希望格差社会 −2    ー読書日記ー

構造改革」とか「市場淘汰」という社会では、基礎的な能力が高く、かつプライヴェートな相互扶助組織を自己創造していく。
「人脈、学閥、閨閥など」に支援されていて、かつ「戦略的に考えることのできる人間」はたくみにリスクヘッジすることができる。
彼らはリスクヘッジをさらに確実化するために、「強者同士の相互扶助組織」を強化する方向に向かう。
 その端的な表れが、「強者同士の婚姻」である。

これまでの家族社会学の常識では、
「夫が高収入の場合は妻が専業主婦となり、夫が低収入の場合は妻が就労して家計を補完する」。
この常識はもう覆えされつつある。 話は逆になっているのである。
「夫が高収入の場合ほど、妻の就労率が高く、夫が低収入であるほど、妻の就労率が低い」という傾向が顕著になってきている。
高度専門職についている「強者」の男女が婚姻し、さらに豪奢な生活を享受する一方で、
不安定就労者同士が結婚した生活能力のないカップルに「できちゃった婚」で子どもが生まれて一層困窮化する。
不安定就労者の若年男性は、事実上、自分と同程度に社会的弱者である不安定就労者の女性の中からしか配偶者を選べない。
(高度専門職に就いている女性強者が男性弱者を配偶者に選ぶ可能性はほとんどない)。
だが、弱者同士の結婚は、「共倒れ」のリスクをむしろ増大させるだけ。
不安定就労の若年女性が、男性強者の配偶者に選ばれる(「玉の輿」の)確率はそれよりはずっと高い。
しかし、リスク社会では、かりに女性が不安定就労者であっても、男性強者は配偶者に相当の学歴や教養や人脈などの文化資本を要求する。
言い換えれば、男性強者の専業主婦たりうる条件は「文化資本を備えた強者の家庭のご令嬢」であるというかたちで、予め限定されている。
未婚率の急上昇、少子化の進行の背景には、この勢いづく「強者連合」によって蹴散らされた「結婚したくてもできない弱者」
の急増という事実がある。 
リスク社会は「勝つ人間は勝ち続け、負ける人間は負け続ける」というフィードバックを繰り返して短期的に二極に分化する。
その結果はどうなるのか。強者はより強く、弱者は一度落ちたら二度と這い上がれない。

「夢に向かって努力すればその夢は必ず実現するというのは『ウソ』である。
 全ての人が希望通りの職に就けることはあり得ない。
『一生』大学教員になれない博士課程入学者は年に一万人ずつ、
『一生』上場企業のホワイトカラーや技術職につけない大学卒業生は、多分、年に数万人ずつ、
『一生』中小企業の正社員にさえなれない高校卒業生は、年10万人ずつ増えてゆく。
これに呼応して、正社員と結婚するつもりだが、 一生結婚できないフリーター女性は、年20万人ずつ発生していくのである。(…)
いつかは受かるといって公務員試験を受け続けても、三十歳を過ぎれば年齢制限に引っかかる。
どうせ正社員に雇ってくれないからと就職をあきらめ、単純作業のアルバイトをしていた高卒者は、仕事経験や能力が身に付かないまま、
歳だけとり続ける。 よい結婚相手に巡り会えないからと結婚を先延ばしにしていた女性は、四十過ぎれば見合いの口もかからなくなる。
当の若者は、考えると暗くなるから考えない。 若者自身が、不良債権と化すのだ。(…) 結婚や子供を作ることなく、
高齢を迎える元フリーターの中年男性、女性が100万人規模で存在する社会はどのようなものになるだろうか。」
                                      (127−8頁)
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これを読んでいると、末恐ろしくなる。
自由の裏返しが弱肉強食からくる格差の問題であり、それは差別につながる。
我々の年代は、中学校までは振り分けされない最終の学校が中学校であった。
その時は意識しなかったが、振り返って考えてみると、ハッキリとした格差があった。
その時の成績が、そのまま一生に正比例して拡大しているだけ。
そういえば、私自身、「5つの項目・両親のレベル、学歴、容貌、性格、相性という要素を考え、
それが70〜80?に近い女性で、バランスの取れている人」を基準に決めていた。
そして色々あって、ご覧の通りである。「御前自身を考えてみろ!」という声が聞こえてきそうだ。
姉達のレベルからは段差はつけたくなかった。 現在振り返ってみると、嫌な奴!だった。
しかし、5つのバランスは長い人生を連れ添っていくのに、一番重要な気がする。
それもこれも、我慢、我慢、忍耐、忍耐画できるかどうかである。

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