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2007年08月01日(水)
2311, カント ー世界の限界は経験可能か?−1 (*´・ω・)ノはよー
『カントー世界の限界を経験することは可能かー」熊野純彦著
ー読書日記ー
カントは難しい。ここでも何回か書いてきたが・・・
トルストイをして「何度読んでみても、サッパリ解らない」と言わせしめるほどである。
「それまでの哲学をカントで哲学を収れんし、その後の哲学は、カントから始まる」と言われている。
亀のようでも良いから少しずつでも理解してやろうと5年ほど前に決意。ことあるごとに、
噛み砕いてあるカントの本や、各種の哲学書の中のカントの章を読んでいるが、それでもサッパリ解らない。
私が、カントの属性(クル病とか、生活の規則正しさとか・・)でなく、哲学のエッセンスで解りえたのは、
・合理主義を経験主義を統合したこと
・「し・な・の」と憶え、『人は何処まで‘知り’えるのか』『人は‘何を成すべき’か』
『何処まで‘望みえる’のか』 という人間の根本を追及していた。
・カントを説明する上で、ある哲学書が一枚の絵を紹介していた。
−雨上がりの草原に小さな二人の姉妹がいて、マンドリンのような楽器を盲目の一人が弾いている。
その逆側の娘が盲目の娘の肩越しに、雨上がりの草原の虹の景色をみているー
この絵は、雨上がりの草原で若草の匂いの中、好きな楽器を弾いているが、
眼がみえないため、虹と草原の美しさを知ることができない。
人間は、その機能の範囲でしか対象を認識できない!ということである。
世界の限界を経験しても、その限界を超えることは出来ないということだ。
・現象は、それぞれカラーのサングラスをかけてしか見えないし、その色に限定されるということである。
−−−等々である
以上の簡単なことを知るのに、悪い脳で必死に取り組んだ結果である。
先日借りてきた『カントー世界の限界を経験することは可能かー」熊野純彦著
ーNHK出版ーが、シンプルにカントのエッセンスを抜き出してあった。
110頁ほどの本だが、視覚的にスウ~ッと入っていける?
読んでいると、何か何面体かの球状鏡に色いろな意味が照り返しているような気持ちになる内容である。
一度借りてきたことがあったが殆ど読まないで返してしまった。
今回が、もう一つカントを理解するうえで、丁度良いタイミングなのだろう。
それとノロマながら、先ほどのことを、さらに一歩解りかけてきた。
次回から、少し手間がかかるが、私の知的レベルに下げて、
這いずりながらも意味を掘り下げてみたい。その為に、中古本だが注文をして読み始めた。
何度も何度も繰り返し書き込みを入れないと、とうてい歯が立たない。
哲学は、脳の中枢の情報えり分けや、吸収の根幹に関わるので、避けて通ることはできない。
考えること、それが哲学である。 そして考えること、それが人間としての姿だからだ。
「なに考えてんだ?自分は!」「なに考えてるんだ?あなたは!」と、何時も自分に、
他人に問いかけているわりに考えるということを考えてない。そして、晩期になって、
「自分は何をしてきたのだろうか?」と、悶絶をする。もう始めている? 本当にご苦労様です。
ホナナァ☆ |・∀・`@)ノ|Ю
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