2002年09月06日(金)
511,こころの添削

「文章を添削することは心を添削することだ。
その人の心が添削されないかぎりはその人の文章も添削されようがない」
       ー藤村藤村の「初学者のために」より

なにか毎日[[随想テーマ日記」を書き続けていて、一番勉強になるのが自分自身である。
思っていることを書き出して、添削を続けていると心を書き出し、こころを添削しているような気になる。
小さな、ネジ曲がった自分がまず浮き彫りになる。そして、他人に見られていることを意識して書き直す。
その作業を通して、自分の心が添削されていくのが実感で解る。

文章の上達は「量を書くことと添削しかない」と立花隆が書いていたが、そのとおりである!
添削は誤字や文の脈絡の捩れを直すだけでなく、その前提になっている自分の視線・視点を治す事だ。
言葉が汚い自分はこころも汚い事と反省しなくてはならないが!

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人生は「自分が真にしたいことを見つけ、面白く生きること」これが秘訣だと両親の生き方より若いときから学んだ。
ものを書くことも然りと、田辺聖子の「いい文章を書くために」という随想に書いてあった。
「書きたいことを、面白がって」そうすれば、読む方もその人の本当に言いたいことに注目をするし、
面白がって読むだろう。文章も躍動感に満ちたものになるだろう。
なるほどと思ったと同時に、文を書くとき本当にそう考えていただろうか?

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「随想はつまるところ自慢話」と井上ひさしがいっていたと、林真理子が書いていた。
なるほど、そのとおりである。 毎日書き続けていてそう実感する。
「こんなことを知っているぞ」とか「こんな経験したことがあるぞ」 とかだ。
それでは外に何を書けといえばいいのか?やはりその類のことしか実際のところない。
勝手に書いて、公開しているんだからと開き直るしかない。
何か書いている原動力が自慢話とは、それも面白いものだ。「毎回見ていただいてありがとうございます!」
いや「毎回自慢話を聞いていただき有難うございます!」

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