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*ここにないものと関わる能力
松井: 前回は、生物学者の長谷川真理子さんと対談しました。
そのときの話では、現生人類には抽象概念が生まれた契機の一つが、喉の構造の変化です。
逸れによって、文節性の高い言語を獲得できたということです。その御蔭で目の前に起こってない現象でも、
抽象化して相手に伝えることができ、知恵の伝達が可能になるということでした。
つまり人類がいまのような生き方をするうえで重要な要素として、言語の機能というものがある。
それを哲学がどう考えてきたかというところから、話を始めましょう。
鷲田: 人間とはなにかということは、思想史の中でいろんな語られ方をしてきました。
いまおっしゃつた、話す人(ホモ.ロクエンス)という思想はもちろん根本的なものです。
また、遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)というのもありますね。「遊び」ということができることを
人間の本質としてみる。ホモ・サピエンスとか、ほかにもいろんな捉え方はあるのですが
これらの共通点をみれば、ここにないものに関わっていくということ、つまり不在なものに
自分を関係づける力をもつということなんです。いま目の前に現れているものを、
取り換えられない必然のものと捉えるのでなく、それをさまざまな可能性のひとつとして
了解しなおすということなんですね。
人間以外の動物は、生物としてのシステム沼に、別のあり方がないような形で組み込まれている。
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解) 「ここにないものと関わる能力」、これは言葉の持つ最大の効力だろう。
カラスは500の鳴き声のサインがあるというし、ケニアではシマウマが鳴き声で多くのサインを出しているのを知った。
それでは、鳴声と言葉の違いは何だろうか? それは、正に「ここにないものと関わる能力」が
言葉の中にあるということである。 亡くなった親族や恩師や友人とは、生きていた時より、むしろ
深く関わること出来るようになる。 教養とは、多くの「ここにいないものと関わってきた」蓄積である。
過去を振り返ると、自分の読書量と経験量が、ここにいないものとの関わる能力の質を決めることが解る。
予習能力も復習能力も、そのうちの一つになる。 それと、更にすすむと予知能力もある。
言葉は考えれば考えるほど、奥行きが深い世界に我々を誘い込む。ファンタジーも、妄想もある。
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