*不幸の4階建て」を考えてみる

「幸福の4階は、克服できない苦難や悲しみの中にある」というが、
 逆の「不幸の4階建て」とすると、どうなるか考えてみた。
 前回の「おばさん、の話」を書いていて、おばさんの特徴に弛緩というキーワードが出た。
その反対の言葉が幸福の4階の「克服できない苦難や悲しみ」になるのではと・・・。

不幸の建物の4Fは弛緩とすると、これから1〜3Fが導き出される。
 3Fは、やる気も目標も無く、同じことの繰り返し。
 2は、不満で悶々とする日々
 1は、当面の問題から逃げて、上手くいかないと他者に責任転嫁
 
  不幸の4階建というテーマが、不幸なおばさんの姿から成立する。
 弛緩しているおばさんは果たして不幸なのか?と疑問も出る。
しかし、幸福の4Fの逆の意味で、不幸とは弛緩そのものが、大きな要素と気づかされる。

 誰もが、幸福と不幸の4Fの建物の要素がある。
自分の趣味を持たないで、日々に流されると、「こてこてのおばさん」になる。
それも不幸な・・・ というとこだ。 ただ自分で気づかないだけだが。
「おじさん」にも、言えることだが。
 
 現在の日本が、この不幸の4Fに近いのでは、いや自分自身が、そうではないか?
と感じたのではないか。 いや、自分は違うと説得しているのではないか。
「日々、戦場」を己に課すことが、果たして幸福? 
「日々、私は何て幸せ!」と何となく思っているのが不幸?なんだろうか。
 あまり考えてこなかった中年女性が、不幸なんだろか?
 そう勝手に、他者を思い込んでいるだけじゃあないか?
        
 まあ、幸福など考えるから、訳が解らなくなるのだ!

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