコールの連続であった。今まで見たショーで一番の感動と言ってよい。
辛口のツアーの同行者もこれだけは絶賛をしていた。この旅を締めくくるに最高のイベントであった。
写真を見てもらえれば解るはずだ。よいのはダンサーが一番楽しんでいる事だ。
   この旅行は心に多くのものを残してくれた。

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